豊島から直島へ 第2部 |
文責:田岡直博 |
0.連載の再開にあたって(1) お詫び「豊島から直島へ」がユニトピアに掲載されてから、8ヶ月近くが経過してしまった。その第1部において、「『豊島から直島へ』は全3部構成であり、ユニトピア今月号から3ヶ月に渡って連載が予定されている」と公言したにもかかわらず、このような長期間の中断を挟んでしまったことについては弁解の言葉もない。この場を借りて読者の皆様にお詫びしたい。 この8ヶ月の間には、筆者自身にとっても、豊島に暮らす人々にとっても、大きな転機となる出来事が相次いだ。はじめに筆者自身のことについて話すと、この11月に大学での勉強に一区切りをつけることができ、卒業のめどを立てることができた。来年の3月までにこの原稿をまとめることで、自身の卒業の記念としたい。 (2) 豊島の現在豊島については、6月6日の香川県の謝罪と最終合意について触れないわけにはいかない。それは、豊島に暮らす人々にとってまさに悲願であったといってよい。香川県知事は第37回公害調停において住民に対して謝罪し、住民側も調停案を受け入れることで、ついに公害調停は最終合意に至ったのである。公害調停の申請から実に7年、事件の発覚からは10年、産廃業者が最初に申請を行った1975年からは実に25年を数える 。 もちろん、これは豊島問題の終結を意味するものではない。産廃の撤去にはまだ長い年月を要する。汚染された土壌、風評被害を被った一次産品。いくつもの傷跡を残した豊島がこれからの復興をなしとげるには、豊島問題を風化させることなく、島の内外の人々の協力を得ることが必要になってくる。実際、そのような取り組みはすでに始まっているのである 。 (3) 今後の連載予定すでに第1部で、豊島事件の概要と、不法投棄の実態について触れた。この第2部では、豊島事件が起こるまでの経緯と、事件発生後、公調委に調停申請するまでの期間、住民、県、業者らの対応を、時系列に添って明らかにしたい。 続いて連載が予定されている第3部では、公調委での、豊島問題の解決策を巡っての住民側と県のやりとりを通じて、中間合意を挟んで、直島案の登場、そして最終合意までを扱うことにしたい。最後に、豊島問題の構造、問題点を整理した上で、筆者の思うところを述べたいと思う。 【脚注】1) したがって、第1部にあった次の1文は削除されるべきである。「今日まで、香川県は産業廃棄物の不法投棄に対する責任を認めておらず、謝罪を拒否している。」 なお、この間に廃棄物対策豊島住民会議のホームページのURLが変更されているので、ここに附記しておく(http://www.teshima.ne.jp) 2) 筆者は11月15日に、豊島で開かれた第1回オオリーブ基金第一回記念植樹大会に参加した。これは、瀬戸内の島々にオリーブなどの苗木を100万本植樹するというプロジェクトである。呼びかけ人は、中坊公平氏と、安藤忠雄氏。 ― 第2部 事件の経過 ―T.事件の発端第1部で見たように、豊島事件は1990年11月16日、兵庫県警が「豊島総合観光開発」株式会社を産業廃棄物処理法違反容疑で摘発したことで、世に明るみに出た。しかし、事件はその時に始まったのではない。実にそれまで15年にわたる住民と産廃業者――そして香川県、との戦いの日々が存在していたのである。事件の始まりは1975年頃に遡る。 高度経済成長期のただ中であった1960年代後半、大阪万博のための建設需要等にともない、島の西端(国立公園普通地域)で建設資材・産業資材として山が切り崩された。そして、その跡地利用として、業者が有害産廃処理場の建設許可を申請したことに始まる。75年12月のことである。 当初から、住民は「事業者の計画は島の環境を悪化させ島民の健康を損なう」として、反対運動を展開した 。 しかし、香川県は「絶対多数の反対があっても、個人の生存権(個人が産業廃棄物処理業を営んで生活する権利)は認めるべきだ」として、許可の方針を示す。 ところが、76年9月に起こった高共丸事件のために、結局、香川県は許可を見送ることになった。これは、有害産廃を積んだ貨物船「高共丸」が接岸、許可を受けないまま荷揚げしようとして、行政指導を受けるという事件である。 県が許可を見送ったために、事業者は、廃棄物処理事業許可申請内容を有害物から無害物に変更する。 その結果、77年2月、豊島を訪れた県知事が、事業者に対して産廃処理事業許可を打ち出す方針であることを正式に表明した。
当然、住民の反対運動は激化することになる。「産廃持ち込み絶対反対豊島住民会議」が結成された 。77年6月、搬入用道路周辺の私有地を自治会が買い上げ、杭打ちを行うことで、産廃の搬入を強行阻止するとともに、高松地方裁判所へ建設差止の訴訟を提起した。 激しくなる反対運動に業を煮やした事業者は、産廃処理場に反対する住民に対して暴行傷害事件を起こし、逮捕されるという事件を起こす。そのために、またしても業者は処理場計画を「ミミズ養殖」による限定無害畜産廃の中間処理へと変更するという対応をとる。 そして、ついに78年2月、県は暴行傷害事件と建設差止訴訟の2つの裁判の結果を待たずに事業者に対し「ミミズ養殖」の許可を与えた。裁判も、「十分な監視」を行うことを条件に和解に至った。 【脚注】3) 「豊島問題年表」(TESHIMA.com)より抜粋した。分かりやすくするために、産廃業者及び排出業者に対する損害賠償などに関する記事は省略してある。 4) 本文の記述は、「豊島からの報告」(石井亨)に大きく負っている。 5) 実に、住民の1425名が反対署名を提出している。 U.事件発覚までところが、操業開始と同時に、事業者は許可外の産廃(シュレッダーダスト、得体の知れない液状物等)を持ち込み、野焼き・埋め立てを行った 。野焼きによる煙とガスのために、ぜん息などの苦情も急増する 。
住民は公開質問状を提出するが、香川県は「事業者が行っているのはミミズ養殖であり、シュレッダーダストは金属回収のための原料である」と回答するのみで、何ら有効な措置を採ることはなかった。 そして、90年11月、兵庫県警が産廃処理法違反容疑で再び事業者を摘発したことで、事件はようやく明るみに出た。業者の申請から15年もの月日が流れ、豊島は深く傷ついていた。 【脚注】6) この頃、香川県から離脱。岡山県に移籍することを決意し、岡山県玉野市へ合併申し入れを行う。既成の枠組みを超えたこの卓越した発想・行動を筆者自身は極めて高く評価するが、残念ながらここでは触れることができない。 7) 以下の記述は、主として「『豊島のゴミ問題』ってナンナァ!」に負う。 8) この時の野焼きは山火事と見違えるほど大規模なもので、16kmも離れた高松市からも見えたという。 9) 小中学生のぜん息発生率は、平成5年の時点で全国平均の10倍近くであったという。 10) 当時シュレッダーダストが「有価物」にあたるという解釈をとっていたのは全国で香川県だけであった
V.香川県の対応業者が摘発されたにもかかわらず、香川県は当初「事業者が行っていたのは有価金属の回収であって、廃棄物の不法処分ではない」との見解に固執していた。しかし、摘発から34日目、多方面からの批判に耐えかねて、「有価物ではなく産業廃棄物である」と、見解を180度転換した。 同年12月、県は事業者に対して、生活環境の保全の必要性から産廃の撤去と飛散防止の措置を命令。県の指導のもと、約1340t(住民会議試算値・全体量の約0.27%)の産廃が撤去された。そして、県は独自の考え方に基づく調査結果ともに事実上の「安全宣言」を公表した。 ここまで、事件の発端から、それが発覚するまでの15年の経緯を概観した。その中でも、香川県の対応の酷さは際だっている。ここでは特に香川県が業者の産廃搬入を容認する根拠として用いた、@ミミズ養殖と、A金属回収理論について触れておこう。ミミズ養殖83年にはミミズ養殖は事実上廃業していたにもかかわらず、7年間も実態のないミミズ養殖の許可が与え続けられた。 金属回収理論事業者は、シュレッダーダストを1トンあたり300円で買ったことにして、他方で2000円の「運搬費」を受け取る。結局、その差額1700円が事実上の利益になる。香川県は、事業者は300円を支払ってシュレッダーダストを「購入」しているのだから有価物であると説明してきた 。 W.解決策を求めて1.公害等調整委員会香川県の事実上の幕引きとも見える行為をよそ目に、住民は本当の解決策を模索していた。そして、時効成立を5日後に控えた93年11月、処理業者と、香川県、産廃の排出企業20社を相手に公害調停を申請することになる。 この公害調停の過程で、「不法投棄された産廃の撤去」のために放置された産廃の調査を公調委の委嘱する専門委員によって実施することが決められた。ボーリング調査と内容物の化学分析を含め2億3600万円の費用を予算化する大規模な調査になった(日本国内では初の実態調査)。 2.7つの解決案95年7月、公調委による住民への説明会で、公調委は現地調査を踏まえた7つの対策案を示す。 住民は「島外撤去」を表明したが、県議会で県知事は第7案を指示すると答弁した。 @ 現場で中間処理、島外の管理処分場に埋め立てる。A 島外撤去、島外で間処理した後管理型処分場に埋め立てる。 B 島外撤去、島外の遮断型処分場に埋め立てる。 C 現場で中間処理、現場を管理型処分場にして埋め立てる。 D 島外で中間処理、現場を管理型処分場にして埋め立てる。 E 現場を遮断型処分場にして埋め立てる。 F 現状のまま現場には遮断壁などを設置し、封じ込める。 ※中間処理の方法としては、焼却と溶融してセメント固化の2つの方法がある。 ※@〜E案の費用は130億〜200億円が見込まれているのに対し、F案は61億円と格安。ただし、F案については環境保全上その安全性は保障できない。 3.中間合意結局、97年7月に、住民が公調委が示した処理対策案を地元が受け入れることで中間合意が成立した。 主に県・国の費用(約150億円が見込まれる)で、豊島の産業廃棄物投棄現場に中間処理施設を建設、ごみを中間処理して島外に運び出す方向が決まった。 こうして中間合意が成立したことで、豊島事件にも一応の解決のめどがついたかに見える。しかし、最終合意に至るまでにはまだ長い時間と、直島案の浮上という全く予想外の展開が待っているのであった。それについては、第3部で触れることにしたい。 中間合意(抜粋)被申請人香川県は、廃棄物の認定を誤り、廃棄物処理業者に対する適切な指導監督を怠った結果、本件処分地について深刻な事態を招来したことを認め、遺憾の意を表す。 (1) 被申請人香川県は、本件処分地に存する廃棄物及び汚染土壌について、溶融等による中間処理を施すことによって、できる限り再生利用を図り、廃棄物処理業者により廃棄物が搬入される前の状態に戻すことを目指すものとする。 (2) 中間処理施設は、本件処分地に存する廃棄物及び汚染土壌の処理を目的とし、これ以外の廃棄物等の処理はしない。 申請人は、被申請人香川県に対し、損害賠償請求をしない。
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