田間泰子著/勁草書房/2001年/2900円+税
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児童虐待や引きこもりがマスメディアで話題になると、今でもまだ「母性喪失」「母性崩壊」などと、問題を母と子だけに限定してしまう本が売れます。実は、1970年代にも「母性喪失」「母原病」などと母親だけを悪者にする本が売れたのですが、日本社会はあれから変わらなかったのか。ウィメンズ・リブやフェミニズムの努力は、何だったのか。この本は、戦後日本の子捨て・子殺し・中絶に関する新聞記事分析を中心にしていて、マスメディアがどのように父親たちを免責し、母親たちだけを悪者にしていったかを実証しています。また、その分析を通じて、優生思想や人口政策など様々な理由から中絶をさせたいがために、日本社会が中絶の意味を「母性喪失」とは切り離して許し続けている政治性も明らかにしました。
最終章では不妊のことも論じていますが、私の一貫した主張は、要するに母性はさまざまな別の価値を実現するために利用されてきただけだということです。日本社会は無条件に母性を信じ尊重するような社会ではありません。たとえば不妊治療の適用条件にあきらかなように、法的に婚姻した女性だけに、しかも実子に対してだけの母性の実現を強要しています。このように他の社会的価値によって条件付きで都合良く利用される母性のあり方は、戦前の天皇制下で既に経験済みのはずです。それを、女性たちは本能だとか当たり前だとか、あるいは「正常」だとか思って抱え込み、悩み、あるいは誇るのです。
私たちは二度と同じ轍を踏んではならないし、そのためには母性がいかに社会的に巧妙に創られた幻想かということを、しっかりと認識する必要があります。この本が、その手だての一つとなれば幸いです。