豊島から直島へ 第3部 |
文責:田岡直博 |
0.中間合意までのまとめ産業廃棄物の不法投棄事件である「豊島事件」について、「豊島から直島へ」と題して2回にわたって連載してきた。記憶喚起と問題点の整理のために、はじめに、おおまかに中間合意までの経緯をまとめてみることにしたい。 (1) 豊島事件の概要豊島事件とは、瀬戸内海の東部、小豆島の西方3.7qの海上に浮かぶ「豊島」の西側に、1978年から13年間にわたり、50〜60万トンもの有害産業廃棄物が不法に投棄され、野焼きされた事件のことである。産廃業者はこれをミミズ養殖と有価物の回収だと偽り、香川県はそれを知りながら8年以上にわたって許可を与え続けていた。 事件は1990年に兵庫県警に摘発されたことで、明るみにでる。過去に例をみない大規模な産業廃棄物不法投棄事件として、国内外で大々的に報道された。 (2) 問題の構図産業廃棄物処理業者(産廃業者)は、兵庫県警の摘発を受けて操業を停止したが、産廃を撤去する意思も能力もない。あとには大規模な有害産業廃棄物が放置されたまま残った。ダイオキシンは瀬戸内海に流れ出している。 そこで、住民は、産廃の撤去と汚染土壌の原状回復を求め、香川県と国を相手取り、公害調停の申請に踏み切った。93年11月のことである。 (3) 中間合意の成立公害等調停委員会(公調委)では、大規模な実態調査が行われた。住民と香川県・国は、謝罪問題と産廃処理方法をめぐって対立した。住民は産廃の島外撤去を主張したが、香川県は産廃を現場にそのまま封じ込める案を主張した。 結局、公調委の提案を住民が受け入れる形で、97年7月に中間合意が成立した。その結果、主に県・国の費用(約150億円が見込まれる)で、豊島の産業廃棄物投棄現場に中間処理施設を建設、産廃を中間処理して島外で最終処理をする方向が決まった。香川県の謝罪は得られなかった。 ― 第3部 最終合意と豊島の再出発 ―T.中間合意の問題点こうして中間合意が成立したものの、調停が最終合意に至るまでには2年もの歳月を要した。さらには最終合意までに、調停は全く予想もしない展開を辿ることになる。その原因は、主として中間合意に次の2つの大きな問題が残されていたことにある 。 1 香川県の謝罪問題香川県は、産業廃棄物の認定と業者の監督を怠り、事実上不法投棄を黙認してきたという責任がある。住民は、香川県から謝罪を引き出すために、県に対する損害賠償請求権の放棄を行った。したがって謝罪によって法的な責任が生ずるわけではない。それにもかかわらず、香川県は謝罪を拒否し、中間合意でも「遺憾の意を表す」という表現が得られるにとどまった。 2 中間処理施設の「有効利用」中間合意には、「中間処理施設は、本件処分地に存する廃棄物及び汚染土壌の処理を目的とし、これ以外の廃棄物等の処理はしない。」との条項が盛り込まれた。しかし、住民の間には、現実に産廃の中間処理が終わって産業廃棄物処理施設が残ってしまうと、島外の産廃まで処理されるのではないかという危惧がある。香川県が責任を認めず謝罪を拒否しているのだから尚更である。他方、香川県としても150億円を費やして産業廃棄物処理施設を作る以上は、その「有効利用」を図りたい。 こうして、住民と香川県双方の歩み寄りが見られぬまま、中間合意から2年が経過した。 【脚注】1) 「産業廃棄物の不法投棄・豊島事件」『中坊公平・私の事件簿』(中坊公平、集英社新書)などを参照。 U.そして直島へ青天の霹靂99年8月27日、香川県は、直島町の三菱マテリアル直島製錬所内に中間処理施設を作る提案を打ち出した(直島案)。 第1部で紹介したように、直島は、高松市の北13km、岡山県玉野市の南3kmの海上に浮かぶ、豊島の隣島である。島の北部には、東洋一の金精錬量を誇る三菱マテリアル直島製錬所と関連企業があり、同社の関係者・家族をあわせると島の人口の過半数を占める。産業廃棄物の処理施設を三菱マテリアル内に設けることは、同企業の資源化・リサイクル事業を推進する上でもメリットがあるといえる。また、香川県にとっても中間処理施設の有効利用を図ることができる。そして、産業廃棄物を島外に撤去できることで、住民側の懸念もなくなる。青天の霹靂のごとく登場した「直島案」は、住民、香川県、そして直島(三菱マテリアル)にとってそれぞれメリットを併せ持つ、まさに名案であった。 そして、3月22日、浜田孝夫・直島町長が直島町議会本会議で受け入れを表明した。受け入れの前提として、(a)公害の防止、(b)町の活性化、(c)風評被害などへの適切な対応、(d)町民の同意、の4条件は「すべてクリアできた」という。
2.直島案の概要(1) 直島案の提案理由@施設の有効利用の可能性 (2) 施設概要全体スケジュール V.最終合意1.最終合意までの経緯直島案の登場を契機として再び動き出した最終合意への流れは、遂に6月6日の最終合意に結実することになる。 6月3日に開かれた豊島住民大会で、約500名の住民は全会一致で調停条項の受け入れを決定し、引き続いて豊島宣言を採択した。そして、6月6日、第37回公害調停が豊島小学校体育館で開かれ、ここに、住民・香川県双方合意のもとに最終合意が成立した。 最終合意文書には香川県の謝罪が盛り込まれ、香川県知事真鍋武紀は住民に対して謝罪した。公害調停の申請から実に7年、事件の発覚からは10年、産廃業者が最初に申請を行った1975年からは実に25年を経て住民がようやく掴み取った「全面解決」であった。 2.調停条項1(香川県の謝罪)
11(請求の放棄)
12(本件紛争の終結等) 3.知事の謝罪(要旨)香川県は廃棄物の認定を誤り、指導監督を怠った結果、土壌汚染などの深刻な事態を招来し、豊島住民に対し長期にわたり不安と苦痛を与えたことを認め、心よりお詫びする。私の言動で豊島の方に不愉快な想いをさせてしまった。それは全て私の不徳の致すところで、許して欲しい。今後は、瀬戸内海の環境保全に万全を期していく。そして21世紀の香川県に循環型社会が形成されるよう努力していきたい。
W.残された課題1.豊島の再生けれども、これは豊島問題の終結を意味するものではない。産廃の撤去にはまだ長い年月を要する。汚染された土壌、風評被害を被った一次産品。いくつもの傷跡を残した豊島がこれからの復興をなしとげるには、豊島問題を風化させることなく、島の内外の人々の協力を得ることが必要になってくる。 「21世紀型循環型社会モデル」が言葉だけでなく現実のものとなるとき、豊島は新たな道を歩み始めることだろう。しかし、それは決して容易なことではない。 2.直島の未来他方で、直島側に残された課題も見落とされてはならない。豊島問題が提起した問題のひとつは、大量消費社会のひずみを過疎の島に押しつける構図にあった。島から島へとごみを移す図式は、経済成長期に瀬戸内海の離島が背負わされてきた役割の縮図にほかならない。 豊島問題そして直島案は、より大きな問題を私たちに突きつけているのである。
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