'99年度 運営のふりかえりと反省


by角田 望('99年度京大ユニセフクラブ代表)


I '99年度のユニセフクラブが目指していたもの
去年の今頃当時一回生だった私たちは1年間ユニセフクラブをどんなふうに動かしていきたいのか、どんな場所にしていきたいのかについて話し合いを重ねていた。いろいろあったが、いま思うと結局のところ

★みんなで運営をしていこう
★新しい発想で自由にやっていこう

ということだったのだと思う。

そのような方向性のもと、次のような基本方針をもって運営をしていくことになった。
@運営担当は置かず,代わりに次のような方法をとる.
*運営上の長期的な目標,見通しについては
→2回生(当時1回生)を中心とする運営ミーティングで話し合う.
*例会の議事進行については
→例会担当者(議長)を予め決めておき,担当者がある程度見通しを立てておく. +金曜17:00~ 例会前ミーティングを行う.
*対外的な連絡については→代表を置く.

Aその他役割については基本的に現行通りの役職をおいて各担当の責任者とするが,運営ミーティングで各担当者がそれぞれの進行状況を報告,協力を求めていくことを目標とする.
代表:角田 広報:石川大 会計:石川大 ユニトピア:今泉・深川 事務:原田

U ふりかえりと反省

運営ミーティングについて

当初の位置づけ

*原則的に月一回(日程は例会で調整)
*構成:2回生(当時1回生)は原則全員参加. その他誰でも(特にやりたいこと・アイディアのある人)
*内容 →基本的に「何をやりたいのか?」「そのためにいまするべきことは何か?」について自由に意見を交換できる場としたい.その他に、例会担当者の決定・各担当者より報告・情報のシェアリング
*意義 →気軽に話し合える場をつくることで新しいアイディアが出やすくなる.
→各担当者が現在の進行状況を伝えることでできるだけ多くの人が現状を把握でき必要なときにスムーズに協力できる.
→運営に多くの人が関わることが可能.

結局運営ミーティングと名の付くものは1・3・5・6・9月の計5回行った。

<どんなものだったのか>
・意志疎通がうまくいっていないと判断されたときなどにきわめて不定期に行った。
・まともな会議というよりは各自の思いを率直に表現し、ぶつけ合って歩み寄りの糸口を見つけようとする場になっていた。

<問題点>
・「開かれたミーティング」という建前だったが実質的には2回生以外を排除する雰囲気があった。(2回生以外が参加してくれたときもありましたが。)
・忙しくて余裕のない時には後回しになっていた。結果、NF前など一番必要なときに機能しなかった。
・議事録をきちんととっていなかった。
・話し合ったことがなかなか実際の運営に活かされなかった。(これはミーティング自体の問題点ではない。)

<よかったこと>
・ お互いの考え方、感じ方、いま思っていることをとことんぶつけあうことで、根本的なすれ違いがわかったり誤解が解けたりした。少なくとも現状の中で最高の方法をみんなで模索していくためのヒントになった。
・ 現状、これから目指していく方向性についての共通理解が得られた。(と思う)
・例会と違って時間を気にせずに話し合う場が持てた。
・ユニセフクラブの運営は少数の人だけが全てを把握しているという状態になりやすいが、それを少しでも改善できた。

例会前ミーティングについて
当初の位置づけ= 例会で話し合うべき内容を整理するためのもの

<どんなものだったのか>
・1~3月 2回生はほとんど全員集合したが、きちんとやりすぎてほぼ例会と同じになってしまい。例会の意味がなくなった。
・4~7月 2回生は17:00頃からBOXにいるようにし、(前もって決めておいた)議長が必要と判断したときだけ簡単な打ち合わせをしていた。ミーティングというより個人的な打ち合わせの状態。
・9~11月 例会の議題が実質Unicafe関係だけになってしまい、ミストレス段原さんと原田くんがほぼ全て把握して例会を進めていたので全くといっていいほど行われなかった。(2回生がそれぞれ忙しかったのもあるだろう)

<問題点>
・ミーティングそのものの意味、位置づけをあまり共有できていなかった。
・議長を例会の際に決めることになっていたが、いいかげんになりがちだった。決めていても結局はその時にもっとも状況をよく把握している人が実質仕切っていた。

<評価>
結局一年を振り返ってみるととんでもなく位置づけがいいかげんな制度だった。こうなってしまったのは、何のためにするのか、何をするのかという部分が共有できていなかったせいだろう。しかしそれだけではなく、2回生の状態やユニセフクラブ自体の状態の変遷に伴って例会前ミーティングの存在意義がどんどん変化してきたことも事実だと思う。そうであればこの変化もある程度仕方がないとも言えるが、どちらにしてもやるのかやらないのか、誰が責任を持つのか(つまり誰が議長なのか)をはっきりさせて共有することが必要であった。

例会前ミーティングが機能しなくなった原因は…
@ 例会前だけで調整できないような複雑な話題が多く、それらは結局それ以外の場で個人的に話し合っていたので例会前にはすでに話し合いがついていた
A 議長がきちんと決まっていなかった
その結果、毎回一部の人(これが誰なのかはその時ごとに異なる)だけが暗黙の了解のうちに例会の議題を考え、内容を検討していた。→ 一部の人への過度の負担。不必要な精神的負担。
「気軽に関われるユニセフクラブ」を目指してきたが、これを回避するためにはやはりある程度かたち≠きちんとすることでフォローするべきだったのかもしれない。

役割分担について
・基本的に前年度を踏襲したかたちを取った。
・唯一の変更点は運営担当を廃し、変わりに代表を置いたこと。

<評価>
・代表制について
「運営は運営担当がするのではなくみんなでやろう」ということで代表制をとったが、結局代表の位置づけがはっきりしないままだった。それは私自身が対外的な連絡を少なからずH氏に頼っていたこと、個人的な事情で全体の進行状況を見られていなかったときがあること、などの理由によるのだろう。この辺をもう少しコンスタントにきちんとできていたら代表の意味が生きてくるのだろう。反省するとともに皆さまのご協力に改めて感謝したいと思う。代表がこんなに頼りなくても一年間やってこられたのは2回生を中心とするさまざまな人々の支えと協力のおかげだと実感するものである。

・その他の役割について
事務担当の役割がどこまでなのかがはっきりせず、負担が集中してしまった。
ひとりが複数の役割を兼ねていた(石川くん)。

「新しい発想」について
「流れない水は濁る」。プラスマイナスゼロならとにかく変えたい。これは私の個人的な発想だ。だが、1月当初「従来にとらわれない自由な発想でやっていきたい」という認識があったことも事実である。実際あまり大したことはできなかったのでこれはあまり達成されていない目標と言えるがそれでもこの発想は原動力として一年を通してどこかに存在し続けていた。

<できなかったこと>
・ユニトピアを隔月化してもっと内容のあるものにする。具体的には、研究発表をNF時に1回だけするのではなく小研究発表を年2~3回してそれをユニトピアの特集にする。
・ユニトピアに南北問題に関する記事を毎号載せる
・古本市委員会を別団体として立ち上げる などなど

<できたこと>(新しい発想というほどでもないものもあるが、とりあえず前年を踏襲しなかったもの)
・運営体制の改革(代表制、運営ミーティング、例会前ミーティング)
・新歓学習会をミニワークショップ+学習会の二本立てにする。
・新歓時のビラまき
・新歓合宿でのワークショップ
・NGO寄付で、NGOごとに寄付額に差をつける
・ユニカフェのユニサロン などなど

「みんなで運営をやっていくこと」について
これは正直言ってしんどい部分も多かった。「みんなでやる」ということはしばしば「気楽にやる」ことと対立する。複数の人で一緒にやっていこうとすれば当然自分のやり方で、自分のペースでというわけにはいかない。効率が悪くなる場合も多い。何を、なんのために、どんなやり方で、誰が、いつするのか。ことごとく対立しながら、変わらない食い違いの構図に半ばあきれながら、それでもいろんな場所で対話を重ねつつやって来た。そんな一年を振り返って・・

<問題点>
・やはり対話を重ねるのにも限界がある。話し合いを諦めてしまったこともよくあるし、その方が多かったかもしれない。その時に「みんなでやっていく」という建前できちんとした役割分担の制度がなかったため余計に一部の人がしんどさを引き受けることになってしまった。(個人的にはこの辺をお詫びしたい)
・ユニセフクラブのひとつの醍醐味は「好きなときに好きなだけ関われて好きなことができる」ことだろう。また、個人的に私自身が目指していたのは「メンバーがそれぞれ別の場所でいろんな経験をしてそれを分かち合う場」としてのユニセフクラブだった。しかし、今年の体制はその両方を難しくしてしまった。気軽にするためには個人主義、効率化をめざすのがよい。しかしそうするとおもしろさは減る。永遠のジレンマかもしれない。

<よかったこと>

それでもなんとか一年間をこんなふうにやってきた。我ながらバカな一年間だったなぁと思う。結局大したことは何一つできなかったし、失敗だらけで、自分の足りないところばかり見えてきた。こんなふうにたいそうに「ふりかえりと反省」だの「みんなでやっていくこと」だのと書いているがその実、諦めと無力感の連続だった。ついふらふらとユニセフクラブのことを忘れ、いろんな人に迷惑をかけもした。だから次にいうようなことを言えた義理でもないかもしれないが、許してほしい。
この一年間はなんだったのだろう。「運営に携わっての感想」というところに絞って考えてみたいと思う。まずひとついえることは、ひととの関わりがあまり得意でなかった私にとってこの一年はこれまで想像もできなかったほど「ひととの距離」の近い一年だったということである。古本市、新歓合宿、Unicafe、研究発表・・ただ単純にひとと一緒に長い時間を過ごすこと、何かをすることそのものが私には新鮮だったし楽しかった。
そしてもちろん自分と違う発想、考え方に出会えたこと。これは今さら言うほどのことでもない。その中でどれだけいろいろなことを考えさせられたかを思えば思うほど私の貴重な財産である。
そしてユニセフクラブの運営に携わることそのものが、複数の人で一緒に何かをやっていく方法を考える機会、実践する機会となったこと。
そして最後に思うことはこの一年がまさに「自己開発の旅」だったということである。自分にできることは何か、自分という人がどんな人か、それを考える旅だった。まだまだ自分に自信を持てるところまでは行かないけれどもしかすると一年前よりもいっぽ前進したのかもしれないと思ってみる。

なんだかいいことばかりになってしまいましたね。文章というものはきれいになりがちです。でもまぁ最後ですから。それに、ここにかいたことにうそはありません。ただ、ここまでと、この裏にはいろいろな葛藤があるわけです。それもきちんと書いたつもりです。というわけで、そういうことにしておきましょうか(笑)。

これからのユニセフクラブはまたこれから考えていきましょう。
でも本当のことを言うと運営体制なんてどうでもよいのです。

ユニセフクラブが
ひととひとが出会い、何かを共有して、発見して、そしてそこから何かを生みだしていける、そんな場所であればそれでいいと私は思うのです。
それをうまく実現できるような運営体制であれば。

てなわけで、まぁひとくぎりというわけでちょっとふりかえってみましたが、ひとくぎりはひとくぎりでしかないわけでありまして… (おわり)