5/5 子供の日。私たちは、次なる世代の子供達に、何をしなくてはいけないのか。それを考えると水問題。やはりしっかりとみなさんに意識付けをしたい。ということで、午前中芭蕉トレックと称したカヌートレックをした後、街頭に立つ。プラカードは、「美味しい鶴岡の水を未来の子供達へ」手を振ってくださる人がいた。声をかけてくださる方もいた。子供達が住み良い社会づくり。その課題を僕らは何かかにか気づいているのだ。


5/4雨と曇りとにかく私の事務所、ハートビートセンターが、メスアップして仕事がなんとも停滞気味だし、天気も今ひとつなので、徹底片づけ大会の日とした。
5/3 曇り、神戸元気村の山田バウ和尚さんが、広島の原爆の残り火をもって、山形に歩いて移動している。ボクのところに、その火が灯ることになるのだ。広島の原爆の火。ボクは当時生きているわけではないから、あまり今日までそんなに意識していなかった。しかし、数万人の命を奪った火がやってくる。それをしっかりと意識づけをした日だった。 OPENJAPANと名付けられたこのプロジェクト。平和のための意識改革を目的としている。夜、8さんの家でいろいろ議論になった。この火をもって、全国を回ることの意味。意義。炎、光。いろいろ議論になったが、。いずれにしても、この火は私たちに何かを気づかせてくれる光なのだろう。


5/1メーデー。May Day 労働者の祭典。鶴岡でも連合系と共産党系に分かれて、集会が行われた。以前は一緒にやっていたと聞くメーデー。選挙の色が濃い今年。昨年は途中で旗付き自転車で乱入したが、今回は、2つの集会の間の街頭で、ペットボトルの水を持って語りかける。「私たちの飲んでいる鶴岡の水は、全国でペットボトルに入れて販売されている。それをなんの理由もなしに、来年の秋から失おうとしている。「地下水は足りている。」人口は減少する。それがわかっていて、切り替える。それはやってはいけない事だ。「地下水は足りている。」それは本日付けの「鶴岡タイムス」に地下水調査を実際なさった桑原先生が投稿なさっている。議会で1年間にわたってこの問題について問いかけてきたが、埒があかない。私たちの声を反映させる手段は、住民投票しかないかもしれない。(行動)午前中メーデー。午後、高専k先生、七窪k先生、その後、大山でM,O,さんらとS氏、東京尾浦会のK氏と今後の都沢の件で論。5時間。大山の歴史、文化、自然の今の状況に触れる非常に貴重な一日だった。高舘山は竜である。都沢の意味。いわれ。そもそものそこのビジョン。今まで行われてきた子供達への自然教育。歴史教育。ここで達成されなければならない目標。これをここでしっかりと踏まえ直さなくてはいけない。ここは21世紀の多くの市民が満足できるような場所にするために、しっかりと議論しなくてはいけない。20世紀型の目先の利権を排除しよう。「公益」的にしっかりと解決していこう。ところで、今日、その都沢の件が、朝日新聞の山形版に大きくでた。今、全国、世界中で、湿地や干潟が見直されている。その流れをしっかりと踏まえるべきだ。今回 会に参加してくださった、東京尾浦会のKさんは、80才を越えるが現役の弁護士。この議論の中で、「民主主義」という言葉の吟味があった。「主義だって。笑わせるんじゃない。それははなから間違っている。「民主制」なのだよ。」とおっしゃった。主義主張の世界ではない。民主制の国家なはずだ。それなのに、ビューロクラシーがはびこっている。ボクは議員として、何をすべきなのか。「真の民主制確立のために」そのためにNPOもある。情報公開も地方分権もある。開かれた地方議会の場もある。と言うことか。議員になって一年。ボクのやるべき事は、ここにある。真の民主制だ。リンカーンの言葉「人民の人民による人民のための日本」づくり。それが一つの大きな軸。当たり前のようだけれど、この日本ではまだそれは常識になっちゃいないと思う。「官僚の官僚による官僚のための日本」づくりになっていまいか。「お役所の、お役所による、お役所のための日本」「おカミの、オカミによる、オカミのための日本」づくりになっていまいか。月山ダムが浮かんでくる。鶴岡の水は、そのために失われようとしているんではないか。「水がすべてではない。しかし、一事が万事」と言う言葉もある。大いに検証したい。

さて、尾浦の自然を守る会は会員募集中。鶴岡の風土を残すことに意義を感じる方は、ぜひお問い合わせいただきたい。


4/27 グロッキー状態から、目が覚めて、事務所にくると、ポストに署名用紙がはいっていた。裏には次のようなメッセージが書いてあった。あまりにもいい文章なので、ここに記しておきたいと思う。ボクは、読むなりなんか、ほろりとし、力が沸いてきた。

→高速道路、大型店の進出等々、無意味とも感じられる便利さを追求するあまり、鶴岡の、又庄内の木や川や山や田園風景や海や、、、どんどん消滅していく事に悲しい想いと、くやしい気持ちでいっぱいです。
財産であるこの自然を、このまま消していって、果たして、未来に豊かさがあるのか、疑問が残ります。今までと同じような、人間最優先の都市づくりでは、何ら、個性的でないつまらない所、そして、安らぎの無い町と化してしまう。
道路や、建物は、どこの町に行ってもある。まねれば、同じ建物はいくらでもできます。だけども、この地の自然は、この地だけのもの。一度壊せば二度と同じものができないし、まねることもできない。この自然に会いたくて、遠くから遊びに来てくれる人々が、たくさんいるためにも、自然最優先の考えで都市づくりをしてもらえたら、必ずや、個性的で、すばらしい都市づくりができると確信しております。その為に、多少の不便は住民みんなが理解しなければならないと、近年つくづく感じます。鶴岡の自然を残す為、戦ってください。37才 男性。

本当にその通り。時代はシフトしている。僕らは、21世紀の価値観をしっかりと踏まえて、軌道修正をしていかなくてはいけない。しっかりと。がんばります。みんなで、やっていきましょう。ホントに。


4/21、芭蕉トレック。鶴岡ユースに宿泊している大阪の女性、鶴岡の公務員がゲスト。あとは、ユースの仲間が参加。全部で6名。水量が多く、思ったより非常に流れが速い。あっという間に目的地につく。羽黒橋上流から、三川、蛾眉橋の手前300mぐらいのところまで。ひさびさに、なかなかいいトレックだったと思う。
4/16 4/14は、あの諫早湾のギロチン事件から3年の日。この日にちなんで「干潟を守る日2000」がおこなわれている。この庄内でも「西茨湿原水芭蕉ウォーク」と題した観察会を行った。自然調査会の水野さんに解説していただきながら西茨湿原を散策。朝方、雨がパラついたのも災いしたか、参加者は10名。寒空の中、水芭蕉の群生と、庄内にここだけしか残っていないという原風景というべきハンノキ林の湿地帯にある植物を約1時間かけてじっくりと観察した。自然調査会では20数年もここの調査をおこなっている。一見地味だが、非常に豊富な春の野草の数々。湿地帯ならではの水辺の空間。わき水からドウドウと流れる用水路には、タナゴやウグイがいた。これこそ、真の親水空間だ。この湿原にある蛇行し、自然に生えた野草が密生した美しい水路は、とてもじゃないが人間の手でつくるのは無理だ。どんなに美しいか、ぜひ観てもらいたい。


4/9 、午前中、大山の下池のまわりをトレッキング。最高!である。何が最高かって?鶴岡にいらっしゃる方はぜひ行ってみてください。カタクリやキクザキイチリンソウ、オオミスミソウが満開。ところどころのお花畑が最高のわき水、小川のせせらぎ、大山のブナの森が春の息吹で満ちている。16日の西茨湿原の水芭蕉ウォークのちらしをお配りしながら、歩いた。企画調整課、市長には、ぜひ、この景色をみていただきたいものだ。自然博物園の構想は、まずそこからだと思うわけだ。
4/7、私の母校でもある、鶴岡第五小学校の入学式に来賓として参列した。とてもかわいらしい児童たち。昔は我々もあんなだったのだよなあ。と思いながら、見ていた。3月の卒業式でも思ったが、中学ぐらいまでの純粋なまなざしというのは、とてもいい。感受性、鋭敏な神経、うそ、ごまかしのまかりとおる大人の世界の中で、それらを僕らは失ってはいないだろうか。彼らの瞳に恥じない政策をしていかないといけない。と思わずにはいられなかった。
4/3~6 先日おこなったシンポジウムのまとめ、3月定例会の作業をおこなう。洞爺湖にいく話もあったが今回は水問題の事もあり、鶴岡にとどまった。じっくり今、この鶴岡の水問題にフォーカスしたいと思う。元気村からの派遣団が現地でがんばっている。ボクは、この地の問題解決のためにがんばりたい。とにかく水問題は、今を逃すと後はない。

4/1 昨日、鶴岡ユースホステルで、「森の人講座」の最終講がおこなわれた。8回にわたる非常にいい講座を企画した菊池君に拍手をおくりたい。今回のゲストは国際日本文化研究センター教授、理学博士の安田喜憲先生だった。先生は、日本古来の縄文文化と、大陸伝来の弥生文化の相反する時代を交互しているのが日本の歴史だと語り、今、これから、再び縄文の復活の時代になる。先日いらした宗教哲学者、鎌田東二先生と同様、今、根本的な社会システムの改革が必要。本来の日本人は、「足ることを知る」縄文の流れであり、東北にはそれが残っていると講義の中でお話になった。交流会の席で月山ダムの事を少しうかがってみた。すると、あれは本当にびっくりした。あんなものができているなんて。鶴岡は、もっと環境意識の高いところだと思ったのに。と嘆いていらっしゃった。鶴岡は、非常に学問が好きな土壌があって、以前から、環境や文明についての講演会をしたりしているのに、あれにはまいった。湯殿山から流れる川をせき止めるなんて考えられないな。とおっしゃった。全く! 先生は、乾杯の音頭の際も、「二度と、あんなダムのような愚行を繰り返さないように」述べた。

鶴岡の水を未来へ伝えようという署名にも先生は快くサインしてくださった。

知識人で、今、ダムが必要なんて発言する方がいるだろうか。そう発言するのは、アメリカでは「ポークバレル」「ダムマフィア」とよばれ、カネにむらがる「足ることを知らぬ」人たちではないか。世界中でダムはムダ。それが常識だ。21世紀にむけた文明の再構築。自然の征服感を権力の象徴たる巨大なコンクリートモンスターは、今、市民の税金をムダにし、集水域としての水循環や、歴史や文化を営む流域文化を廃墟にするものでしかない。

議会や、行政、利権構造の中にいる人間の、はだかの王様のいかに多いことか。

縄文の復活、政治でのシステムの再構築、軌道(気道)修正のための真の改革なしに、21世紀の意識の発展はありえない。先週の日曜日の保屋野さんの講演、そして月曜日から行動を共にし、ディスカッションさせていただいた鎌田東二先生や村上稔氏、そして安田先生などの講演をお聞きして、結論としては、その辺にあるかと思った。

まず僕らは何をするか、よりよい21世紀のためには、20世紀の反省点について「まずは、はっきりと、ものを言う」事、そして、「現状に流されずにビジョンを明確にし、コミットできる仲間とともに行動する事」である。NPOの本質はそこにある。決して、僕らは、批判だけをしているわけではない。21世紀のサスティナブルコミュニティーを目指す上で、貴重な政策提言をしているのだ。米国で、デビッドブラウアー氏らがやりはじめた反ダム運動は、1994年に米国の政策転換を導き出し、今、IRNなどのNGOが、世界銀行や国などとパートナーシップを組み、ダムを解体し、川を自然の姿にリストアしている。今だに300ものダムを建設中の日本の政策は、まさに世界的な恥と言っていいだろう。10年先、20年先、50年先、そして100年先の未来の世代にも恥ずかしくないまちづくり、これを僕はやっていきたい。と思うのだ。

みんなで、ぜひ考えていただきたい。

なお、森の人講座の舞台になったつるおかユースホステルは、3月18日に正式オープンし、現在営業中。日本海のすぐそば、三瀬の気比の森にあるこのユースホステル。ペアレントの菊池君は、非常にきまじめなナチュラリスト。一度いったら、彼の魅力にとりつかれることは間違いない。ぜひ、みなさん。森の隠れ家、つるおかユースホステルをよろしく。


(毎日新聞3月25日より)「日本一高い」水道料金の一因、広域水道を住民の立場で検証する「連続緊急トーク」が26、28の両日、鶴岡市の中央公民館で開かれる。28日は、徳島市から、吉野川河口堰に待ったをかけた、「住民投票の会」が参加。住民意志を尊重する公共事業のあり方を考える場になりそうだ。同市も加入する庄内南部地区の広域水道は、2001年秋に供給が始まる。高料金化を心配する市民らは、勉強会や署名、請願などに取り組み、最近、県や同市の議会で問題が討議されるようになった。緊急トークは、専門家と多面的に事業を点検する場になる。
26日は、現地で1年間の実態点検を続けた、「水問題ジャーナリスト」の保屋野初子さんが、事業計画の問題点、水需要の動向などを報告する。環境家カウンセラーの桑原英夫さんも、市民が昔から使っている地下水の水量・水質の研究結果を語る。28日は、吉野川河口堰の建設問題をきっかけに、徳島市議になった「住民投票の会」の事務局の村上稔さんらが参加。市民らと広域水道の水源、月山ダムを視察。トーク会では、公共事業に住民の意思を反映する手法を語る。トーク会の主催は、鶴岡市の住民団体・ウォーターワッチ・ネットワーク(問い合わせ0235-28-3338)など。申し込みは不要で、参加費は各500円。26日は午後1時。28日は同6時半から。ネットワーク代表の草島進一市議は、「連続トークをきっかけに、専門家を招く会を今後も続けたいと話している。(松田 健)

3月26日(日)、午後1時から、「知りたい!鶴岡の水」開催! 鶴岡の水道事情を1年間にわたって調べあげてくださったジャーナリスト、保屋野初子さんが来鶴。鶴岡の地下水事情にくわしい桑原英夫先生と一緒に、鶴岡市の水を徹底解剖。行政担当者の皆さんには、必ず来ていただいて、ぜひ私たちの問いに応えてほしい。県議の方も、市議のみなさんもぜひいらしてくださ〜い。なお、3/14は、International day of Action against dams ,and for living rivers,water.の日。アメリカ、西海岸では、アースアイランドインスティチュートのデビッドブラウアーやIRNの連中や、詩人たちが、みんなでグレンキャニオンダムに行き、「川の会」を開くのだそうだ。川辺川のメンバー、西田さんの、現地レポートが楽しみである。
3月21日。庄内浜にもプラスチック容器が漂着。日本海全体で相当の数になる。冬季の海岸のプラスチック容器の漂着は珍しくないが、今回は、中に塩酸などのはいった化学薬品のポリタンクだ。韓国のこうしたプラスチック容器についてのケアはどうなっているのだろう。以前から気になっている「ドウ」の問題についても考えてみたい。
3月2日、総括質疑。
 2/22、誕生日。年をひとつとるごとに、うーむ、あいかわらず落ち着かないやつだと我ながら思う今日、このごろである。

2/6 (日)今日は、ガイアシンフォニーの龍村監督が庄内、羽黒にいらした。朝9時半から地球交響楽第3番の上映があり、そして午後から監督の講演、そして2月6日、龍村仁監督が羽黒山のいでは文化記念センターでの第3番上映と講演でいらっしゃった。
地球交響楽(ガイアシンフォニー)という映画は、僕の今の行動の原動力だ。特に第三番は、神戸からこの鶴岡に戻る決意を固めた一本だ。第三番で、数千年に渡っておこなわれてきた遠洋航海カヌーのスターナビゲーションを現代によみがえらせたハワイのナイノアトンプソンが、言った。「世界に影響をおよぼすような大きな仕事は、実は、もっとも自分の身近でどうやるかなのだ」僕にとって「身近」とは何か。僕にとってのナイノアのホクレア号とは、アラスカのトリンギット族のボブサムが、ムーブメントを起こすきっかけとなった古い墓地の掃除とは、そして星野道夫が追い求めたワタリガラスの伝説とは。そうして、僕は、僕の原点である鶴岡に戻って、東北、鶴岡を見つめながら、まずは、この自然と人間のつながりを再構築しようという時代に、あえて、その大いなるつながりである地下水という恵みを放棄しようとしているこの月山ダムの問題に取り組むことから事を起こそうと決めたのだった。
今回の上映会でこの第三番を見るのは4度目だ。今の僕の場、位置を確認し、ブレがないか、修正したような気がする。
1年半ほど前、デビッドブラウアーとともに、「宇宙船とカヌー」の著者、ケネスブラウアーが来日した際、つなぎ役を担当した際にお会いして以来の再会だったが、相も変わらずパワフルな監督の言霊にふれて、僕は何か元気をとりもどした感じがする。

講演の中、監督は、まず、羽黒山のヤタガラスとボブサムの語る神話の中のワタリガラスとのシンクロニシティーについてふれた。そしてカラスの神話を通じて、アラスカの先住民と、日本人の祖先の縄文のつながりを確認しながら、この映画の中で、日本人に眠る5千年、1万年前の記憶をとりもどそうという約束を星野道夫さんとしていたのだとおっしゃった。
私たちの血の中には、確実に5千年、1万年前の記憶が残っていて、その一つの現れとして、山岳密教などがあるということ。

そして、これから撮ろうと思ったときにいなくなった、星野さんのドキュメンタリーを撮りつづける決心をしたいきさつ。そして星野さんを囲む友人からうける実感として、いかに生きていた時の星野道夫さんが、が、たまたま彼らと出会うその貴重な短い一瞬に心を開き、体を開き、魂を開いて、その瞬間にどれだけ深くかかわっったか、その一瞬を大切にしていたか。それが、「魂は永遠である」といわれるようなところにつながっているんだと思っている。ということ。そして、撮影の間中、星野さんと一緒に旅を続けているんだと思い、そう信じてやっていくうちに不思議な出会い、導きに遭遇したこと。などを語ってくださった。そして、ボブは今、日本のヤタガラスを巡る旅をしようとしている。羽黒の頂上にも、ヤタガラスの像があり、カラスの神話がある。ボブにもここは重要なところになるでしょうね。とヤタガラスを巡るボブサムが、必ずこの地にやってくることを最後に確認するように語り、講演を終わられた。
質問コーナーで「東北の役割」について聞いてみた。

すると「東北は、未来的な場所」と龍村さんは話はじめた。 
東北には、自然とのつながり、感性、風土、豊かさ、が残っている。
高度の文化をもつ、縄文の遺伝子レベルの記憶が残っている場所だと思う。そうした意味で、私は、東北は未来的な場所だと思ってるとのこと。役割は大きいですよ。と語ってくださったのだった。

東北の僕らの役割。しっかりとみんなでとらえたい。



2/4 立春。善宝寺にて「お水とり」があると新聞で見、思わず行く。正月に行った善宝寺の奥の院の池の近くには、約500名の信者。わき水が流れ込む沢に松の葉で囲われたほこらのようなものが3つほど並び、そこからでる竹筒から清らかな水がでている。それをひしゃくでくみ、願い、感謝のごあいさつをし、器にうつす。それをそこにいた500名が次々とおこなっていく。静かでおごそかだが、とても強い「祈りの力」を感じた。僕も水の恵みに感謝しつつ、器にその水をいれる器はその「願い」のこもった水でいっぱいになる。これを、寺の寺院内の龍神に納めるというものだ。


2000年。旧正月。2月1日、黒川能を見に行く。下の当屋、大地踏み。6歳の男の子がろうろうとせりふを読み上げ、舞う。1年ぶり、やはり感動ものだ。黒川能のエネルギーはその場にいあわせたものにしか伝わらないとてつもないパワーだ。役者たちは、2日間にわたって眠らず、酒をあおりながら、能を舞う。今回、上座の最後に「龍神の舞い」というのがあって、思わずそれが見たいがために明け方4時までその場を立てなかった。能の龍は、龍の冠をかぶり、赤い髪が腰まである。そして金色の龍がたくさん描かれた青色の着物を着ていた。その龍は、その日見た能の中でもっとも激しく、舞うのだった。