活動記録ノートから その3
福田 健治
この文章は、だいぶ昔のユニトピアに前半部分だけ掲載して、長いことお蔵入りしていたものです。読んで赤面的なものがあるので続きの掲載を見合わせていたのですが、いろいろと心境の変化があり、載せてみることにしました(1年以上前の文章なので、今読むと、若かったなと感じるところがなくもないですが、このまま公開します)。ご感想などお寄せいただければ幸いです。この文章の事件は、1996年夏のフィリピン訪問時のものです。
「どんなところに泊まるのか」は、「どんな荷物を持っていくか」と並んでその人の旅行のスタイルを大きく左右する要素である。一泊数百ドルもするようなホテルはそれ相応に快適だろうし、多くの発展途上国ではその1%程度の宿泊費で寝ることだってできる。友人の家に泊めてもらえれば宿代はただに近くなるだろうし、夜行列車を活用すれば宿泊施設にお世話にならずに旅行することもできよう。そして、それぞれの宿泊のタイプに応じた「楽しみ」というものが存在するに違いない。(断言できないのは、上に挙げた全てのスタイルを試したわけではないからだ)
フィリピンの首都マニラでも、旅行者は星の数ほどあるホテルから一つを選ばなければならない。フィリピンで選択に困るほどの宿泊場所があるのは、セブなどの一部のリゾート地を除いたらマニラだけである。ダイヤモンドホテルやシャングリラなどの一流ホテルから、200ペソもしないゲストハウスまでよりどりみどりであることは、ホテル選びの楽しさと面倒くささを同時にあじわせてくれる。
食堂でも洋服屋でも迷うことと新しいことが嫌いな私は、上のような苦労を避けるため、マニラで宿泊するときは常に決まったところに泊まる。ドミトリーで170ペソぐらいの安い宿で、キリスト教の施設のため中で酒を飲むこともできないところである。なのに私がそこを気に入っているのは、場所が便利ということもあるが、最も大きな理由は外国人観光客が少なく、地元フィリピンの宿泊客が多いということだ。一度「地球の歩き方」に「欧米人観光客が多く云々」と書かれているゲストハウスに泊まって、アメリカ人の英語のスピードについていけず痛い思いをしたので(私の英語はフィリピン人以外には通じない)、それ以来そこには行かないことにしている。フィリピン人が多い宿泊施設は、旅行者が「(悪い意味で)観光客目当て」でないフィリピン人と出会える数少ない場所だと思う。ちなみにそこは「地球の歩き方」には出ていないので日本人もまれである。(NGO関係者とかはいるようだが。この前はどこかの大学の開発経済学のゼミの人たちが団体で泊まっていた)
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さて、問題のMiguelは、その宿で去年の3月に知り合ったフィリピン人の男性である。その頃は、どこかの大学の学生で情報通信の勉強をしていると言っていて、実際にベッドの脇に分厚い教科書だとかノートを積んでいた。私は彼と仲良くなり、授業がない時間に街を案内してもらったり、一緒に食事をしに行ったりした。Miguelは日本に働きに来たことがあるそうで、日本の地名や日本人の知り合いの名前を出しながら、日本がどんなにすばらしい国かをよく力説していた。フィリピン人らしい屈託のなさで日本からの客を受け入れてくれ、私もいい友だちになれそうだと思ったものだ。
世界は狭いものだ。1996年の8月、予定より1日遅れて3度目のマニラに到着した私は、久々のエルミタの空気を吸いながら散歩をしていった。と、街角でばったり彼に再会したのだ。私も彼もびっくりである。やあ、久しぶり。今何をしているの? いや、そこのホテルで働いているんだよ。住んでいるところは? 別の場所に自分の家がある... 適当におしゃべりをしながら、ぶらぶらと街を歩き回った。どうやら、彼の方は何か私を案内したい場所があるようだ。今日マニラに着いたばかりで、友人と合流する3日後まで別にこれといって用事があるわけではない。まあ、つきあってみるかと思って、そのまま彼についていった。
先ほどからマニラという言葉を使っているが、ふつう観光客がマニラと思っているところは正確には"Metro Manila"、日本語に訳せば「マニラ首都圏」とでもいう行政区域であり、その中の一つの市として"Manila City"が存在する。私が宿泊しているエルミタという地域は、このマニラ市の中にある。
彼はぐんぐんとロハス通りを南に下っていく。ロハス通りはマニラ湾に面した大通りで、道の両側にはヤシの木が植えられていて非常にきれいに整備されている。この通りを南にずっと行くとそのうちにパサイ市に出る。パサイ市に出ると、だんだん道に沿ってネオンがきらきらしている怪しげな店が増えてくるので、それとわかるのだ。かつてエルミタ・マラテ地区は外国人観光客が多く、観光客向けの宿やレストラン、バーなどでいっぱいで性産業も非常に盛んだったのだが、マニラ市の取り締まり強化でそういった店はパサイ市やマカティという高級ビジネス街に移ってしまい、今は見る影もない。そういうわけでパサイ市のマニラ湾沿いにはゴー・ゴー・バーやらなにやらよく分からないが、その手の店がいっぱいなのである。
話題も尽きてきて、いい加減雨期とはいえ暑い都会のど真ん中を車の排気ガスと一緒に歩くのに疲れてきた頃、Miguelは一軒のお店にすたすたと入っていった。薄々予感はしていたものの、案の定、彼は私をそういう店に連れていこうとしているようだ。ギンギラのネオン、客引きの従業員、薄暗い室内、こういった特徴が私に店には行っていくのをためらわせた。私が店の前で入ったものかどうか悩んでいる(ふりをしながらごまかしている)と、彼は「何で入らないの」という顔をしながら私に向かって手招きをする。やれやれ、ここまで来てしまったのだから、と腹を決めた…訳でもなかったが、好奇心と断った後の面倒くささとに負けた私は、店の中に入っていったのだった。
すでに顔なじみらしく、従業員と親しげに話しているMiguelの後について暗い店内を歩いていく。まだ準備中らしく、客の姿は見あたらない。えらく若い従業員たちが準備のためにうろちょろと歩き回っているだけである。奥にはちょっとしたステージがあり、それを取り囲むようにテーブルといすが配置されている。私たちはステージの近くの席を陣取り、ショーが始まるのを待った。
このときの私の一つの大きな心配事はお金のことだった。あいにくフィリピンに着いた当日で、空港で両替した2000ペソほどしか手持ちがない。本当に払えるような金額なんだろうか、どうせMiguelの分は(たばこを買うのにも私に小銭をせびっていたぐらいだから)私がおごることになるんだろうな、でもこんなことでお金を使ったら、ただでさえ今回の旅行は出費が多いのに、この先大丈夫なんだろうか… てなわけで、酒も飲まずコカ・コーラをふたりでちびりながら、私に相談もせずにこんな所に連れてきた彼に半ば腹を立てながら、どんなショーが始まるのか好奇心で胸をいっぱいにしながら、待つこと数十分、ライトと音楽が始まり、ようやくなにやら始まりそうである。
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ショーの内容は、簡単なストリップだった。美しい女性がなにがしかの服なり下着なりをつけてステージ上に現れ、音楽に合わせて踊る。踊りながら1、2枚ほど服を脱ぐ振りをしたり脱いだりして、音楽が終わるとステージの向こうに引っ込んでいく。延々この続きなのだが、彼女たちの来ているものも音楽もバリエーションに富んでいて、なかなか楽しめる。どのぐらいまで脱ぐかはまちまちで、全裸にまでなる人もいれば胸も見せないまま終わる子もいる。ただ時間とともに過激になる傾向にはあるようで、午後8時頃ショーが始まったのだが、服を全て脱いでしまう女性がでてくるまでに1時間半もかかった。このあたりは日本のストリップとは違うようだ(とはいっても日本のストリップは伝聞でしか知らないわけだが)。
おもしろいのが客層と女の子たちの特徴で、来ていたのがほとんど外国人男性で欧米の人とアラブ系の人が多かったせいかどうか、でてくる女の子たちはいわゆるフィリピン人らしい美人ではなく、色が白く背が高くすらっとしていて、顔立ちも鼻が高くてすっきりとした印象の顔が多かった。この辺は、その店が外国人向けの店のせいかフィリピンでも欧米で美人とされる容姿が好まれるせいかはちょっと分からない。少なくともその店で出演していた女の子が非常に美人で、モデルとしてでも活躍できそうな程スタイルのいい子が多かったのは事実だ。(ただ、私の女性への審美能力を知っている人なら、あまりここいらの評価が当てにならないことはおわかりだろう)
しきりに女の子の同席を薦める店員がうっとうしい。英語と怪しげな日本語を交えてこの子はどうか、じゃなきゃこっちの子は、とやたらと推薦してくださる。もちろん同席した女の子はやたらとドリンクを注文し、気付いてみたらウン千ペソになっているという寸法なわけで、丁重にお断りするわけだが、私の座っていた席が女の子を薦める係のボーイの待機場所に近く、頻繁に私を訪問してくれるのにはまいった。コーラいっぱいで粘る私を、若干けげんそうにMiguelが見ている。
アラブ人(とおぼしき人)たちは豪快だ。自分の席に呼んだ女の子の腰に悠然と手を回して、べたべたと胸や何かを触りまくっている。人前であそこまでできる神経は、私にはちょっと分からない。第一、イスラム圏では女性との接触は厳しく制限されているのではなかったのだろうか。いや、だからこそフィリピンで、というのもありなのだろうが。
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10時を回り、いい加減この雰囲気についていけず店を出たくなっていた私は、Miguelに「もう帰ろう」と提案する。会計は二人分でしめて900ペソ。なぜ彼の分を私が払わなければいけないのか分からないが、彼はそれが当然とばかりに涼しい顔をしているので、私も文句を言う機会を失ってしまった。英語を話すのにいい加減疲れていたというのもあるが・・・ 貧乏旅行好き、ではないがお金がないのでやむをえずけちな旅行をする私にとって、フィリピンに到着した直後の900ペソは痛い出費だ。これだけあれば、ホテル代だったら5泊分だし、食事に至っては30回でも・・・と不毛なことを考えてしまう。
大変だったのはこれから先だった。なにせ、われらがMiguelくんは、何を思ったか一生懸命私に女性を買うことを薦めてくれるのだ。彼の話しによれば、今のショーに出ていたぐらいのきれいな女性なら5000ペソぐらい(払えるか!)、もっと若くてかわいい子なら1000ペソぐらいから、だそうだ。思わず「ホテルの部屋はドミトリーで女の子なんか連れ込めないよな」などという不毛な言い訳を考えたが、ここはびしっと言っておいた方がいいと思い、「別に女の子なんかいらない」というような内容の事をMiguelに伝えた。いまいち英語の問題もあって通じたかどうかよく分からなかったが、私の剣幕もすごかったのだろう、いい加減にあきらめてくれたらしく、ようやくタクシーを停めてくれる。本当にほっとする。別れ際、またこいつは金をせびる。ただでストリップを見せてやっただろーが、と相当頭に来ていた私は、「誰が金なんかやるか」と啖呵を切ってタクシーを出発させたのだった。やれやれ。
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いったい何がここまで私を困惑させ、怒らせたのだろうか。実際のところ、ストリップを見ている最中、私はほとんど性的に興奮しなかった(できなかったというほうが正しいかもしれない)し、それをはるかに上回る混乱と居心地の悪さと違和感を感じつづけていたのだ。
私自身、サークルで発展途上国の女性についていろいろ学んだが、だからといってこの種の職業につく女性についてとやかく言うつもりは毛頭ない。限られた社会環境の中で生活しなければならない彼女たちにとって、性産業で働くことは当然のことだろうし、私の罪悪感もそこに立脚するものではないだろう。恐らく、この違和感は日本でストリップを見に行ったとしても変わらないのではないか。問題は私の側の潔癖症にある。こういう場所で悠然とできることが大人であることなのかもしれないが、そこまですれるには私はまじめすぎる。これは私にとって最初で(今のところは)最後の性産業の体験談である。(別に女性の裸を見ること自体がいやなわけではない。念のため)
ただ、私がそれ以上に腹が立つのは、Miguelが、私に何の相談もなくこの種の場所に連れて行き、それに対して私がどう思っているかなど全く気にせず、いやそれどころか、私に対していいことをしたと信じていることだ。彼はどうやら他の日本人を何人もこのようにして案内したことがあるらしく、日本人をああ行った場所に連れて行くことを当然と思っているようである。そして、それが日本人に対するサービス、饗応なのだと思っているふしがある。
そう、私はいやおうなしに、「日本人男性」でしかありえない。私は、フィリピンに行けば、いや日本にいても、男性であること、日本人であることというくびきを負って生きている。Miguelにとって私は「The 福田健治」ではなく、知り合いの日本人の一人だし、彼は彼なりに日本人に対する正しい対応を取ったのだろう。そこでの私は、金持ち日本から来た男、である。マニラの空港で、係員から「日本人か?」「そうだ」「じゃ、奥さんがこっちにいるのか?」と聞かれた記憶がよみがえる。(これに関しては、そんな年じゃないやい、という文句もあるが)
男であること、そうであれば当然にストリップを見る。喜ぶ。感謝される。気前よくおごってくれる。そう考えたMiguelを非難する気は毛頭ない。多分彼が今まで案内した日本の某大企業のヤマモトさんや、別の大企業のなんとかさんやらは、ストリップを喜んで見に行ったのだろう(Miguelには、900ペソが痛くてひいひい言う日本人の存在など想像できないのかもしれない)。そういう日本人には何回か会ったことはある。彼らにはおいおい、と言わせてもらいたいが、悲しいかな私は彼らと同じカテゴリーに属さざるを得ない。こういうとき、自分が日本人であること、そして男性であることがつくづくいやになる。男性であるから当然どうこうという周りからの視線に、私は耐えがたいほどの嫌悪感を感じる。
多分、私と付き合っている人の多くは、何らかの形でカテゴライズされた福田健治と付き合っているのだろう。私自身も、当然最初は、相手のことを白いキャンパスに絵を描くように見ることはできない。だから私は、日本人であり、男性であり、京都大学の学生であり、ユニセフクラブのメンバーであり・・・といった範疇から抜け出て社会的に生きていくことなどできやしないだろう。しかしながら、今多くの外国人が日本に滞在し、日本人というあり方が問われているのと同様に、男性であるということも、それ自体に様々な性のあり方を含んでいるはずである。私には私の性に対する価値観があり、あなたにはあなたのそれがある。人生の中で、そこまで了解することができる人間関係がどれだけ作れるのかどうかわからない。しかし、そうでない限りは、私は自分が「男性」であることに3割ほどの違和感を持ちながら生きていかざるをない。
願わくは、多くの人にとって私が、「The 福田健治」でありますように。