Subject: [reg-easttimor 147] 東ティモールから No.3
From: Koshida Kiyokazu <koshida@jca.apc.org>
Date: Mon, 30 Oct 2000 21:56:59 +0900 (JST)
Seq: 147

東ティモールから No.3

10月21日(土)
 昨夜の雨で、玄関が水浸し。PARC事務所は、玄関部分が広いベランダになっており、そこにテーブルや椅子を置いて、みんながくつろぐ場所になっている。ところが、屋根のひさしが短いため、雨が降るといつも水浸しになる。しかもベランダを我が物顔に歩き回っている蟻が、雨で大量に死ぬので、掃除が大変。しかも蟻がいたる所で巣を作ろうとするので、それも片付けなければならない。そんなこんなで午前中が終わる。
 お昼に、空港まで児玉寿子さん(次のPARC東ティモールスタッフ)を迎えに行く。ディリ空港も、この数ヶ月で大きく変わってしまった。前はわりと出入り自由で、とくに出港カウンターは誰でも入っていたのだが、今は搭乗券を持った人間に限定されるようになった。出迎えの人間はみんな外で待つしかない。出入り自由のときは、重量チェックのために置いてあった体重計(といっても家庭用のヘルス・メーター)で用もないのに自分の体重を量ったりしていたのだが、今はそれもできなくなってしまい、残念。
 デンパサールからの飛行機は10分ほど遅れて到着。児玉さんが荷物を抱えて出てくる。ディリ市内をまわってから事務所へ行き、日本から持ってきてもらったプリンターなどをコンピュータにつなぐ。彼女が日本の新聞を持ってきてくれたので、勝谷君と私は早速それを読み始める。金大中氏がノーベル平和賞を受賞したのは、こちらでも報道されていたので知っていたが、金正日氏はやはり受賞できなかったのか。来年の参院選、田中康夫も知事になったし、いろんな候補者が出るんだろうな、などと考える。
 今日は東ティモール・ミニ・オリンピックの日なので、競技場に行く。これはUNTAETが主催したもので、東ティモール人が参加できるはずのものだが、私たちが競技場についた時にはサッカーとバレーボールの試合(UNTAET職員同士の)しかやっていなかった。バレーボール・チームはみんなお揃いのユニフォーム(Tシャツ)を着て、楽しそうにしている。勝谷君は、そのTシャツを欲しがって,どこかで売っていないかと探すが、あいにく参加者にしか配られていないようだ。この経費はどうしたのだろう、と思わず余計なことを考えてしまう。これではUNTAETの社内運動会だな。
 1時間ほどサッカーを観てから、近くの中央市場に行く。道を歩くとすぐに「ダラー,ダラー」という声が、両替商(というか、お兄ちゃんというか)からかかる。みんなビニール袋にお金を入れて、片手に電卓を持って換金レートを示している。僕はまだ使ったことがないけれど、東ティモール人は、この道端の両替商を使っているようだ。市場には野菜や肉・魚から化粧品、金物、電化製品、さらには時計まで売るようになった。NIKEのようなスポーツシューズを売る店が増えている。どうりでスタッフがみんな、この手の靴を履いている訳だ。ぐるっと市場を回り、ティモールコーヒーだけを買う。
 もう少しディリ市内観光をしようということになり、これまで気になりながら登ったことのないキリスト像の丘に行くことにする。丘の下にある駐車場から、立派な階段が頂上まで続く。途中にはキリストが十字架にかけられ復活するまでの様子をレリーフにしたものが、順番に飾られている。頂上までいくと左右に海が広がり、ディリ市内も一望できる。これは絶好の観光スポット。キリスト像も台座は地球儀になっており、かなり凝ったつくりだ。しかも照明設備までついている。こんな高い場所に、よくもこれだけのものを造ったなあと、あらためてカトリック教会の力(?)を実感する。しかし96年に完成式にはスハルトがやってきたというのだから、インドネシアが金をだしたのか。そのうち誰かに聞いてみよう。
 夜、また停電。いつまでたっても回復しない。
 
10月22日(日)
 朝起きても停電が続いている。水溜の水が残り少なくなってきたので、久しぶりに手押しポンプを使って洗濯。長い間使っていなかったので、最初は濁った水が出る。朝食後ボーッとしていると、SHAREの川口さんと蜂須賀さんが、自動車整備工場が開くまでの時間つぶしにやってくる。1時間ほど雑談。お二人は朝食のパンを持参。PARCにあったチーズ・スプレッドを、ちょっとかびている所もありますが、といって提供する。まあ、大丈夫だろう。SHAREは、ディリの事務所を閉じて、エルメラ県の事務所に一本化する予定だという。ただし、週末はディリに出て来る必要があるので、その時にPARCを使わせてもらえないかという相談をされる。異存はないが、正式な返事は東京に相談してから、ということにする。
 昼食後、昼寝をしていると、児玉さんが「洗濯物を干しているロープを結んでいる木が倒れていますがどうしますか」と声をかけてくる。寝ぼけていたし、何のことかよく分からなかったので、「よく倒れるから、元に戻しておいてください」と適当に返事をする。しばらくして起きてから見に行くと、不思議なことに本当に木が倒れてる。朝、洗濯物(といってもジーンズ)を干したロープの一端が縛りつけてあった人間の胴体より太い木が、ゴロンと横になっているのだ。何が起きたんだろう。児玉さんに聞くと「よく倒れるから」と言われたので、「変だな?」と思ったが、持ち上げて起こそうとしたそうだ。もちろん、重くて持ちあがらなかったという。それはそうだろう、高さが3メートル近くもある木なのだから。ジーンズを干して、木が倒れるというのはめったにないだろうな。
 午後3時頃、ようやく電気が来る。まず、ポンプを動かして水槽を満タンにし、洗い物と水浴びをする。こんなに長い停電は初めて。
 夕食に勝谷君がスパゲティをつくる。スパゲティが茹で上がりそうになったので、バターかサラダ油をからめなくていいのかと聞くと、「(彼がバイトをしていた)スカイラークでは、そんなことしてません」という返事だったので、「そういうレストランもあるのか」と思う。できあがったスパゲティは「きしめん」のようだったが、ミートソースはおいしかった。
 ダーウィンから帰ってきた鈴木さんから電話。ホテル・パキシマスまで行く。ここはJICA関係者が使っている。しかしホテルとはいっても3畳ほどの広さしかないコンテナホテル。これで一泊90豪ドルほどするらしい。

10月23日(月)
 今日こそは何としても口座を開くぞ、という強い決意をもって銀行に行く。行く前にNGOフォーラムのアルセーニョ君(ロンドンでTAPOL(政治囚)という雑誌の編集をしていた)に電話をして、10時に銀行まできて欲しいと確認をする。銀行でしばらく待っていても彼がやってこないので、NGOフォーラムの事務所まで迎えに行き、一緒に銀行へ。彼も「何で俺が銀行へ行ってサインしなければならないんだ」とやや不審な顔。それでも銀行でサインをしてくれて、ようやく口座を開くことができた。窓口の人と握手して帰る。
 午後、リキサ州のNGOミーティングに出る。今日までに各NGOが自分たちの紹介文を書いてくることになっていたので、それをもとにお互いの活動のシェアリングをする。OxfamやHealth Internationalなどに混じって、世界銀行とアジア開発銀行、日本が世銀のポスト・コンフリクト・ファンドを通じて資金提供しているCEP(Community Empowerment and Local Governance Project)のメンバーも出席して、活動の説明をする。通訳がはっきりしないのでおぼろげながらしか分からなかったが、リキサ県ではタイス作りのプロジェクトをやっているらしい。4月に出された世界銀行のペーパーによると、東ティモール全体で2年半に渡って、2150万ドルを、コミュニティのインフラ整備あるいは経済活動に供与することになっている。村ごとには2万5000ドルが配られるという。タイの社会投資ファンドのようなものなのだろう。タイス作りのプロジェクトはいいが、マーケットがないのでNGOに協力してほしい、という身勝手な要望がUNTAETから出される。みんな積極的に反応せず。
 夜、鈴木氏から、夕食を一緒に食べようという電話がある。おそらく本命に断られたので、こちらに乗り換えたのだろう(?)。その食事に行ったところがすごかった。外からは何の変哲もない建物で、テラスにあるテーブルには客が一人もいないので閑な店だなあと思ったら、そうではなかった。「中へどうぞ」と言うので、入ってみると、長袖が必要なくらい寒い。テーブルもちゃちなプラステッィク製のものではなく、木製の立派なもの。店内には絞った音量でジャズが流れている。内装も凝っており、ここだけ見ているとディリにいるとは思えない。何せ冷房をガンガン効かせているので、店員は全員長袖のジャケットを着ている。客は寒さを我慢して、シャブシャブ(というかSteam Boat)の鍋が用意できるのを待っているのでした。それにしても、ディリで鍋とは。やはりJICAにいると、こういう店に来る機会も多いのだろうな。しかし料金は日本並みなので、私はこの1回で充分だ。

10月24日(火)
 今日の新聞の一面に、9月に「オルタ」のためにインタビューしたミレーナ・ピレスの写真が載っていた。一度会って握手をして以来、彼女のファンになった勝谷君がその記事を一生懸命に訳してくれる。昨日、第一回国民評議会(NC)が開かれ、シャナナが議長にに選ばれ、エミリアが副議長になったのだ。彼女は女性団体のFokupersを代表してNCメンバーになっている。36名のNCメンバーの中には、人権団体・救援活動でPARCとも親しいYayasan Hakのアニセト君も入っている。ひょっとしてエミリアは将来の副大統領かもしれない。しかし、議長を選ぶ投票ではシャナナへの反対が三票あったらしい。一人はアニセト君、後の二票はフレテリン(東ティモール独立革命戦線)とトラバリスタ(労働党)。これも「オルタ」10月号にインタビューが載っているマリオ・カラスカオやラモス・ホルタが、9月半ばに社会民主党を結成したこともあり、フレテリンは、かなりシャナナへの批判を強めているようだ。
 国民評議会は開かれている場所は、UNTAET本部の敷地内にある旧県議会議場。これまではテント・シティと呼ばれ、UNTAETが事務所として使っていた。それが議会になってしまったので、UNTAETの各部門は急に引越しをした。今日、UNTAET教育部門を訪ねていったが、誰に来ても引越し先はわからず、しかも地図さえもないので、無駄足となってしまった。
 PARC事務所の隣の家は、真夜中から鶏がときの声をあげるうるさい家なのだが、シャナナのお姉さんの家なのだそうだ。だからどうしたと言われるとそれまでなのだが、なんとなく嬉しい気持ちになる。 
 夜、晩御飯を作っていると停電になる。ろうそくをつけて何とか完成。

10月25日(水)
 朝、修理する車をもってTOYOTAへ行く。頼んだ修理は終わったが、「スターター・モーターも取り替える必要がある」と言われる。値段は500豪ドルくらい。車の知識が皆無なので、本当に交換する必要があるかどうか、この料金が適当なのかどうか、わからない。ドライバーのティトさんは必要だと言う。アシスタント・マネージャーのトメさんは、「修理は必要かもしれないが、なぜいつもTOYOTAの言うなりになる必要があるんだ。あそこに頼んでもオーストラリアに金が行くだけだ。できるものは東ティモール人の修理工場に頼もう」と言う。たしかにその通りなのだが、部品は取り寄せるしかない。92年にカンボジアで日本国際ボランティアセンター(JVC)の自動車修理工場(?)を見た時、「自動
車修理工を育成しても、自動車を増やすことにしか役立たない。それは日本などの自動車メーカーの利益につながる。とするとJVCは日本資本の先兵ではない
か」ときわめて左翼・直線的(?)に感じたことを思い出した。
 僕自身は免許を持っていないし、取るつもりもない。しかし東ティモールで活動していると、免許を持っていればよかったなと思うこともよくある。まして今のPARCの活動にはトラックや4WDの車が不可欠だ。もちろんUNTAETなどは、PARCのような弱小NGOとは比べ物にならないほど大量の車両を持ちこんでいる。TOYOTA製のものもあればインドのTATA製もある。これだけ急速に車が増えれば、トメさんのように、自動車製造は無理にしても修理くらいは東ティモール人に任せてほしい、それは経済活動に結びつくではないかという考えがでてきてもおかしくない。そうなると東ティモール自立支援のために「自動車整備支援事業」をスタートさせる事も必要か、とNGO・妥協的(?)思想が頭をもたげてくる。
 そんなことを考えているうちに(?)、リキサ県ロエス地区のトランスロック小学校に着く。昨日ここの工事が終わり、今日は大工さんたちに給料を支払うのだ。一緒に来たベンディト君(アシスタント・マネージャー)はまず余った資材を確認し、大工道具などを確認する。その後でおもむろに一人一人の名前を呼んで、前借りの額を確認してから、給料を払う。そして領収書にサインをもらう。サインができない人は、代わりの人がサインをする。給料を支払い終わった後、今度は大工さん同士で借金の清算をしている。
 帰りにUNTAETリキサ県事務所とリキサ県境委員会へ寄る。UNTAETでは教育担当のジーン(セネガル出身だったかな)と、学校改修工事の現状と今後の見とおしについて話をする。彼も、教育部門の見とおしについて何の情報も持っていない。机や椅子はいつ配られるのか、と聞いても「分からない」と言うだけ。教育委員会では、これから工事が必要な学校・保育園のリストをもらう。保育園はUNTAETの支援対象になっていないので、何とかPARCでやってもらえないかと言われる。
 午後4時ごろディリに戻る。事務所に飲み水(ミネラル・ウォーター)がなくなっていたので、買いに出る。事務所用には大きなボトル(50リットル位入るのかな)を2〜3つ買いだめしている。以前は小さいボトルを大量に買っていたのだが、開きプラスティック・ボトルが大量に出てしまうので、大きいボトルに変えることにした。このボトルは、いちおう回収して再利用しているようだ。ところが、この大きいボトルがどの店に行ってもない。一時間くらいいろんな店をまわったが、どこも品切れ。工場で何かトラブルがあったのだろう。
 夜、晩御飯を食べていると、「停電になってご飯が作れなくなったので、食べに行ってもいい?」という電話がSHAREから入る。おかずが余っていたのでOKする。

10月26日(木)
 スタッフ全員で、ガレージ作り。さすがに全員で仕事をすると早く、昼前にガレージ完成。みんなで昼食をとり、昼で仕事をお終いにする。
 午後ずーっと、書類づくりでコンピュータに向かう。
 夜、SHAREから食事のご招待。昨夜のお礼なのだが、僕たちは余りものを出したのに、SHAREは掻き揚げ丼を作ってくれて、恐縮する。久しぶりに停電なし。

10月27日(金)
 午前中はスタッフ会議。いつものように一週間の反省と次週の確認をした後、PARCの長期的な方向について説明し、意見を求める。話し合いの結果を紙に書いて、事務所の壁に張っておくことにし、ベンディト君に頼む。
 午後、銀行へ行ってお金をおろす。どうなるかと不安と興味が半々。そもそも通帳というものがないのだ。僕が持っているのは、口座番号とPARCという預金者名が書かれてある紙のカードだけ。まず、そのカードを提出する。すると現金を下ろすための書類が渡されるので、それにサインをし、必要金額を書く。受付番号の入ったコインを渡され、番号を呼ばれるまで待つことになる。しばらく待っていると、もう一度書類を渡してサインしろと言う。サインすると、あなたの父親の名前も書いてください、と言う。「なぜ?」と思いながら、ここで余計な質問をするとさらに時間がかかるので、素直に、もう何十年も前に死んだ父親の名前を漢字で書く。すると、わりと早く番号が呼ばれた(らしい、一緒に行ったティトさんが教えてくれた)。コインを渡すと、お金が渡される。何のトラブルもないので拍子抜け。銀行の外で「ダラー、ダラー」と言っている両替屋のお兄ちゃんたちはしょっちゅう中に入ってきて、米ドルや豪ドルを預金している。
 帰りに水を探すが、やはりどこへいっても品切れ。
 夜、日本人ミーティング。一時間ほどであっさり終わりそうだったが、最後に話をしたのがジャカルタの日本大使館から来た「安全」担当者。おそらく自衛隊か警察の人だろう。この人がとうとうと「東ティモールの警備員を信用してはいけない。彼らからは情報をできるだけ引き出し、こちらの情報はなるべく与えないようにしたほうがいい」などと言う。はじめは頭に来たが、こういう人に何を言っても無駄だろうと思い、反論もしなかった。帰り道、勝谷君に、なぜ誰も反論しなかったのですかと問い詰められ、反省する。無駄かもしれないが、きちんと言うべきことは言わなければいけないのだな。
 

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