田岡 直博
1.豊島の概観
所在地 香川県小豆郡土庄町 面積 14.61km2 周囲 19.8km 世帯数 638世帯(1994年4月) 人口 1547人(1994年4月)
瀬戸内海の東部、小豆島の西方3.7キロの海上にあり、香川県土庄町に属する。中央部にそびえる壇山(339m)の周囲海岸沿および丘陵地に3集落が形成されている。特産のやわらかい豊島石を使用した石材加工業が盛んで、また農水産物の供給地として重要な地位を占めている。福祉施設として乳児院、特別養護老人ホ一ム、精神薄弱者更正施設があり、「福祉の島」と呼ぱれるゆえんとなっている。古来から稲作が栄んで豊かなことから豊島と名づけられた。(SHlMADAS'93)
瀬戸内海に浮かぶこの美しい豊島でいったい何が起こったのでしょうか?
1.事件の概要
1990年11月16日、兵庫県警が「豊島総合環境開発株式会社」(以下「K社」と省略)を産業廃棄物処理法違反容疑で摘発したことで、国内最大級の産廃不法投棄の実態が明るみに出ました。
近畿各地から集められた大量の廃油や廃酸(硫酸)、プラスチックごみ(シュレッダー・ダスト=自動車の破砕ごみ)を、島の東海岸付近で、野焼き・埋め立てるという不法操業を、1970年代後半から10年以上に渡って続けたのでした。放置された産廃の量は50万tにものぼっています。産廃の中からは、鉛・カドミウム・PCB・ヒ素などの9種類の有害物質が、また1gあたり39ngという非常に高濃度のダイオキシンが検出されました。
91年1月に、実質的経営者は逮捕され、同年7月有罪判決が下されましたが、判決にもあるとおり「経営者には産廃を撤去する意思も能力もなく」、事件解決のめどがつかなくなってしまったのです。
なぜこのような事件が起こってしまったのでしょう?どうして10年にも渡ってK社がこのような不法操業を続けられたのか、操業開始から事件発覚までを振り返って見ていくことにしましょう。
2.事件の経過
1960年代後半、大阪万博のための建設需要等にともない島の西端(瀬戸内海国立公園内)で建設偉材・産業資材として山が切り崩されていきました。1975年12月、その跡地利用としてK社が有害産廃処理場を建設しようという計画を立てます。それを知った住民は反対運動を続けますが、香川県は許可の方針を示します。ところが 76年9月、有害産廃を積んだ貨物船「高共丸」が接岸、許可を受けないまま荷揚げしようとし、行政指導を受けます。このため県は許可を見送ったので、事業者は廃棄物処理事業許可申請内容を有害物から無害物に変更します。
1977年2月、豊島を訪れた県知事が、事業者に対して産廃処理事業許可を打ち出す方針であることを正式に表明します。これを境として住民の反対運動が激化し、「産廃持ち込み絶対反対豊島住民会議」が結成されます。一方で、香川県から離脱。岡山県に移籍することを決意し、岡山県玉野市へ合併申し入れを行うという前代未聞の自体が発生します。 激しくなる反対運動に業を煮やした事業者は、産廃処理場に反対する住民に対して暴行傷害事件を起こし、逮捕されます。このため、再度処理場計画を「ミミズ養殖」による限定無害畜産廃棄物の中間処理へと変更。
1978年2月、県は暴行傷害事件と建設差止訴訟の2つの裁判の結果を待たずに事業者に対し「ミミズ養殖」の許可を与えます。裁判も、「十分な監視」を行うことを条件に「和解」に至りました。
操業開始と同時に、事業者は許可外の産廃(シュレッダーダスト、得体の知れない液状物等)を持ち込み、野焼き・埋め立てを行い、ぜん息などの苦情が急増します。住民は県に対し公開質問状を提出するなどしますが、県は「ミミズ養殖をしているのだから、危険なはずがない」というような回答をし、いっこうに有効な措置が講じられることはありませんでした。また裁判の和解にしたがって、100回以上に渡り立入検査を行いますが、一度の行政処分も行いませんでした。
1988年5月、海上保安庁姫路海上保安書が産廃処理法違反容疑で事業者を検挙。同年11月に有罪判決が下されます。そして2年後の1990年11月、兵庫県警が産廃処理法違反容疑で再び事業者を摘発、前代未聞の事件として全国はもとより、海外でも大々的に報道されることとなったのです。
先にも述べたように事業者にはすでに事実上倒産して「産廃を撤去する意思も能力もなく」、事件の解決は暗礁に乗り上げてしまいました。はたしてどのような解決方法が残されているのでしょうか。事件の発覚から、現在に至るまでの事件解決への模索の歴史を見ていくことにしましょう。
3.解決への模索
90年11月、事業者が摘発されたにもかかわらず、県は「事業者が行っていたのは有価金属の回収であって、廃棄物の不法処分ではない」との見解に固執していいました。しかし摘発から34日目、多方面からの批判に耐えかねて見解を180度転換します。
ここで県がいう有価金属の回収というのは、以下のような理論によります。豊島に持ち込まれるシュレッダーダストの中にはいくらかの量の金属が含まれています。K社は有価金属を回収するためという名目でごみを1tあたり300円で買い取り、そのかわりに2000円の「運送費」を受け取ることによって、その差額1700円を手にするという方法です。実質的にはごみを1700円払って売却処分するのと変わらないわけです。ちなみに1tあたり1700円の処分費というのは当時としても格安で、そのため違法と知りつつ利用した排出業者も多かったのです。
同年12月、県は事業者に対して、生活環境の保全の必要性から産廃の撤去と飛散防止の措置を命令します。さらに県の指導のもと、約1340t(住民会議試算値・全体量の約0.27%)の産廃が撤去されました。しかし、県は独自の考え方に基づく調査結果と共に事実上の「安全宣言」を公表し、これ以上の産廃の撤去作業を行いませんでした。
93年11月、住民は処理業者と、香川県、産廃の排出企業20社を相手に公害調停を申請します。県ではなく、国の公害等調整委員会で調停作業が行われることになります。ここで住民は「調停」という道を選択したわけです。調停ではお互いが和解に至れば責任が発生しますが、両者が歩み寄り、和解が成立しなければどうしようもないわけです。
公害調停の課程で、「不法投棄された産廃の撤去」のために放置された産廃の調査を公調委の委嘱する専門委員によって実施することに。ボーリング調査と内容物の化学分析を含め2億3600万円の費用を予算化する大規模な調査を行うことになります。日本国内では初の実態調査です。
95年7月、公調委によつ住民への説明会で、公調委は現地調査を踏まえた以下の7つの対策案を示します。
- 現場で中間処理、島外の管理処分場に埋め立てる。
- 島外撤去、島外で間処理した後管理型処分場に埋め立てる。
- 島外撤去、島外の遮断型処分場に埋め立てる。
- 現場で中間処理、現場を管理型処分場にして埋め立てる。
- 島外で中間処理、現場を管理型処分場にして埋め立てる。
- 現場を遮断型処分場にして埋め立てる。
- 現状のまま現場には遮断壁などを設置し、封じ込める。
※ 中間処理の方法としては、焼却と溶融してセメント固化の2つの方法がある。
1〜6案の費用は130億〜200億円が見込まれているのに対し、7案は61億円 と格安。ただし、7案については環境保全上その安全性は保障できないはず。
ちなみに現在日本にある産廃処分場は3種類あります。(1)の安定型最終処分場にはいわゆるカン・瓶・木材などの安定五品目が入れられます。その他のごみのうち、溶出検査で判定基準を超えた場合には「特別管理型産業廃棄物」として(3)の遮断型最終処分場に処理するように義務づけられています。
(1)安定型最終処分場 ↑安全
(2)管理型最終処分場 廃棄物の危険度
(3)遮断型最終処分場 ↓危険
豊島の産廃は、中間処理を行い安全になったとしても(2)の管理型最終処分場か(3)の遮断型最終処分場に入れなければならず、F案はその基準を満たしていないので、産業廃棄物処理法に違反していることになります。
さらに、日本全国にある遮断型最終処分場の残余の合計はわずか3万m3しかなく、これでは豊島の産廃の13分の1しか入れることができません。
この提案に対し住民は改めて「島外撤去」を表明しましたが、県議会で県知事は第7案を支持すると答弁します。平行して行っていた事業者を相手取って廃棄物の撤去と慰謝料の支払いを求めていた民事訴訟で、高松地裁は1996年12月、住民側全面勝訴の判決を受けます。
そして、1997年7月、住民が公調委が示した処理対策案を地元が受け入れ、主に県・国の費用(約150億円が見込まれる)でごみを中間処理して島外に運び出す方向が決まりました。県は処理業者に対する指導監督を怠った県の責任を認めましたが、住民に対する加害責任までは認めませんでした、加害責任が発生すると損害賠償の問題が出てくるからです。豊島住民としても損害賠償を放棄してでも、早期撤去を求める決断をしたことになります。
4.豊島事件から見えてくるもの
これまで豊島事件の一連の流れを見てきましたが、この中でいくつかの問題点が指摘できると思います。
(1)生産を優先し、廃棄物を軽視する態度
処理業者の問題はもちろんあるのですが、それを利用した排出業者の問題も考えなければなりません。そもそも廃棄物の処理を考えずに、ひたすら生産性を高め、利潤を追求する企業のあり方が豊島の他にも多くの公害を生み出したことを忘れてはなりません。
(2)都市部のゴミを過疎地域へ押しつけ
今回豊島に持ち込まれたごみは近畿圏で排出されたものでした。なぜ豊島の住民は自分たちとは関係ない都市部のごみを押しつけられなくてはならないのでしょうか。このことに関しては、原発や産廃処理場、米軍基地問題など他の多くの問題にも通じるものがあります。
都市に住む大多数の人間の安全で快適な生活を保障するために、過疎地域に住む人間が犠牲になっているのです。沖縄・巻町・豊島などの運動を地域エゴと片づけてはならないと思います。
(3)県の無責任な態度(官の無謬性)
この事件では特に香川県の無責任な態度が目に付きました。まさに香川県なくしては起こり得なかった問題とも言うことができます。豊島事件をここまで大きな問題に発展させてしまった罪は重いでしょう。「官の無謬姓」ということが言われますが、事件発覚後1ヶ月たってもまだ不法投棄を認めようとしないなど、一般市民の意識とかけ離れた態度にまったくあきれるばかりです。
(4)法律・制度・システムの不備
このような不法投棄の横行する現状の裏には、やはり法・制度・システムの不備が指摘されなければなりません。不法投棄の罰金が100万円から1億円に引き上げられたり、ダイオキシンが法規制される方向に向かったり、少しずつは改善されているようですが、まだまだ抜け穴だらけと言えるでしょう。
企業の倫理観に絶対の信頼を置くことができない以上、法や制度で規制していくしかないと思います。現在も全国各地で行われている産廃の不法投棄を止めさせるためにも、早急に法・制度の整備と、産廃処理のシステムを構築することが求められていると思います。
5.最後に
豊島に住むおばあさんのこの言葉が、現在の過疎地域の現状を表しているのではないでしょうか。「福祉の島」と呼ばれた豊島には、乳児院、特別養護老人ホーム、精神薄弱者更正施設など多くの福祉施設も抱えています。豊島が県や国から押しつけられている役割に目を向け、新しい中央と地方、都市と過疎地域の関係作りを考える必要があると思いました。
「この国は、豊島に赤ん坊を捨て、
障害者を捨て、年寄りを捨てた。
まだ飽きたらず今度はゴミを捨てるのかい?」
(たおか なおひろ)
・ 関連記事 「手島から直島へ」へのリンク (2000.4.30)