Subject: [reg-easttimor 152] 東ティモールから  No.6
From: Koshida Kiyokazu <koshida@jca.apc.org>
Date: Sat, 2 Dec 2000 18:23:42 +0900 (JST)
Seq: 152

東ティモールから No6 
11月12日(日)
 サンタクルス虐殺(1991年)の追悼記念日なので、10時ごろサンタクルス墓地に向かう。勝谷君、トメさん、シスター・ルデスの弟(名前を忘れた)も一緒。墓地の入口前には、仮ステージが作られ、東ティモール国旗(1975年当時の)とCNRT、フレテリン、UDT(ティモール民主同盟)、OJETIL(青年組織)などの旗が掲げられている。ステージの前には椅子が並べられ
ているが、まだ人はあまり集まっていない。集まっている人たちも、みんな日陰
の席に座っている。ただ待っていてもしようがないので、お墓参りをする。韓国
の TVクルーが撮影に来て、セバスティアン・ゴメス(サンタクルス虐殺は、
1991年 10月 28日に殺された彼の2週間後の葬儀行進に対してインドネシア軍が弾
圧したもの)のお墓を映していたという。ちょっと前に、シャナナ・グスマオが
韓国を訪れ平和賞のようなものを受賞したという報道があったが、韓国のメディ
アは光州蜂起など自分たちの問題と東ティモールを結びつけて考えている。それ
に比べて日本のマスコミは、と思う。
 
 ずーっと待っていても何もはじまらず、少し退屈してくる。多くの椅子は日のあたる所においてあるのだけれど、そこには誰も座らず、みんな日陰で待っている。そのうち若者グループが、式典のリハーサルにやってくる。墓地の門の上(高さ3メートルほど)に昇り、そこから飛び降り、9年前の虐殺の模様を再現するというパフォーマンスをするようだ。10人ほどが門から飛び降り、仮設ステージの前を転げまわり、横断幕を広げるという練習を繰り返している。それにしてもモタウル教会などからの参加者の行進がやってこない。12時を過ぎても、何の動きもない。午後に別の用件が入っているので、心残りではあるが一旦抜ける。1時過ぎにサンタクルス墓地に戻ってくると、ものすごい人でステージは見えない。いまだにディリに住む多くの人が1991年のことを忘れていないのだと実感する。PARCの運転手をしているティトさんもサンタクルス事件で大怪我をした、と話していた。
 また昨日東ティモール入りした国連安保理使節団も、この11月12日を意識しているのではないか。それに比べると、JICAは「危険だからサンタクルス墓地には行くな」という指令を出したらしい。たしかに昨日ジャカルタから戻ってきた人たちも「視察」のことしか頭にないので、この日のことを全く考慮していないものな。
 午後は、その外務省・JICAの人たちが、リキサ県をまわり、PARCとピースウィンズ・ジャパンのプロジェクトを見学するのに同行。車を6台ほど連ねていくという、けっこう仰々しい見学。PARCからは越田・勝谷・トメが参加。ピースウィンズ・ジャパンは国際スタッフが全員参加、しかもおそろいのTシャツを着込み、カラー・プリンターを駆使し、写真まではめこんだ立派なペーパーを用意している。こちらは完全に負けているので、ややあせる。昨夜、電話した時はあまり仰々しくしないでおこうね、といっていたのに。
 まず工事が始まったばかりのカイテフ小学校に行き、工事の進み具合などを説明する。小学校といっても、2教室プラス図書室というシンプルな校舎なのだが、一行はいろいろ質問してくる。
 その次に、既に工事が終わったファトマシ小学校に行く。ここは、UNICEFの計画どおり、屋根だけを新しくかけた(PARCが直した)学校。ところが、壁はボロボロ、窓もない、机・椅子もないという状態なので、知らない人が見れば、「どこを直したの?」と質問したくなるような状態。トメさんに、子供たちが床に座って授業を受けている様子などを説明してもらい、これが東ティモールの小学校の典型だということを強調する。
 リキサ県の後は、ディリに戻り、ADRA・JAPANが担当する市場と小学校の改修工事サイトを見に行く。この小学校は、5月に河野外相が来た時に「直しましょう」と約束し、草の根無償資金で1650万(!PARCの修復工事の8校分)をかけて直すもの。ところが直前に見て来たファトマシ小学校と比べると、屋根も壁も壊れておらず、机・椅子もある。しかも一部二階建てという立派な校舎なので、思わず一行から「どこを直す必要があるの」という声が出る。その通りだが、外務大臣が勝手に決めた必要のないことを実現するように動いたのは外務省ではないか。そんなプロジェクトを引きうけたNGOも問題だけどね。学校の後は中央市場に行く。ADRA・JAPANは市場の再建プロジェクト(JICAの開発福祉支援事業)も引き受けていて、すでに終了した2つの市場の後は、中央市場を手がける予定らしい。しかし、この急速に店舗数が増え、様々な利権がうずまく市場から、一度全店舗を立ち退かせて、新しい市場を作ることができるのだろうか。ディリ湾の船上ホテル「ホテル・オリンピア」の前には、小さな食堂や魚屋などが軒を並べている。「美観をそこなう臼月13日(月)
 午前中、シスター・ルデスと話をする。ISMAIKはアイナロ県にある学校と寄宿舎に力を入れているらしい。彼女は週末にダレに戻るだけで、それ以外は各地で話をしているという。東ティモール人の自覚を高めるために、もっと教育に力を入れたいというというのが彼女の考え。ファウララ村については、いまインドネシアで勉強しているメンバーが戻ってきたら、もう一度力を入れると言う。
 午後はリキサ県のNGOミーティング。この司会をしているUNTAET職員は無能というか、経験がないというか、2時間しかないうちの半分を前回の議事録の確認に費やす。これならUNTAET抜きで会議をした方が実りがあると思うのだが、そう露骨にも言えないので、毎週開くのを止めて、隔週にすることを提案。NGO側はみんな賛成の様子だが、決定は次回にまわす。

11月14日(火) 夜、大雨
 ファウララ村でのワークショップの日。8時出発の予定が8時30分になる。遅刻常習犯のベンディート君は、昨日、空港に妹を迎えに行った事が発覚したためか、7時40分に事務所に来る。11時ごろに村につき、少し休んでからワークショプを始める。
  ワークショップは、PARCスタッフのトメさんとSAHE(民衆教育の研究グループ)のノノさんとアベルさんの3人が進行役となって始まる。村から参加したのは、50人ほど。村長さんの挨拶とお祈りで始まったワークショップは、セッション1「歌と詩」に入る。みんなでFaho Ramelau(山の暮らし)という歌を歌い、その歌詞にこめられた意味を説明し、村人からも話を聞く。おそらく、ファリンティルが歌っていたものだろう。その次にSAHE(本名Francisco da Borja Csta:初期フレテリンのリーダー)の作った詩(「マウベレ民族よ、一つになろう」という意味らしい)をアベルさんが力をこめて読む。ここで東ティモールの歴史の話になり、一人のおじいさんがポルトガル時代の強制労働の話をしてくれる。
 本当はみんなで円を作るはずだったが、進行役が前に出るという形になった。進行役が男ばかりということもあるのか、発言するのは男の人ばかり。
 昼食後は「ワークショップに期待すること」と「村での問題は何か」についてのセッション。5つのグループに分かれて話し合いを始めるが、みんななかなか車座にならず、発言も一部の人ばかり。これまで村にNGOが来るのは、何かを持ってくる(配る)ということだったので、ワークショップへの期待も、トラックがほしい」「学校を直したい」というようなものばかり。そこで進行役が何度も、このワークショップは何かを与えるためのものではないことを強調。ここでもアベル君が熱弁をふるう。何故か、世界銀行の話から援助、環境破壊まで約30分、全面展開する。みんな半分あきれて、しかし半分はよく話しつづけるなあと感心して、彼を見ている。その後ようやく、みんなで輪になって、模造紙に絵やまとめを書きはじめる。
 ワークショップが終わったのは5時過ぎ。みんな大喜びで、太鼓をたたいて東ティモールダンスを踊ってくれる。
 夜8時過ぎにディリに戻る。その後、3時間ほど強い雨が降る。

11月15日(水)
 午前中リキサの教育委員会とUNTAETに行き、教科書の輸送について話す。何しろ一万冊以上の教科書がどっと届いたのだから、その仕分けだけでも大変な話だ。UNTAETには人手がないから、高校生に手伝ってもらってはどうか、という話になる。とにかく教育委員会と話し合って、どの学校を担当するか、リストを出すことにする。
 午後は、SAHEで昨日のワークショップの反省会。時間どおり始まらなかったことや女性の発言が少なかったことなど、みんなで確認する。アベル君も話しすぎを自覚しているが、基本的には話すうちに興奮してくるたちなので、この日もよくしゃべる。これからも続けようということ、そのための勉強会をしようということで一致。
 夜、締め切りを過ぎている書評に取り組むが、こういう時に限って停電。もう少しでできたのに、と思いながらあきらめる。

11月16日(木)
 僕が今日から10日間ほどいなくなるので、スタッフミーティング。まずワークショップについて話し合う。運転手のマリトさんとティトさんも良かったと言ってくれる。二人ともワークショップでは、みんなと一緒に歌を歌ったりしてくれる。この辺が大きなNGOとの違いだろう。
 その後、原稿を完成させようとしたら、また停電。かなりあせり、手書きで続きを書き始める。お昼に回復したので、原稿を完成させ、メールで送る。その後、会計の整理を終え、大慌てで空港へ。計画的に物事を進められないので、どこかへ行く時はいつもバタバタとしている。
 ところが飛行機が到着していないので、そこで2時間待たされる。他にすることもないので、ビールを飲んでボーッとしている。こんなことなら・・と思うが、すべて後の祭。

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