I インドにおける女性


1  悠久の国 インド

 日本の南西6,500km、ユーラシア大陸の南に位置し、インド洋に突き出した大国インドは、総面積約329万kuで日本の約8.8倍の亜大陸である。その広大な国土の中に、約8億2000万人という莫大な数の人口(世界第二位)を抱え込んでいる。そのスケールの大きさゆえに、インドは多様性に富んだ国である。自然・人種・民族・言語・宗教・文化などあらゆる分野に渡ってこの国は多種多様な様子を呈している。そのインドの多様性に我々は魅了されるのだ。

 

2  自然

 インドは北部にヒマラヤ山脈を頂き、インダス・ガンジス平原、西部に砂漠地帯、半島部にデカン高原が広がっている。ヒマラヤ山脈は東西2400kmの長さにおよび、長い間インドを西アジアや東南アジアから隔離する役割を果たし、インド固有の文化を醸成する基となってきた。インダス川中流域のパンジャーブ地方は小麦を主とするインド随一の農業地帯であり、ガンジス川中・下流域はモンスーンの影響で雨が多く、米作地帯となっている。この地域は数々の外来民族が興亡を繰り返してきたインド史のメイン舞台であると同時に、現代インドの中心地域でもある。ここは総面積の十分の一にしかすぎないが、人口は全体の三分の一を擁しているのだ。それに対し、西部に位置するタール砂漠はほとんど不毛の地である。

 また、インド中央部を東西に走るヴィンディヤー山脈以南に広がるデカン高原は、サンスクリット語の「南部」に由来する言葉であり、近代までは北部にの歴史とは一線を画してきた。この高原は標高300〜900mの乾燥した地域であるが、半島部を縁どる海岸低地は雨が多く、ヤシと水田からなる南国的な風景が広がり、人々を喜ばせてくれるのだ。

 

3  宗教

 インドの宗教といえば、すぐにヒンドゥー教と言いたくなるが、実はインドの宗教はそれだけではない。そのほかキリスト教やイスラム教など様々な宗教が信仰されている。

◇ヒンドゥー教

 ヒンドゥー教は全人口の8割強を占め、宗教というよりインドの文化そのものと言ってもよい。その教義の中には広い意味の世界観や生活観・人生観などが語られている。ヒンドゥー教は紀元前1500年頃に、インドに侵入してきたアーリア人のバラモン教と土着の信仰が結びついて発展してきた。代表的な土着の神は、マドゥライの寺院で有名な女神ミーナークシや、ベンガルの女神カーリー、さらにヒンドゥー教を代表するシヴァ神なども含まれている。土着の神を取り込んでいく過程で、つじつまを合わせるために、神々の結婚や化身などの考えが取り入れられ、いつの間にか八百万の神と無数の教義が存在する現在のような体系が形作られた。

◇イスラム教

 イスラム教徒は全人口の約一割を占め、一日五回のメッカに対する礼拝を欠かさない。イスラム教は8世紀頃からインドに伝わり始め、13世紀に最初のイスラム王朝が成立し、17世紀のムガル帝国がほぼインド全域に勢力を拡大した。イスラム教では偶像崇拝と共に、歌舞音曲の類を禁じているが、インドでは集団歌謡や旋回舞踊で知られる少数派のイスラム神秘主義者スーフィーの影響が強い。武力によって改宗を迫るということがなかったため、インド・サラセン様式など、独自の文化が生まれたと言える。

◇ジャイナ教

 仏陀とほぼ同時代に生まれた、極めて禁欲的な宗教。厳しい戒律と苦行が特色で、とりわけ無所有と不殺生が強調されている。食事も厳格な純菜食に徹底している。信徒は全人口の1%に満たないが、信用を重んじる金融業や商業に従事するものが多い。

◇スィク教

 15世紀のパンジャーブに生まれた開祖ナーナクがヒンドゥーとムスリムとの統合を目指して創設した宗教。いわば改革派である。偶像崇拝やカースト制度を否定し、平等主義であるのが特徴。ムガル帝国の時代に厳しい弾圧を受け、信徒は軍団化した。権力者との抗争は長く続き、過激派は今日でもパンジャーブ地方の独立を要求し、政府といさかいを起こしている。信徒数は全人口の2%程度だが、外国人と接する機会のおおいビジネス、交通、軍関係に従事するものが多いため、彼らはいわゆるインド人のイメージとなっている。

◇キリスト教

 ヨーロッパよりも早い紀元一世紀にシリアの聖トマスによって伝道された。イギリス統治時代にも布教活動は行われたが、全人口の約3%であるキリスト教徒は、主にカトリックが占めている。

◇拝火教

 古代ペルシアで生まれたゾロアスター教が、8世紀にインドにやって来た。現在もボンベイを中心に、ごく少数であるが拝火教徒が信仰を続けている。教徒には有力者も含まれる。

◇仏教

 インドは仏陀が生まれたところであるが、ほぼアジア全域に伝播した仏教も本国では一度衰退してしまった。今日の仏教徒はアムベードカル博士による新仏教の方が有名(カースト制度廃止を訴える博士は、1956年に300万人の被差別階層をヒンドゥー教から仏教へと改宗させた)。なお、ヒンドゥー教の教えでは、仏陀はヴィシュヌ神の化身の一つであり、仏教はヒンドゥー教の一派とみなされる。

 

4 インド社会と女性

 古来インドでは、カースト制度は民衆の間に深く根づいており、人々の生活を支配する大きな要素となってきた。カースト制度は本来ヒンドゥーの教義に基づいたものであるが、現在のように多種多様な宗教・民族が混在するインドにおいてはムスリム、クリスチャンなど他宗教の者すらが一つのカーストとして社会の中に独自の地位を与えられている。そのためカースト制度は、単にヒンドゥー教の身分制度としての問題ではなく、様々な異なったものを異なったままで自己の中にとりいれ内包してしまうインド世界の構造となり、インドに統一性を与える役割を果たしている。

 しかし歴史的に見ればカースト制度はヒンドゥー教の教えを広める役割を多分に果たしてきたと言えるだろう。その教義の中には、明らかにわれわれの目から見て非人間的と思われるような記述が含まれている。例えばそれはカースト差別であり、女性差別である。

 その例を「マヌ法典」の中から見てみよう。

 まず、女には天性の邪悪性の故に常に監視の必要がある、という条文。

 「この世において男を堕落させるのは女の天性である。故に賢者は女に対して心を許してはならぬ」(2・213)

 「何となれば女この世において、愚者のみならず賢者をも、欲望と怒りの奴とし、邪道に導くものであるから」(2・214)

 「女はこの世において、いかに注意深く監視せられても、男に対する欲情と浮気心と性来の薄情の故に、夫に対し不貞をはたらく。」(9・15)

 次に、女性の月経・妊娠・分娩という生理現象から女性に対し不浄観を持ち、さらに女性を一般に汚れたものと見ている条文。

 「バラモンは、(次のようなものを)決して口にしてはならない。月経中の婦人の触れたもの、娼婦あるいは不貞の女によって与えられたもの、妊婦のために容易された食物、産後10日を経過しない婦人によって与えられたもの、・・・」(4・206−212)

 「バラモンは、婦人あるいは去勢者によって供養された祭儀においては、食をとってはならない」(4・205)

 「チャンダーラ(最卑賤階級のもの)、豚、牡鶏、犬、月経中の婦人および去勢者は食事中の再生族(上位三階級のもの)を見てはならない」(3・239)

 「たとい情欲に激しても、月経中の妻に接近してはならない。また臥床を共にしてはならない。」

 「何となれば、月経中の婦人に接近する男の知力、威力、体力、視力、寿命は減退する。」(4・41)

 「独りで空き家に眠ってはならない。眠っている長上をおこしてはならない。月経中の女と語ってはならない。・・・」(4・57)

 そして、上のような不浄は沐浴によって浄められるという条文。

 「婦人が流産した時は、(懐妊後経過した)月と同数の(日)夜の後に浄められる。また月経のある婦人は、月経の終わった後、沐浴によって浄められる。(5・66)

 「チャンダーラ、月経中の女、堕姓者(カーストの転落者)、産檮中の女、死体、あるいはそれに触れたものに接触したものは、沐浴によって浄められる。」(5・85)

 女性を劣等視する結果、女性の独立を認めず、常に夫に対し従属的存在と見ている条文。

 「少女、若い女、老女を問わず、女は何事も独立になしてはならない。家事においても然りである。」(5・147)

 「女は幼児には父に、若いときには夫に、夫の死後には子に従属する。女は決して独立することはできない。」(5・148)

 これらの問題はインド人の生活に(たとえ非ヒンドゥー教徒であっても)、深く浸透したものであり、今なお解消されるには至っていない。ここではこのような女性差別と、それに対する女性側の解放運動にスポットをあてて、見ていくことにする。

 ただ一つ断っておきたいのは、女性解放運動はイギリス植民地支配時代に西洋思想の影響を受けた、主に都市に住む教育を受けた女性たちによって担われた。それゆえ、英国の支配地域である都市部を中心に組織化が進み、その運動が農村地域にまで広まることはあまりなかった。このような背景から、必然的に都市部の女性運動の動きを追っていくことになる。農村地域においては伝統的慣習が強く残っているため、女性は都市部以上に悲惨な状況におかれている。今回はそれについて触れることができないが興味のある方は書籍「インドの女たち−『マヌシ』からの報告※1」を参照していただきたい。

※1 巻末の参考文献に掲載しておいた。

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