草島進一市議日記1999,12~2000.1/26
1/26(水)「住民投票に行きましょう!」吉野川のアクションにでかけて、2日間、現地のみんなと一緒に徳島市民の皆さんにむけて呼びかけた。とても層の厚い運動。住民投票の会の姫野さんの力量をしこたま感じて帰ってきた。現地にはしかし、いろんな人がいたなあ。沖縄から知花さんもいたし、木頭村の村議や町長関係者、長良川ではおなじみのリバーアクティビスト、それに現地のスタッフは粒ぞろいだった。情報紙の編集人、デザイナー、プログラマー、いろいろプロ集団といった人も見受けられ、実にアイデアいっぱい、市民パワーいっぱいの活動が繰り広げられていた。中には、飛行機の広告屋が、飛行機から投票を呼びかけるなんていう参画もあり、実に自由な市民の盛り上がりがあの「奇跡」を生んだのだと考えずにはいられない。

しかし、50%に満たないと投票無効で用紙は焼いて捨てられるとは、なんたる条例。これはほとんど「こうもり党」の仕業らしい。こんないじわるをはねのけて、やはり正義の市民は勝つのだということ。徳島の人たちは僕らに教えてくれた。26日から、朝、ひさしぶりに街角にたって、吉野川のプラカードの下に「署名運動展開中」を張り、街頭宣伝をやった。吉野川の徳島の市民のうねり、鶴岡でもできる!

1/25(火)24日の午後からということで呼び出しをうけていた「成人式あいさつ問題」。議会内、また当局内で非常に問題になっている。と議長、副議長より報告を受け謝罪を求められた。「式典の招待者」としてあるまじき行為。とのこと。私としては、ただ、騒がしくしたわけでも、ウケをねらおうとしたわけでもなく、「一瞬の精一杯の私なりのあいさつ」としておこなった行為だったが、今、思えば、非常に大人げなかったかなあとも思われる。関係者の皆さん、大変ご迷惑をおかけしました。どうも申し訳ございません。その後、教育次長にも謝罪に行く。大変どうも、失礼いたしました。今後はこのような事のないよう、気をつけます。

1/24(月)午後3時 産業文教委員会・鶴岡商工会議所との懇談会。13年から鶴岡、酒田につくられる大学、研究センターと地域活性化が主テーマ。今の学生は、大学の名前より、そこで行われる研究に惹かれてそこを選ぶ者も多いのではないか。特に環境や公益といったカテゴリーとしては。開かれた公益学の大学。NPO関係者が飛びつくような先生の顔があり、早くその顔が見えること。これが学生を引きつけるのだと私は思っている。また、「公益」がなぜ、産業やまちの発展に結びつくか。今、ここの議論が全然今なされていないのが問題だ。NPOの存在価値ともいうべきこの部分についてのフォーラム、ワークショップ、講演会、広聴会、そうしたことでこの部分の議論を町中に広めていくこと。これが「公益学」をはじめる大学、大学院、研究センターをうけいれるまちの土壌つくりになるのではないかと思っている。ここの議論が薄いから、市民のほとんどが、この「公益学」を理解していない。「レスターサラモン博士」をプレ・セッションとしてよびましょう!などと思わず言ってしまった。その後、KJ法の川喜田二郎先生を囲んで「月山移動大学」の同窓会。元気なお顔の先生に再会できて、非常にうれしかった。「真心」「風土」、忘れません。

1/19(水)世田谷、羽根木プレイパーク取材。仕掛け人の澤畑さんに会う。1/20(木)東京 地下水調査の件で柴崎先生にお会いする。 1/21(金)東京 夕方、Long walk for BIgmountain のみんなと一瞬合流。7時、吉野川の件で青山 BeGood Cafeにて東京の人へ語りかける。 夜、水源連のみなさん合流。水源連のKさん、山と渓谷の三島さんらと車で徳島へ。1/22日(土)、23日(日)徳島で住民投票の会のお手伝い。夜移動。24日、鶴岡に戻りました。ふう。

1/18 (火)東京へ移動。

1/16、17 神戸。復興住宅の建ち並ぶ真新しい街、HAT神戸。仮設にくらべれば建物は実に立派になった。でも、中に暮らしている人は、同じ5年前にとてつもない地震で、家や財産、ときには家族のいのちを失った人たちだ。それは変わらない。今回の「いのちのまつり」は、ここにいる人たちがもう一度いのちをこの新しい町並みで燃やすことができるよう、思いのこもったまつりだ。九州、四国、東京、いろんなところから集まってきたミュージシャン、大道芸人。炊き出しの食材を協賛してくれた数十の企業。80名のボランティアスタッフ。みんなで祈りを行動に移す一日だった。僕も庄内名物の「寒だら」を一本もって参上した。当時の元気村を一緒にたちあげた一人で、四万十川でカヌーガイドをしているとーると再会。lあいかわらずの包丁さばきに「たら」をまかせる。それから、当時、公園の畳7畳のステージでやっていたと同じように司会と呼び込みをやった。午前10時、神戸の青年神主さんたちの奉納の舞や演奏ではじまったステージにはなつかしの面々がほぼ当時と同じ様な気持ちで集まって演奏してくれた。神戸の老舗名物バンド、春町ファミリーバンド、おおまきちまきさん、源の助さん、生活サーカス、アゲイン、、、。会場には他にもピエロや、大道芸人も多数、50を越えるフリーマーケット、元気村スタッフ曰く、「いつもは誰も歩いていない、静かすぎて怖いぐらいの街並」が一時はおおよそ2千人ぐらいの人であふれた。ひさしぶりの元気村パワーが炸裂。なんでもありの心豊かな笑顔に会えた。その夜は、ろうそくの灯火をみんなでともしてハンドベルとシンセのヒーリングライブ。震災直後から被災地で活動し、最近は台湾にも行って演奏してきたという関西外語大のハンドベルで奏でられる澄み切った音色をじっと目をつむって聞く神戸の人。5年の歳月。ほんとにお一人お一人、いろんなご苦労をしてここまで生きている。5年たったといってもまだまだ5年。僕の中にも5年前のあのがれきの街の記憶は全然鮮明だ。区切りをつけてはいけない。つながりを絶ってはいけない。

17日。サウナで仮眠して午前4時。市役所の南、東遊園に向かう。山形の安藤竜二さんらが一生懸命取り組んでいる「ろうそくの灯」のイベントに僕は初めて参加した。向かっている途中、天空オーケストラの岡野さんから、自分も向かっているとの電話。公園で合流する。犠牲者と同じ数の水がはいった竹筒。それにリサイクルでつくられたロウソクを浮かべ火をともす。なにか、人の命を象徴しているようで、火をともす作業はとても心しづまる思いがした。なかなかつかない火。と中でバラバラと音をたてて倒れる竹筒。集まった人の真剣な作業でその灯火は支えられ、5時46分を迎えた。若干、マスコミのシャッター音とヘリの音が気になったが、5年。スタッフの吉村氏は、台湾で活動しながらこの日を迎えている。このろうそくの火になってしまった人の命をどう生かしていくか。それはこの灯を見ている僕らにかかっている。神戸を未来につなぐこと、生かすこと。それは僕らのこれからの行動だ。しばらくすると、竹筒のとなりの会場には、「希望の灯火」のモニュメントに火がついた。カンテラのようなものがのった台には、次のようなメッセージが刻まれている。

「震災が奪ったもの・・・命、仕事、団欒、町並み、思いで

、、たった一秒先が予知できない人間、限界、、、

震災が残してくれたもの・・・やさしさ、おもいやり、絆、仲間、

この灯りは、奪われた すべてのいのちと わたしたちの思いを むすびつなぐ  

それを見た後、会場で、堀内正美さんと再会。思わず抱き合う。当時いろいろ一緒にいろんなことをやった。このモニュメント、灯の企画、そしてその後の灯籠流し。当時から「がんばろう神戸」で俳優家業そっちのけでがんばっている掘内さん。地元の神戸であいかわらず行動をおこしている。

2000年1月17日、いい笑顔の同士たちと、自分を再確認した一日。今、僕は動けているか。神戸を未来にいかすために。今、あなたは動けているか。神戸を未来にいかすために。


1/15、鶴岡ユースホステルで、「森の人講座」第一弾がおこなわれた。今回のスピーカーは野口りさ子さん。樹木・環境ネットワーク協会というNGOを運営されている方。会場には約50名の参加者。、主催の菊池くんの想いがみんなを動かしたのか、なかなかの大成功であった。スタッフが作ったカレーをたべた後、晩の寝台に飛び乗って神戸へ。
1/13 成人式の「あいさつ」の件で、議長より呼び出され、注意を受ける。関係者の皆さん、気を悪くされた方、大変申し訳ありませんでした。lあれは、僕なりのあいさつをしたかったということだったのですが、今思えば、とても大人げなかったとも思います。しかしながら、きづかないと全く馬鹿げた広域水道計画が強行されてしまうということは、みんなわかってほしいと思います。これは鶴岡市民、そして鶴岡出身、鶴岡に思いをもっているみなさんにはっきりと伝えておきたかったのです。つい先日、この件で新成人の方から一通のメールをいただきました。僕はすこしだけ安堵しました。そして勇気をもって青森からメールをくれたこの青年に感謝しています。以下一部転載します。


1月10日、実は私もあの現場にいたんですよ。びっくりしたなーもう。
騒がしくて草島さんが何を言ったか、あまり聞こえなかったんですが、その後こっち側から
「うるせぇー!」なんて野次が飛んできたのを覚えていると思います。すっげーひどいですよね!同じ鶴岡出身の成人としてとても恥ずかしい思いでいっぱいです。「今の若者は、みんなこんなものか」と草島さんは思ったかもしれませんが、そんなことはありません。
私の友達は、結構関心を持っていました。つまり草島さんのやったことはぜんぜん無駄ではありません。だから草島さんは、自信を持って頑張ってください。及ばずながら、応援します。


1/11、成人式。成人式の会場。「21世紀は、君たちの時代。みんなで動き出そう!」市議会議員として壇上にあげられ、市議会議員として紹介されたとき、僕は、僕なりの「あいさつ」を新成人のみなさんに大声で送った。「水、守ろう」のカードをかざして。それが、成人式に招かれたものとしての礼儀だと思ったからだ。ただ、壇上にあげられているなんて、なんだか何のために壇上にあげられているのか。

「大人」とは、おとなしくしていればいいんじゃない。行動だ。神戸の時だって、重油のときだって、評論家がいかに多かったことか。「物を言うことはできる、頭で考えることはできる。でも動かない。頭で考えてリスク計算して、最後の結末がわからないと言っては、動くことをためらう。そんな人がたくさんいた。でも、動きだした時、体をボーンとその動きの中に突っ込んだ時。自分が変わる。人とつながる。「今」がいきてくる。自分の扉が開く。無限の力がわいてくる。そんな力を信じて動き出した人の力強さ。そしてがっちりとした握手とコミットメント。「今、動き出すこと」僕は、やっと29の終わりに神戸でその「動き」にめぐりあった。20歳のときにはまだ全然わかっていなかった。あの声は何人の人に届いたのだろう。夢をもって、動き出そう。新しい時代を切り開くのは僕らでもあり、新成人諸君。君たちだ。

それにしても、鶴岡は、うまい水が十分にありながら、20世紀然とした公共事業のダム工事を賞賛したいがために、そのうまい地下水が放棄され、ダムの水を飲まないといけなくなる。再三言っているが、これは大なる矛盾。利権や、政治屋のメンツで、未来をだいなしにされるのはゴメンだ。みんなはそうは思わないか。この負担を全国で一番高いレベルの値段の水道料金で支払わされるのは、君たちだ。ペットボトルで売られているような良質の水を飲んでいたふるさと、鶴岡は、今、なくなろうとしているんだ。都会から帰ってくると、思わずそれを飲んで、ほっとして、「ああ、田舎に帰ってきたんだ」と思う水は、来年の秋には、どこにでもあるような、浄水器を買わなくちゃいけないようなダムの水にかわってしまうんだ。

本当にそれでいいのか? この21世紀の大矛盾。成人の日、受け止めてほしい。

豊かなる大地、庄内、豊かなるふるさと、鶴岡のために。

成人式の後、街頭で、昨晩明け方までかかってつくった「鶴岡発ガツンといいたい2000年のイエローカード」を新成人のみなさんのために配布した。志が届くことを祈る。今ならまだなんとかなる。l動き出そう!みんなで!

1/8、海辺を見に行く。波の華が舞っている大荒れの日本海。丸太がころがっている。今、現状では、所有権について、定まっていないから、重油の時のように、ボランティアが動く出番はない。本当にじゃまになるものを、漁協や自治会が動かすぐらいと聞いた。しかし、冬の日本海、97年の重油のときもそうだったように、改めてゴミのすごさを見せつけられる。プラスチックのボトルや破片が散乱。僕らは、本当に生活を見直さなくてはダメだということをこれを見せつけられるたびに考える。これ、子供たちにも大人たちも、ぜひ見ておかなくてはいけないと思う。海は、今、20世紀の人間の便利な産物の、永久に解けることのないゴミで、いっぱいだ。

1/7 庄内浜に流木大量漂着のニュースを知らされる。

1/5 6 重油災害、地球のヒーロートーク、月山ほのおのまつりを共にした大友人が来鶴。湯田川温泉、正面湯、久しぶりにオフ!蔵王にスキーに行く。ひさびさのスキー。パラダイスゲレンデをとことんカットビで滑りまくる。正月あけ、2000年問題で、なかなか客足ののびなかった蔵王も、今日6日から混んでいるということで、中央ロープは、1時間待ちだった。温泉もいいし、昔ながらのジンギスカン屋も健在。いいものです。

1/4 鶴岡駅着10時56分でついていそいで着替えをして名刺交換会へ。

1/3 神戸に着く。ひさしぶりの神戸。元気村に電話すると、今日、釜が崎に木材を運び入れるから手伝ってということだったので、トラックがくるのを大阪で待ち、一緒に釜が崎の三角公園への寒さしのぎ、炊き出し用の薪を届けた。三角公園。初めていった。約300人ぐらいいただろうか。公園に設置してあるテレビで駅伝に見入る人。炊き出しに並ぶ人、そこでは、震災当時の元気村を思わせる炊き出しや、元気づけのステージがあった。正月だからと、グローブも何もつかわないボールとバットだけのソフトボールをやっていた。同じ日本でもこんな正月を迎えている人たちもいる。元気村の2トントラックに満載の木材を1時間ぐらいかけておろす。「ありがとうね。またよろしくたのんます」そこにいたリーダー格のおっさんが、満面の笑顔でそういった。

その後、震災復興住宅、HAT神戸にいく。未来都市のような高層建築の公営住宅にヘリポート付きの高級マンション、それをつなぐタイルの庭。一見こぎれいなのだけれど、何か、冷たい風が吹いているようであった。元気村のボランティアとしてがんばっている方の部屋がちょうどあったので訪問させていただいた。とてもつくりのよいマンション。仮設住宅のように隙間風はない、壁は厚く、となりの物音も聞こえない。厚い扉。その中にいる人の心細さをどうするか、これはこれからも大きな課題だ。


1/2。午前11時集合で、松尾芭蕉の下った川をカヌーで下る「芭蕉トレック」の漕ぎ初めをおこなった。
 参加者は、12名、東京から来て今、みんなで改装準備中のユースホステルに宿泊している客人も含め、旧友の家族を含め、WWN面々と多彩な顔ぶれ。新年の祝杯をシャンパン系ワインとジュースで乾杯し、カヌーを酒でお清めし、芭蕉乗船の地近くの公園からスタートし、鶴岡の中心を流れる内川の約2キロのコースを下った。心配されていた天気もからりと晴れ、絶好の川下り日和。水量はいつものとおり、まともなパドリングができているとはいいがたいが、水質は良好。ただし、ゴミがなければなお快適。途中、ルリ色のカワセミが2羽とんだ。カモは水路にぎっしり漂っていて、カヌーがぎりぎりに近づくと一斉に飛び立った。コイの姿が見れると子供たちがはしゃいだ。川面にでてはじめて、僕らは、意外な生態系の豊かさに気づくのだ。そして、いつもの時計の時間を断ち切って川の時間で流れるひととき。新内川との合流点では、雪で覆われた真っ白い月山が輝いて見えた。漕ぎ終わった後、12の短冊をわたし、新春俳句大会。初春の一句をみんなで詠む。僕自身、本質を理解しているとはいえないだろうが、体験を5、7、5と、とてつもなく無駄を省いた字数に凝縮させる俳句というのは、なかなかいいものだ。と改めて思ってしまったのだった。うむ、これもやってみてはじめてワカル。ちんけだとか、文学的!なんていうのは、数百も作ってから言えばいいことだ。「NO FEAR NO ART!」どこかの芸術家がそういっていたはずだ。

なお、今回のこの模様は、NHKのニュースで流れた。
 
 その晩、僕は、神戸に向かった。3日4時から、みんなで集まってミーティングしようということだった。これもいってみなきゃわからない。しばし悩みつつ駅に確認にいくと、寝台の席がまだ10席あるということだったので、すかさず行くことに決め、今、寝台の中でこれを書いている。さて、神戸で、何が僕を待ち受けているのだろう。



 
 1月1日 2000
2000年があけた。おおみそか、僕は、11時から市役所の2000年問題対策室にいて
役所の動向を見守っていた。水道、電気、思わぬ災害がおこる危険性。
果たして大丈夫か?秒読みの段階ではやはり緊張した。
2000年があけて、10分、20分がたつ。なにも異常なし。ミレニアム・カウントダウンもとどこおりなくおこなわれている。よかった。無事にあけた2000年。
40分ほど、市役所にいてその後、水道部をまわり、さて、初もうででもするか、と頭を切り換える。
正月返上で確認作業をした役所職員の皆さんには、感謝!である。本当に何もなくてよかった。

初もうで。2000年は龍の年。ということもあり、徹底的に龍や水に関する神社を総当たりしようと思い立ち、東北周辺のわき水を追っているライターのRさんと一緒に初詣しまくる。
産土の日枝神社、お山王さん。奥の院に龍神が祭ってある善宝寺。犬まつりのゆかりの椙尾神社で、龍のふすま絵に感動!。鶴ガ岡城跡の荘内神社、羽黒の貴船神社、羽黒山神社、そして、初日の出といいたかったが、雲がかかって、日差しが見えない荘内の空と、テレビの富士山のすごい朝日を朝日を、8センチの液晶画面の車に急遽備え付けたテレビで見比べながら、ため息をつき、そして朝があけてから、朝日村の大鳥の水上神社に参拝する。龍、水、今年のテーマの背骨をつかみたい。
午後、飯も食わずに湯殿山に行きたい気持ちにかられ、昨日、なんとなく準備して車に積んでいたテレマークスキーを履きたい気持ちと相乗効果も手伝って、やっぱり行くことに決めた。
 午後1時、湯殿山ホテルに着く。ここから、1時間半ほど、徒歩というか、スキーで登坂することになる。手早く乱雑に積み込んでいたパタゴニアの上下とスキーのシールなどをばたばたと準備する。
 出発ほぼ1時10分。その駐車場のはずれから、背丈の倍以上のふきだまりがそこにはできていた。シールをつけたスキーでそろりと登る。一昨年は、これも正月に、まったくの長靴状態でズボズボ埋まりながらほぼ3時間ぐらい歩き、なんとかたどり着き参拝した。去年は、一昨年の「ダメダこりゃ」状態を克服すべく買ったテレマークスキーで一度は、途中まで、そして3月にHさんと一緒に参拝した。だから、勝手は知っている。でも、全く足を踏み入れていないバージンスノーに、自分で道をつけて歩いていく感覚はいつも新鮮だ。その日も、雪がしんしんと降っていた。
 昼飯も食わず、水も持たず。けれど、1時間半ぐらいだろう。なんとかなるさ。と登り始める。
 静けさ。かすかに鳥の声。風の音。修行で身を清める湯殿山から流れる沢の音。街や車の中で音を聞いている鼓膜とは別の鼓膜を知らず知らずの間に使いはじめる。のっし、のっしと登りながら、眠っていた自分の神経シナプスが動き出す。カーブのたびに、あれ、もうすぐだっけかなあ、と思うが、なかなか目標の鳥居は見えてこない。ブナの森の木肌が、雪と絶妙のコントラストで、話かけてくる。「どうだい。いつも車でビューンと通り過ぎていくけど、今日はたいそう違うだろう?」
 うむ。スキーで登っている時、そのこずえの模様は、すごい存在感がある。命を感じさせるのだ。そして一面真っ白の雪。ちょっと心細くなって後ろを振り返ると、僕のスキーの跡が、真っ白の、誰も踏んでいない山のスロープに残っている。そのスロープがきれいだろうが、少々まがっていようが、今は関係ない。大事なのは、今、ここにいるということだ。今、何も足跡のないスロープにスキーを踏み入れていく感触。坂はまだ続いている。後ろを振り返るより、今、登ること。それは、いつだって大事なことだ。動いてみなければわからない。動いてみればつながりが生まれる。そしてはじめてワカル。そんな経験を僕は少しは積んできたつもりだ。それがスキーの登坂のヒトコマに思い出される。
 さてそんなこんなで僕は、1時間半歩き続け、湯殿山の鳥居にようやくたどり着いた。僕のお気に入りの山、仙人岳にあいさつをする。この山は、毎回、実に惹かれる山だ。山にむかい三山拝詞をとなえ、新年のあいさつを大声でいう。ここに流れる川は、山伏の水行に使われる。この川は、梵字川に合流して赤川に流れる川でもある。その梵字川に月山ダムがほぼ完成間近だ。これについて、さぞこの三山の山々は嘆いているのではないか。と思うのだ。今まで月山の森の恵みとしての水、地下水とつながっていた庄内の街が、この21世紀から、その大いなるつながりを断ち切り、20世紀にまかりとおった目先の経済優先のダム事業にのってしまうというのだ。宗教学者のK先生も、民族学のA先生も、また、知識人の多くの方が、病んでいる現代人の自然とつながりをとりもどすという意味での古神道を、そして、ネイティブアメリカンや、アイヌの人たちなど、モンゴロイドの信仰や文化をもう一度見直そうとしている。そうした流れからすれば、大いなる逆行を、この伝統、伝説の残る聖地、出羽三山の地で行おうとしている。これは、今年、なんとかしなくては、この大矛盾が本当にカタチになってしまう。一人でも多くの方にこの思いを語り、動きをおこしたい。今の動きではまだまだいけない。今年は、水を司る龍の年。勝負だ。
 
さて、湯殿山参拝を終えると、シールをはずしたスキーで、山を下った。雪がひどくなっていた。眼鏡についた雪を払いながら降りた。その後、湯殿山のご神体に出る湯とほぼ同質の湯につかれる湯殿山ホテルのお風呂にいれてもらう。ここのお湯は、格別なので、ぜひみなさんにお薦めしたい。それと、冬、泊っている間に雪が10センチ降り積もるたびに1000円づつ割引になるという、とても遊び心のあるホテルなのだ。うむ。新年早々、ありがたいお湯につかることができ、実に自然の豊かな恵みをいただいた。ありがとうございました。なお温泉は、午後4時ぐらいまでなら日帰りで利用できる。400円。

 唐突だが、今日、The Long For Big Mountainが、岐阜の位山をスタートした。今年の2月1日、強制移住が執行されようとしているビッグマウンテンに住む「最後の本当のインディアン」の生活を守ろうと、寒空の中、いくつもの山を越えて行進するというものだ。神戸で出会い、月山炎のまつりにも来て火を守ってくれたハルさん、また、新たな動きを起こしている。
 ネイティブのスピリット。大地に祈る伝統的な生き方。その真に豊かな生活、営みを、カネや欲望優先の生活が脅かしている。おかしなことはおかしいとはっきりと言う、プロテスト。そうしたアクションがこの国でも全国で花開いている。みんなでつなげよう、この輪を!THINK GLOBALY, ACT LOCALY! とにかく一つ一つの現場で行動しよう。世界中の仲間たちが動いているから。
12月定例会の草島の質問。新聞にとりあげられる。

山形新聞12月17日に掲載の記事

△...鶴岡市議会12月定例会の一般質問で児童遊園の設計をめぐり、こんなやり取りがあった。市議「市は子育てサークルのお母さん18人に話を聞きながら児童遊園の構想を練るというが、市民からもっと広く希望者を募って徹底的に意見を交換し、自由なビジョンを描かせてはどうか」

△..市長「児童遊園」の設計について市民18人だけの意見とおっしゃるが、18人はそれぞれ責任を感じ、いろんな人から話を聞いて参加しているはず。18人は少なくてだめというのは言い過ぎではないか」

△...市民の声を幅広く聞く_。理想的だが、具体的な手だてとなると、これほど難しいことはない。ただインターネット環境が有権者に行き渡れば、個々の行政施策の形成や決定について、住民の意思を問う直接民主主義が技術的には可能となる。しかし、その場合でも行政施策をどう分かりやすく説明し、だれが是非の判断基準を提示するのか_などの問題は残る。同時に、住民の意思を代弁している議員の存在意義はどうなるのだろう


12月議会を振り返って  12/29 

 今回の僕の質問のテーマは、住民参画ということだった。ともかく、あれ、っという間に完成して、住民に説明するときには、もう100%事業ができあがっている、「できちゃった事業」の繰り返しをいかに制御していくか。僕は、これが、課題だと思ったのだ。TMO(タウンマネージメント・オーガニゼーション)、TTCK(鶴岡タウンキャンパス・オブ慶応)も、今年夏以降にワークショップや、会議が始まっているというのに、ほんとの一部の市民しか知らないし、参加できていない。地域活性化は、そして、中央中心街の活性化は、市民みんなの願いだと思うし、これにいろいろとアイデアをもっている人は、結構いると思うのだ。僕は、これらをもっと開きたいと思った。そして、銀座通りの中央に位置している、コミュニティセンター、「セントル」については、今2階にある喫茶店を1階にうつし、2階に市民交流室なるものをつくる予定になっているのだが、その使用していくソフトというか、ビジョンがまだはっきりしていなかった。ここに僕は「まちづくりセンター」なるものを提案しようと思った。「世田谷まちづくりセンター」のように、市民が参画しやすい形を行政側も努力する場、市民、行政、企業の「まちづくり」に関する資料、素材が、提示してあり、それをつかって料理する様々なワークショップや、シンポジウム、要は議論ができる場としてのセンターの構想を質問の前段階の事前説明や、当日の質問の中で、提案したつもりだ。ちょうど、一般質問の前々日の日曜日、朝日新聞に、東京都のまちづくりの再生化プランとして、インターネットで公募して、市民の斬新なアイデアが集まり、まさに行政版リナックスをおこなおうとしている現状が、でていた。

僕は、そのコピーと、もうひとつは、児童遊園のもう一つのあり方として、世田谷区の羽根木などでおこなわれているプレイパーク型公園の見取り図、それを一般質問の資料として、各会派の議員のみなさんと、市長、三役、担当部長などに配って、質問を開始した。

児童遊園について、せめて、児童遊園だけでも、一つの例をつくりたかった。行政主導ではなく、市民の声、10万人の、特に子供たちが本当に喜ぶ公園。これをつくってはどうか。と言ったつもりだ。児童福祉課だけでなく、教育委員会を通じて、PTAや学校の先生、子供たちに幅広く意見を聞くこと。ちょうど今、週休2日制になろうとする学校教育の場で、その休日を有効に活用するための児童遊園の使い道、いろいろなビジョンを投影する価値のある現場ではないかと思ったからだ。

山形新聞、上記のコラムが載ったその上には、「児童遊園、来年度建設へ」という見出しと「ぬくもりの空間創出」とあり、設計については、「子育て中の母親らから意見を聞くための「児童遊園を語る集い」を組織した。、、、18名のメンバーで構成し、基本構想づくりに向けて、具体的アイデアをだしてもらう」とあり、素案として、朝陽2小跡地に残る多様な樹木をそのまま生かし、小高い丘「築山」もそのまま活用。遊具はぬくもりのある木製品を配置する予定、、、。とあった。

うむ。当局案をそのまんま書いただけの記事で、僕が提示した「もっと幅広く」案について、なにかはじかれて書かれているようで、疑問だった。僕は、もっとよりよい方策を提示したつもりだったからだ。

 22日にその「会議」があるということで、議会が終わると同時にその場に参上、傍聴させていただいた。確かに、お母さん方、一生懸命な議論を展開していて、とてもいい感じがした。しかしながら、市長が答弁でいった「代表としていろんな人から意見を聞いて参加している」と言い切ってしまってよいかどうかは不安だと思った。もし、そう言い切りたいのなら、、その18名の議論の素材として、市民公募のアイデア、子供たちからのアイデア案、が、テーブルの上に乗っていることが必要なのではないかと思ったからだ。まだまだ、いろいろセッティングの努力はできる。僕はそう感じた。しかしながら、ボランタリーな形で参加して、よりよい児童遊園づくりのために非常にいい議論をなさっているお母さんたちには敬意を表したい。

でも、今、公園のいろんな絵を描ける時から、幅広い市民が参加していたら、できてから、違うと思うのだ。完成したとき、何人が万歳するか。考えてみてほしいと思う。

また、議員の存在意義と書いてあるが、これは今、本当に問われているのだと思う。全国の自治体の議員は、本当に住民の意思を代弁しているだろうか。議会は、しっかりと機能しているのだろうか。吉野川、神戸の住民投票。過半数の市民が、その投票を求めても、議会が拒否したり、その動きに逆らおうとした。市民と議会が乖離したそんな状況が全国で起きている。議員については、全国の地方自治体、問われているのだと思う。そして、行政自信も、その姿勢は問われていると思う。今までのようなやり方では全く通用しない世の中になってきている。時代はシフトしてきていると思う。

しかしながら、せめて、21世紀の子供たちが使って、育つ児童遊園。設計費752万8千円。工事費約1億円の見積もりと聞いている。今、一人でも多くの声で議論しながらつくりたい。10万人が納得する。本当に喜ぶ公園になるように。


12/28 先日、名護市町が、ヘリ基地の受け入れに合意したとのニュースを聞いた。新聞には、各政党のコメントなどが載っていた。先日米国Earth Island instituteから、marin mammal projectのマークバーマン氏の、オルカ救済の記事とともに、日本の沖縄、名護のジュゴンを守ろうという動きについてふれた記事ののった、リリース文が届いた矢先に、この始末。新聞で指摘されていたが、「民意」はどこに?と僕も言いたいのだ。しかし政府、また自民党の無責任なごり押し姿勢には、なんとも嫌気がさす。どんなものがくるのか、ほとんど住民が知らないのだというコメント。これはあきらかにアカウンタビリティ違反ではないか!目先の経済追っかけ型の土建屋思考と、沖縄の自然を愛する思考と。もう時代は変わっているはずなのに。残念。地元の市民運動を応援したい。l
12/25(土)昨日で、12月定例会終了!今回の一般質問は、ちとツメに誤った感がある。まだまだ勉強不足を痛感したのだった。30分の戦略、いろいろ考えていたらその日の朝6時になっていた。ところで、おととい、昨日とサンタの格好で、水の署名の呼び掛けをした。「アレマ」顔の方々にたくさん会えたまあ、なんでもやってみようということである。
12/10(金)、議会を前にして、質問の内容を当局が聞きにくる。セントルの使い道として「まちづくりセンター」を提案しようと思っているといってしまった!わかってくれればいいが。