Subject: [reg-easttimor 153] 東ティモールから
From: Koshida Kiyokazu <koshida@jca.apc.org>
Date: Mon, 4 Dec 2000 18:23:17 +0900 (JST)
Seq: 153

東ティモールから No.7

11月29日(水)
 朝9時45分の便でデンパサールを出発の予定だったが、実際には一時間ほど遅れての出発になる。その間説明は一切なし。思うに、この便はジャカルタからの乗り継ぎ客を優先するので、その便が到着するのを待っているのではないか。それなら出発時間を変更すれば良いのに。空港で、ソーラーネットの阿部さんに会う。ダレにあるISMAIKの寄宿舎に太陽光発電の設置に行くところ。すでに昨年一度設置しているので、今回はその継続になる。
 ディリ上空までは順調だったのだが、なかなか着陸せず、何度もディリ上空を旋回する。窓から見る限りでは、そんなに悪天候でもないのでどうしたのかと思っていたら、放送が入り、雨と風で着陸できないので一旦西ティモールのクーパンに行きます、ということ。ややうんざりしながら、本を読みつづける。幸いにもクーパンでは給油に一時間弱ほどかかっただけで、ディリへ向かって飛び立つ。良かったと思い、読書に集中。昨夜から読みつづけていた帚木蓬生『逃亡』(上)を読み終える。これは今年の収穫だなと思いながら下巻を取り出したつもりが、また上巻。あれと思いながら、もう一度バッグの中にある文庫本を出したら、また上巻。ついに頭がおかしくなりはじめたのか、と思って両方並べたら、両方とも上巻だった。空港で急いで買ったので、上巻を2冊買ってしまったのだ。こうなると、何としても下巻が読みたくて、読みたくて。
 4時過ぎにディリに到着。タクシーに乗ろうと思ったら、勝谷君が迎えに来ていた。空港で4時間近く待っていたらしい。感謝。雨というよりも風が強い。事務所のパパイヤの木も一本倒れたらしい。事務所に着いてから、荷物の整理や部屋の片付けなどをする。
 夜、阿部さんを囲んでピースウィンズのスタッフやJICA鈴木さんと、海辺のレストランに行く。停電だったが店は営業中。ここも注文してからが長い、1時間ほど待ってやっと料理が届く。しかし、私はその前にビールを飲みすぎている、といういつものパターン。

11月30日(木)
 朝のミーティングでスタッフに御土産(Tシャツと人民帽)を渡す。ポルトガル軍にいたことのあるロザさんは早速かぶって「ジェネラルだ」などと言っている。後のスタッフはありがた迷惑といったところか。勝谷君は完全にあきれた顔で、「このオヤジは何を考えているんだ」と言いたげ。
 今日で完成するというカイテフ小学校に行く。ここは、屋根の修理だけでなく、新築したところ。思ったより早く出来上がり、後は壁を張る(といっても竹の編んだものを張る)だけ。余った資材を確認し、賃金を払う。
 午後は事務所で会計の整理など。こうやって、ずっと事務所にいると、東ティモールでは歩く時間が少ないことに気づく。何より、階段の上り下りが全くない。それにどこかへ出かける時も、車なので意識的に歩く機会を作らないとほとんど歩かないかもしれない。しかも、これからは雨期でますます歩かなくなる。このままでは中年太りが加速して、このつぎ日本に戻った時にはどんな姿になっていることやら。
 夕食後も整理を続け、メールを書こうと思ったら停電。テニスに出かけた勝谷君を待っていようと思ったが、ろうそくの灯りを見ているうちに眠くなり、帰りを待たずに寝てしまう。

12月1日(金) 蒸し暑い1日
 久しぶりのスタッフ会議。PARC総会の報告をする。みんな、見たことのないPARC東京事務所のことを熱心に聞いてくれる。もう一つ話が盛りあがったのは、11月28日を休日にするかどうか。11月28日はフレテリンが1975年に「東ティモール民主共和国」の独立を宣言した日。スタッフのベンディート君はフレテリンのメンバーなので、この日を祝日とすべきだ主張する。しかし他のメンバーはフレテリンの記念日でしょう、俺たちはメンバーじゃないから関係ないよ、という態度だ。アデリート君の頼りとするトメさんも、今のフレテリンには批判的なので、PARCはフレテリンに従う必要はないと言う。と言う訳で、結論はとりあえず休日はUNTAETが決めたものを基準にしながら、東ティモールの実情に合わせること。PARCのメンバーがどの政党に所属しようと自由だが、PARCとしては特定の政党を支持はしないことを確認。
 しかし、この話はたんにPARCの休日をどうするかという問題ではない。東ティモールの歴史と来年へ向けての権力闘争の問題が絡んでくる。
 フレテリンは3日前に記念式典を行なったが、同じ日にCPD・RDTL(Republic Democratic Timor Leste)というグループも式典を持った。このグループは、もともとフレテリンのメンバーなのだが、1975年にフレテリンが独立宣言した時に使ったRepublic Democratic Timor Lesteという名称(Lesteはポルトガル語)をそのまま使い、11月28日以外に東ティモールの独立記念日はありえないことを主張している。この点だけを取り出せば、この主張はきわめて正当であり、フレテリンと異なるところはない。ところがCPD・RDTLはアビリオ・アラウジョ(長くフレテリンの指導者だったが、統合派となりティモール国民党PNTを結成)と近しいから話は複雑になる。 つまりCPD・RDTLは、1975年の独立のみを主張することで、1980年代以後の抵抗運動の成果である1999年8月30日の住民投票を無視しようとしている。それに対し、現在のフレテリンは1975年の独立宣言という歴史的事実は主張するが、多くの東ティモール人が1999年8月30日を「独 シャナナ・グスマオやラモス・ホルタはフレテリンの式典に参加せず、他の政党も何もしない。現在のCNRT(東ティモール民族抵抗評議会)には、UDT(ティモール民主同盟)という1975年に当時にはフレテリンに敵対しインドネシアとの「合併」宣言を出した政党も入っているため、フレテリンによる独立宣言の日を、CNRT全体で祝うことはできないという判断しているからだろう。
 このことは来年の政治プロセス、つまり憲法制定、総選挙、「独立」宣言、UNTAETの撤退というスケジュールにも関わっている。「独立」宣言は2001年後半とだけアナウンスされているが、それが11月28日になるかどうかは、今後の国民評議会での議論にかかっている。
 トメさんはラモス・ホルタが嫌いで、「あいつは陰で何をやっているかわからない。フレテリンが1978年に一度敗北したのも、ラモス・ホルタが米国と取引したからだ」などと言う。この発言が正しいとは思わないが、マリア・カラスカラォンと一緒に社会民主党を作ったラモスへの反感は強いのかもしれない。トメさんの反感は、ラモス・ホルタが「メスティーソ」だということにもある。「メスティーソ」は東ティモール人を見下し支配しようとしているというのが、トメさんの意見。これはもちろん偏見だが、ラモス・ホルタやマリオ・カラカラォンの動向を見ていると、この偏見にも三分の利があるのか、と思ってしまう。

12月2日(土)
 勝谷君は、東京で開かれる「戦時性暴力に関する国際民衆法廷(?)」に参加する東ティモール女性のビザ申請を手伝うためにデンパサールに向かう。午後の便に乗る前に仕事を終えなければいけないと思い、コンピュータに向かってレポートを書いていたが、保存の仕方を間違え、その努力が水の泡となってしまった。
 午後、9月の船でやって来たピースボートの小林君と菊地君が、明日帰るのであいさつにやってくる。お目当ては僕ではなく、今月からPARCの事務所の一部に同居しているSHAREの蜂須賀さん。彼らは約3ヶ月、東ティモール人の家に民宿し、テトゥン語を学び、NGOや教会の手伝いをしていた。勝谷君もそうだが、とにかく東ティモールにとけ込もうとする姿勢には学ぶことが大きい。そのうち鈴木さんもやってきて、お別れパーティとなる。
 夜8時過ぎに、トメさんの姪の結婚パーティに行く。あいにく停電だったので、はじめのうちはみんな静かに料理(これがおいしかった)を食べていたが、電気がつくとすぐにダンス・パーティになる。花嫁さんのウェディング・ドレスも見事だし、ウェディング・ケーキも立派なので、これはかなりの出費だろうな、と余計なことを考えてしまう。さて、ダンスだが、みんなに踊れ踊れと言われ、まずトメさんの連れ合いと踊る。そのうち調子に乗って近くに座っている人に声をかけ、次々と踊る。スローなバラードっぽい曲が次々とかかり、その度にみんな踊りに出てくる。恋人同士(らしいカップル)は密着しているが、そうでない私のような者はきちんと距離を保って手をまわしている(当たり前だ)。ダンスは延々と1時過ぎまで続いた。

12月3日(日)
 昨夜遅かったので、ボーッとして一日を過ごそうと思っていたら、鈴木氏がやってきて「海に行こう」という。さすがに元気がないので、断る。そのまま蜂須賀さんを交えて、3人でずーっとおしゃべりをして午前中が終わる。
 昼寝をしようと思ったが、暑くて眠れない。本を読んだり、雑誌を眺めたりして一日が終わるのかと思ったら、鈴木氏が再びやって来て夕食に誘う。蜂須賀さんやWorld Visionの一宮さん、Careの栗原君、日本からきている写真家の女性(名前を忘れた)とビデオ作家の女性(こちらも名前がわからない)がいるレストランに到着。なぜか出回り始めたサンミゲール・ビールを飲む。 

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