署名をした・署名を集めた鶴岡市民のみなさんへのメッセージ --庄内南部広域水道導入に関する鶴岡市住民投票条例の制定請求の否決の日に寄せて ジャーナリスト 保屋野初子 |
かなり昔のフランス映画に「自由をわれらに(A nous la liberte)」という名画がありました。2000年の12月22日、鶴岡市議会で住民投票条例の制定を求める議案が否決された瞬間、なぜかその映画の題名が思い浮かびました。もちろん、映画のように革命を起こそう!なんていう大それたものではなく、“たかが水道”に関する議論がいったん終結させられたにすぎないのですが、何か、あの映画を見終わったときと似た不思議な思いにとらわれたのです。
「庄内南部広域水道導入に関する鶴岡市住民投票条例制定請求署名」。こんな長い題のついた署名用紙に、鶴岡市全有権者の16%にあたる1万2735名の人々が自らの意志で名前・住所・印を記しました。署名簿の提出を受けた市は、署名数が法律で決められた有権者の50分の1を超えていれば議会にはからなくてはなりません。署名のやり方も議会への提出義務もみな、地方自治法に基づいて行われます。
鶴岡市議会に住民投票条例制定の議案が上がったのは、歴史上初めてのことです。直接請求の署名活動も、もちろん市始まって以来です。そりゃあそうです、住民投票条例の制定を求める署名活動が行われ、議会で審議されたのは全国でもまだ30例ほどしかありません。鶴岡市は誇ってもいいくらいの順位で後々までリストに名を残すことでしょう。
ですから、会期最終日の12月22日、最後の議案となった質疑・討論に、5台のテレビカメラが向けられ、10人以上の報道陣が釘づけになったとしても何ら不思議はありません。全国的に見たってまぎれもないニュースなのです。そして、この日の午後ばかりは、いつもがらがらの傍聴席が市民でほぼ埋まったのです。これも議会始まって以来のことではないでしょうか。以前はなかった「傍聴者の制限」「傍聴するときの注意事項」が手渡されたのも、いくつもの前代未聞を物語っています。
午後1時20分。まずは、地方自治法第74条にしたがい議案提出した富塚陽一市長が提案説明をしました。提案に付ける「意見」が予め議員に配られています。市長はそれを読み上げました。それは、「県と関係市町村が一体となって取り組み、市議会においても慎重な審議を行い、議会と長の権限と責任で意思決定がなされたもの」なので、「広域水道導入に対する賛成・凍結を問う住民投票条例の制定は必要ない」というものでした。
日本の法律では、条例制定の発議権を住民が直接にもたされていません。住民にあるのは、市長に発議するよう「直接請求」する権利です。そのかわり、条件を満たした請求に対して首長は議会に発議する義務があるわけです。ただし、それについて首長の「意見」を明らかにし、その「意見」に対して質疑・討論を行う形になっています。住民からすると、条例制定へのカベはかなり高く設定されているとくことになります。
富塚市長は、「意見」読み上げだけでは言い足りないらしく、口頭でも「必要なし」の理由をいくつも付け加えました。要するに、もしこんな条例案を提案したなら自分はこのような誹りを受けるといった類のことを何項目も挙げたのです。自分の意に反する議案を提案する立場になったことへの不本意さ、不愉快さを隠そうとはしませんでした。
ただ、その中にはいくつか気になる言葉が散りばめられていました。「善良な市民がよく理解しないまま署名したのは情けなく悲しすぎる」「欺瞞性」「無責任さ」「情緒的」、さらに「分別つかない」「反社会的行為を含意」といった言葉さえ発せられ、署名活動を行った市民に対するあからさまな嫌悪感と敵意をむき出しにしました。首長にしてはかなり冷静さを欠いた問題発言ともいえる言語を多発したのには、傍聴した市民だけでなく第三者が客観的に聴いても、恥ずかしいというか驚くほどのものでした。
そして何度も「行政を司る者として」と言い、一方「政治家として」という言葉が一度も聴かれなかったことも、強い印象を残しました。首長というのは住民に直接選挙された大統領ですから、まごうことなき政治家です。一票を投じなかった有権者をも代表してしまいます。それゆえ、このような義務や場面も引き受けなくてはならないのです。ある種の同情は禁じえません。でも、それが政治家の勤めです。水道部長や総務部長といった職とは別格なのです。
その後は、賛成・反対の質疑と討論が3時間ほど行われました。いつもの議事のような時間制限あり・一問一答なしという形式でなく、時間制限なし・挙手によるものです。賛成質疑をした公益21の草島進一議員と石川一郎議員は、今や広域水道移行の唯一にして最後の必要性として残った「地下水位の低下」について、その科学的かつ合理的な根拠の怪しさを、あの手この手で追究しましたが。が、市長および水道部長の回答は、揚水量の減少と4本の観測井の水位低下の2点のみで最後まで押し通しました。
これに業を煮やした草島議員は、何度もの不規則発言を繰り返し、議長よりまずは警告(イエローカード)、ついには発言停止を言い渡されました。退場にはなりませんが、レッドカードです。鶴岡市議会はなかなか紳士的な所で、いわゆるヤジも少なめです。賛成討論に傍聴席から思わず拍手が出たときも、議長からすかさず注意と退場もありうるとの警告が発せられました。議会運営が紳士的であるに越したことはありません。国立市の上原公子市長などは、その、伝統的に、品があるとはいえないヤジに満ちた議会に辟易するとこぼすこともあるくらいですから。ただ、静かであることと議会の内容が充実しているかは別問題なのです。
さて、反対質疑と反対討論に立ったのは、平成クラブと公明党の議員でした。基本的にこれまでの移行必要性の繰り返しでしたが、興味深かったのは、市長を含め反対を表明した誰もが「住民投票そのものは否定しない」という但し書きを述べた点でした。そして「だが、この件は違う」というのも共通していました。これからの面白い論点になりそうです。
午後4時ごろ。すべての質疑・討論が終わり、採決に入りました。「賛成の議員はご起立願います」。32名中、公益21と共産党議員の総勢7名が起立。「賛成少数。よって否決されました」--その瞬間、9カ月ほどにわたった住民投票をめざす市民たちの運動は道をふさがれたのでした。
ちょうど1年ほど前、広域水道の制度的な問題点を検証する論文に取り組んでいた私は、この制度が住民にとって欠陥があり、そのことに対し住民は直接民主主義的な方法で「ノー」と言える筋が成り立つと確信しました。ペーパー上の理屈を、鶴岡の人たちは実感と行動によって編み上げ理屈を軽々と超えてみせました。個人的な感想を言わせてもらえるならば、とても感慨深いことでした。
議決後、記者会見に臨んだ「住民投票の会」代表の酒井由美さんは悔しさをにじませながらも、「市民ひとりひとりが動き出した一歩でした。会の活動は一段落しますが、声を上げたい市民の窓口になっていきたいと思います」と述べました。渡辺洋井さんは、「市民と市とのすごいギャップを感じました。これから長いドラマになると思います」と、加藤紘一氏の台詞を借りてみせました。長いドラマを始めたのは、どうやら加藤氏ではなくて、お膝元の他ならぬ新しい有権者たちだったようです。
映画「自由をわれらに」が思い浮かんだ理由がわかってきました。そうだ、ここでは「決定をわれらに」であったのです。名画の最後に人々が唱う「A
nous, a nous la liberte!(われらに、われらに、自由を!)」という歌声が、鶴岡市民の声として聞こえてきそうです。まさにそれが、住民投票を求めた市民たちが初めて声にした声でした。
この日、その声は議会で制止させられました。しかしこの日はまた、何かの終わりの始まりとなり、何かが始まるための一日となったはずです。新しい曲への厳かな序奏をはっきりと聴きとったのは、私だけではないでしょう。歴史はあるとき必ずや、マイナーチェンジでない、まったくの新曲という回答を用意しています。その歴史の旋律を書いてゆくのは市民=民意です。20世紀最後の地方議会にふさわしい暮れ方だったのかもしれません。