5月27日 午後11時。気になる刈羽村。NHKの速報。はいる。プルサーマル 反対が過半数
プルトニウムを一般の原子力発電所で燃やすプルサーマルの受け入れをめぐって行われた新潟県刈羽村の住民投票は午後10時現在、開票率99%で、反対1925票、賛成1533票、保留131票で反対が過半数を上回りました。05/27 22:17 

・・・率直な市民の意見が表れた結果でしょう。刈羽村の村民のみなさん、本当にご苦労様でした。みなさんの行動する勇気と努力にありがとう!

5月27日

新潟、刈羽村のプルサーマルの住民投票が明日、おこなわれる。住民のみなさんの、未来を考える意識に、期待をしたい。プルサーマルを受け入れることによって、核廃棄物を一挙に受け入れなければならなくなる刈羽村。原発の廃棄物処理や、危険性は、やはりこの21世紀のエネルギーを考える上で非常に重要。温暖化対策として原発推進などとバカなことをいっていないで、政府も真剣に考えるべきだ。

さて、今日は、友人の田圃で田植えをおこなった。完璧な手植え。完全無農薬。田圃にはイモリがたくさんいた。こんなひとにぎりの草が、あのウマイ米をつくってくれるのか。自然の恵みというのはいかにすごいものか、などと思いながら3、4本を束ねてしっかりと植えていった。多少腰にきたけれど、これは日頃の運動不足のせいですな。

5月23日
放射線で亡くなった大内さんの「被爆治療83日間の記録」NHKスペシャルが再放映されて、しばらく見入ってしまった。
はじめは日焼けのひどいのぐらいで病院に運ばれた体が、次第にボロボロになり、全く医療チームの治療が全く効かない状況になる。

人間のつくったものが間違うと、到底最新の医療機器もたちうちできない、破滅的な影響をもたらすものだということ。今年、今回の治療に携わった前川医師は、定年を迎え、これからは被爆治療についての検討をしていくということであった。

原子力。今、ボクハ、深夜にこれを書いているけれど、この電力は原発から来ているのかもしれない。原子力エネルギーは、時に、これを開発した人間を破滅に導く兵器になる。そして平和的にいくら使おうとしていてもミスがおこれば、全く取り返しがつかないことになる。スリーマイル島での原発事故、そしてチェルノブイリであれだけとんでもないことをしでかすことをボクラは学んでいるはずだ。JCOの事故は世界的にも「バカな!?」と思わせるこの国の企業のズサンな危機管理体制や、常識のなさ、恐ろしさを改めて知らしめた事故でもあった。そのはずである。人類は、自分のコントロールをはるかに超えたものを発明してしまった。その驚異をボクラは改めて知るとともに、これをどうするかを真剣に議論しなければならない。
当たり前のように、こうした原子力からのエネルギーを受け入れていっていいだろうか。
今週27日、刈羽村で、国内初のプルサーマル施設についての住民投票がおこなわれる。推進側の連中は、「プルサーマルをいまだに認めないのは常識はずれだ」だとか、言っているらしいが、これはしっかりと今、問わなければならない。この小さな国で、原発政策をこのまま推進していっていいのだろうか。と。
地震がおこって、施設から放射線漏れをおこしたらどうなるか。と。完全に安全だ。などと、誰も、たとえ、どんな高名な学者だって、言い切ることはできないのだ。そして、例えば数十万人犠牲者がでたとして、国は保証できるかといったら、できないのだ。これは阪神大震災を思い出して欲しい。目先のカネで動く多くの人たちによって、この原子力政策も支えられている。ダムと一緒だ。推進している連中は、事故がおこっても、本当の事を隠蔽していたではないか。もんじゅの事故をみんなで思い出してほしい。

この国では、バカなことに、温暖化対策としても、原発を進めるなどというトンデモナイ事を言っている。原発がクリーンなエネルギー等という人たちは、この国の役所の人たちだけではないか。
世界中の心ある人たちは気付いている。風力や太陽光線など、真のオルタナティブなエネルギーの時代がやってきていることを。
原発には、多くの疑問が今、世界中で投げかけられている。事故の問題は、当然だ。放射線漏れがおきて、それに人体がさらされた場合、大内さんのようなことがおこるのだ。最新医療機器もまったくたちうちできない、人体の破滅が簡単に引き起こされるのだ。それから、これはオーストラリアのジャビルカや、アメリカのホピ族の聖地などで起こったことだが、原発を動かすウラニウムを採掘するときに、大地の汚染をともなっているということだ。それにこの採掘の労働者の被爆など、深刻な問題がこれまで数々あったのだ。

原発は明らかに危険なものである。これはもう、とっくに証明されているではないか。プルサーマル技術だって、完全に安全だと、どこでどう言えるのか。これは、「完全に安全なダム」が地震を引き起こし、数千の命を奪ったケース(イタリア・バイオントダム)と同様、あてのならない、人間の詭弁ととらえていいのではないか。どれほどの真実が述べられているのか。

時代は21世紀。最新技術もいいが、いいかげん、ボクラはそろそろ気付かないといけないのではないだろうか。グリーンなエネルギーを真剣に考え、今のとんでもない原発推進政策やダム政策をやめ、川や湿地や森林を再生する。そうした政策を実行する時だ。小泉氏が、改革、改革といっているが、アル一面評価することもできないではないが、でもしかし、原発の問題について、どう考えているのか。川辺川ダムの事をどう考えているか。諫早湾干潟のバカ事業の事をどう考えているか、発展途上国並の今の水道政策をどう考えているか、湿地の保護についてどう考えているか。つまりは、未来をしっかりと考えている環境派市民の関心事について、一体どう考えているのか全然はっきりしない。
真のグリーン政策からいってみたら、全然、今までの人たちと変わらないのじゃないか。と思うのだ。

みんな、目覚めようよ! ボクラの税金でやっていることだよ! この公共事業で、ボクラ自身のいのちが冒されてもいいのか? 水では発ガン物質が増え。エネルギーでは放射能汚染。ダム は、清流を消滅させ、漁業を衰退させ、海辺をテトラポットだらけにする。

このままでいいのか? 

追記
5月23日、米国のチェイニー副大統領は、温暖化防止のために、原子力エネルギーの奨励策にでるとのこと。ニュースがあった。バカか?日本にならったのかそれは定かではないが、ナンセンスだ。


5/21 ごめんなさい。間があいてしまいました。ところで昨日、今日と、朝日新聞で米国での脱ダムの事例が掲載されているのですが、みなさんはご覧なったでしょうか。記事には、私が98年にインターンで行った国際河川ネットワークが紹介されていた。米国では小さいダムではあるけれど、ダムを壊す時代にきているということ。自然の生きる川(livinng river)の時代になっているということ。こうしたことは、長良川に集まっていたリバーアクティビストの中では94年ぐらいから常識になっていたことなんだけれど、ようやく中央メディアに登場した。最近の脱ダム議論が渦を巻いて広がっている。5/14には脱ダムネットワークが長野で誕生した。これがまさに世界共通の潮流である。目先のカネもうけで川が支配される時代は終わったのだ。川はもう一度、多種多様な生態系維持の血管として再生されなければならない。そして、地下水や、海洋の水とともに、健全なる水循環を集水域で考える時代なのだ。

さて、鶴岡の水があと5ヶ月でダムの水になる。もう議会でも再三にわたって言い続けていることなんだけど、もう、住民が飲料水に望むニーズというのは、おカミが、「はいどうぞ」と手渡すもののはるかに上をいっている。ガソリン以上のカネをかけてウマイ水を飲む時代だからだ。しかしながら、この国のおカミは、水道水を発展途上国と同じように考えて整備しているのだ。今、常識的に、いや、これは、「おいしい水研究家」の発表している常識なのだけれど、飲料水のランキングはちなみに。

厚生省の「おいしい水道水」(85年)に

「おいしい水」研究の第一人者 小島貞男さんによるランクづけがある。それによれば

1,特級品 湧水や良質な地下水を塩素消毒しただけの水道水

2,一級品 汚れていない川や湖、伏流水を「緩速ろ過」しただけの水道水

3,ニ級品 やや汚れた河川水を「急速ろ過」した水道水

4,それ以下 汚れた河川水を「急速ろ過」した水道水

なのである。鶴岡の水は、今年の10月20日に、特級品から、二級品かそれ以下という「おいしい水」としてランクダウンする。そして、値段は、10月に28%、1年後にさらに17%あがることがほぼ決定している。平成10年に約30%前だおし値上げがおこなわれてきたのだから、5年で2倍の値段になるわけだ。市の広報では、「それでも県内では一番安くおさえられている」などといっているが、山形県は、全国で水道料金が最も高い県なのだ。詭弁をつかって住民をごまかすのもいいかげんにしてほしいと思うのだ。

みなさんはどう思うか。これは、まさに鶴岡というまちの「取り柄」の消失ではないか。ワザワザカネをかけて、まずい水を住民に供給する。そして、間違いなく、トリハロメタン値は、10倍以上増えるわけで、発ガン率もアップするというわけだ。これが、独立採算性 公共事業として、平然と受益者負担 とかいって、おこなわれようとしている。

これは一生ものの問題だ。「昔きまったことだから、しかたないで済むか。未来に果たして責任をもてるか。

この水源切り替えの理由はいろいろつけられているが、大きなものは、水源の安定確保だ。しかし、鶴岡ほど、この庄内地域で豊富な地下水を誇っている場所はない。ほぼ旧市街の全域が赤川の氾濫源だった鶴岡は、どこもかしこも泉状態だったのだと、古株の農家の爺さんたちが指摘する。この地下水で、工業団地のNECやケンウッドがハイテク産業を営み、庄内南部に生活する人の飲料水を確保し、農業を営み、なお、雪消し水として、大量に使われてきた。それが、「水不足」などといわれ、水源切り替えを迫られてきたのだ。「水不足」というならば、まず雪消し水として大量に地下水を使用することを制限すべきだ。ところが、1日3万とも5万トンとも概算できる地下水を消費していながら、道路や駐車場の雪消し水は全く制限なく使われている。工業団地も地下水利用が伸びている。そしてある工業団地では地下水汲み上げ放題。量の制限も何もない。まさに、地下水管理に問題があると指摘されて当然な状況にあって、市当局は「飲料水用の地下水の不足」を主張してきた。

事情を調査してきた我々は 水位計が壊れたままだったり、井戸の目詰まりだと明確にわかる井戸があったり、と、水道水源地下水井戸のずさんな管理状況を目のあたりにしている。地下水管理の無策をいいことに、地下水低下だけが原因などといって、「ダム水、ダム水」と主張する当局の姿勢には、もう笑うしかない。今年の1月なんか、その無策がたたって、1週間の夜間断水まで引き起こしたのだ。このことは、何度もいうようだが、何度も何度も議会で述べてきた。

いまだに反省がないようだが、どうも、夏の水不足のために2つの井戸をオーバーホールするなどといったことを最近聞いたが。んじゃ結局、井戸の問題だったということを認めているということじゃないか。ということだ。

あと5ヶ月しか飲めない今の鶴岡のおいしい水。 今が最後のチャンス。ぜひ全国から鶴岡 の水を飲みに来て欲しい。この先人達が古の時代からうけついできた水の味を。

5/12

世の中には、真実がある。大きな問題が巣くっているとしても、その真実の姿が表にでるにはとても力がいる。世論という、人の心にはいっていくには、より力がいる。途方もない力が必要だとしても、それをあきらめては何も世の中に進化はない。だから、僕たちは行動をするのだ。3年間、問題を指摘し活動を続けてきた広域水道の問題が、ようやくNHKの看板番組に登場した。30分の番組で伝えられることは、とても限られているが、よくまとめてくださったと思う。10年の歳月を経て、98年、保屋野初子氏が、著作「水道がつぶれかかっている」でまとめあげた広域水道の問題は、実際、鶴岡で典型的な悪例となって表に現れ、私もその理論と当時地下水調査にあたった柴崎先生らの調査などの科学的な立証を基にこの問題を指摘し続け、行動をおこなってきた。今回の番組のコメンテーターの宮脇氏はこの問題のオーソリティーではない。保屋野初子氏こそこの問題のキーパーソンであり、彼女へ、賞賛は送られるべきでありコメンテーターはいろいろあるにせよ保屋野さんであったと個人的に思った。

しかしながら、水道の蛇口の向こう側の問題点を初めて指摘した最初の全国版番組としては実に評価できる内容であり、身近ながら大きな問題を抱えた水道問題への国民的議論を望むものである。

ボクラは、あくまで真実をあきらかにし、ホンモノの議論をおこない、最前の策を提案、活動をするのみだ。

いまだに、「昔決まったことをいまさら」などと過去の事ばかりいう無責任者や、評論家は論外。相手にしている時間はムダだ。今、21世紀。未来のために何ができるか。何を今、行動をおこすか。問われているところに、人のうわさばなしや、評論をおこなっているヒマはないのだ。

改革は、まず、ひとりひとりの行動からはじまる。  

今、君は何をしている? 

今、動き出せ!

まずは、水道問題へ、たくさんの方の声を寄せていただきたい。

よろしくお願いします。


5/4(金)WWFで非常に興味深いプレスリリースをおこなった。ペットボトルの水よりも水道水の方が安全で、経済や環境面でも貢献する。という話。今朝の朝日新聞では以下のように指摘している。

ペットボトルは環境に有害 WWF、水道水を奨励

国際的な環境保護団体の世界自然保護基金(WWF)は3日、ペットボトルについての報告を発表した。欧州などでは、一般の水道水とペットボトルで売られている水の質は変わらず、環境面を考えて水道水を飲むよう奨励している。

 それによると、ペットボトルの売り上げは昨年世界全体で220億ドル(約2兆7000億円)で、毎年7%伸びている成長産業だ。とくに人気の高い西欧諸国では、1人あたりの消費量は年平均85リットル。しかし、消費者にとっては、水道水と比べ、1000倍のコスト高を強いられており、安全性に関しても、欧米諸国では水の質に基本的に差はなく、水道水の方が安全基準が厳しい国もあるとしている。

 ペットボトルの環境面での弊害については(1)毎年1500万トンのプラスチックが使われ、その製造や処分の過程で、有害な化学物質が放出されている(2)ペットボトルで使われる年間890億リットルの水の4分の1は原産国から輸出されているため、トラック輸送などで二酸化炭素を排出し、地球温暖化の面からも無視できない、としている。報告担当者のグッジャ氏は「スイスなど先進国では水道水とペットボトルの水の質はまったく変わらない。まずは水源をきれいに浄化することを考えるべきで、経済性と環境を考えたら、ペットボトルの水は極力飲むべきではない」と語る。(01:01)

で日本の場合はどうか。日本は利権がらみのダム事業と広域水道化が進められている。そして世界と逆行して急速濾過方式の水の浄化がおこなわれている。これは一部、薬品業者の経済対策と指摘している先生もいらっしゃる。

水道水に、発ガン物質が増えてはならない。これは当たりまえだ。この逆行をいって、福祉に貢献する行政ができるのか。鶴岡の逆行、日本の逆行を見逃してはいけない。

このリリースのオリジナルも見て欲しい。→WWFのページへ。「The real cost of bottled water 」

5/3(木)

憲法記念日だった。憲法ができて55年。毎週水曜日のミーティングで、ある一冊の本を紹介してくださった方がいらした。「童話屋」の「日本国憲法」と「あたらしい憲法のはなし」これはボクは必読だと思う。「なぜいのちや一個人というものが尊いのか。なぜ自由が大切であるのかを、深く考え、話し合ってほしい」とある。一家に一冊。これを読んでから議論すべし。憲法!

オーストラリアのグローバルグリーンズの世界大会は非常に刺激的であったし、今後の僕らのビジョンをかい間見た気がしている。今咀嚼している最中だ。社会正義、民主主義、そして未来の地球のための政策を掲げ、ひとりぼっちでも努力している。信念を曲げないアクティビストのスピリッツそのままの政治家たち。今回60名ほどの方々と名刺の交換なりかたことのおしゃべりをすることができたが、それぞれ刺激的だった。今日は、TR編集をおこなった。連休中は、WEBのリニューアルとこれらのまとめをおこなう。天気もいいけど、たまにはまとめないとね。

5/1(火)月山炎のまつり ミーティング

4/30 芭蕉トレック下見 赤川羽黒橋〜三川もぐり橋まで

鳥が多い。緑がきれい。川がボクラを川の時間につれていき、心が川面と同化する。パドルをもつと心が弾む。この体験。味わっていただきたい。5/5よりスタートの芭蕉トレック。WELCOME!

4/22 アースディ ビーチクリーンアップ 湯野浜 水芭蕉ウォーク 西茨湿原

4/21 アースディワークショップ 鶴岡ユースホステル 

4/20 アースディ準備

4/19 帰郷 議員定数削減のフォーラム 

4/18 シドニー 一日 ボタニカルガーデン NSWギャラリーなど。夜オーストラリア発

4/17 移動日 キャンプエンバシー 夜シドニーへ

4/13〜16 グローバルグリーンズ世界大会へ参加。キャンベラ オーストラリア

4/12オーストラリアへ出発。

4/9(月)

鶴岡市水道料金協議会。28%値上げを承認するカタチでまとめた協議会案が諮られた。そして2年後に17%値上げという平成10年の30%値上げとあわせてずいぶんな値上げだ。投資した事業の「受益者負担」というが、果たしてそれでいいのか。説明責任を全然わかっていないのではないか。「受益者負担」をわかっていないのではないか。とボクは思ってしまうのだった。モラルハザードしてない?


4/8(日)

天気がいい。午前中海へ。午後二中の入学式。母校、第二中学校の校舎は僕が巣立ったときとほぼ同じ状態だ。昨年ずいぶん議会でその改修などの必要性がでたが、なかなか進まない。今日の入学式を見ていて、ボクらのなつかしの卒業式の生徒代表のあいさつの中で「このボロ校舎いっぱいにひろがった学校祭の歌声は、、、」などといって先生方の苦笑を買ったのを思い出したが、あれから何年たつのだろう?


4/7(土)

愛用のパワーブックのメールが調子悪く、悪戦苦闘。今日は、近所で我が母校の5小の入学式。彼らが担っていく21世紀。彼らのまなざしを曇らせることなく、生き生きとした営みであること。そうした社会をつくっていかなければならない。さて、本日の朝日新聞。水道特集第1弾であった。勝手にWEBからもってきてしまたが、水道水がおいしいと思うのは30%をきってしまっている。水道水をそのままでは飲まない人も50%近くいる(朝日新聞調べ)ダム開発、急速濾過方式の水道水は、カルキ臭さカビ臭をとるためにオゾン殺菌など更に高度浄化方式とかいって、カネをかけて浄化する。それでもなかなか「おいしい」レベルにいかないのだ。一度死んだ水を活かすにはむずかしいのだ。微生物浄化の水は安価でおいしい。地下水や、緩速濾過方式の水はおいしいのだ。ヨーロッパや米国では常識である。再三にわたってこのことは議会でもしょっちゅう主張をしてきた。「ダムの水はうまい」などと世界の常識をくつがえす発言をする鶴岡市水道部や鶴岡市長や自民党、民主党、社民党系会派の議員諸氏は、もっと世界の常識を感じろといいたい。急速濾過方式の浄化システムはいまや、発ガン物質トリハロメタンなどが問題となり、米国、ヨーロッパでは見直しがされはじめている。命の源である水をめぐって、21世紀、紛争がおこりそうだという話も聞く。トルコではもう戦略物資になりつつある。「命の源である水という性格上、住民の共有物として公のものとし、できるだけ近くの水を使う」これは実に常識的な話だが、どうも日本ではダメなのだ。

でも地下水の公水論はもう一度議論を再燃すべきである。今年。


4/6

アースデイの概要が固まり、プレスリリースをおこなった。21日は三瀬のユースホステルで、庄内の自然エコマップづくりのワークショップ。そして22日はビーチクリーンアップ。当日は、東京のアースデイのトークやライブのInet ストリーミングをおこない会場内に映写したいと考えている。しかしながら、うまくいくのかちと不安でもある。この辺に詳しい方がいらしたら、ぜひサポートをお願いしたいと思う。

アースデイは、1970年にアメリカではじまった。デニスヘイズ氏が全米に呼びかけ、それに全米の学生たちが行動し、「歩行者天国」などを生み出した。今年は31年目、21世紀の最初のアースデイ。今、自分は地球の声に本当に応えているかをそれぞれ自問自答しながら、行動をおこす。21,22日のアースデイ庄内は、そうした視点にたって行動するきっかけにしていただければと考えています。

 ところで草島、急遽グローバルグリーンズに参加することに決定!世界中の緑の政策をおこなっているグリーンパーティが一同に集まる国際会議だ。オーストラリアのキャンベラで14〜16日まで開催される。以前からグリーンパーティの事は気になっていたのだが、今年、21世紀にはいってすぐに、世界中の「緑の政策」や課題や指針を共有化するためにおこなわれる会議であり、いろんな仲間からお呼びがかかっていたので非常に興味をもっていたし、議会日程も大丈夫そうなので踏み切って行ってみることにしたのである。

今、いろいろ資料などを調整中。会場の様子などについてはこの日記で報告を随時していこうと考えているし、帰国後、アースデイで一部報告。また、日を改めて報告会などを開こうと思う。


4/5

春の陽気に誘われて、大山公園、高舘山へ行く。14日からオープンすると聞いている公園の売店も最後の追い込みをおこなっていた。最高の天気。雪で白い鳥海山と月山に見守られながら、散策路を歩く。予想的中。カタクリが花を咲かせはじめた。ミスミソウ。オオミスミソウ。イワウチワなどが群をなして花をつけていた。光があたる斜面は一面花畑である。庄内の春は、こうしてやってくる。桜の花見の前にこうした可憐な野草の花見ができることを僕はすごく幸福に思う。雪に閉ざされた北国の冬の間、雪の下には、こうして春、美しい花をつけるためにじっとエネルギーをたくわえているその生命力を感じるとき、東北人のボクラはもっとがんばれる。と思うのだ。スプリングエフェメラル。春のはかない命ではある。しかし、赤紫のカタクリの花とその茎、花びらの曲線はやっぱりすごく惹きつけられるのだ。はかない命、今しか会えない命だからこそそれはいっそう輝くのかもしれない。今日見たカタクリは、ようやく目が覚めたような、羽がかわかないセミのようなのもあったし、すごく初々しい、新鮮な躍動感を感じる花が多かった。散策路で出会う人たちは非常に幸福な顔をしていた。ポカポカ陽気で花の香りと鳥の声の中で会える最高 の自然の芸術作品。今週末はサカリだ。一部写真を紹介しよう。駄作ですが。いい写真が見たかったら庄内の写真家の大御所、太田威さんの「カタクリ」平凡社の購入をおすすめする。貴重な生態についても触れている名著だ。散策したのはほんの1時間ぐらいだけれど、すごい癒しとパワー充電をもらった気がする。最後にはギフチョウも現れ、大満足であった。庄内にお住まいのみなさん。いや、そうでなくとも、大山のカタクリの花。いいですぞ。

4/4

事務所で雑務。午後8時から水曜ミーティング。水談義から、最後は農業問題まで話が及んで11時半までああだこうだと議論していた。今日の新聞は、「つくる会」の教科書が検定通過したニュースでもちきりだった。WEB版朝日では、それに反対する従軍慰安婦だったみなさんのデモの様子がみれた。日本という国はどこへ向かおうとしているのか。興味がある人も興味がない人もぜひこの問題を一度は考えてみてほしい。「教科書問題(朝日新聞http://www.asahi.com/special/newtext/index.html

中国、韓国両政府は「アジアのすべての被害国民への侮辱だ」などと強く日本政府を批判。今後の採択状況も含め、外交懸案としてくすぶりそうだ。 とある。政府自民党は何を考えているのか。政府の歴史認識は、「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」とする95年8月の村山首相談話と変わりはないと強調している。 ということだが、教科書は別などといっているところに、この政府の大矛盾をあらわにしている。ホンネとタテマエがあべこべで、「都合の悪いことは教えない。そして粛々と自分たちの目先の利益にむかってまっしぐら」的な姿勢。市民と乖離している意識そのままだと思うしかない。

政府にしろ、とんでもない教科書をつくろう、採択させようとしている輩の諸氏には国民をバカにするのもええかげんにしろ!といいたい。

●大江健三郎氏や小森陽一・東大教授、井上ひさし氏、金子勝・慶応大教授、佐藤学・東大教授、三木睦子・元首相夫人らは、「新しい歴史教科書をつくる会」主導で編集された教科書については、「歴史認識に(アジアへの)誠実な反省と謝罪の姿勢が見られない」と批判している。当然だと思う。

鶴岡市議会では昨年12月議会にこの「つくる会」関係からだされたものと推測される請願が、あっけなく採択された。産業文教委員会で、いろいろ議論になったが、議論の途中で自民党系議員の打ち切り動議がだされ、強行にも委員会採択。そのとき紹介議員は「今の教科書は自虐史観にもとづいている」といいながら、「つくる会からだされたものではない」といいきり、本会議も同様の賛成討論。自民党系、民主、公明が賛成!?してあえなく採択されたのだ。この流れは、全国の地方議会で広がっていると聞く。とても危険だと思うのだが、みなさんはどう思うだろう。平和宣言をしている鶴岡で、こんな事を平気で通していいのかと思ってしまう。

うちのハートビートセンターには、ウインドウのところに、平和の火「こころ」がある。昨年の5月に譲り受けた原爆の残り火を灯すランプである。もう二度と、20世紀の悪行の過ちを繰り返してはいけない。この火で焼かれた人の事を思うとそう思う。正義だとかなんとか言って美化しようとしたって、戦争の中のモラルの壊滅。狂った世界の中で迫害をうけたり、リンチにあったり、首を切られたり、肉欲のえじきになったり、銃弾で倒れたり、黒こげになって死んでいった罪のない人々を思うとき、そうした社会をどのように肯定するのだ。全てが狂って毎日恐怖におびえる社会をどのように肯定するのだ。火がここにある。僕の知らない歴史をしっている火がここに燃え続けている。この火を伝えようという輪は、今、全国、世界中に広がっている。地球上の平和を祈る「こころ」の火。ぜひ、見て感じていただきたい。そして、伝えて欲しい。最近学校でこの火をつかって平和の教育をしてくれたところがあった。ぜひどんどん使って欲しいと思う。

歴史教科書だが、ボクは皆さんに、「日本の歴史」00網野善彦 講談社をオススメする。実に合点がいく歴史本だ。


4/3

午前 議員定数問題を考える会の実行委員会。その後、HBCenterで雑務。 

説明責任と住民の声

今日の朝日新聞の山形版に、小国川ダムの特集第3弾。桑原先生のコメントに、「ダムは清流を台無しにすることは明かだから、住民に対して徹底的に説明責任を果たすべきとある。そして、となりには、高橋知事が、「脱ダム宣言」へのコメントとして小国川ダムについては、「住民の声を聞きながら対応」とある。この説明責任と住民の声を聞くということ。説明責任は当然。これが、今までの、特に山形県の公共事業ではないがしろにされてきた。庄内南部広域水道の説明責任は未だに全く果たされていない。これだけ住民の声があがってもだ。昭和55年にダム移行を決めたとき、保守系の連中や、当局は「議会にはかっています」とか「十分に民主的な手続きを踏んでいるとか」ばかなことを言っているが、全くそれはナンセンスだ。ほぼ住民不在。議会でも「こんな大切なことをたったの2週間かそこらで議決するのはどうか」とある。そして、それは2001年3月県議会とその前の市の協定でもそうだ。これを書いていると、本当に腹が立ってしょうがないのだが、住民投票条例の直接請求がおこって、1万2千もの市民の声が集まったにもかかわらず、問題を排除して、市長が議会にも全くはからずに、協定を結んでいるということだ。「この問題は、こう考えて、こう協定を結ぼうと思う」とナゼあらかじめ言えないのか。ナゼ議会にもはかれず、そして、協定を結んだ後の説明会もデタラメなことをしたのか。それで、「住民の受益者負担」などといって、水道料金負担を強いるというからお笑いだ。もう笑う。僕は。  

「説明責任」 これを全くわかっちゃいないのが、鶴岡市の当局の姿勢であり、山形県の姿勢である。予算執行の直前に「議員」にこそっと教えるだけで、議会でろくに議論もさせないで、保守系議員の多数の論理でOKにさせる。そんな構造の中で、どうして説明責任が果たせるのか。まず、受益者負担を強いる傾向のものだったら、決める前に市民全体にしっかりと知らせるべきだ。ここに、各種審議会があるけれど、水道の料金協議会だって、まさに形式的なものだ。行政に都合のいい市民をピックアップして、「市民の同意が得れた」などということにしてしまう。問題意識をもった市民がいたなら、その人こそ審議会にいれて、十分に議論をしつくすきっかけをつくったらいい。「まず、議論の紛糾を避けて、都合の悪い人は極力排除して、体裁だけで協議会や審議会がすすんでしまう。「すまし顔の協議会や審議会」からそろそろ抜け出さないといけない。

それから、「住民の声」に耳を傾けると良くいうが、例えば月山ダムの場合、既成同盟会に参加している市町村の長の声をもって「周辺自治体一丸となって要望」などといっている。住民とか市民の要望とかいっても、商工会議所や、町内会長の連合会とかで、本当の市民の一人一人の声なのかは甚だ疑問である。要するに、行政側に実に都合のいい「住民の声」なのだ。ボクラは、いい加減、真実の声に耳を傾けなくてはいけない。20年も30年もかかる大事業だったら、次をになう世代の声にも素直に耳を傾けなくてはならないのではないか。月山ダムが決まった時、ボクは中学生だった。「反対するなら、なぜあのときできなかったの」なんていう輩がいるけれど、ボクラ中学生には説明なんかなかった。そしてダムを疑う人もいなかった。でも子供ながらに、護岸工事やコンクリートのおかげで赤川に魚がいないのはわかっていたような気がする。

子供達の方が、既得権益にがんじがらめになっている大人たちよりも懸命な判断ができたりするかもしれない。とにかく「住民の声を聞いて判断」の「住民」とは誰なのかをしっかりと検証しないといけない。未来の公益は、実は今の自然環境をどれだけ残せるかにかかってる。開発による生態系の影響がこれだけ世界中で問題になっているのに日本はまだまだ気がつかない「ふり」をしている。感覚や感性が鈍い輩たちは、感性が鋭い写真家やナチュラリストを今まで「マニアックな人」として排除をしてきた。カネで動く族議員や、既得権益を死守することに今でもがんばっちゃている政治家や行政マンたちの感性は死んでいる。まさに自分がそのポストや椅子にいるときの目先の利益だけあればいいと考えているからだ。これは会えば大体顔でわかる。 そういう「顔」の輩たちは、経済をにぎっているほんの一部の「市民」と行政が、政治をおこなっていると勘違いしているのだ。でも、自分たちの給料や全ての予算は彼らが無視して説明をしようとも思わないほとんどの善良な市民が、非常に真面目に支払っている税金でまかなわれているということ忘れている。

「日々きづきの連続」と森のイスキアで暮らす、佐藤初女さんのことを思い出した。あの感性と優しさ、の中では、自然の中にいるだけで、そこで普通に暮らしをすることで、事足りるというのだ。

本来の感性をもった「普通の、美しい人」たちの声をいかす。「住民の声を聞く」とはそう言うことではないか。

自然保護運動家の感性と人格を認識、尊重しないで21世紀の行政や政治はない。

当時「既得権益論者」からキチガイあつかいされていた「沈黙の春」のレイチェルカーソンや、ダム反対のデビッドブラウアーと手をとりあって、未来への政策を英断して進めたJ.F.ケネディが21世紀、必要だ。


4/2

事務所で片づけとHP作成。など。をおこなう。

さて、今日のビッグなニュースは、HP suido110.orgにも掲載しているとおり、佐賀県の城原川ダムについて、佐賀市や同郡などの十三市町村でつくる一部事務組合がダムを拒否したというニュースです。要するに水需要が今の状況でも十分で、前に予測したようなことにはならないだろうということで、その決断をしたとのことでした。ついに、広域水道がらみの水道事業からの「脱ダム宣言」がおこなわれたということです。時代は流れていますなあ。急激に。

パドル読者から電話をいただいた。80才のおばあさんということだったが、元気な声で「わかりやすくて、良かったっけ。でも水道の事は心配だなやのう。やっぱりもったいねえのう」ということだった。ありがたい電話でした。ありがとうございます。「こんな書き方でいいのか」とか「もっとこうしろ」とか色々ご意見をお待ちしております。メールも少しずつですがいただいております。できるだけお返事しようと思っていますので、かいでのう!おぐってみでのう!  

それと、アースデイ。21日のワークショップは、庄内の地図をひろげて、21世紀残したい風景。自然環境など、を地図にどんどんおとしこんでいくワークショップをおこなおうと考えています。小学校から中学生、高校生から大人まで、いろんな視点でいろんな声をとにかく集めてみたいと思いますので、ぜひぜひご参加ください。また、当日は、東京のアースデイとリンクして、CWニコルさんらのメッセージが聞けるインターネットストリーミングライブもおこないたいと考えています。21日、午後3時開始です。ストリーミングライブは、午前10時ぐらいから行われる予定。追ってまた掲載します。現在アースデイちらし 作成中 明日にはお目見えするか!?

さて、さっき、6時のニュースで高橋県知事が、「脱ダム宣言」について、「必要なダムはつくる」とか、「山形の事情は長野とは違う」とかと言っていたようだが、どこが違うのか、しっかりはっきりと説明しろといいたい。小国川の清流は、上流にダムをつくれば台無しになる。赤湯の温泉も魅力だが、あの清流こそあの地域の魅力なのだ。どうせ土建屋の利権ごやしからぬけれないだけなのだ。ダムの弊害がこれだけでているのに、まだわからぬか。もう山形にはダムはいらない。いい加減に目を覚ませ! ダム開発の広域水道事業により、水道料金が全国一高い県、ぶな林に支えられた多くの清流があったにもかかわらずダムと砂防ダムにより、そのほとんどを消失した県。目先のカネもうけでポークバレルのようにダムに群がる利権構造で、どれだけ子供達の原風景を台無しにしてきたか。ほんとうに、いいかげんにしてもらいたい。これ以上、ヘドロの川を増やすのか。もう一度言う。もう山形に、ダムはいらない!

なお、今日からエルバ君が復活。事務所前に停めてあります。さてなんでしょう。


4/1

四月バカである。いい天気である。カヌー日和である。川が呼んでいたけれど、またにして、アースデイの打ち合わせにユースに行く。ユースホステル。1周年。k君よ、よくがんばった。森の人講座も非常にいい企画が目白押しだし、あとはもうちょっと人がはいれば、、か。

そういえばユースの近くのフレジェールという老舗レストランが、今日から再開したと聞いて行ってみた。ランチ750円から と、前よりお手軽に行けるところになっていたので若いカップル諸君も行ってみたらどうだろう。2500円ぐらいのコースではここお得意の「ガサエビのスープ」が堪能できるぞ。これはウマイのだ。たまにフンパツして食べるには実にいいかもと思う。夕方は夕陽も見れて実にいいシチュエーションだし、みんなで応援したいものだ。

途中、訪れた花屋さんに「HPみてます、、でも、もっと身近に「んだなやのう」と言う感じはいかがとアドバイスをいただいた。うむ。そうかも。いや、んだなやのう。たまにそんじゃじもどのこどばでやってみます。みずなんとがしねばのう。こどもがださ、わりはげのう。〜〜〜〜なんか市議会日記じゃないな。これは。まいいか。


3/31

ひさしぶりに、朝4時まで朝まで生テレビを見ていた。若手の代議士のみなさんには、少なからず志はあると見た。しかし、その力が発揮できない政党の縛りの中で、四苦八苦しているといった感じ。今井一さんの、率直な声がもっとも響いていたし、金子慶応大学教授のいいぶんももっともだと思った。心がかよわなくなった政治の世界にどうやって心がかようようにするか。保守でも革新でもなくて、何か、市民の意識や地球の進化に沿った流れのグループ、パーティが必要なのではないか。とにかく利権構造のしがらみを早く断ち切ることだ。自民党代議士は若手でもその辺のところの配慮で歯にものがはさまったようなことしかいえないじゃないか。

「すじ」を通すこと と今井さんは言った。これは、税金でまかなわれている全ての公共事業が、税金を払っている市民の望むものにしっかりとなっているのか。公益に貢献しているのか。今、そうじゃないとんでもないことをおこなっているのではないかということ。

パドルにも書いたが、もう、地方分権の時代。地方自治体でモデルをつくっていくことだ。と強く思っている。ちと今回のパドルはバトル調だったが、みなさんはどうお読みになっているだろう。他の自治体は、議会で、数百時間もかけて条例を作成したり、ひとつの案件に数十時間かけて徹夜で審議したりしているところもある。もう、形式やうわっつらの議論でいい時代はとっくに過ぎた。保守でも革新でもイデオロギーでもない。いい町をつくるためにコミットし、徹底的に議論をし尽くしながら未来をつくっていく。そうした姿勢が大事なのではないか。もっとボクラは悩まなくては。もっとボクラは考えなくては。もっとボクラはトライしてみなくては。


3/30

昨日まで、地球の声通信VOL4の編集と原稿作成に徹夜続きでようやくできた。この通信発行には、約三万部をタウン誌に折り込むと、約20万円ほどかかる。21世紀初の通信。気合いをいれたはずだが、誤字脱字が目立つので、おはずかしい。でも意図するところはおわかりいただきたい。先ず、広域水道110番のアドレスはwww.suido110.orgのまちがい。それと、Think globally Act locally(地球規模で考え、身近なところで行動する)のlがぬけています。あとは、また、気がついたら指摘します。お恥ずかしい。鶴岡地域の方には、4/1付けの鶴岡タイムスに折り込んでいます。

さて、本日、赤川流域会議 第1回をおこないました。朝日村、櫛引町、立川町からも参加していただいて、赤川にまつわるくったくのない意見交換。あっという間の3時間半。昔の赤川がいかに良かったかがわかりました。内容の詳細を知りたい方はメールください。

さて、お知らせであります。4月22日は、アースデイ。4月21日は、つるおかユースホステルを会場に、午後三時よりアースデイワークショップ「21世紀に残したい鶴岡の自然」をおこないます。4月22日は、毎年恒例のビーチクリーンアップを湯野浜海水浴場 ホテル海山付近から七窪にむけて、おこないます。


3月19日

なるほどと思わせる朝日の社説である。鶴岡もこうありたいものだ。と思う。

■〈世紀を築く:45〉公共事業の転換
 住民の参加で選択する 

 横浜市青葉区は、市の北端に位置する丘陵を切り開いた新興住宅地だ。こんもりとした森があちこちに残り、農道と生活道路が入り組んでいる。

 区の北側を東西に走る骨格道路を「住民参加」で整備しようという話が持ち上がったのは、1992年のことだった。全長7キロのうち、道路ができていない3区間、計4キロについて、住民との対話を通じてルートや道路の幅などを決めようという構想である。

 ●「つくらない」も候補に

 「道路は環境破壊につながる」「いちいち意見など聴いていては、らちがあかない」

 住民の意見は分かれた。遅々として進まなかったプロジェクトに弾みがついたのは96年、公募で選ばれた市民と市当局、それに区内に住む専門家の合わせて24人による「住民参加の道路づくり委員会」ができてからだ。1年半で19回に及んだ会合では、環境影響調査を踏まえ、複数の計画案ができあがった。

 その中に「つくらない」という選択肢が加えられたことが、多様な考えの住民を巻き込むことにつながった。計画案は学識経験者ら11人による研究会に引き継がれた。当時の住民アンケートでは、建設反対がなお3割近くあったが、住民参加の方式には8割以上が賛同した。手間をかけた成果はそれなりにあったといってよい。

 横浜市は、「道路をつくる」という研究会の最終報告をもとに、99年末に建設方針を発表した。

 青葉区に住む原科幸彦・東京工業大学教授は、専門家として委員に選ばれ、さらに研究会のメンバーにもなった。環境アセスメントの研究者として知られ、公共計画への住民参加に強い関心があったからだ。

 「推進派に不利なデータも含め、情報公開に徹した。住民の疑問に市側が答えるなど双方向の対話を追求したのがよかった。この経験を、どこでも使える制度に鍛え上げたい」。原科さんは、7年間の経験と課題をそう総括する。

 いま日本各地で、公共事業への住民参加が一種の流行現象のようになっている。

 建設省(現国土交通省)は2年前、「コミュニケーション型国土行政」を掲げた。計画段階から一緒に考えていきましょう、というわけだ。地方自治体も、「対話」や「住民との協働」を口々に唱え始めた。

 諌早湾の干拓、吉野川可動堰(ぜき)、神戸空港……。ここ数年、公共事業に対する反対運動が噴出した。地元の合意形成をおろそかにすると事業が進められず、コストもかさむ。

 そんな危機感が背景にあってのかけ声だった。しかし、実際にどんな形で住民が参加するか、となると手探り状態だ。形ばかりのことでお茶を濁したのでは、かえって公共事業に対する不信感を募らせるだろう。

 ●情報公開と対話がかぎ

 海外の試みも参考にしたらいいと思う。

 環境の保護などを掲げた住民の反対で、交通計画や都市計画がストップする事態に見舞われた欧米では、90年代に入って合意形成のための制度づくりに精を出している。

 フランスの場合、事業の段階ごとに住民が参加する委員会がつくられ、完成後も追跡調査が行われる。

 英国では、インスペクター(審問官)が公聴会を主催し、民意を聴く。ともに中立的な第三者を通じて、住民の声を行政の意思決定に反映させていく仕組みだ。

 米国は、パブリック・インボルブメント(PI)と呼ばれる、住民の意見を反映した計画づくりの制度を磨いてきた。

 州によって手法は異なるものの、ダイレクトメールや住民が集まる場所に出かけての説明など、計画の早い段階からの情報公開と、繰り返して行う双方向のコミュニケーション、という2つは共通している。

 「交通インフラなどの長期計画を、PIで住民の意見を取り入れながら二、三年ごとに見直す。米国はそんなルールを取り入れている。費用の情報も公開される。足りなければ増税案を住民投票にかけることもある」

 屋井鉄雄・東京工業大学教授(土木工学)はこう語る。

 公共事業が長らく「お上」の仕事だった日本では、その情報を国民が共有しているとはとてもいえない。財政危機のいまこそ、本当に必要な社会資本を住民が取捨選択できるような「開かれた制度」をつくるときである。4月から施行される情報公開法は、そのための大きなステップになるだろう。

 住民参加は、「お上」任せを脱し、納税者としての当事者意識を育てる「学校」でもある。時間と費用がかかっても、それは民主主義のコストと考えたい。

      ◇            ◇

 フランスでは1992年に高速道路や鉄道など広域にわたる交通インフラ整備について、透明で民主的な討論を確保しようという制度がつくられた。計画決定前の「住民参加」はそれまで「民意調査」が唯一の機会だったが、予備調査以前の段階にまで広げた。各段階で討論と協議の結果を論述書などで明示し、着工後の追跡調査も加えられた。

2001年2月18日。

1月の鶴岡市水道の断水事件の調査活動に1ヶ月の大半を費やす。閉口したのは、まず産業部で工業団地の井戸のデータを公開を拒まれたこと。また、国土交通省 酒田工事事務所でも、インターネットでも公開をしているのに赤川の水位データについて、即公開することを拒まれたこと。(しかし、ある国会議員を通じ、本所に連絡をしてもらうと1時間以内にファックスでデータがでた。)道路 の融雪状況を調査しに市へいけば課長は何かしら「台帳をだしたくない」ような仕草をしたし、山形県の庄内支庁の道路の担当は「情報公開」の手続きをとらないと「台帳を出せない」と主張、これは国会議員だろうが、県会議員だろうが一緒だときっぱりと言い張った。しかし、総務課の情報公開担当は「こんなの議員の調査権の範疇で担当部署の判断でやることです」ときっぱり。結局資料はもらえたけれど、全くどうなってるんだろう。と思うしかなかった。ソファにふんぞり返って、「情報公開」を促した担当課長?には、全く公務員のモラルさえ感じられなかった。シビルサーバントでは決してないのだ。市民や県民の税金で仕事をさせていただいている。そんな意識は彼らには毛頭感じられない。やれやれ。

都合の悪い事は市民にももちろん、調査権のある議員にも教えない。そんな旧態然とした行政の姿勢が実に明らかに示された。

そうこうしているうちに、県知事選終了と同時に土木部の談合疑惑事件発覚である。サスガである。

さて、

鶴岡の1月の断水事件。給水制限になる前に、マイナス13度を記録した14日(日曜日だった)、水道部にいくと女性の職員が一人でひっきりなしに凍結だとか破裂だとかでかかる電話対応に追われていた。広報活動は何もしてなかった。

次の日の月曜日の午前10時、部長に「広報して凍結栓を使うようにしたらどうか」と電話で話しをしたが、「11月の広報でやっているからいい」という応えがかかってきた。

そしてそのまた次の日の火曜日、今度は水道部に乗り込んで、凍結栓を使うように広報活動しないのかとまたもアドバイスしたつもりだが、、。今は水洗便所が普及していて、不凍栓を使う人は少ないんですよねーと何か危機感を全く感じない姿勢をみせていた。そして次の日には、給水制限になる羽目になるわけだ。そして連続6日間の夜間断水。

結局、異常低温注意報がでていたにもかかわらず、無策だった広報体制にはまず問題があったことは、いうまでもない。

ま、断水事件 については今回はこれぐらいにしておこう。

さて、いよいよ広域水道の給水費用が発表された。しかしながら、105円22銭という値。150円台とかいわれていたのに、何をどうしてこの値段になり、これによる影響は今後どうなっていくのか。

単純に「県が努力した」などとは思ってはいけないのだ。「行政施策として失敗しているにもかかわらず、相も変わらずその負担金を市民の水道料金に全部かぶせて払わせる」という姿勢は全く変わっていない。つまり、県企業局はリスクをもたず、100%末端入水市町村に転嫁する、異常なシステムなのだ。 

だから、たとえ、今回10年の費用をおさえたところで、今後の負担はより増える可能性は大きくなるとも考えられる。たとえば自動車のローンを組むとき、毎度の金額をおさえたら、ローン期間も長くなるし、金利も増えてしまう。それにこの10年ごとに料金を確定させる広域水道給水単価は、次の10年、いくらにだってできるわけだ。

切り替えのショックをやわらげるためと、全国一高い水道料金を払拭させるためだけに最初の10年の償還費用を抑えていることも往々にして考えられる。

支払う金額は一緒ですよ。利子は違いますけどね。 みなさんご注意を。

それと、この4日間、神奈川県の座間、秦野、藤沢、大和の4市町村を尋ね、行政視察をおこないました。「首長がいいところは職員も実にフランクでいいなあ」とまず感じました。なにか情報を隠す仕草をするどこかの職員や部長たちとは対局でした。

このことは、先日来鶴した秋田県鷹巣町の町長さんも、宮城県の浅野知事も指摘してました。


2001.1.19 とりあげたいことがある。

■時時刻刻 「1・17」首相不在 もう神戸忘れたの
2001年1月18日 朝刊
 
 阪神大震災から6年。新世紀の「1・17」は、さらなる風化とのたたかいの出発点となった。首相として初めて追悼式典を欠席した森喜朗首相は東京で、欠席理由の説明に腐心した。代理出席した伊吹文明・防災担当相は被災地感情への気配りを見せたが、被災地には落胆が広がった。復興住宅では「孤独死」が後を絶たず、この日も独り暮らしのお年寄りたちが支援員らの訪問を待ちわびた。次第に薄まる政府の関心とは裏腹に、被災地の本格復興はまだほど遠い。

手芸を習うお年寄りたち=17日、神戸市東灘区で ■追悼会場で

 来賓全員がパイプいすに座った後も、伊吹防災担当相は数秒間、立ったまま黙とうを続けた。17日、神戸市中央区で開かれた「震災6周年 追悼のつどい」。会場の最前列ほぼ中央にいた伊吹担当相が、この日の政府の代表だった。

 「今後とも森内閣総理大臣をはじめ内閣をあげて……」「森内閣総理大臣に代わり……」。担当相の式辞には森首相の名前が2度登場した。草稿にはなかったが、直前になって急きょ付け加えられた。

 こうした気配りは、首相不在に対する被災地感情を意識したものだった。担当相は笹山幸俊・神戸市長と握手を交わし、貝原俊民・兵庫県知事には、アフリカ歴訪などで首相が来られなかったと事情を説明した。記者の質問にも、「総理も来たいという気持ちはあった」と強調した。

 だが、主催者側には首相不在に落胆の色が見て取れた。「残念だが、やむをえない」(貝原知事)、「本人が来てくれるのが一番だが……」(笹山市長)。担当相の配慮にも、兵庫県のある幹部は「被災者の批判をかわしたかったのだろう」と冷ややかだった。

 会場の後ろで参列していた神戸市長田区の笹山幸一さん(67)は「被災者に後ろめたい気持ちがあるんかいな?」とつぶやいた。

 ■弁明に躍起

 記者団からの質問にもめったに歩調を緩めない森首相が足を止めた。首相官邸で17日朝、この日最初となった首相番記者とのやりとりの時だった。

 「防災危機管理担当相を作ったことも、神戸の災害を考えながら採り入れた。伊吹大臣に行ってもらった方がいいということです」

 記者団が震災犠牲者へのメッセージを求めたのに対し、わざわざ「追悼のつどい」に出向かなかった理由を説明してみせた。首相欠席の理由について、福田康夫官房長官は同日の記者会見で「(アフリカへの)出張から帰ってきて、公務がたまっている」と述べた。

 だが、「追悼式の日程は外遊前に決まっていたが」と突っ込まれると、福田長官は「(神戸に行けば)一日仕事になる。防災担当相が行ったわけで政府として無視したり、軽視したりしているわけではない」と弁明に躍起になった。

 実は約2カ月前、森首相に「追悼のつどい」への出席要請があった時、政府側は「昨年に(政府の)復興対策本部も解散したし、区切りをつける」(高官)との判断から断った。しかし、欠席を批判する報道が出ると、首相は一転して出席に意欲を示し、最終的に欠席を決めたのは前日の16日だった。

 「追悼のつどい」で献花が続いていたころ、森首相は環境省主催のミーティングに出席。批判を気にしたのか、司会者が「総理の提案で」と前置きして、約700人の出席者に黙とうを求めた。

 ■復興住宅で

 被災者ら約3500人が入居する神戸市灘区の復興住宅「HAT神戸灘の浜」。仮設住宅から移ってきたお年寄りたちが身を寄せるこの団地で、昨年だけで少なくとも7人が「孤独死」した。この日も、神戸市の高齢世帯支援員ら9人が安否の確認に歩き回った。

 支援員の押部重光さん(23)は、2階にある楠目綾子さん(70)宅を訪ねた。楠目さんは昨年11月、自宅前の階段で倒れた。「元気になったみたいですね」と声をかけると、楠目さんは「あんたらだけが頼りや。不安を抱えて生きていても周りは高齢者ばかり。助けを求めることもできへんから」と感謝した。

 押部さんは2年ほど前、孤独死の現場に遭遇したことがある。近所からの連絡で隣のベランダから部屋に入ると、女性がベッドで鼻血を出して死んでいた。「僕らがいくら一生懸命動き回っても、孤独死は防ぎきれない。森首相には神戸に足を運んでもらい、復興住宅の現状を見てもらいたかった」と言う。

 住人同士の交流を深めて孤独死を防ごうと、団地内では「わいわいクラブ」が開かれている。この日、顔を出した坂本芳子さん(82)はクラブに来る前、テレビでつどいを見ながら黙とうをささげた。「今回は七回忌やのに、森さんはもう神戸のこと、忘れてしまったんやろか」と話した。

数字で見る震災復興
●被災地人口

358万9126人
(1995年1月1日) 357万3174人
(2000年12月1日)
●有効求人倍率《》は全国平均

0.50《0.64》
(95年度) 0.46《0.64》
(2000年10月)
●新設住宅着工戸数(年間)

9万9300戸
(95年) 5万3700戸
(99年)
●大型小売店舗販売額(年間)

1兆763億円
(95年) 1兆1740億円
(99年)
●公共工事請負金額

1兆9575億円
(95年度) 8661億円
(99年度)
●企業倒産件数(年間)

478件
(95年) 632件
(99年)
●金融機関貸出金残高

17兆7804億円
(94年12月) 18兆5220億円
(99年12月)
●鉱工業生産指数

100 
(95年) 107.5
(99年)
●ケミカルシューズ生産額

659億8700万円 
(94年)  522億円
(2000年)
●神戸港取り扱い貨物量

1億4092万トン
(94年1−10月)  7048万トン
(2000年1−10月)
●神戸港輸出入総額(年間)

4兆3397億円 
(95年) 6兆9152億円
(99年)
●被災地観光客数

7256万1000人
(93年度) 7719万6000人
(99年度)
●兵庫県内の総生産

19兆9934億円
(93年度) 20兆4939億円
(98年度)
※兵庫県や神戸市などがまとめたデータをもとにした。
被災地は神戸市など兵庫県内10市10町。


■「ポーズだけ」と黙とう中止 田中・長野県知事
2001年1月18日 朝刊
 
 阪神大震災後、現地でボランティア活動を行っていた長野県の田中康夫知事は17日、震災の翌年から長野県庁内で続いていた正午の黙とうを中止した。これまでは、庁内放送で呼びかけ、千数百人の県庁職員が各職場で黙とうしていた。

 中止の理由について田中知事は同日午後の定例記者会見で「1月17日だけ黙とうを行うことで、災害の防止に対して真しであるように見せるのは、ポーズ以外の何ものでもない」と説明した。

 田中知事はまた、「天災は100パーセントは防げない。いかに被害を最小限にくい止め、いかに精神的な意味での再生を行うかが大切。お金をさほどかけずに出来ることもあるのに、行政のリーダーは大震災から、そうした姿勢を学び取っていないのではないか」と国や神戸市の震災後の対応を批判した。

 また、神戸市が同日から60億円を費やして始めた「神戸21世紀・復興記念事業」についても、「空虚なセレモニーをやるような街に未来はないと思う」と批判した。

●首相である森という人間については、神戸の今回の追悼式典欠席だけではなく、災害の時の愚鈍な態度を覚えている。「日本海の重油災害の時、彼は、自民党の幹部たちと石川県にやってきて、「カニ喰いパフォーマンス」をやってのけたのである。風評被害対策などと言って。そのとき、民主党の管さんや、社民党の土井さんなんかが、実際にボランティアの現場を訪れ、ちょっとだけでも手伝おうとしてくれたこととは全く相反することをしたのは、この自民党の人たちだった。テレビでその様子が全国中継されていたが、「まったく現場がよくわからない人たち」なのであった。

現場がわからなくて、NPOがわかるか!いいかげんにしろ!

●田中知事の言い分はよくわかる。黙祷するなら、5時46分にやれよと言いたい。自分の家で個人が市民の一人としてやればいいではないか。まさに形式化して「やったふり」をする行政マンたちの形骸化した態度にたいして一石を投じたのではないだろうか。また、復興事業についても、うなずける点もある。「神戸を未来にいかすには」いったい何が必要なのか。復興事業について、多くは知らないが、ボランティアに感謝の手紙を出したり、にぎやかしをするよりだったら、今活動をしているNPOの支援をまず心がけるべきではないか。神戸元気村も6年、神戸のボランティアの最前線で今も活動をしている。しかし、時がたつにつれ、寄付金はあつまらなくなっているのだ。神戸から、新しい文化をつくろうと、元気村だけでも1万人。そして全体を考えたらものすごい数を越えるボランティアが参加して築き上げてきたNPOの文化をしっかりと根付ける事業をしてはどうか。

神戸空港の問題にしても、株式会社、神戸は全く震災を学んでいないのではないか。

市民あっての神戸。何が必要で、何が不必要なのか。そして力を注がなければいけないのは何か。きちんと学んで実行する必要があるのではないだろうか。

心をもて、あの時、何がこのまちを支えたのか。どうやって、ここまで復興してきたのか。いままでの過去のまんまであったら、また地震は神戸にくるに違いない。


1/15

2001年1月15日の朝日新聞の社説。今、日本もこういう時代なのだ。ということ。


治水行政――発想の転換が必要だ
 治水行政はこの100年、洪水を早く海に流すのを基本に、川を真っすぐにして堤
防を強化し、上流にダムを造ることにこだわってきた。水はけがよくなった半面、環
境は傷つき、川は人工の水路と化した。

 それでいてなお、水害は防げていない。流域開発が進んで、雨水をとどめておく場
所が失われ、洪水の規模はさらに大きくなっている。昨年9月の東海豪雨がそうだ。

 洪水をひたすら川に押し込めようとしてきた近代治水の限界を物語る。そろそろ発
想を変えるべきではないか。

 「川があふれることを前提に、流域全体で治水を進めるべきだ」。国土交通省誕生
前の建設相の諮問機関、河川審議会は昨年末、そんな趣旨の答申を出した。洪水と共
存してきた伝統的な治水に学べというのだ。

 ダムや堤防への過度の依存から脱し、治水の転換を促す提言として評価したい。

 答申は、田畑などに水をあふれさせる役割を持った「霞堤(かすみてい)」や、水
の勢いを和らげるための水害防備林を川沿いに設ける、といった手法の復活を求めて
いる。小さな集落は宅地をかさ上げしたり、人々が住むところだけを囲う「輪中堤」
を築いたりする対策もあげている。

 輪中堤は、1976年の長良川決壊で効果が実証されている。昔からの輪中堤を残
してきた集落は水害を免れた。

 政府の新年度予算案でも、三重県紀宝町などで輪中堤や宅地のかさ上げを進める費
用が盛られている。住宅移転が少なく、事業が早く進む。田畑が水につかっても、人
命第一の治水目的にはかなう。問題は、そうした政策がまだほんの一部にすぎないこ
とである。もっと全国に広げなければならない。

 米国は93年のミシシッピ川の洪水後、欧州は95年の水害後、いずれも近代治水
に疑問を深め、川があふれ出すことを認めて自然に逆らわない治水へと、かじを切っ
た。日本の伝統治水に通じる方法である。

 日本では、低地の沖積平野に多くの人々が住むという国情の違いがあるにせよ、各
地でなお従来型の治水事業が進んでいる。熊本県の川辺川ダムや岐阜県の徳山ダムな
ど、自然を壊し、根強い反対を受けている事業もある。この際、治水計画全体を洗い
直すべきである。それが答申にこたえる道だろう。

 むろん、都市部では川をあふれさせるわけにはいかない。だが、あふれる原因の一
つは街をコンクリートで覆い、雨水を下水道で大量に川へ流してきたことだ。雨水を
地下に浸透させ、緑地などに水をためる遊水機能を強化して、川の負担を減らす必要
がある。

 治水は森林保全を含め、流域全体で担うことが大切だ。これまでは近代技術を過信
し、ダムや堤防など、川に比重を置き過ぎた。

 京都の桂(かつら)川沿いを歩くと、竹や樹木がうっそうと茂る光景に出合う。桂
離宮を囲む水害防備林である。離宮内の書院は高床式で、水に浸らないようになって
いる。名勝はこうして守られてきた。

 先人の営みを生かす知恵を絞り、これから100年の新しい治水を実現したい。

======================================

世の中は10年前から確実に進化している。時代遅れなのは、誰だ?フン。

さて、気になる田中県知事は、どうしているか、と思えば、実にこれとつながる行動にでてらっしゃる。サスガである。

共同通信ニュース速報 01/01/13
 【ウィーン12日共同】私費による欧州視察旅行中の長野県の田中康夫知事は
十二日、オーストリアを訪問し、約十五年前に住民運動が巻き起こりダム建設が
中止されたウィーン近郊のドナウ川流域を視察した。
 訪れたのは現在は国立公園になっているウィーン東約二十キロのハスラウ。
「ダムだらけのドナウ川で唯一の無傷の一帯です」。案内した環境問題の専門家
アレクサンダー・チンケ氏の言葉に、県営ダム工事の一時中止を表明するなど公
共事業の見直しを進めている知事は大きくうなずいた。
 氷点下一度という寒さの中で、凍える手でメモを取る知事は「ここでは単にダ
ム建設に反対するだけでなく、市民が参加した形でよりよい選択肢を探った。治
水事業ではあるが一つの町づくりだったと言える」と感想を述べた。
 オーストリア政府が三回にわたり諮問委員会を設置したが、勧告は三回とも
「ダムは非経済的」との結論だったとの説明に、知事は「日本のように御用学者
が委員を務めるのではないのか」と驚いた様子。
 チンケ氏が「ふつう政治家は現場に来ない。あなたは珍しい」と話すと、知事
は「現場のにおいをかぎたいのです」と答えた。(了)
[2001-01-13-08:07]

「ふつうの政治家」を超えた人が出現している。僕もがんばろうっと。

しかし、最近でた「自民会館だより」にはおそれいったなあ。「だだっ子インターネット」とは!やれやれ。である。明日にでもこの「だより」を特集しようと思う。