衣斐友美(いびともみ)
この冬休み、1ヶ月かけてヨーロッパを旅してきました。後編はフランスとイタリアです。
98年 | |
12月20日 | ユーロスターでパリ着 |
21日 | モン・サン・ミッシェルへ |
22日 | ロワールの古城巡り |
23日 | パリ散策 |
24日 | パリ散策 |
25日 | 空路、ニースへ |
26日 | ニースでのんびり |
27日 | エズ、モナコ、マントンを経てミラノへ |
28日 | ミラノ |
29日 | ミラノ |
30日 | ヴェローナを経てヴェネツィア着 |
31日 | ヴェネツィア |
99年 |
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1月1日 | ヴェネツィア |
1月2日 | ラヴェンナを経てフィレンツェ着 |
1月3日 | フィレンツェ |
1月4日 | ローマへ |
1月5日 | ローマ |
1月6日 | ローマ半日、日本へ |
このすべてを書いていると読む側にははなはだ長たらしく読みにくい代物になりそうなので、印象に残ったこと、場所、エピソードなとをピックアップして書きたいと思います。
パリ滞在2日目にオプションツアーで行ったのがモン・サン・ミッシェル。ここはいわば海に浮かぶラピュタ(!?)。これは冗談ではなく、かつては森に囲まれていたらしいが、津波や浸食で陸の孤島になってしまったらしい(写真参照)。今では堤防が作られ、完全に陸から切り離されることはないというが、田舎道をひたすら行くといきなり海に浮かんでいるこの僧院は不思議な雰囲気をもっている。僧院というだけあって中は石造りの質素なもの。何となくさみしくもあり、迷路のような構造は不気味でさえある(いっしょに行った子は実際迷子になりかけた)。建物の話はさておき、ここの名物料理が巨大(と言うほどでもなかったが)オムレツ。味は大したことない、と聞いていたが、話のたねにと食べてみた。それが意外においしい。ふわふわでオムレツと言うよりスフレみたいだった。ところで、そのレストランのウェイトレスさんが英語をしゃべらないらしく、フランス語でがんばってみた。友達がトイレはどこか聞いてくれと言うのでフランス語で尋ねると、ぺらぺらとフランス語でこたえる。どこか、と聞くまではよかったがさっぱり聞き取れない。しかたがないので友達には自分の勘(鼻?)で探してもらうことに。うーん、大してしゃべれないのに覚えた文だけを流暢ぶって話すとまるでフランス語ぺらぺらに思われて、これはよくない。やっぱり外国語って難しい。
さてさて話はパリへ。シャンゼリゼ通りの橋にある、かの有名な凱旋門。この下で、クリスマスイブに友人と待ち合わせることにした。この友人は私たちとは全く別に、イタリアやオランダを旅していてたまたまその日にパリにいるので会うことにしたのである。会えるかどうか不安だったが、いざ凱旋門の下に行くと、寒さに震えた友人が待っていた。集合時間を1時間間違えていたらしく、もう帰ろうかと思ってたという。下手すると会えなかったかもしれなかったのだ。日本でも会える友人にこんな場所で会ってしまうと、一体自分はどこにいるやら分からなくなってしまう。何だか自分がここにいる、ということが実感できなくて足が宙に浮いているような気がする。これはパリに着いてからずっと感じていたことだ。旅行すると自分がここにいる、ということがこんなにも曖昧なことで根拠がない、ということに気づかされる。それが日常から脱出する旅行の醍醐味でもあり、怖い部分でもある。さて、話がそれたが次は南仏ニースへ飛ぶことにしよう。
ニースは南仏のリゾート地。海沿いに「英国人の散歩道」がのびている。この散歩道で私たちはひたすらぼーっと、今まで見たことのないような青色をした海を眺めて日中をすごした。この散歩道をホテルに向かって歩いていると、ローラーブレードの手作りジャンプ台があった。そこで地元っ子たちが技をきそいあっている。しばらく見ていると、子どもたちのそれぞれの得意技や性格、勢力関係(?)なんかが結構わかってくる。見かけは地味だが技はぴかいちの「メガネ」、跳べないくせに割り込んでまで跳ぼうとする「キューピー」…そして智子のお気に入りの黄色いウィンドブレーカー「おにいちゃん」、そしてそして私のお気に入り「プリンス」(彼のかっこよさをここで力説してもいいのだが、それも何だか恥ずかしいので聞きたい方は私本人まで)。ジャンプ台の高さを「メガネ」たちが上げようとすると、ただでさえ跳べない「キューピー」は台にしがみついて必死に抵抗する。孤高の「プリンス」は、そんな騒ぎには関わらず、遠巻きにみている。こんなちっちゃなドラマを見ていると何時間でも飽きなかった。(といって私らのように3,4時間も見てるのもどうかと思うが。)
ミラノで一足早く智子は帰国。残された私は同じツアーに参加していて知り合った子と行動をともにすることに。さて、水の都ヴェネツィア。水の都、というだけあって町中を運河が走り、町の主要な足は「水上」タクシーである。私たちは昼御飯を豪華にレストランで食べて、夜はホテルにお酒や食べ物を持ち込んでグラン・ディネー(英語にすればグランドディナー?)ならぬ「プチ・ディネー」を楽しむことにした。お昼ご飯を食べたレストラン「ア・ラ・マドンナ」ですっかりいい気分になった(なぜかはミーハーすぎてここでは書けません…)私たちはハイなままホテルで騒いでいた。深夜で少々の不安はあったものの、カウントダウンをするために、ヴェネツィアのメイン広場であるサン・マルコ広場に繰り出すことにした。広場で深夜を迎えようとたくさんの人が集まっている。何だか分からないがすごい熱気。花火や爆竹が鳴り響く中、広場の鐘が12時をうった。いっしょにいた子の一人がもってきていたビデオカメラを回し始めると酔っ払った人達がカメラにむかってあけましておめでとう!――ではなく、ボナーノ!を言って来る。全然知らない人なのに抱き合ったり(時にはほっぺにキスも)、シャンペンをわけてもらったり、胴上げされたり?!こんなにハイで楽しいしっちゃかめっちゃかのお正月は後にも先にも今年のお正月だけだろう。
ここまで読むと私たちは遊び回ってしかいないみたいだが(実際そうかも知れないけど)、私は結構美術館巡りを楽しんだ。パリのルーブルやオルセー、フィレンツェのウフィツィ、それにヴァチカン。美術の教科書を見ているかのように名画の嵐だった。中でも私が好きなのがラファエロ。聖母子像を柔らかいタッチでかいた天才画家だ。フィレンツェではラファエロの絵を多く集めたパラティーナ美術館に行った…のだが、ものすごく混んでいる。2,3時間は待たないと入れないという。仕方がないので夕方出直してみた。危うく直前で足切りされるところだったが何とか入場し、ラファエロはどこ?と係員に尋ねると今は見られない、などという。ここまで来て…と思って出口へ向かうと、あった!「小椅子の聖母」(写真参照)だ。私はその絵に釘付けになってしまった。6時20分にドゥオーモ前でツアー参加者が集合してTボーンステーキを食べに連れていってもらうことになっているのにもかかわらず。あー、時間がないと思いつつもすっかりこの絵のとりこ。集合時間直前になってようやく動く気になってあわててドゥオーモまで走った。まさかフィレンツェで持久走をすることになるとは。なんとか集合に間に合って血のしたたるレアレアのTボーンステーキにありつくことができた。
場所は変わってローマ。やはりここで外せないのがカトリック総本山のヴァチカンだ。(れっきとした独立国なので、まるでローマの観光地のひとつのように書いたら怒られるかな。)ヴァチカン美術館のすごさはさておき、聖ピエトロ大聖堂もすごかった。すべてが大きくて豪華絢爛。ヴァチカンを見てすっかりおなかいっぱいになって帰ろうとすると、係員にとめられあっちから帰れと言われて、そっちへ行くとさっきの所から帰れと言う。一体どっから帰んねん、と少々いらだっていると白い法衣を来た一団がパイプオルガンの厳かな響きとともに列をなして中央の回廊にやってきた。なにかセレモニーが始まるのかと見ていると、その列の最後の方になんと法王らしき人が。列の中では一番偉い人っぽかったし、頭に帽子かぶってたし、顔は遠くてはっきり見えなかったけど(ていうか法王の顔ってあんまりしらないけど)、あれは法王だった…と私たちは信じている。