京大ユニセフクラブ2002年度11月祭研究発表
「水家族」

4 終わりに

第4章 諫早干拓事業(文責:多田)



 諫早湾干拓事業は、干潟の豊かな生態系を破壊し、有明海の漁業不振をひき起こしました。そのため生活の危機に瀕している漁民がいます。また、費用対効果が低く経済効果も期待できません。しかし一方で、高潮や塩害の不安から開放された農民もいます。
 このように、諫早湾干拓ほど大規模な公共事業は、地域の環境や経済に大きな影響を与えます。誰のための公共事業か?ということを考えると、いちばん尊重されなければならないのは地域住民の意思です。
 これから、もし工事が中止されたり、潮受け堤防が撤去されたりしても、本来もっとも必要であるはずの、市民を交えた十分な議論がなされなければ、諫早湾干拓事業のもたらした問題が根本的に解決されることはないでしょう。
 逆に、市民が議論に参加することで、問題の解決に近づくかもしれません。


◇参考資料◇

諫早湾干拓事業をめぐる動き
1952 西岡長崎県知事が「長崎大干拓」構想を発表(目的:水田造成による食糧増産)
1957 諫早大水害
1965 長崎干拓実施計画書完成
1970 長崎南部地域総合開発事業として再発足(目的:飲料・平業用水確保と畑作農地)
1981 湾内12漁協が漁業補償協定に調印
1982 金子農水相、南総事業を打ち切り、
     諫早湾防災総合干拓事業として新たに始める(目的:防災と畑作農地)

1983 諫早湾防災対策検討委員会、閉め切り規模3900haを報告
1984 九州農政局、諫早湾干拓事業対策委員会に対し3680haの縮小案を提示して協力要請
       同委員会、縮小案を事実上拒否して3000ha程度を主張
1985 3550haの調停案で決定
1986 湾内12漁協と湾外11漁協と県が漁業補償協定に調印
       環境影響評価(アセスメント)実施
     「国営諫早湾干拓事業」正式発足

1989 起工式
1990 潮受け堤防の試験堤防工事着手
1991 潮受け堤防の設計変更(水門増設)に伴う環境影響評価
1992 潮受け堤防工事が本格化、タイラギ大打撃
1993 タイラギ不漁で地元漁民の一部が海上デモ、干拓工事が一時中断
       新泉水海潜水器組合休漁を決定(以後9年連続)
1997 414日 潮受け堤防閉め切り(ギロチンがおろされる)
       潮受け堤防閉め切りの映像が全国に紹介され反対運動が巻き起こる
       諫早干潟緊急救済本部(山下弘文氏代表)及び同東京事務所立ち上げ
1999 事業計画変更(完工が2000年→2006年、工費が1350億円→2490億円、B/C1.031.01と発表)
2001 ノリ色落ち問題で漁業者が潮受け堤防前で海上デモ・工事ゲート封鎖
       農水省、ノリ第三者委員会を設置
       ノリ第三者委員会が事業見直し答申、短期・中期・長期の開門調査の必要性を提言
2002 4/24〜5/20短期調査のため閉め切り後初の開門
       事業計画再変更(干拓地面積半減、B/C0.83と発表)

*注 C=費用、B=便益 B/C=費用対効果



 
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