Subject: [reg-easttimor 146] 東ティモールから No.2
From: Koshida Kiyokazu <koshida@jca.apc.org>
Date: Tue, 24 Oct 2000 18:14:39 +0900 (JST)
Seq: 146

10月14日(土)
 東ティモールでは、まだ独自の法律がないため、基本的にはインドネシア時代の法律(例えば交通法規など)を援用している。とはいっても、自動車免許制度も登録制度もない現状では、例えば交通などについては無法状態と言えるかもしれない。
 ただ「理想的な国家」を作ろうという人たち(何だかGHQのニューディール派のようですが・・古い!)がUNTAETやNGOにいて、労働基準についてのガイドラインを設けている。このガイドラインは、強制力を持っていないが、多くの国際NGOは基本的にこれに従って活動している。PARCも例外ではなく、労働時間は週40時間、週休2日制、という条件を厳守している。
 ところが、これまでこういう条件で働いたことのない悲しさで、休みの日に何をしていいのか分からず、一日事務所でボーッとして過ごすことになる。これではいけないと、夕方、男二人で、夕暮れの海を見に行こうということでドライブに出かける。ディリ市の東のはずれ、岬の頂上に大きなキリスト像が立っている。その岬を越えると風景が一変し、人家も少なくなりきれいな海岸とゆるやかな丘が続く。海を見ながら、ほとんど人のいない道を進んでいく。途中で海辺へ入る道を見つけ、とにかく行けるところまで行くことにする。
 そんな訳で2時間ほどぶらぶらしたが、暇のつぶし方としては、最悪に近いものでしたね、これは。

10月15日(日)
 休日の2日目。9時ごろまでだらだら過ごしていると、JICAの鈴木氏から電話がかかってきて、「マナトゥトゥへ泳ぎに行こう。9時30分までに迎えに来てくれ」と言う。ちょっと遅れてSHAREの事務所へ行くと、車に防犯装置を取り付けたところで、その実験をしている。無断でドアを空けようとしたり、車に振動を与えるとサイレンがなるというもので、かなり効果がありそう。
 さて海水浴の方は、我々のほかに、SHARE(国際協力市民の会)とピースボートのスタッフも含め、合計8人でマナトゥトゥへ向かう。まずディリ市内で食料や飲み物を買いこみ、あとは一路、ディリの東隣にあるマナトゥトゥへ。みんなお気に入りのカセットを持ちこみ、音楽を聴きながらドライブだと思っていたら、カーステレオの調子が悪く、音が鳴らず、ちょっとガッカリ。
 マナトゥトゥに入り、道が海岸沿いになってくる。海はどこでも本当にきれい。驚いたことに、車が停めやすそうな砂浜の一部がプライベート・ビーチのように竹の柵で囲ってある。駐車場らしきところにはUNのマークをつけた車が何台も停まっている。駐車場の入り口では、ティモール人が入場料(らしい)を取っている。浜の美観を保つためにという名目でお金を集めているということだが、実態は不明。それにしても、どうしてこういう商売(?)が成り立つのか、この浜は誰のものなのか、不思議。
 そして私たち海水浴チームは、そのプライベートビーチからさらに10分ほど走って、何とか車が海辺まで行けそうな場所を見つける。さっそく泳ぐ。浜から10メートルもいくと急に深くなる。サンゴ礁と熱帯魚(というのでしょうね?)の
海はほんとうにきれいで、ずーっと見ていてもあきない。ディリ市内の海を除けば、東ティモールの海は、おそらくどこでもここと同じだろう。もう既にオーストラリアあたりからダイバーがやってきているらしいが、飲み水とマラリアの問題が解決したら、最後のスポットとして宣伝されるようになるのではないだろうか。それがうまく東ティモール人による産業(エコ・ツーリズムのような)になっていけば良いのだが。
 夜、SHAREの蜂須賀さんと一緒にPKF病院(野戦病院)でのシンガポール部隊のお別れパーティに行く。誘われていたのは彼女だけなのだが、我々(越田・勝谷・高橋・鈴木)も興味津々で附いていくことになった。何より、食事・飲み物が出るというのがありがたい。シンガポール以外に、オーストラリア、韓国などの部隊がいる。オーストラリアの女性兵士の姿が目に付く。おそらくは「男女平等」な扱いになっているのだろう。女性兵士がどのくらいの割合か、聞こうと思ったが酒席なので止めておく。「軍隊とフェミニズム」論争よりも、現実がどんどん進んでいることを実感。そして軍隊では、パーティの席でも、拳銃(人によってはライフル)を離さないのだ、ということも改めて実感する。

10月16日(月)
 Oxfamの事務所に行く。そこで東ティモールNGOフォーラムのアドバイザーをしているトム・ハイランド氏(アイルランド人)を紹介される。Oxfamは明確な目的意識をもって東ティモールNGOのCapacity Buildingを行おうとしており、トムのような人をアドバイザーにしたのだろう。後で高橋(茂人)さんに聞くと、トムは東ティモール連帯運動ではかなり有名な活動家で、古くから関わっている人らしい。たしかに風貌も労働者階級出身の「活動家」という感じで、いわゆる「NGOピープル」とは一味違う。
 ただCapacity Buildingについては、その必要性はよくわかるが、やり方によってはNGOのInternational Standardを押し付けるということにもなりかねない。どうやって東ティモール人と協力して、双方向のCapacity Buildingになるやり方を見つけられるか。PARCにとっても、これが大きな課題になってくるだろう。
 夜、ラジオUNTAETでCivic Educationについての討論会を聞く。午後に会ったアデリート君(SAHEという民衆教育NGOの代表)が、自分もそれに出るから聞いてくれ、と教えてくれたのでスイッチを入れてみる。テトゥン語なのでさっぱりわからないが、SAHE以外にも、女性団体のFokperusなども参加しいた。アデリート君とは、上からのCivic Educationではなく、下からのPopular Education、例えば憲法草案づくりのための話し合いが必要だということで意見が一致。なんとかして具体的なプログラムを実施したい。8時前から停電になる。深夜、強い雨が降る。

10月17日(火)
 前夜の停電後、電気が通ったと思ったら、コンピュータのACアダプターがショートし、コンピュータが使えなくなる。インフラ整備がいかに大変かを実感する。コンピュータに向かって文章を書くのに慣れてしまうと、手書きで文章を書こうという意欲がなくっていることに気づく。他人に読んでもらう文章を手書きで書くのは、何だか馬鹿馬鹿しい作業のように思われてくるのだ。そんな訳で何だか手持ち無沙汰のまま、一日を事務所で過ごす。
 12月にブラッセルで開かれる第三回東ティモール支援国会議に向けて、日本政府がジャカルタで戦略会議を開くので、そこにNGOも参加して欲しいという要請がくる。11月10日・11日の2日間、ジャカルタで東ティモールに関係する日本人(UNTAET・NGOなど)を集めて集中的に会議をするのだが、主催は在インドネシア日本大使館。このこと自体が、まずおかしい。なぜ東ティモールの「国づくり」を支援する会議なのに、それを未だに妨げているインドネシア政府を支えている日本大使館が、それを主催できるのだろうか。しかもNGOは各団体5分間ずつ自分たちのプロジェクトを説明するのと、誰かがNGOを代表して「NGOの役割、地方における支援の問題点」というテーマで10分間発表するだけ。あとは、ほとんどがUNTAETの日本人職員による発表。こういう会議に参加すると、「日本政府とNGOのパートナーシップ」の宣伝に使われるのだが、無視していてよいものでもないというこのジレンマ。

10月18日(水)
 午前中、JICA事務所へ行き、教育分野への取り組みについて話を聞く。とは言っても、教育はJICAの重点分野ではないらしく、一般的な話になってしまう。とにかく4月に世銀が出したEmergency School Readiness Project (緊急学校準備プロジェクト)という計画が、教育分野のハード面に関する唯一の文書で、それしか参照するものがないというのが現状らしい。
 午後UNICEFに行って、担当のマイクと同じような話をする。4月の時点では、10月までに600の小・中学校を改修する予定だったが、現在まだ300教室分しかできていない、ということ。したがってUNICEFは来年度以降も学校改修を続けるらしい。PARCがリキサ県で独自に小学校改修工事を続けるとしても、ディリのUNTAETの教育担当と話をした方が良いとも言われる。
 UNICEFで「この間つくってもらった銀行口座は、個人名義だから、PARC名義の口座にして欲しい」と言われ、もっと早く連絡してくれよ、と思いながら銀行へ行くが、窓口は3時で閉まっていた。
 今日の地元紙のSurat Timor Lorosaeに日本のグループがインドネシア支援国会議に反対しているという記事が載っていて、そこにPARCの名前もあるよ、と何人かに言われる。夜、事務所に誰かが残していったThe CorrsのunpluggedというCDを何度も聞く。

10月19日(木)
 トメさんたちとリキサ県教育委員会により、その後リキサ高校に行く。教育委員会は、小学校の一教室を修理して使っている。コンピュータが一台備わっており、教育委員長のフランシスコさんがその前に座って書類をつくっている。1月から改修工事を始める必要のある小学校と幼稚園のリストをお願いしてあったのだが、案の定(?)できていなかった。リキサ県でも小学校教員の数が45%カットされ、これまで367人いた教員が197人に減らされたという。他の県ではデモがあったりして大きな騒ぎになっているが、リキサ県ではそこまではいっていないらしい。時間つぶしに小学校の教室を見学する。子どもたちはみんな床に座っている。授業というよりも学校に遊びにきているという雰囲気だ。
 リキサ高校で、体操着などを配る。高校ではみんな椅子に座って授業を受けている。休み時間に1クラスごとに出てきて服を受け取る。さすがに高校生になると好みがはっきりしてくるのか、気に入らない色の服だと受け取ろうとしない学生もいる。当然だよな、と思う。
 午後にリキサでもう一つ会議があるので、12時前だがリキサ市唯一のレストランに入る。ここは料理がおいしい。ただし牛定食が25000ルピア(約350円)とやや高め。会議の場へ向かう途中で、午前中体操着を配った高校生に出会う。みんな椅子を手に(あるいは頭に)持っている。プラステッィクの軽い椅子を家からもって通っているのだ、と納得。
 午後は、Oxfamリキサ事務所で、リキサ県のNGO会議。NGO会議といっても呼びかけたのはUNTAET.これまでずっと続けてきたリキサ県の全体会議(UNTAET・CNRT・教会・NGO等が参加)が立ち消え状態になったので、それに代わるものとしてUNTAETが各NGOに呼びかけて開いたもの。参加しているのは、PARCの他にOXfam, ピースウィンズ・ジャパン、Health International, CNRT、CEP(コミュニティ・エンパワーメント・プログラム)。この場に出てくるリキサのCNRT代表はいつも長い演説をするので、みんな嫌になってしまう。今日もインドネシア時代のNGOがいかに仕事をせず、インドネシア政府からお金をもらっていたかということを話し出す。3時間近い会議で決まったのは、日程と会議で決まったことを実行しようという約束だけ。具体的には、11月4日のポリオ予防接種デーに、各NGOも協力することになる。
 夜また停電。このところ停電が毎日のように続く。
10月20日(金)
 午前中はスタッフ会議。会議はアシスタント・マネージャーのトメさんの司会で、今週1週間の反省と来週の予定の確認、それ以外の議題を話す。雨期が本格的になる前に、作りかけのガレージを完成させようということになる。昨日のリキサでの会議の報告をすると、いつもあまり発言しない運転手のロザさんが、「あのCNRTの○○は、インドネシア時代には自分がうまいことをやっていたんだ。いま俺たちがトタン1枚でもふところにいれているというのか」と怒る。
 午後、銀行へ。PARC名義の口座を開くために、東ティモールNGOフォーラムによる登録証明書とPARCの書類をもっていく。銀行は午後になるとすいているので、時間もかからず口座が開けるかと思ったら、やはり、そうはいかなかった。PARCの書類には問題がないのだが、PARCがNGOであることを証明しているNGOフォーラムの書類が問題だというのだ。その理由が、ちょっと想像をこえたものだった。
 この銀行では会社・団体名義の口座を開くときに、預金やお金の引出しをする人のサインを登録する。申し込み用紙に、その団体を代表する何人かの名前とサインが必要だということだ。NGOフォーラムもこの銀行に口座を開いているのだが、その申し込み用紙には、PARCの登録証明書にサインしているNGOフォーラム代表のサインがないから、代表を連れてきて銀行の申し込み用紙にサインさせなければだめだというのだ。最初は何を言っているのか、わからなかったが、何回か説明してもらい、NGOフォーラムの登録用紙を見せてもらうと、たしかに代表の名前はあるがサインはない。しかし、それとPARCの登録は何の関係もないはずだと言っても、上司がだめだというからの一点張り。こんなことで1時間近くかかってしまい、結局もう一度足を運ぶことになる。窓口の人はすまながって、「今度は5分ですむから」と言ってくれたが、そんな言葉が信用できるか。
 夜、強い雨が長く降る。いよいよ本格的な雨期が近づいてきた。


 

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