京大ユニセフクラブ2000年度11月祭研究発表
「私たちのお金がこわす途上国の暮らし」

1 はじめに


「兄ちゃん、500ペソ(約千二百円)だ。500ペソで向こうの島へ連れてってやるよ。」
それはいかにも南国といった、真っ黒のごっつい青年だった。
ここはフィリピンのバタンガスという港町。一人で海岸を歩いていたら声をかけられた。
島までは100ペソ程度で行けると聞いていた。500ペソは高すぎる。
No Thank You、と言って僕は彼から離れようとした。

しかし、いいカモを見つけたとでも思ったのだろうか、彼はあきらめずに話しかけてくる。
面倒くさいな、と思いつつ根負けして僕は少しだけ相手をすることにした。
「日本人か。島へは行かないのか…。そうだ!俺の家来いよ!近くだし寄って行けよ!」

なぜそういう話になるのだろう???突然の展開に驚いた。しかし、僕は彼らの生活に興味があった。それにあの港の件を聞き出せるかもしれない。危険だが、虎穴に入らずんば虎子を得ずだ、と自分に言い聞かせ、僕は彼について行くことにした。

彼の家は本当にすぐそこだった。海に面した集落の一角であった。家といっても木を組み立てただけの粗末なものだ。家の外のがらくたの前に僕は座らされた。外国人が珍しいのだろう。人が次々と集まってきた。

「名前はなんて言うんだ?年は?」「カメラ持ってないのか?」「日本人だろ?カラテやってくれよ。」等々…。僕の周りは一気に騒がしくなった。
皆陽気で人なつっこい。いい人たちだな。そう思った。その時、

「日本人だって?女でも買いにきたんだろ?」

その大男は現れるなりそう言った。明らかに不愉快そうだ。年は40、50ぐらいだろうか、どうやらこの集落のボス的存在らしい。彼は、聞いてもいないのにこう言い放った。

「おい、知ってるか?あそこに港が見えるだろ?あの港は日本の金でできたんだ!日本ではわずかな金でもこの国ではビッグマネーなんだ!」

太く大きな声だった。さらに、彼は僕の前のがらくたを叩きながら言った。

「このエンジンな、日本ではただのゴミさ。でも、この国ではまだまだ使えるんだ!」

彼は僕をにらみつけていた。その目には力がこもっていた。
おまえはこの事実についてどう思うんだ。そう迫っているように見えた。
僕は恐かった。はは、と空笑いをするしかなかった。さっきまで陽気に話していた他のフィリピン人もいつのまにか静まり返っていた…。

これは、僕がこの夏実際に経験した話です。
あのフィリピン人はなぜあれ程までに日本に対して嫌悪感を抱いていたのでしょうか?
それは、この集落は日本のお金(ODA=政府開発援助)による港の建設のせいで住んでいた場所から立ち退かされた人々の集落だったからです!

発展途上国の人々の生活を良くするはずのODA。
それが、実は現地の人々の暮らしを破壊しているとしたら?
そして、現地の人々が日本のODAを憎んでいるとしたら?

ODAには数々の問題があります。
しかし、それはあまり世間に知られていません。
ODAと言う言葉も身近ではないでしょう。
そこで、全くODAのことを知らない人にも興味を持ってもらえることを目標にこの冊子を作りました。より多くの人にODAに関心を持って欲しいと思っています。
この冊子を読んでODAについて考えてみませんか?

(京大法3 亀山 元)

次のページへ

2000年11月祭研究発表 「私たちのお金のこわす途上国の暮らし」へ