「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について(中間報告)」への意見
「図書館の自由に関する宣言」は、教育基本法第7条に定められた社会教育の機関である図書館が、国民の知る自由を保障するためのものであることを、日本の図書館界の総意として、宣言したものである。この宣言の一節に、
「わが国においては、図書館が国民の知る自由を保障するのではなく、国民にたいする思想善導の機関として、国民の知る自由を妨げる役割さえ果たした歴史的事実があることを忘れてはならない。
図書館はこの反省の上に、国民の知る自由を守り、ひろげていく責任を果たすことが必要である。」
として、過去への反省を込めたものであることを明記している。
「教育は、不当な支配に服するとことなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」とする、教育基本法第10条の規定も、教育が「政治的、行政的に不当な干渉の下に呻吟し、・・教育全体が萎靡し歪曲せられ、その結果軍国主義及び極端な国家主義の跳梁を招来するに至った」過去を反省してのもの、と制定時の文相である田中耕太郎氏の著書「新憲法と文化」p.101では述べている。
図書館界を挙げて「図書館の自由」を主張する法的根拠の一つが、この第10条である。「国民の知る自由を守る」図書館サービスが「不当な支配に服する」ことなく遂行されるべきものである。そうだからこそ、図書館は、知的自由を掲げ、国民一人一人に対し「直接に責任を負」う立場でサービスをしてきたのだった。
教育目標や理念をはじめ、教育の内容に立ち入った立法は、教育の担い手の自由や、国民一人一人の自由な学習活動の制約となる可能性があり、それ自体が「不当な支配」となる惧れがある。この、自由であるべき教育の担い手には、当然、図書館サービスに従事する司書等の職員が含まれる。しかるに、現在、論議されている教育基本法の改定案は、『「公共」に関する国民共通の規範の再構築』、「郷土と国を愛する心」など、滅私奉公・愛国心といった単一の価値観を国民に強制した教育勅語の復活を思わせるものといわざるを得ない。そもそも「公共」のあり方や、「郷土や国を愛する心」は社会の側で醸成していくべきものであって、国が理念として国民に与える筋のものではない。
以上のような理由から、このたびの中間報告はきわめて問題の多い内容といわざるをえない。中央教育審議会がこうした方向で今後も教育基本法の見直しを進めることについて、図書館問題研究会は反対する。
2002年12月15日
図書館問題研究会 常任委員会