安藤雅樹
長野オリンピックが終わった。
僕は長野県に実家をもっていることもあるし、もともとオリンピックとかそういったスポーツを見ることは好きなので、テスト中にもかかわらず、かなりの時間見ていた。そして終わってから思う。このオリンピックは開催すべきだったのだろうか、と。その答えを探してみたい。
オリンピックを開催することに関するデメリットとメリットを考えてみる。
1.環境問題
もはや冬季オリンピックには環境破壊が付物となってしまった感がある。長野オリンピックも例外ではない。
長野オリンピックが引き起こした自然破壊としては次のようなものが挙げられる。
競技会場の建設による自然破壊(飯綱高原、白馬村ジャンプ台、八方尾根等)、オリンピック関連道路の建設による自然破壊(志賀高原、飯綱高原等)、高速道路、新幹線などの建設に伴うリゾート乱開発など。
2.財政問題
1)分野別に見た支出
オリンピックにかかったお金は実際上次のように分けることができる。
- オリンピック招致活動費
- 大会運営費
- オリンピック競技、運営施設建設費
- オリンピック関連道路建設費
おおざっぱに言ってこのように言うことができるのだが、招致活動費と大会運営費はともかく、施設建設費や関連道路建設費に付いては特別会計を組んでいないため、はっきりとこれはオリンピックのための予算であるということができないのである。例えば、開閉会式に使われた会場が南長野運動公園整備事業の一環であったり、滑降コースゴール地点が砂防事業であったり、志賀のアルペン会場の道路が林道工事であったり、豊科と白馬間のルートが農道であったりしているのである。
このため、具体的にいくらかかる、ということを示すことはなかなか難しい。しかし、あえて算出すると次のようになる。
1−1 オリンピック招致活動費
NAOC(長野オリンピック組織委員会)は招致費に25億5606万7892円かかった、としている(1991年)。1988年の段階では5億としていたのだから、5倍になったことになる。なお、この額はNAOCの前身長野冬季オリンピック招致委員会が支出した金額であり、国や県、市町村が独自に支出した分は含んでいない。それを含めると50億円近くになるといわれている。
後にも述べるが、この招致活動費というものが実際上具体的にどのように使われたのかがよく分からないのである。接待やわいろとして使われたのではないか、と言われることもある。
1−2 大会運営費
映像の制作、競技会場の仮設施設の建設、広報・報道、式典などに使われるお金。1988年の段階では400億円の予定であったが、1991年の誘致段階で、760億円、95年6月の試算では1500億円を超えた。96年には切りつめて945億円という予算になった。97年3月には1030億円に最終決定された。このように大会運営費が膨れ上がったのは実施競技数の増加、会場の広域化などのためである。
今回の長野オリンピックにおいて運営費はテレビ放映権や企業協賛金集め(マーケティング)による確保が原則で、長野五輪は当初から国の補助はない。しかし、不況により企業協賛金集めが順調には行かず、テレビの放映権もドル建てのため円高により目減りするなど、全額を確保することが難しくなった。そこで、開催自治体(県、開催市町村)に補助金として運営費を負担させることが行われた。その総額は自治体派遣の職員に対する補助も含めると120億円前後、含めないと50億円といわれている。
結局オリンピック後に判明した大会運営費は1070億から1080億あたり、となってる。
大会運営費自体において赤字が出ることは防いだが、自治体からの50億の支出は変わらない。
1−3 オリンピック競技・運営施設建設費
96年3月の県議会総務委員会で、県は五輪の競技施設整備費は合計で1037億円、運営施設費は658億円に達するとした。ただし、これについては開閉会式会場の建設費400億円が入れられていないなど、オリンピックに関する施設かどうかの境界線があいまいになっている。
1988年の国内立候補時では1434億1800万円、1989年にはなるべく既存の施設を用いる、ということで1200億円に圧縮、1991年の開催決定時には1398億円となっていた。
「なるべく新規の施設は作らない」というオリンピック招致の閣議決定にもかかわらず、いくつもの施設が作られた。その施設と建設費を次に挙げる。
1−4 オリンピック関連道路建設事業費
長野―志賀ルート、長野―白馬ルート、長野市内、野沢温泉ルート、高瀬川ルート、農道・林道を合わせて、2479億円となっている(1996年12月長野県土木部発表)。うち県事業分が1746億円、市町村事業が733億円となっている。
1−5 思うこと
以上のようなお金がどこから出てくるのか。
オリンピック招致活動費は県、市町村、その他企業などからの寄付金などから。
大会運営費はテレビ放映権料、スポンサー収入、入場料、宝くじ収入、県、市町村などの支出、寄付などから。
オリンピック競技施設、運営施設、関連道路は国、県、市町村などから。
オリンピック関連道路については、その整備された道路がこれからも住民の人に利用される、というのなら、自治体がお金を出すのもわかるような気がする。
しかし、競技施設は本当に新設する必要があったのだろうか。住民のためになるのだろうか(そこには施設の後利用の問題が絡まってくる)。大会運営費や招致費に対する支出ははたして住民にとってオリンピックが来るからしょうがない、と我慢できる程度のものだっただろうか。オリンピックが我が町に来るという効用と比較してこれらに対する出費は我慢できる程度だったか。
これについては県民の意識調査をしないとわからないだろう。そして、もし意識調査で、長野県民の大多数がこれらの道路や施設建設にかかる費用も含めて自分たちの税金が使われたことに関して違和感というものを感じない、ということであれば、(ほかの環境破壊などの要因を無視すれば)長野オリンピックは呼んでよかった、ということになる。
はたしてどうなのであろうか。
2)地方債の額
県および開催市町村(長野市、白馬村、山ノ内町、軽井沢町、野沢温泉村)において長野オリンピックのために支出している。
以上のような巨大な額のお金を通常予算から支出することはできないため、地方債を発行することになる。
長野市はもともと堅実な財政の自治体とされ、92年度には約602億円もの基金を蓄えていた。しかし、五輪開催が決定したあと、この基金の切り崩しと、市債の発行が行われることになる。97年度終わりの時点で、基金は約216億円になり、市債の発行残高は1925億円となっている。この借金の市民への負担は1人あたり約53万円、1世帯あたり154万円となっている。長野市の借金の償還ピークは2002年前後で、その時点での償還額は年間約230億円となる。
長野県も県債を発行している。その額は97年度末で約1兆4439億円となっている。県民一人当り約65万円の借金、1世帯あたり約200万円の借金である。これは長野県の一般会計予算の規模より大きくなっている。
ジャンプ台などを建設した白馬村にいたっては116億円に借金が膨らみ、1世帯あたり500万円以上になっている。
もちろん長野市や白馬村の住民には長野県の税金もかかるため、それを加える必要がある。加えると長野市民は1世帯あたり354万円の借金にもなる。
問題は地方債という借金の額ではない。(地方債の残高、ということでいうと、1988年度で長野県自体はそれでも12位にすぎない。もっと地方債残高が多い都道府県も多くあるのである。比較の問題ではないかもしれないが。)
問題は繰り返しになるが、たった16日のために、何百万という借金を受け入れることができるかどうかである。もちろんこのオリンピックが残すものはたくさんあるだろうし、このオリンピックで得たものもあるだろう。これらの効用がこれからの借金を上回るかどうか。これでオリンピックを開いたことの是非は決まる。
3)施設の後利用
財政負担についてはもう一つ、オリンピック後のものがある。
幸いにして今回の長野オリンピックでは大会運営費が赤字となることはなかった。赤字が出た場合には長野県と市が補填することになっていたが、その心配はなくなったわけである。
そこで残っている問題は施設の後利用、ということになる。
3ー1 施設の後利用の具体的な形
長野市に作られたオリンピック競技関連施設の維持・管理は、市の試算で年間約19億8400万円かかるという。以下、どのように利用しようと考えているのか具体的に見ていきたい。
*長野市
エムウェーブ 年間維持費は5億2400万円と見込まれている。市は第三セクターの新会社を設立して運営を委託し、冬期はアイスアリーナ、他シーズンは多目的利用を検討中である、という。国の財政支援を得るため、国レベルのトレーニングセンターを誘致する構想もある、という。 ホワイトリング オリンピック後は、市民向けの総合的な体育施設として利用する計画である。現在300台分の駐車場を整備中だという。 ビッグハット 隣接する文化コンベンション施設と連携し、スポーツやイベントなどの多目的ホールとして活用する。 アクアウイング オリンピック後に約1年かけて改修し、可動式屋根を備えた通年型の屋内プールに作り替える。 スパイラル 周辺を公園として整備し、オリンピック後は競技施設、レジャー施設として活用する。夏期に滑車で滑る乗り物を取り入れることも検討している。国に対してナショナルトレーニングセンターとするよう、要望している。年間3億円の維持費がかかるという。 開閉会式場 野球場などとして利用する。 *白馬村
ジャンプ台 そのままジャンプ台として大会などを開く。 *野沢温泉村
バイアスロン会場 クロスカントリースキーなどのトレーニングセンターにする予定。 *軽井沢町
カーリング会場 5月初旬から10月中旬までは温水プール。冬期は水圧装置でプールの底を上げてカーリング専用リンクとする。
3ー2 思うこと
冬期の大会の施設であるため、どうしてもそのままの形で市民に開放する、という形はとりにくいのだろう。様々な形で作り替えることになっている。せっかく新しく作ったのだから、そのまま利用したいのは山々なのだろうが、それでは採算がとれず(国は管理運営について主として責任をとらないことになっている)、やむなく他の目的に作り替えるのだろう。特にホワイトリングやアクアリングにはそのようなにおいを強く感じる。
それにしてもこのような事態になることは最初から予想がついていたはずである。なぜ、他の既存施設で代用しようとしなかったのだろうか。招致の段階での閣議決定でも「既存の施設を利用する」とされていたはずである。実際、例えば松本市の浅間温泉には世界規模の大会が開かれるリンクがある。これを利用すればエムウェーブ(スピードスケート会場)なども作る必要がなかっただろう。やはり、公共事業の魅力には勝てなかったのだろうか。
リュージュ/ボブスレー競技施設であるスパイラルについては、後利用が最も注目されている施設である、といっても良い。リュージュとボブスレーをあわせても競技人口は国内でせいぜい300人ぐらいしかいない、という。もちろんこの施設の利用によって競技人口が増えることも考えられないこともないのだが、それもたかがしれているだろう。果たして3億円という莫大なお金をかけて管理維持する価値があるのだろうか。
前々回のアルベールビルのボブスレー/リュージュ会場も同様に観光に使われて、滑れるようになっているのだが、一滑り4200円から11000円かかるという。コースの維持費を出すためには高価にならざるを得ないのだろう。それでも経費は観光客の利用料金でまかなえる分は半分で、後は県、国の補助金だという。
スパイラル(ボブスレー・リュージュ会場)はどのような運命をたどるのだろうか。5年ぐらい後には廃止、ということになっているような気もするが。
まだ、後利用については未知数の部分が多い。施設を維持できるだけの収入を得ることができるか、施設を作った意味があるといえるほどの市民の利用があるか、これからの見極めが必要になる。
3.商業主義
1) 商業主義とは?
近年のオリンピックは商業主義であると批判されている。しかし、その側面は様々なものがあり、一重に批判されるものでもないとは思う。例えば、映像を重視して、観客のことを二次的に考えるとか、スポンサーとなっていない企業については広告看板を規制する、オリンピックのマークを使うことも禁止される、というようなものがある。また選手を広告塔として使うというものもある。このようなものに関してはまあ許されるのではないだろうか。オリンピックもそういう時代だ、といえばそれまでのような気がする。異論はあるだろうが。
しかし商業主義という枠で括られるなかで、批判されるべき事例は存在する。以下にいまいち体系的にならないのだがいくつか挙げてみたい。問題となるのは、民主主義に著しく反している、住民の意思に反するだろうと思われるものである。
2) オリンピック招致費をめぐるもの
よく言われるのが、長野オリンピックは金で買った、ということである。
オリンピック招致費は公開されているだけで25億円以上、県や市町村のオリンピック招致関連支出を超えると、50億円を超えるといわれている。これらのお金は何に使われたのだろうか。長野県は「公文書公開条例」があり、それに基づいて市民団体が公開請求したのだが、NAOCは任意団体である、という理由から非公開になった。また、信じられないことだがオリンピック招致委員会(NAOCの前身)時代の会計帳簿は紛失してしまい、今見ることはできない。つまり、この招致費の中身を知ることはできないのである。
はっきりしない部分は多いのだが、招致費は五輪開催地の決定権を持つIOC(国際オリンピック委員会)委員のための接待や買収活動に使われた、という面が指摘されている。また、ともに立候補していたイタリア・アオスタの関係者に立候補取り下げ工作としてわいろが支払われている、と報じられたこともあった。
もちろんそれだけではなく、アピールのために使われた部分もあるのだろう。しかし、もしこのように接待などを招致費で行ったとしたら、そこには税金も使われているわけであるし、問題視されるべきだろう。(金があるところにオリンピックが行く、というまさしく商業主義の弊害も見て取れる。)
真実は分からない。しかし、すくなくとも事実を知らせるために招致費の内訳を公開することは必要なのではないか。招致費の内、県が支出した分は9億2000万円に及ぶ。これについての行き先について住民は知る権利があると思う。
また、招致委員会には民間からの寄付による収入が10億円あまりあるが、そのほとんどは日本体育協会がゼネコンなどの企業から寄付として集めたものである。そして、その寄付した建設業界の企業のほとんどが、オリンピック関連工事を受注している、という(毎日新聞の報道による)。これもゼネコンへの利益供与ということで公平性を疑いうる事柄ではないだろうか。
3)「ツツミ五輪」
今回のオリンピックで最大の利益を得るのは堤義明氏である、ということがいわれる。堤氏は西武系コクドの社長である。招致時のJOC(日本オリンピック委員会)の会長ということでオリンピック関係者とも太いパイプを持っている、という。
これこそ真実についてはわからない。しかし、客観的事実から見て堤氏のグループ企業にもたらす経済利益は計り知れないものがあるようだ。
例えば、志賀高原焼額山スキー場は堤氏が経営している。志賀高原の焼額林道は、西武系のプリンスホテル東館と南館の中間部を拠点にして堤氏の別荘と言われている建物の脇を通って、回転のゴール地点へと結びついている。また、長野市から志賀高原までの道路はオリンピック道路として整備された。これらの道路は堤氏を利するものではないか。公金を私利のために使った、ということはないだろうか。
なぜ長野なのか、ということがよく言われる。つまり、国内での候補地を決定する段階で長野と競い合っていたのが岩手県盛岡市である。なぜ盛岡ではなくて長野だったのか。長野よりも盛岡の方が雪不足の心配は少ない。東京からのアクセス手段も確保されている。
なぜ長野に決まったのか、ということに対して、堤氏の影響を批判する人は「盛岡にはもう既に東京からのアクセス手段があるから」と答えるようだ。すなわち、盛岡市にも長野市にも堤氏の経営するスキー場はあるが、盛岡市には新幹線や高速道路などアクセスする手段がある。一方長野市にはそれらの交通手段が無い。だから、オリンピックを利用して新幹線や高速道路を作らせて、自分のスキー場へ人を来させよう、と考えた、というのである。
実際のところはどうかわからない。マスコミも(左翼系の新聞雑誌を除いて)報道することはない。しかし、もし本当ならば、今回のオリンピックはこのように開発を第一義的に考える人物に乗せられたことになり、問題である。堤氏の企業はこれまで志賀高原などの自然を破壊し続けてきた。このようなグループに牛耳られた五輪が、バランスの取れた開発を行ったといえるのだろうか。(もちろん、このような言い方はフェアではないし、説得力をもたないだろうが。)
自然破壊をしても住民が開発を望むのなら仕方が無いかもしれない。しかし、その開発が住民のためではなく、一握りの人間のための開発であるとしたら、許されるものではないだろう。開発は住民のためであって初めて正当化されうる。そう思う。
4.オリンピックのメリット
以上オリンピックのデメリットについて自然破壊、財政問題、商業主義の観点から見てきたが、一方オリンピックのメリットというものについても簡単に考えてみたい。
1)地域経済の活性化
これは、競技運営施設、関連道路などを造ることによる建築業界の活性化、高速道路などの交通インフラが整備されることにより物流システムが整備され、商業が活性化される、オリンピックが開かれることによって観光客が増加し、サービス業が活性化するなどの様々な側面があると思われる。しかし、本当にこれらの事が今回起こったのかは一言で言うことができないし、判断は少し時期を待たなければならないだろう。
長野県のトップバンク八十二銀行系シンクタンクの長野経済研究所が96年6月試算したところによると、長野五輪による県内経済効果は2兆3244億円にも及ぶという。「五輪による公共事業が県内経済の成長に大きく寄与している」と結論づけている。「初期投資」計1兆5218億円によって新たな需要が生まれ、2兆3244億円が使われると積算した。内訳は、建設業1兆3795億3000万円、サービス業3047億1000万円、商業1335億円などとなっており、「初期投資」に対し1・53倍の波及効果があることになる。
もしこのとおりになるのだとしたら、経済面で言うと、ひとまず終わった時点ではオリンピックを開いてよかった、ということができるだろう。
また、長野市の会議場は大ホールに約3000人収容の県民文化会館がこれまで最大規模だったが、五輪を機に収容人数が6000人を超えるビッグハットやスピードスケート会場エムウエーブが完成、大規模な会議やイベントを誘致できる施設が一気に増えた。それにより、2003年までの6年間で計88団体の全国大会や会議の誘致を決めている、という(97年12月の時点)。オリンピックの会場を利用したコンベンション都市となり、イベントを行える都市となるという今後の経済波及効果も期待される。
2)地域一般住民の利益
これは地域の住民がオリンピックを直接に見ることができる、施設を利用することができるという直接的な利益とが一つと、もう一つ、自分たちの町にオリンピックがきた、という言い知れぬ誇りのような間接的な利益とがある。このような利益については言葉で言い表すことは難しいが、オリンピック直後の県民の意識調査がこのオリンピックの利益を示しているような気がする。
オリンピックを開いて良かったか、という問いに対して「良かった」「まあ良かった」と答えた人は87.7%にも及んだ(長野県世論調査協会による)。その理由は複数回答「子供たちに大きな夢を与えた」が最も多く74.2%。「長野の名前が世界中に広まった」が61.0%だった。北信、東信(長野県を北・中・南に3分割した場合の北部―実際の競技はほとんどがこの地域で行われた)では観戦に訪れた人が多かったこともあり「世界の選手が競い合う姿に感動した」とする人が6割を超えた。
ここに地域住民の大部分の思いが凝縮されているように思う。
5.まとめ
以上で見てきたように、長野オリンピックはごく大ざっぱに言うと自然破壊をもたらし、自治体の財政危機をもたらし、商業主義の問題点をかいま見せた。
一方で経済効果もあり、地域住民への「無形の遺産」も残した。
自然破壊や財政問題についていうと、これをどう考えるかは、一言で言ってしまえば住民の問題である(特に重大な自然破壊についてはそうとも言い切れない部分があるが)。これを覚悟の上でそれでもオリンピックを望むのならオリンピックを開催することもいいのではないか。世論調査を見る限り、県民はオリンピックを望んでいるようであった。
しかし、重大な問題がある。それは長野県民が以上のような問題点を知っているのだろうか、ということである。自然破壊、財政破綻などの問題を踏まえた上で開催に賛成していたのかどうか、これが問題となる。
これから2008年の大阪オリンピック誘致、愛知県瀬戸市で計画されている2005年国際博覧会(愛知万博)、2002年のサッカーワールドカップ開催など、様々なイベントが企画されている。これらについても住民が問題点を正確に把握する必要があるだろう。長野オリンピックを教訓として。
僕は人一倍愛国心が強い方で、オリンピックも大好きである。実家が長野にあることから、「長野の名前が世界中に広まった」ということで喜ぶ山国、長野県民の気持ちが本当に良く分かる。
それにもかかわらず、オリンピックはやらない方が良かったんじゃないかな、という気持ちが残る。財政を破綻させてまで、自然を破壊して乱開発への道筋をつけてまで、行う意義があったのだろうか。経済を振興させるには他に手段はなかったのだろうか。これが僕の思いである。
そして今度は住民を無視することのない開発とはどのようなものか、どのような手段をとればいいか、どのような経済振興策があるのかということについて考えてみたい、と思っている。