『女性学年報』第27号内容紹介 (本体価格 1900円)

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目次

〈しぶとく生きるフェミニズム―「なんちゃってリベラル」な時代の「不燃ゴミ」として〉

<特集1「平等」「権利」再考> <特集2 未来を元気にする「女の歴史」> <特集3 「気持ち悪さ」に屈しない「私」のフェミニズム>

日本語要約

◆交渉・妥協・共存する「ニーズ」〜同性間パートナーシップの法的保障に関する当事者ニーズ調査から〜・・・有田啓子・藤井ひろみ・堀江有里

 血縁と婚姻を越えた関係に関する政策提言研究会有志が実施した「同性間パートナーシップの法的保障に関する当事者ニーズ調査」(筆者らのうち二名は有志)の分析・考察を行った。

 結果から、当事者は異性間と同じ婚姻制度を同性間にも認めるかどうかで二分される可能性があること、医療・福祉的資源と経済的優遇を求める潜在因子があることが明らかになった。また法整備に肯定的な@ 平等追求型A 実利追求型B 偏見解消手段型と、法整備に否定的なC 婚姻制度拒絶型(個人単位型)D <逸脱>肯定型E 自然本質主義型といった様々なニーズが共存していた。生殖・子育てをめぐっては、他者=生命をコントロールすることへのためらいと、家族を形成する権利との間で複数の問題群を当事者が意識していることがわかった。

 異性愛者に限定されている婚姻制度など、社会制度の問題性は、関係保障に関わる葛藤として当事者にのしかかっている。社会規範をより詳細に考察し、議論を深めたい。


◆物語ることの困難―『ポケモン』に見るRPGとしての「成長物語」・・・八木千恵子

 本稿では、ゲームにとどまらずテレビアニメを中心とした多様な媒体へと拡張したこの『ポケモン』の「物語」を、ゲームとアニメ、さらにゲームの生みの親である人物についての言説を通じて見て行く。これらを連続的・相互補完的なものとして見ることで、『ポケモン』という「物語」における性差表象、紋切り型の多用による性別役割規範のありようを示している。

 『ポケモン』の物語は、旅をし、友情を育み、努力の末勝利するという、従来の他のRPGにおいても中心的であった「男の子の成長物語」に基づいている。ゲームの原案者の評伝をも視野に入れることによって、そのような既存の「物語」は、ゲームの内と外の両方において、「男」と男に体現される価値観・行動を特権化して語っていることが明らかとなる。しかし、そのすべてがRPGという枠組の中にあることで、そのような「男」という特権性もまた「役割演技」としてのみあることが露呈されているのである。


◆県立別学高校の一斉共学化が生徒に与えた影響―生徒たちの外見に着目して・・・白井裕子

 福島県は1993年からの10年間で、それまで22校存在していた県立の男女別学高校をすべて共学化した。アンケート調査や卒業アルバム写真のビジュアル分析によって、同地区にある二つの元女子高校と一つの元男子高校の女子生徒について共学化前後の女子生徒の外見(服装や化粧、髪形など)に着目して調べると、女子校時代の生徒は自らに求められている女性性を自覚した上で意識的に学校の外と内で服装を使い分け、外でのみ女性性の高い服装をしているのに対し、共学化後の女子生徒は学校の内外に関わらず女性性の高い外見をしていることがわかった。また、元男子校をあえて選んで入学してきた少数派の女子生徒たちはジェンダー規範に敏感で、それに対抗しようとしているかのように外見に見る女性性は低いが、多数派の元女子校に入学した女子生徒たちはジェンダー規範に無自覚のうちに女性性を表現してしまっている。女性の社会進出が進む現在だからこそ、女性性の表現から解放され女子生徒の積極性がはぐくまれるという、女子校の長所も見直されるべきではないだろうか。を構想する試みの一端になり得る。


◆娼妓にとっての「解放」とは何か― 一九三〇年代初頭、遊廓のストライキにみる解放のイメージ・・・山家悠平

 一般にはあまり知られていないことだが、一九三〇年代初頭には、娼妓や芸妓、カフェーの女給といった、従来の女性労働者に関する研究では正当な労働者としては扱われてこなかった女性たちによる争議が多発している。売買春をめぐる歴史研究の多くが、遊廓のなかの女性たちを「救済」する廃娼運動の側のまなざしに寄り添うかたちでおこなわれてきたために、芸娼妓たち自身による状況改善のたたかいが背景化されてきたのではないだろうか。この論文では、大阪松島遊廓金宝来(一九三一年)、佐賀武雄遊廓改盛楼(一九三二年)というふたつの争議に焦点をあてて、遊廓のなかの女性たちにとって解放がどのようなものとしてあったか、またストライキという手段がどんな意味を持っていたのか考察したい。


◆月経吸引器Del-Emと女性の健康運動・・・水島希

 アメリカでウーマンリブの流れをくむ「女性の健康運動」(Women's Health Movement)が生まれつつあった1970年代初頭、フェミニスト活動家の手によって、手動で初期中絶を行うことができる器具が開発されていた。月経吸引器「Del-Em」と名付けられたこの器具は、スペキュラム(膣鏡)を用いた子宮頸部の自己検診法とともに瞬く間に全米に広がり、「セルフヘルプ運動」として定着した。女性たちが自らの手に中絶技術を取り戻したのである。1973年の中絶合法化にともない、手動中絶の需要は激減したが、「Del-Em」開発と「セルフヘルプ運動」によって、女性の健康と病気に関する概念の問い直しや、医療専門家が持つ社会コントロール機能の問題化が促進された。日本でも、1970年代後半にアメリカの「セルフヘルプ運動」が紹介され、スペキュラム運動として展開されてきたが、月経吸引器「Del-Em」はほとんど紹介されることなく現在に至っている。これにより、セルフヘルプの意味や、女性の健康に対する姿勢に、日米で大きな差違が生じていると議論する。セルフヘルプをめぐる日米の運動展開の違いを見ることにより、日本における「女性の健康運動」の問題点を指摘し、今後必要となる要素を提示する。


◆沖縄の織物生産と生産者の女性との関わりの変化〜復帰前後の沖縄織物生産に携わった女性たちを通して〜・・・森永翠

 これまで戦後における沖縄女性史研究では米軍基地関連職業や婦人会を通じた社会的な運動などが多く取り上げられてきたが、本稿では古くからの在来産業である織物に携わり続けていた女性たちに着目し、はえばる南風原、おおぎみ大宜見、宮古島を中心に戦後の織物と女性との関わり方、復興のされ方を明らかにするとともに、当時の沖縄社会と女性たちの一つの在り方を探ることを大きな目的としている。

 終戦直後、女性たちが織りを始めた理由は、生きていくためであり、生活用品の生産から行われた。次第に復興してくると、ほとんどが賃労働となった。一方で戦前まで存在していた機織りを「良い嫁」の条件とする意識はほぼ消えていき、戦前・戦後生まれを問わず自発的・主体的に織物と関わる女性が増えた。戦後、織物が沖縄において一つの大きな「産業」となったとはいえないが、現在「伝統工芸」と目される織物は特に女性たちによって支えられて現在にまで受け継がれている。


◆内観体験記―私はいかにして挫折したか (エッセイ)・・・澁谷知美

 自己啓発や心の修養は、反社会的行為を犯さないかぎり、それ自体としては精神を陶冶する行いとして肯定的に捉えられることが多い。だが、それは本当に「それ自体は肯定的に捉えてよい」ものなのだろうか。

 本エッセイでは、日本を発祥の地とし、世界各地に広がりつつある自己啓発法「内観」をじっさいに体験した上で、とくにジェンダーの視点から上記の問題提起を試みた。

 その結果、次の二点が問題点として発見された。第一に、内観研修がジェンダー的に見て「世俗的」としか言いようのない価値観や存在をまぎれこませていた点である。具体的には、一歩引いたり譲ったりすることへの耐性をつけるよう準備しておくのは男ではなく女の側であるという世俗的価値観を体現する標語や、他者と「話したい」他者を「諭したい」という男性に偏在しがちだと思われる欲望を抱えた面接者の存在が指摘された。

 第二に、既存のジェンダー秩序を感謝の念でもって正当化する点である。内観では、一番に母親に「していただいたこと」「ご迷惑をおかけしたこと」を思い出すことが要請され、母への感謝が期待される。しかし、個人的に母親に感謝の念を向けることは、なぜとりわけ母親のみが子どもに何かを「して」くれる人であり、「ご迷惑」をかけられる対象になっているのかという現状へ問いを投げかけることではない。むしろ、感謝の念は思考を停止させ、既存のジェンダー秩序を正当化するのに寄与する。


◆女性向け二次創作に見られる自己表現・・・霜村史織

 原作が存在する既存のキャラクターを使用した創作が二次創作である。現在の日本では、五十万人以上が二次創作の生産・消費に関わっていると言われている。一部の女性は男性キャラクターの関係を恋愛関係に変換した「ヤオイ」とよばれる物語を創作している。これまで「ヤオイ」について、さまざまな考察がなされてきた。しかし、考察の多くは「ヤオイ」文化の外側の者たちからなされてきたものである。そこで、「ヤオイ」文化の内側から自らの可能性を語ることを試みる。

 「ヤオイ」の二次創作を行っている女性たちにインターネットを利用してアンケートを行い、「ヤオイ」の二次創作を行う動機と二次創作作品においての自らの位置付けを解明する。そして、「ヤオイ」という二次創作を女性の試みとして再評価し、「ヤオイ」という二次創作に託された女性の欲望や「愛」と「現実」との関わりや、二次創作作品をインターネット上に掲示することの作用について、考察する。


◆女性とファッション、「女らしさ」評価の関係〜現代女性の「類型化」批判〜・・・小山有子

 ベストセラーになった『下流社会』著者三浦展が、先行して女性のファッションについて議論した『「かまやつ女」の時代』(2005 牧野出版)によれば、最近の若い女性の「おじさんぽい」「ゆるい」ファッションは、問題視されるべきだという。著者はアンケート調査等をもとに、現代女性のファッションを「「かまやつ女」系」「ミリオネーゼ系」「お嫁系」「ギャル系」などに類型化し、それぞれを特徴的に描き出し、彼なりの評価を下している。

 しかし、このような単純な類型化で女性のファッションそのものだけでなく、その着用者である女性までも類型化され、肯定的あるいは否定的な評価を下されることに違和感をもつ。否定的な評価への疑問はもちろんのこと、たとえ肯定的な評価であったとしても、そのさきに期待されている女性像は、着用者である女性にとってどんな存在であるのだろうかと考えざるをえない。ファッションとは、本来取り替え可能なものであることを念頭におきながら、女性とファッションの関係が類型化され、評価されることについて検討を試みる。