母性愛という制度 子殺しと中絶のポリティクス

田間泰子著/勁草書房/2001年/2900円+税


   
目次
 
第T部 子捨て・子殺しと母性  
第一章 母性という制度
1 母性の解体と再編のために  
2 日常生活世界におけるジェンダー秩序の維持  
3 逸脱と統制のメカニズム  
4 社会のなかの 「母親」と「子ども」 
第二章 子捨て・子殺しの物語
1 なぜ、一九七三年か  
2 子捨て・子殺しの物語のレシピ
3 あべこべの物語  
4 〈加害者)への母の変身 
第三章 子捨て・子殺しの物語の誕生と死
1 出来事の時空間的拡大  
2 カテゴリー統合と一般的レベルの語り  
3 総犠牲者化のプロセス  
4 残された二つの疑問

  

 第U部 中絶と母性
第四章 中絶の論理
1 中絶とは、なにか 
2 「堕胎罪」と「母体の健康」  
3 「救い」から「家庭の幸福」 へ 
4 優生保護法改正(改悪)運動のバラドクス
第五章 カテゴリー統合への道程
1 中絶論争を支配するもの  
2 カテゴリー統合の前哨戦 
3 カテゴリー統合への困難な道程 
4 中絶と母性の分断支配 

 

 第V部 母性の制度と近代
第六章 母性という制度のサバイバル
1 喪失の物語 
2 犠牲者化の物語  
3 物語における加害者/逸脱的主役 
4 父の不在の物語  
第七章 不妊と家族の近代化
1 日本的近代家族と実子主義  
2 「逸脱」としての不妊家族と「正常化」の方法
3 不妊と近代化のアイロニー 
著者からのメッセージ
 児童虐待や引きこもりがマスメディアで話題になると、今でもまだ「母性喪失」「母性崩壊」などと、問題を母と子だけに限定してしまう本が売れます。実は、1970年代にも「母性喪失」「母原病」などと母親だけを悪者にする本が売れたのですが、日本社会はあれから変わらなかったのか。ウィメンズ・リブやフェミニズムの努力は、何だったのか。

 この本は、戦後日本の子捨て・子殺し・中絶に関する新聞記事分析を中心にしていて、マスメディアがどのように父親たちを免責し、母親たちだけを悪者にしていったかを実証しています。また、その分析を通じて、優生思想や人口政策など様々な理由から中絶をさせたいがために、日本社会が中絶の意味を「母性喪失」とは切り離して許し続けている政治性も明らかにしました。

 最終章では不妊のことも論じていますが、私の一貫した主張は、要するに母性はさまざまな別の価値を実現するために利用されてきただけだということです。日本社会は無条件に母性を信じ尊重するような社会ではありません。たとえば不妊治療の適用条件にあきらかなように、法的に婚姻した女性だけに、しかも実子に対してだけの母性の実現を強要しています。このように他の社会的価値によって条件付きで都合良く利用される母性のあり方は、戦前の天皇制下で既に経験済みのはずです。それを、女性たちは本能だとか当たり前だとか、あるいは「正常」だとか思って抱え込み、悩み、あるいは誇るのです。

 私たちは二度と同じ轍を踏んではならないし、そのためには母性がいかに社会的に巧妙に創られた幻想かということを、しっかりと認識する必要があります。この本が、その手だての一つとなれば幸いです。