Subject: [reg-easttimor 119] アンボン騒乱:
From: INYAKU Tomoya <tomo@jca.apc.org>
Date: Sat, 1 Jul 2000 22:51:12 +0900 (JST)
Seq: 119

From: Murai Yoshinori <murai@jakarta.wasantara.net.id>

以下は、29日までアンボンに滞在していた、インドネシア民主化支援ネットワー
ク(Nindja)の笹岡正俊さんがNindja MLに寄せてきた便りです。(1)〜(5)をご覧
になりたい方は、
インドネシア民主化支援ネットワーク
〒160-0008 新宿区三栄町12-6-101
Tel/Fax: 03-3356-8364 nindja@bigfoot.com
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                アンボン便り(6)
                              6月29日

 非常事態宣言発令後、大きな衝突事件は生じていないものの、アンボンは依然、
緊張が続いている。27日には、アンボン市街のキリスト教徒地区で2人の市民がスナ
イパーによって射殺されている。市の中心部には依然バリケードがはられ、交通は麻
痺したままである。クダ・マティ地区内はアンクタンが走っている。
 クダ・マティ地区では非常事態宣言発令を境に銃声・爆音の聞こえる回数は減って
きた。しかし、バトゥ・ガントゥン地区一帯の前線では、双方が銃を構えてにらみ
合っている状態が続いている。タラケ、バトゥ・ガントゥン、マンガ・ドゥア地区な
どの女性や子供は、クダ・マティ地区やベンテン・アタス地区の避難所、親戚・友人
の家で生活している。またこれらの地区以外にも、避難民があふれており、マルクの
地方紙『シワリマ』紙(28日付け)によると、山の上にあるクスクス集落およびマヒア
集落だけで、約7000人の避難民が避難生活を強いられていると報じられている。パッ
ティムラ軍官区司令官マデ・ヤサ大佐は住民たちに自発的に武器を提出するよう求め
ているが、住民たちは、これに応じない構えだ。武装解除は難航すると思われる。今
後行なわれる武器一斉取締、武器徴収で国軍がどのような動きに出るのか気にな
る。
 昨夜(28日夜)、クダ・マティ地区では、午後11時半ごろから、バトゥガントゥ
ン地区のあたりより時たま臼砲(mortir)の爆音が鳴りはじめた。爆音の後に「パン、
パン」という単発の銃声が鳴りしばらく静かになる。この状態が、午前4時半まで続
いた。しかし、明け方になり銃声・爆音はほとんどしなくなった。
 野外外出禁止令によって夜10時から朝6時までのあいだの外出が禁じられているも
のの、夜中の1時過ぎから、地域の青年組織が結成した楽団が太鼓やトランペットを
手にして演奏しながら住宅街を練り歩いていた。前線でイスラム武装集団の襲撃に備
えて銃を構えて警備にあたっている住民を元気づけるためだという。また、イスラム
武装集団に、「自分たちは起きているぞ」ということを示す目的もあるという。
 29日朝、子供たちがマルクの地方紙『シワリマ』を売りにきた。住民たちはそれを
買い熱心に読みふけっている。ここで手に入る新聞は『シワリマ』紙のみだ。29日付
『シワリマ』紙の一面には、「86人の警察機動部隊隊員が誘拐される」とある。これ
は、21日にタントゥイにある警察機動部隊の兵営がイスラムの武装集団に襲撃された
ときに起きたもので、西ヌサテンガラのクパンからやってきた警察機動部隊が、カパ
ララ(タントゥイ地区)にあるある建物に監禁されたと伝えている。26日までに50人の
隊員は脱出に成功したが、残りの36人の安否はいまだ不明であるという。『シワリ
マ』紙は明言していないが、クパンはキリスト教徒の多い地域であるため、彼らの多
くはキリスト教徒と見られている。ヨハネス氏宅に集まってきた住民たちは、「警察
機動隊ですらこの調子だ。我々はどうなるかわからない」と不安の声を漏らす。
 朝10時、空港へ向かうため、グダン・アラン港からボートに乗って湾を渡った。昨
日はワイハオン地区からときおり銃声が聞こえたが、今日は静かである。空港に向か
う前にワァヤメ村に向かった。ここはアンボンでただひとつ、イスラム教徒とキリス
ト教徒が共存している村だ(人口約2000人、イスラム教徒60%、キリスト教徒40%)。
99年1月にマルク騒乱が勃発して以降、この村では一度も衝突事件が起きていない。
それは、騒乱勃発から間もない99年の2月に、この村の牧師であるジョン氏(52)のイ
ニシアティブで結成された「20人組(Tim 20)」の活動のおかげだ。
 「20人組」はイスラム教徒10人、キリスト教徒10人で構成されている。マルク騒乱
勃発当時、ジョン氏は、アンボンで生じている争いが地元の人々によるものではな
く、外からやってきた人々によって引き起こされたものだと感じ取っていた。そのた
め、すぐに村人を集め、村の平和を維持するための組織結成のアイデアを打ち出し、
村人の賛成をえて、「20人組」が結成した。ワァヤメ村のプニエル教会の牧師(ジョ
ン氏)とアタクアイスラム寺院のイスラム伝導師が助言者となり、彼らの指導の
下で、組長(キリスト教徒)、副組長(イスラム教徒)、秘書(イスラム教徒1人、キリス
ト教徒1人)、会計(キリスト教徒)、そしてメンバーが活動している。
 「20人組」は、毎晩会議を開きアンボンの情勢について意見交換をしたり、今後の
活動計画を立てたりしている。また、1週間に2度くらい、村人を集めて異教徒に対す
る思いを語らせる場を設けている。お互いの不信感を拭い去るためだ。村の中で生じ
た争いは、それが単なる口喧嘩であっても、「20人組」が仲裁に入りその日のうちに
解決しているという。
 「20人組」は、いくつかの規則を設けている。「外部者は12時間以上村に滞在して
はならない」「外部者が村に滞在する場合は「20人組」の許可が要る」(目的の不明
確な外部者は村に滞在してはならない。聖戦民兵の到来が新聞で報じられたとき、
「20人組」はすぐに戦線民兵の村への立ち入りを禁ずる決定を打ち出している)、
「村人は武器を手にしてはいけない(武器を手にしている住民は、理由を問わず村を
追い出される。現在までに手製の銃を作ったキリスト教徒2人、イスラム教徒2人が村
を追い出されている)」、「他地域で生じている争いに加わって死んだ者を、村に埋
葬してはならない」、「酔っ払ってはならない」などである。
 「20人組」は、99年5月、日々の暮らしの中で異教徒どうしが顔を合わせられるよ
う、「平和市場」と名づけたいちばを集落の一画に作った。ここでは、イスラム教徒
とキリスト教徒が共に店を出したり、買い物をしている。騒乱勃発前、アンボンのい
たるところで見られたあたりまえの風景がここにはある。この市場には、現在733部
隊の兵士が警備に当たっている。彼らにだけ治安維持を任せるのは危険であるという
理由で、「20人組」のメンバーも24時間体制で警備に当たっている。
 ワァヤメ村は、アンボンの本来の姿を残す最後の場所となった。しかし、非常事態
宣言の発令で、村が治安維持のイニシアティブを失えば、いずれワァヤメ村も異教徒
どうしの争に巻き込まれてしまうかもしれない。今後、国軍/警察がどのようなうご
きにでるのかしっかり監視する必要がある。
 ワァヤメ村を去り、パッティムラ空港に向かった。飛行機は満席。定刻を少し遅れ
て、飛行機はマカッサルに向けて飛び発った。 




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