例会前企画報告
「グラミン銀行のマイクロクレジット」経済学部3回生 黒田 敏史
・はじめに
久しぶりの例会前企画報告です。今回の企画は雑誌「経済セミナー」に掲載された「開発経済学−ミクロ的アプローチ」を読んだことがきっかけです。その記事を読んですぐに「ムハマド・ユヌス自伝〜貧困無き世界を目指す銀行家」を借りました。この本はユヌスがバングラディッシュをおそった飢饉の際に、大学で教えている経済学が全く役に立たず、人々の生活に根付いた実践的な経済学が必要な事に気付くところから始まります。彼は大学周辺の村々を歩き回り、たった27ドルで村の42世帯の生活を変える事ができる事を発見します。そして、それを持続可能な形で実践しようとしてできたのが、グラミン銀行です。現在グラミン銀行に習ったマイクロクレジットは、世界の60カ国で行われており、その中にはアメリカやフランスといった先進国も含まれています。その、マイクロクレジットとはいったいどのような物なのか、それはなぜ成功したのかについて紹介します。・例会前企画用レジュメ
1・グラミン銀行とは
グラミンとは「村」のこと(たぶんバングラディッシュ語)。
バングラディッシュの最南東部にあるチッタゴン大学経済学部長だったムハマド・ユヌスが始めた銀行。
貧困層にお金を貸し、生活の向上を促す活動を行っている。
現在ではバングラディッシュの村の半数以上に当たる36,000の村で12,000人のスタッフを抱え、220万人にお金を貸している。(一人当たりの平均借入高は150ドル)
世界の60カ国(中国、南アフリカ、フランス、ノルウェイ、カナダ、アメリカ(注)など)で同様な小規模金融が行われている。
ちなみに、バングラディッシュは人口約1億2千万人、一人当たりのGDPが218ドル(日本は25084ドル)、平均余命58.1歳、成人識字率男性49.9%、女性27.4%、人口密度830人。最貧国の一つ。宗教は主にイスラム教。
(注)クリントン元大統領がアーカンソー州知事の時にマイクロクレジットに興味を持った事がきっかけでアメリカでのマイクロクレジットが始まった。特徴として、
(1)普通の銀行の融資対象とならない貧困層に融資している。
(2)貧困層に融資するにもかかわらず返済率が高い(96%)。政府が貧困対策に行った貸し出しの返済率は51.6%。
(3)担保を融資の条件としない。
(4)経済的な機会を奪われがちな女性が借り手の多くを占める。
などがある。2・設立の経緯
1974年の飢饉のとき、大学教授だったユヌスは「貧しい人々の本当の暮らしを理解し、近くにある村で毎日実際に使われるような、本当に生きた経済学を見つけたいと考えるようになった」ことから、村々を自らの足で巡り始めた。
ある日、ある荒れ果てた家の前で一人の女性が竹の椅子を編んでいるところを目撃し(注1)、5タカ(16セント)を借りて竹を買い、それを編んで5タカ50パイサ(100パイサ=1タカ)で売ってお金を返すという話を聞いた。(注2)
ユヌスはその村で同様にして働いている女性のリストを作り、42世帯の人が合計856タカ(27ドル)を借りている事を知り、たった27ドルで42世帯の暮らしを大きく改善する事ができる事に衝撃を受ける。
その後、銀行に貧困者対象の金融の案件を持ち込み、6ヶ月の交渉の末彼が保証人になる事で貸し出しの元本を手に入れる事に成功。1983年には独立した銀行として政府から承認される。
注1・バングラディッシュでは女性は近親者以外の男性とは話さない事になっており、調査の際には大変な困難が伴った。
注2・金利は一週間で10%。椅子は金貸しに市場価格よりも安い値段で売る。3・マイクロクレジットの内容
・業務の内容
バングラディッシュにおける行政村であるユニオンがだいたい半径4Kmくらいで、だいたい10〜20の集落があり、平均で2万人くらいが居住。その地域が比較的貧しく、かつ融資を行うのに十分な借り手がいると判断すると、その地域の中心にブランチと呼ばれる事務所をおく。ブランチには代表、副代表と6人のセンターマネージャーが所属する。
センターマネージャーたちはその地域に60くらいの融資を行うセンターと呼ばれる拠点を作り、融資対象者を発掘しする。融資対象者は融資を希望する貧しい女性。融資対象者には5人組を組ませ、返済の責任を連帯させる。一つのセンターには最大8つのグループが作られる。
グループができたら7日間のトレーニングを行い、2人に対し12〜15ドル程度を貸し出す(それ以上を借りようとは思わないらしい)。はじめの融資が6週間以内にきちんと返済されてから、次の二人に融資。グループの代表は最後にお金を借りられる。
融資の返済は借り入れの翌週から始まり、毎週行われる。年金利は20%で返済は50週間。
また、毎週返済のための集会が開かれ、ミーティングが行われる。欠席はしかるべき理由がないとすることができない。また、ミーティングにおいてあるグループが返済を滞るとセンターマネージャーが他のグループも含めた全員を長時間センターに留め置き返済を迫るため、他のグループがそのグループにお金を貸す事もある。
・マイクロクレジット成功の秘訣
一般に貧困者向けの少額融資は貸し倒れが多く、成功しないと考えられています。地主などが貸す場合の金利の異常な高さは、この貸し倒れのリスクに対応した物であると考えられます。このような状態を経済学では「情報の非対称性」による「逆選択」が発生している状態であると考えます。これは、貸し手は借り手に対する十分な情報を持っていない事から発生するものであり、決して地主と小作人の間にある権力関係から発生する搾取ではありません。また、高利貸しから借りたお金が返せずに土地を取られてしまった、といった話も聞いたことがあるでしょう。これも、「モラルハザード」の防止という観点から必要とされる当然の処遇です。その点について説明します。まず、「情報の非対称性」について説明します。一般にお金の貸し手は借り手に対する十分な情報を持っていないため、その人がまじめにこつこつと働いてお金を返そうとしているのか、一発でかいのを狙ってお金を返そうとしているのか区別することができません。前者を低リスクの借り手、後者を高リスクの借り手、と呼びます。そこでお金の貸し手は高リスクの借り手と低リスクの借り手の割合に応じた金利でお金を貸します。低リスクの借り手が多ければ金利は低くなりますし、高リスクの借り手が多ければ金利は高くなります。しかし、低リスクの借り手とってこの金利は高く思えるために、お金を借りようとはしません。逆に高リスクの借り手にとってこの金利は低く思われるので、積極的に借りようとします。そのため、お金を借りるのは高リスクの借り手ばかりになり、低リスクの借り手がいなくなってしまいます。これを「逆選択」が発生している状態と呼び、高い金利が設定されてしまいます。また、この状態は優良な借り手である低リスクの借り手がいなくなってしまっています。これらは社会的に非効率的であると考えられます。
グラミンではこの「逆選択」を回避するために、「相互選抜」と呼ばれるメカニズムを導入しています。借り手はお金を借りるためには責任を連帯するグループを組む必要があります。村の中でグループを組む仲間を捜すさいに、村民はグラミン銀行の職員よりも村民の性格や過去の経歴について詳しく知っているため、連帯責任を負わされる可能性の高いリスクの高い借り手とグループを組むことを避けることができます。これが「相互選抜」のメカニズムです。
次に、「モラルハザード」の説明をします。一般にお金を借りるときには「いついつまでに、これこれをやってお金を返します」という契約を結びます。しかし、借り手はお金を借りた後に気が変わって、急にリスクの高い事業を行おうとしたり、さぼって借金を踏み倒そうとするかもしれません。これを「モラルハザード」と呼び、効率性が損なわれます。これを防ぐために貸し手は借り手がお金を返せなかった場合を極端に恐れるような懲罰的な条件を付与します。お金が返せない場合に担保の土地を取り上げる、とかがこれに当たります。しかし、このような懲罰的な条件を課してお金を貸したとしても、天候不順や突然の事故などによって失敗する可能性を取り除くことはできません。まじめにやっても土地を取られてしまう可能性が高くなると、まじめにやっても割に合わなくなるので、借り手はますますさぼろうとするかもしれません。また、一般に小作農よりも自営農の方が生産性は高いので、小作人が増えすぎると効率性を損ないます。(かつて定期的に徳政令などが行われたのはそのためだと考えられます。)
グラミンの利用しているグループ融資は、このやっかいなモラルハザードを防ぐためにも役立っています。村民同士が連帯責任を負っているために、相互にリスクの高い事業を行おうとするのを牽制し合うためです。やや面倒ですが、数式を使うと以下のようになります。
記号の定義
成功率
期待収益
安全なプロジェクト
Ps
Rs
危険なプロジェクト
Pr
Rr
*Ps>Pr ∧ Rs<Rr とする。
安全なプロジェクトはローリスク・ローリターン、危険なプロジェクトはハイリスク・ハイリターンであるとします。また、安全なプロジェクトが社会的に望ましいという意味で、PsRs>PrRrとします。
プロジェクトが失敗した場合には無い袖は振れないので、返済をしなくても良いとします。
したがって、貸し手の資金調達コストをρとすると、貸し手は全員が低リスクのプロジェクトを実行すると仮定しても、金利rをρ=rPsとしなければ利潤を得ることはできません。
まず、借り手が全員低リスクなプロジェクトを実行すると貸し手が予想し、
金利をrs=ρ/Psに設定したとします。すると、借り手の安全なプロジェクトの期待利潤は、
πss=Psx(Rs−rs)+(1−Ps)x0=PsRs−ρ
となります。しかし、ここで借り手の危険なプロジェクトの期待利潤は、
πsr=Prx(Rr−rs)+(1−Pr)x0=PrRr−ρPr/Ps
となり、安全なプロジェクトと危険なプロジェクトの間の成功率の差が大きいと、危険なプロジェクトの方が期待利潤が高くなりやすくなります。もし、危険なプロジェクトの方が期待利潤が高いとするならば、借り手は危険なプロジェクトを実行する事を選びます。
すると、返済されないプロジェクトが増えるため、貸し手は高いリスクに応じた金利rrを設定するようになります。
具体例として、Ps=0.9、Pr=0.79、Rs=0.8、Rr=0.9、ρ=0.1とした場合には、
貸し手の選択
借り手の選択低い金利 高い金利 安全なプロジェクト 0.6200
0.6061
危険なプロジェクト 0.6232
0.6110
この場合、借り手は金利の高低にかかわらず危険なプロジェクトを選択します。(相手の選択にかかわらず選択される選択肢を、「支配的戦略」と呼びます)
また、貸し手は低い金利で貸して、危険なプロジェクトをやられては割が合わないため、高い金利を課すことになります。したがって、最終的に右下のマスが選ばれることになります(これを「ナッシュ均衡」を呼びます)。この場合、左上の低金利+安全なプロジェクト、の組み合わせの方が借り手にとっては得ですし、貸し手にとっては左上と右下はどっちでも同じです。したがって右下よりも左上の方が社会的に望ましい(パレート改善)にも関わらず、実際には右下が選ばれてしまいます。それでは、ここでグループ融資を導入してみましょう。ここでは2人組のグループを組み、自分が成功した場合は利子rを支払い、自分が成功し、パートナーが失敗した場合は利子と連帯責任費用cを支払うとします。自分の失敗した場合の負担はありません。この場合は自分が安全なプロジェクトを選択する場合にパートナーが危険なプロジェクトを選択すると自分だけが損をするので、そのような組み合わせは作りません。また、自分が危険なプロジェクトをするときには、パートナーとなる相手は危険なプロジェクトをする人だけになります。
この場合の期待利得は、
・二人とも安全なプロジェクトを選択した場合
Ps^2(Rs−r)+Ps(1−Ps)(Rs−r−c)
・二人とも危険なプロジェクトを選択した場合
Pr^2(Rr−r)+Pr(1−Pr)(Rr−r−c)
となります。
この場合の利得行列は、c=0.05とすれば、
貸し手の選択
借り手の選択低い金利 高い金利 安全なプロジェクト 0.6200
0.61103
危険なプロジェクト 0.6189
0.61100
*cが十分に大きく、かつP>0.5であることが必要
となり、安全なプロジェクトを実行することが支配的戦略になります。これによって、左上のマスが選ばれることになり、社会的に最善な結果が得られます。これが、相互監視によるモラルハザードの防止です。このモデルでは2人のグループを利用してますが、5人でも本質的には同じです。以上のように、グラミン銀行には金融機関が必然的に抱え込んでしまう情報の非対称性を軽減させるシステムが備わっています。これは特に途上国の貧困者に対象を絞ったモデルではありませんので、上記の条件が整えられるのならば先進国の貧困者はおろか、企業金融にも応用可能なものであると考えられます。
・企画の目的
今回の企画の目的は、新制度派アプローチと呼ばれる比較的新しい経済理論を紹介する事も兼ねていました。新制度派アプローチの特徴は、一見非合理的に見える様々な制度や慣行が、実は人々の経済合理性に基づいて説明できる事です。美しい理念と理想が最悪の社会を作る傾向のあることは良く知られていますが、それが何故なのかについてはあまり知られていません。何故、ソ連ではモスクワだけで年間2000台ものテレビが爆発し、農業生産性がどんどん下がり、商店に物が並ぶことがニュースになったのでしょうか。これについては様々な論者の意見がありますが、その一つとして「人々の経済合理性の無視」があると考えます。どのような美しい理念や理想も、それを行うことが個人にとって有利なように制度が組まれていなければ実現することはないでしょう。また、単純な市場任せの経済システムがうまく行かないことも、新制度派アプローチによって明らかになってきています。ある制度がうまく機能するには、ある条件を満たしていなければならないこと。また、どうしようもないと思われている現在の制度が抱える問題を克服する可能性を提示することができること。これらが新制度派アプローチの魅力です。・参加者の感想
☆経済学がこういう風に役に立つという事を知れて良かった
☆日本でも広まるといい
☆マイクロクレジットの失敗例を知っていたが、成功例を知れてよかった
☆ユヌス教授が生きた経済学をやろうとしたところに感動した。
☆お金の使い方は難しいと感じた。使い方によっては良いことにも使える。
☆仕事が大変
などの感想がもらえました。好評だったので嬉しいです。ちなみに、例会前企画ではこんな面倒な数式なんて使いませんでした。訳わかんなかったらごめんなさい。参考文献
『ムハマド・ユヌス自伝−貧困無き世界を目指す銀行家』早川書房 1998
経済セミナー2001年8月号「開発経済学−ミクロ的アプローチ5:マイクロクレジットの経済学」、黒崎卓、山形辰史
『組織の経済学(別名電話帳)』NTT出版、1997