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II 「従軍慰安婦」問題をめぐって 1 「三重の犯罪」 2 「民族の恥」−−家父長制バラダイム 3 朝鮮婦人の「純潔」 4 「戦時強姦」バラダイム 5 「売春」バラダイム 6 「性奴隷制」−−性暴力パラダイム 7 「民族言説」 8 「対日協力」という闇 9 日本特殊性論vs「軍管理売春」普遍説 10 性・階級・民族 11「慰安婦」問題の「真実」とさまざまな歴史 |
III 「記憶」の政治学 1 日本版「歴史修正主義者」たち 2 シェンダー史への挑戦 3 「実証史学」と学問の「客観性・中立性」神話 4 歴史化と非歴史化 5 オーラル・ヒストリーをめぐって 6 歴史の語られ方 7 反省史をめぐって 8 国民国家を超えて 9 フェミニズムはナショナリズムを超えられるか |
書評 「ナショナリズムとジェンダー」 今福龍太氏(「論座」1998.5)より抜粋
近代の人間社会に対して強権的な抑圧装置「国民国家」原理を超えるための、 新しい思想のプログラムが現れた。そのプログラムに着手する手がかりを、これまで 蓄積されてきたナショナリズム批判の営為の虚を突くように、著者は「女性」という国家 の外部に求める。............................................................................
著者は本書で、これまでのフェミニズムや女性史をめぐる理論的・実証的な作業の延長線 上に、いよいよ私領域における女性という問題系を超えて、公共領域において国民国家 と対峙しうる「女性」というカテゴリー(あるいは歴史的変数)を定位しようというきわめて 刺激的な試みに踏み出した。すなわちそれは、ジェンダー中立性を装っていた国民国家という 概念を徹底してジェンダー化する、という言説上の闘いとして示される。
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著者の結論は、だがこうした反省的女性史の検討が、女性をも戦争協力者の位置に相対化 することで一定の断罪をくだすために目的化されているのではないことを強調する。反省的女性史の検討が導くのは、国家が女性を「国民」へと統合するときの究極的な矛盾の露呈であり、 「女性」が最終的・決定的には「国民」にとり込みえないカテゴリーであるという、近代国民 国家におけるジェンダー編成の臨界領域である。
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「従軍慰安婦」は日本の戦争と東アジア植民地化に付随した過去の問題などではなく、 私たちが現在進行形で加担している犯罪である、と著者は明快に断言する。この問題の ほんとうの位置づけは、過去における集団的・強制的強姦や性の奴隷化の示す犯罪性と いう点だけでなく、いまだに大半の旧慰安婦たちが名乗ることもできずに屈辱的な沈黙 を強いられているという、現在まで継続する加害の事実としてむしろ問い直さねばならない からだ。
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著者の「従軍慰安婦」問題への視点が新鮮であるとすれば、それは歴史的事実を示す 決定的な証拠を明示したからではまったくなく、「歴史的事実」がつねに現在時からの 「再審」にさらされる変幻自在なものであることを指摘し、慰安婦たちが、正史として 固定化されてきた「国民国家」による公共の記憶の皮膜を破って、国家に帰属もせず、 国家によって代弁もされ得ない尊厳ある女としての「わたし」の記憶を、もう一つの 歴史=物語として新たに定位しようという実践に、明快な認識論的根拠を与えたから なのである。
「フェミニズムは国境を超えなければならない」という行動的な使命感につき動かされ た、稀有なほど熱く明晰な理論書である。