Subject: [reg-easttimor 156] 東ティモールから  No.9
From: Koshida Kiyokazu <koshida@jca.apc.org>
Date: Wed, 20 Dec 2000 23:06:11 +0900 (JST)
Seq: 156

東ティモールから No.9
12月11日(月)
 小学校用の机といすの設計図をもらうためにUNTAETの資材部に行く。UNTAETの
各セクションは、10月まで、通称「テント・シティ」というところに所にまとまっ
ていたのだが、そこが議会の場所になってしまったため、ディリ市内のいろんな
所に分散してしまった。ところがきちんとした案内図がないため、その場所を探
し当てるのに一苦労する。今日も「JICAの向かいだ」と言われたので、変だなと思
いながら行ってみると、やはりUNTAETの事務所などない。もう一度電話すると
「古いJICA事務所だ」と言うので、JICAの人に「古い事務所ってどこだったの」と
聞くが、「古い事務所?」とみんな怪訝そうな顔をする。もう一度、電話しなおし
て何とかたどり着く。
 UNTAETは「東ティモール人化」を進めているので、資材部にも担当が東ティモー
ル人の担当者とオーストラリア人の二人いる。はじめは東ティモール人と話をし
ていたのだが、肝心なところはオーストラリア人が出てくる。しかも、このオー
ストラリア人担当者が、いかにも官僚という感じで、もったいぶって話してくる。
設計図によると、机は二人がけ、椅子は折畳式のもの。すでに試作品もできてい
る。ただ、それがいつから製作されるかは、まだ不明。
 事務所に帰って、メールをつなごうとするとまたまた不調。SHAREの蜂須賀さん
によると、同じ量のメールを送るにしても、PARCの電話線を使うと、以前の
SHAREの電話を使った時の倍の時間がかかると言う。この違いは、インドネシア時
代の電話線と、新しくオーストラリアの電話会社が引いた電話線の違いによるも
のだということだが、本当だろうか。たしかにこの事務所の電話線は、大家さん
が使っていたものだから古いのは間違いないのだけれど。普通の電話は問題ない
のだが、メールになると途端に調子が悪くなると言うのは、どういうことなのだ
ろうか。

12月12日(火)
 東ティモールNGOフォーラムの総会に行く。ディリ東部のベコラ地区にある修道
会の建物を使って開かれた総会には、約200人が参加している。ほとんどは東ティ
モール人だが、NGOフォーラムのボランティアをしているオーストラリア人(たぶ
ん)もけっこう目に付く。総会は今日・明日の2日間だが、今日の午前中はカンボ
ジア NGOフォーラムの経験を学ぶというセッションで、ラッセル・ピーターソン
というコーディネーター(カンボジア人ではない)がカンボジアから来ている。参
加者はみんな熱心にカン
ボジア NGOフォーラムの活動や歴史を聞き、質問もする。たしかにカンボジアの
経験から学ぶことは大きいと思う。ただ同時に、東ティモールNGOに関わる人の多
くが、インドネシアによる支配と正面からぶつかってきた人たちであり、国際
NGOと呼ばれる私たちは、それを側面から支えてきたにすぎないという点は、逆に
カンボジアの人たちにきちんと伝えた方が良いように思う。あいまいな言い方し
かできないのだが、ときどき違和感を感じてしまったのだ。
 昼食の時、初期フレテリンの研究で有名な(?)ヘレン・ヒルに会う。AMPOの
読者で、PARCのことは前から知っていた。松野明久さんから名前を教えてもらっ
ていて、彼女の論文を読もうと思っていたのだが、見つからなかった。彼女自身
も、誰かに貸していて今は手元に無いと言う。近いうちに会いましょうという約
束をする。初期フレテリンメンバーからの聞き取りの重要性や市民教育への批判
など、話すべきことは多そう。
 夜、ピースウィンズ・ジャパンの桑名さんから、朝日新聞の脇坂さんが来てい
て夕食を一緒にといっているので行きませんか、という電話がある。脇坂さんは
JICAのアレンジで動いているようで、今日はリキサ県へ行ったようだ。ミリシア
に焼かれた家をレストランに改造した「Burned House」という高級レストランへ
行くと、脇坂さん以外に、ジャカルタ支局の北郷さん、シドニー支局の坂口さん、
JICAの徳森さんもいる。北郷さんとは東京で一度あったことがあり、お久しぶり
と挨拶する。3人の朝日新聞記者は、たまたま時期が重なっただけらしい。

12月13日(水)
 トメさんと二人でNGOフォーラム総会に行く。遅れて会場につくと、すでにNGO
フォーラムの規約についての議論が始まっている。さすがに昨日より参加者は少
ないが、100人近くはいる。規約案は事前に配られていたので、各章ごとに議論し
て採決していくNGOフォーラムには東ティモールNGOも国際 NGOも参加できる。た
だし国際NGOはアシスタント・メンバーで、総会での議決権はない。正式メンバー
である東ティモールNGOは、1)東ティモールで設立され、2)東ティモール人に
よって運営され、3)自発的な意志に基づいて結成・運営され、4)メンバーや
理事からの支配を受けず独立性を保ち、5)どの政党にも参加せず、キャンペー
ンなどにも利用されず、政党指導者によって指導されず、6)営利を追求しない、
ことが条件となっている。この規定だと、ティモール・エイドというNGO(昨年9
月に「マーシー・シップ」という船を出したオーストラリアのNGOで、かなり大規
模な活動をしている)は、おそらく東ティモールNGOには入らなくなる。しかしティ
モール・エイドとしては、東ティモールNGOとして正式メンバーになりたいという
意図を持っているらしく、代表のマリアは、この規定に不満を言っていた。
 僕は午後2時ごろに帰ったのだが、規約の採択後に、理事の選挙、活動計画の承
認などが行なわれたようだ。活動の柱としては、1)情報提供:資料センターと
しての機能、2)コーディネーション:ディリと各県との、3)対外関係:国際
NGOや
国連機関などとの協力、4)アドボカシー:草の根コミュニティーや貧困層・被
差別者集団の声を東ティモール政府や国際機関に伝える、5)トレーニング:
NGOワーカーのためのトレーニング、6)NGOとしての価値基準や行動基準を広め
る、の6つがあげられている。
 NGOフォーラムはすでにUNTAETなどからは東ティモール市民社会の代表と目され
ているようで、安保理使節団や世銀副総裁などが東ティモールに来た時には会って
いるし、国民評議会にも代表を出している。たしかに、現在のCNRT指導者層より
二世代ほど若く、主にインドネシアで反インドネシアのたたかいを行なってきた
NGO世代の考えは、これまで私たちが聞いてきた東ティモールの民族抵抗運動の声
とは違うように思う。とくに自分たちは新政府の一員となるのではなく、新政府
ができても吸い上げられるとは限らない階層の声を伝えるという機能、そして市
民社会という考え方を「啓蒙」しようという意識において、その違いは際立ってく
る。この考え方が、東ティモールでどう広がっていくか。

12月14日(木)
 11月に新校舎をつくったカイテフ小学校でワークショップをする。前回行なっ
たファウララでのワークショップの反省を生かして、地域の人たちが集まる前に我
々が到着しているようにするために、7時30分に事務所を出発する。着いてから朝
食、キャッサバのケーキ(のようなもの)や何かの種(かぼちゃの種のようなもの)
とコーヒー。朝食の時間が長く、ワークショップの開始は10時になる。
 この学校は海岸の近くに建っているので、強い風があたる。でも校舎の周りに
はきれいな貝やサンゴがかざってあって、なかなか良い雰囲気。
 今回も進行役はSAHEのヌノ君。まずFaho Remelau(東ティモールの山中で)と
いうフレテリンの歌から始める。この歌は、ほんとに誰でも知っている歌で、参
加者全員で大合唱。小学校でポルトガル語を教えているお年寄りが歌の指揮をと
る。その後、グループに分かれて話し合いをするのだが、このグループづくりが
なかなかうまくいかない。みんな動くのをいやがって、新しいグループのところ
に行かない。ヌノ君と打ち合わせて、途中でグループごとに並ばせてゲームをす
る。これはわりと好評。その後、グループごとに村の問題を話し合う。今回はま
ず全体でどんな問題点があるかを話し合い、そこで出たものの中からグループで
話し合うテーマを選んでもらった。話し合いに入ってから時間がかかり、結局終
わったのは5時。
 このところ、夜は一人なので、CDをガンガンかけて踊っている。

12月15日(金)
 朝、UNICEFに行く。国連関係は、もうすぐ休みモードに入るらしく、担当のニッ
クも来週初めまでに、次の学校工事に必要な物資のリストを出してくれと言う。
この人もこの間イギリスに帰ったばかりなのに、来週半ばからクリスマス休暇だ
と言う。UNTAETリキサ県の担当者も休んでいるし、みなさんかなり長めに御休み
のようで、うらやましいのとあきれるのと半々。
 午後、世界銀行へ行く。初めて来たのだが、中に入って机や椅子、ソファなど
など調度品の立派なのに驚く。UNTAETの比ではない。こんなものを、どこから、
いくらかけて調達してきたのか。これだけ見ても、東ティモールの「真の支配者」
が誰か、よくわかる。11月に教育関係機関の会議があったのだが、僕が日本に戻っ
ていたので出席できなかった。その時の話と今後の見とおしを、担当のフィロメ
ノさんに聞く。かれはおとなしくてまじめな人。11月に世銀の教育ミッションが
来てまとめたレポートを見ると、11月22日現在で、565教室が完了し、172教室が
工事中ということだ。PARCが直したのは75教室だから、まあまあ貢献してるでは
ないですか(自画自賛)。
 夜、病気で休んだトメさんの御見舞いに行く。彼の家は事務所の裏手にあるが、
込み入っていて何度行っても場所を覚えられない。頭とおなかが痛くて熱もあるらしいので、
マラリアかもしれないと心配する。それでも、私が行くと起きて出てくる。しか
も今日は彼の親戚の喪が明けた日なので、親戚も家にやってくる。東ティモール
では、連れ合いが死んだ女性は一年間黒い服を着る習慣がある。今日はそれが明
けた日なので、何も知らずに行った僕にもご馳走がふるまわれる。豚の内臓料理
が出たので、思わずお代わりしてしまう。おいしい。

12月16日(土)
 昼に勝谷君がデンパサールから帰って来る。東京に行ったおばあさんたちも同
じ飛行機で帰ってきたらしい。バリ島でイルカを見に行ったとかいうような雑談
をする。その後、なぜかJICAへ行って、彼と久保君の出ている山形放送で放映さ
れた番組のビデオを見る。この番組(といっても10分ほど)は、山形国際センター
(?)の桑山さんが6月に来た時に取材して作ったもの。
 夕方、SHAREの蜂須賀さんと平岡さんも到着し、事務所が賑やかになる。平岡さ
んのリクエストで、鍋を食べに行く。
12月17日(日)
 午前中はのんびり過ごす。昼過ぎに、予想どうり鈴木氏からTELがあり、これか
らビールを持っていく、と言う。こうなると、午後はグダグダとビールを飲みつ
づけるしかない。途中で一度、海岸へ行き、鈴木氏が買ってきたフリスビーのよ
うな円盤(ただし中心部は穴になっている)投げをする。せっかく初めて広いとこ
ろで円盤投げができると喜んでいたのだが、喜びすぎて円盤を海に投げ入れてし
まう。使い始めてから30分くらいのこと。鈴木氏と勝谷君は、波のある海に入り
探すが見つからない。
 事務所に戻ってから、鈴木氏のつくったお好み焼きを食べ、酒を飲む。だんだ
ん酔っ払ってきて、踊り始める。
 ディリ市内には、クリスマスのためにマリア像を飾るための小屋がそこここで
作られている。
 
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