Subject: [reg-easttimor 154] 東ティモールから No.8
From: Koshida Kiyokazu <koshida@jca.apc.org>
Date: Mon, 11 Dec 2000 18:02:17 +0900 (JST)
Seq: 154
東ティモールから No.8 12月4日(月) 朝刊(Surat Timor Lorosae)の一面にはは、東ティモールの暫定内閣に入った東ティモール人5人のうち、ラモス・ホルタを除く4人が、このままだと閣僚を辞めるとUNTAETに伝えたという記事が載っている。大臣という地位だけを与えられても、何の決定権も、予算もないのでは意味がない、というのが東ティモール人閣僚の主張だ。また、シャナナ・グスマオも国民評議会(NC)の議長を辞めたいと公表している。こうなってくると、どこまでが本気で、どこまでが政治的駆け引きなのか全くわからない。 午後、リキサ県のNGO会議に行く。今月から隔週になるということで、みんな喜ぶ。それにしても、信じられないほど無能なUNTAET職員が司会するせいで、2時間もかかる。今日はその職員が途中で退席したので、最後はさっさと終わる。 夜、今日の便でやってきたSHAREの本田さんと名島さんを囲んで夕食。ピースウィンズ・ジャパンの桑名さんと西川さん、SHARE現地スタッフの蜂須賀さんも一緒。スタッフの帰りが遅かったので遅れて参加すると、もうすでにみんな食べ終えていた。あらためて豆腐料理などを注文する。東ティモールでは豆腐を作っていないが、この店(Dynasity)には自家製の豆腐があり、おいしい。 SHARE一行はPARCに泊る。 12月5日(火) 朝起きて事務所に置き忘れたデイパックが開きっぱなしになっている。おかしいなと思って中に入れてあった財布を見ると、紙幣が一枚もない。変だな、昨夜はそんなに酔っていなかったから、お金を落とすはずもないし、と考える。それに自慢じゃないが、どんなに酔っても財布だけはなくしたことはないし(つまらない自慢だな、これは)、などとも考える。なんだか嫌な気持ちのまま、朝のミーティングを終えて、カメラを出そうとすると、カメラもない。あれと思って、机の上を見ると、CDプレーヤーもなくなっている。「泥棒だ」と思い、蜂須賀さんに言うと、彼女の机の上に置いてあったCDもなくなっている、と言う。 それにしてもどこから入ったのだろう。鍵をかけ忘れたのか、と思い、やや動揺する。でも、今朝、鍵を開けた記憶もちゃんと残っている。それにしても、なぜコンピュータを持っていかなかったのだろう、弱気な泥棒だな。いろんなことを考えながら、窓のところを見ると、ガラスが一枚はずれそうになっている。事務所の窓は、一枚物のガラスではなく、横に細長いガラスが10枚ほど並び、それぞれのガラスの両端がブリキの枠に入っている。その一番下のガラスが、枠からずれている。よく見ると、ガラスを止めてある部分(コの字状に曲げてある)が伸ばされて真っ直ぐになっている。なるほど、ここから入ったのかと納得する(するな!)。実は、この窓では危険だというので、鉄棒をはめこみ、窓から侵入できないようにしたばかりだったのが、鉄棒が足りず、この窓だけが手付かずになっていたのだ。地面を見ると、足跡も残っている。原因もわかり、被害もそんなに大きくなかったので、ひと安心(するな!!)。警察(Civic Police)を呼ぼうと思い、UNTAET広報誌に載っている番号に電話するが、「現在使われておりません」という返事。これは24時間対応の、日 SHAREの人たちがエルメラ県に行ったので、今夜は一人。戸締りを確認して、事務所のソファーで眠るが、ふだんは全く気にならない音が気になって、よく眠れない。事務所の周りには犬やら猫やら豚やら鶏やら、一杯いるので、夜中もなんだか足音のようなものが聞こえるのだ。 12月6日(水) よく眠れないまま、朝を迎える。早速、鉄棒を買ってきて窓枠にはめこむ。これでひと安心。昼間も事務所を空けないほうが良いということで、どこにも出かけず、書類や帳簿の整理などをする。 夜、JICAの鈴木氏と夕食。10月に新しく来た海上ホテルのビュッフェに行く。この船はタイ籍なので、船内にも国王夫妻の肖像が飾ってある。海岸から100メートルくらいのところに停泊しているのだが、はっきり分かるくらい揺れる。タイ・カレーやトムヤムもあって、おいしい。鈴木氏としては、泥棒に入られた僕を慰めようという気持ちと自分も一仕事終わってホッとしたのと両方で、誘ってくれたのだろう。しかし、俺は泥棒に入られて金も盗まれたのだ、こんな高い食事をする余裕はないのだ! 12月7日(木) 朝のミーティングで、明日が休日(マリアの受胎告知日らしい)だという話をしたら、トメさんが、今日は75年にインドネシア軍が侵略した日だから、本当は今日を休日にすべきだと言う。たしかに、今はUNTAETが決めた休日にしたがっているが、この休日は、ある意味でUNTAETのあいまいな歴史認識とCNRT内の意見の違いを反映したものでしかない。サンタ・クルス虐殺の日は休日とされているが、12月7日は休日ではないというのは、東ティモールの歴史を考えるとおかしいことのように思う。この問題も、前に書いた独立記念日をいつにするか、11月28日をどう扱うかという問題と関連してくる。誰が東ティモールの「正史」を書くことになるのか。歴史認識の問題はそのまま政治権力の問題であることを、あらためて痛感する。 午後、エペロ小学校に行く。この学校は、地元の人たちがつくった仮校舎で授業をしているのだが、屋根のトタン板がきちんと組み合わされていなくて隙間がある。そこで新しく3教室つくりたいという要望があり、教育委員会とPARCと地元の人で話し合いをもつことにしたもの。地元の人たち50人ほどが集まり、まずお祈り。その後、教育委員会のフランシスコ氏の説明。集まった人からは資材はどうするのか、などの質問が出る。屋根修理についての資材はUNICEFが、校舎に必要な柱やブロックなどはPARCが提供するが、壁材は地元が用意してほしいと説明する。来週もう一度ミーティングを開いて、誰が大工として働くかを選んでもらうことにする。 夜、SHAREの人たち、バイロピテ地区(PARC事務所のある地域)で長く診療活動をしているダン医師と日本食を食べに行く。宮崎さんという60歳くらいの女性が、12月1日に日本食レストランを開く準備をしていたが、トラブルが続いて開店が遅れた。それでも仕入れていた材料が悪くなる前に使わなければいけないので、私たちを招待してくれたもの。彼女は、勝谷君にテトゥン語を習っていて、事務所にもよく来る。さて、この日のメニューは、トンカツとインゲン豆のおひたし、たくあん、ご飯と味噌汁というごく普通の料理。米はオーストラリア米だという。おいしい。開店前にもかかわらず、すでに日本人が何人か食事にやってくる。 事務所に戻ると停電。ろうそくの灯りで、本田さんたちと飲む。 12月8日(金) 休日だが、とくに予定はない。午前中は事務所でボーッとしたり、原稿を書いたり。昼前にソーラーネットの桜井さんと阿部さんがあいさつにやってくる。いきなり「今日は海に行かないんですか」ときかれる。多くの人は「越田は休みのたびに海へ行ってる」「いつも外食している」と思っているようだが、それは誤解です。たしかに外食は多いけれど、この1ヶ月海へは行っていません!(雨期に入り、風が強くなってきたせいもあるけれど)。 午後、SHAREの人たちと雑談をしていると、JICA鈴木氏、またまた登場。彼は今晩、アタウル島(ディリの正面に見える島)に行くので、その準備として(?)釣り糸を買ってきた。それを巻き直しにやってきたのである。ホテルの狭い部屋では、そんなことをする気にもならないので、ここへやってきたのだろう。いつものように、よくしゃべる。それに僕がいちいち相づちを入れるので、SHAREの人たちはあきれて(?)笑っている。これでは、良いコンビだと誤解されそう。 夕方、SHAREの蜂須賀さんと平岡さんがエルメラに帰ろうとしたが、車の調子が悪く、途中から引き返してくる。明日はエルメラ県の予防注射デーなので車は絶対に必要というので、PARCの車をお貸しする。東ティモールでは、ごく一部の幹線は舗装されているのだが、山道はかなりガタガタなので、4DWは必需品。それでも車はかなり痛む。東京の街中で必要もないのに4WDに乗っている人は、ここに車を寄付しなさい。 夜、日本人ミーティング。ところが休日なのでほとんど人がいない。PARCとSHARE以外は、FAOの田中さんとピースウィンズ・ジャパンだけ。ピースウィンズの人も、車に乗せてもらうために僕が頼んできてもらったようなもの。外務省の人は、新内閣の名簿を用意してくれたが、顔ぶれを眺めても別にどうという事もなし。あっさり終わり、そのままみんなで食事に行く。 12月9日(土) ほとんど一日、事務所にいる。オルタの原稿を新たに書こうと思っていたのだが、どうも気が進まず、結局、この日記を手直しするにとどめる。SHAREの本田さんが帰ったので、もう一人の医師、名島さんと二人になる。この人は物静かな人で、ずーっと本を読んでいる。おかげで(?)僕もコンピュータのデータ整理などをする。 近くにワイン(オーストラリア産)を売る店がオープン。入ってみると、ワインが数十本、机の上に置いてある。うーん、これもワイン・ショップなのだろうな。でも、買うのは次回にしよう。 12月10日(日) 昨夜というか明け方まで近くでカラオケの声がして、よく眠れず。それと、どうしても物音に敏感になって、何か音がすると事務所をチェックするようになった。午前中、駐車スペースを囲ってあるトタン板をチェック。結構破れていたり、めくれあがっていたりしていて、そこから豚が出入りしている。入っていた豚を追い出したつもりだったが、子豚が一匹残っていて、ふさいだばかりのトタン板に突進している。もうそこからは出れないんだよ、言ってもわからず。近寄ると逃げる。 昼過ぎに、SHAREの蜂須賀さんたちが戻ってくる。彼女は、夕方、日本のラジオ放送に3分間出演する。ディリの天気のことを聞かれ、「雨期に入って暑くなりました」と答えていたが、東ティモールが南半球だということをどのくらいの人がわかっているか。ディリのこの蒸暑さは、並大抵ではない。座っているだけで、汗がジトーッと出てくるのだ。 夕食は、貧乏NGO御用達の「ミッキー」へ。久しぶりにアデリート君に会う。プエルトリコからは先週帰ってきたばかり。沖縄からもハワイからも参加者がいたと言っていた。詳しくは、また今度ということにする。 夜、初期フレテリンのことを調べようと思って『ナクロマ』を読み返す。しかし文献が限られているせいか、75年から78年にかけての記述はやはり少ない。 ============== koshida Kiyokazu c/o PARC POBox 41 Timor Lorosae TEL/FAX 0041-670-390-313408 mobile 61-4188-14159 PARC東ティモール市民平和再建プロジェクト (郵便振替 00140−8−536957