99/1.17に寄せて。95/1/17から数週間の写真より。

元気村の近くでも、33名の方が焼死していたのだった。

自らの被災。兄貴の死。

すべてが0になった神戸で、

すぐに「動き始めた」原さん。

ありがとう。

当時、大活躍だった原さんのご家族。ありがとう。
僕の当時のすみか。結局200日ここが床だった。でも、マンション暮らしより、毎日は充実していた。生きている実感があった。「今」という太い時間が流れていた。
テントの中でもアップルのMACが大活躍。
給水車が命の綱。水は本当に大事だった。このとき地下水のあるところがいかに強かったか。人のつくったものに比べて、大自然の資源の実に強いことか。僕らは、ここにしっかりと学ばないといけない。ここにウォーターワッチの原点がある。