シンポジウム報告「科学裁判を考える」
報告者:大久保貞利
2010年8月23日、東京の弁護士会館で、シンポジ
ウム「科学裁判を考える」が開かれました。現代社会のような新しい科学技術が日々
開発されている時代においては、その新しい科学技術が社会にどのような影響をもた
らすかは誰も確実に予測できません。その一方で、基地局紛争のように司法判断を求
めざるをえないケ−スが生まれていますが、裁判官を含めた司法関係者は、科学技術
の持つ不確実性を十分理解していません。
この問題を解決する方向を探るため、現行の裁判ではどのようにこの問題は扱われているのか、海外ではこうし
た問題をどのように扱っているのかを知る目的で、このシンポ ジウムは開かれました。
シンポジウム参加者は約170名でした。
始めに、日本での裁判における専門家証人の経験とその問題点について、津田敏秀・岡山大学環境研究科教授が講演しました。次に、オ−ストラリアで法と科学の関係を改善する手法を導入した経験を持つ、ピ−タ−・マクレラン判事(ニュ−サウスウェ−ルズ州最高判事)が、コンカレント・エビデンスという手法について講演しました。3番目に、法と科学問題の先駆者として知られる、シ−ラ・ジャサノフ・ハ−バ−ド大学教授が、科学技術社会論の立場から講演しました。4番目は、金子宏直・東工大准教授が、法学者の立場から日本の裁判の現状について講演しました。
4人の講演後、中村多美子弁護士(大分県)と本堂毅・東北大助教の司会で、講演した4人をパネリストにして、ディスカッションが行なわれました。
ここでは、津田敏秀氏の講演とマクレラン判事が述べたコンカレント・エビデンスを中心に報告します。
□実に明快な津田敏秀氏の講演
津田敏秀氏の講演はわかりやすく、さらにポイントを突く話でした。
科学の営みは、個々の事象の観察を記述し蓄積させる作業とそれを一般化して理論や一般法則にしてゆくこと、そして、その理論や一般法則をまた現場に戻して個々の事象の観察を行うこと、さらに、またそれを理論化していくということの繰り返しであると説明しました。
さらに、科学研究には観察デ−タとともに仮説が必要で、観察デ−タにより仮説を検証することで、一般法則にしていくのです。その際、仮説を直接検証できる観察デ−タでない証拠は間接的になってしまうので、人間に関する仮説には人間のデ−タが重要になります。
科学的根拠に基づいた医学のことをEBM(Evidence Based Medicine)といいますから、科学という以上は観察(調査)なくして発言なく、わからないことは沈黙することが求められます。
□だからこそ疫学は重要
医学のような人間に関する分野では、直接的デ−タを提供できるのは疫学です。もし人間の観察デ−タがない場合は、動物実験や細胞実験、あるいは分子レベルや遺伝子レベルの実験等が提供されます。
医学に関する裁判では、しばしば因果関係が問題となります。例えば、ある因子に曝露されて発症した患者が損害賠償を要求する民事訴訟の場合、患者の発症の原因がその因子であることを証明する必要があります。だが、実際の裁判では法律関係者もそうですが、証人として呼ばれる医学関係者も因果関係について不勉強です。
五感では感じ取れない因子について因果関係を説明するには、それなりの共通言語が必要になります。たとえば言葉を補うわかりやすい数字だとか、因果関係を説明するための専門的言葉がそれに当たります。また、そのような専門的言葉の意味を知ることも大切です。日本の裁判においては、このような共通言語にに関する基礎知識が必要です。
法曹界の人は医学的因果関係とは別に法的因果関係があるとか言いますが、法的因果関係とは具体的に何なのか答えてくれた人はいません。自然科学的因果関係を示せないという前提で、因果関係の証明を緩和する目的で、この法的因果関係という言葉が使われました。
□タバコ訴訟判決での具体例
一例として、タバコ会社への損害賠償裁判判決を示します。
「他方、疫学研究によって、ある要因と疾病との間の一般的な関連性が明らかになっても、それのみで、ある個人の疾病罹患原因や診断内容を確定することはできない」(2010年1月20日、横浜地方裁判所の判決)
この判決では次のようにも述べています。
「個人における因果関係を決める方法は、疫学的な方法とは根本的に異なるものである。疫学的方法では、どのような個人に対しても因果関係を当てはめようとすることはできない」
それにもかかわらず、この判決では、疫学以外に判断できる方法については、何も示しておりません。すなわち、科学の範囲、科学の方法論、人間における因果関係の証明方法などは全く知らないのです。
科学の主要な仕事は因果関係の究明にあるのです。
□統計と統計学の違いについて
科学や統計学の確率を理解しないと、裁判官は自己の心証に頼ってしまいがちです。そのため5%の確率の証拠も95%の確率の証拠も同じに見え、その裁判官の心証が5%のほうに傾けば、そちらを選択してしまうのです。
こうなると、具体的デ−タにはケチがつけられるのに、デ−タを示さない方がケチをつけられないので、裁判官がケチをつけられない方を採ることもあります。
ここで重要なのは、統計学は科学の文法であり、統計学と単なる統計は違うことです。しばしば法曹界の人はこれを混同して、疫学を統計の一種と見てしまうのです。
□尋問や意見書の軽視
法廷では,根拠を示さない因果関係が飛び出します。「法的因果関係」「病理的因果関係」「臨床的因果関係」等々です。メカニズム(仕組み)とは何かを具体的に言及しないで、メカニズムを要求するのもよく見られます。疫学ではメカニズムは解明されないといった具合です。しかし、メカニズムの判明は因果関係をきめる必要条件では無いのです。
根拠なく思いつきだけで、あり得そうな原因とは別の他の要因を列挙することもありますが、これは因果関係の回避の方便です。主尋問や反対尋問で尋問されなかった事項を根拠にして、専門家証人の証言を否定するのもよくあるやり方です。
弁護士を介さず、証人同士が直接討論すれば良いですが、尋問が科学的合理性の追求のためにされるのでなく、代理人弁護士が専門家証人に一方的に質問し、科学的知見をねじ曲げることに血眼になっているケ−スも行なわれています。このような状況なので、専門家は法廷の証人になりたがらないのです。
□まとめとして
因果関係は難しいことではなく、我々の日常行なっていることです。常日頃に観察して情報を得て、それを分析し経験に照らし合わせて因果判断することであり、裁判官が難しく考えているだけです。
現行の裁判システムの問題点は、証人の間で直接に討論できず、さらに証人が裁判官と対話できないことにあります。
□オ−ストラリアの新しいやり方
オ−ストラリアの州最高裁判事であるピ−タ−・マクレラン氏の話も興味深いものでした。
オ−ストラリアでも、長い間、科学的争点を含む訴訟では、専門家証人を法廷で個別に尋問するスタイルてした。すなわち、証人が互いに質問することは許されなかったのです。このような対審的手法では、裁判官が科学的真実を判断することが難しくなりがちでした。
弁護士が相手の証人に対し敵対的な質問を行い、訴訟に勝つことだけが目的なやり方でした。そのために、多くの質の高い専門家は証人になることを拒否しました。
□コンカレント・エビデンスとは
このような問題を解決するために、オ−ストラリアの裁判所は、コンカレント・エビデンス (Concurrent Evidence) と呼ばれる、専門家証人の扱いを一新する新しい制度を開発しました。この方式は、2005年にオ−ストラリアのニュ−サウス・ウェ−ルズ州の土地・環境裁判所で初めて導入されました。コンカレントとは、共同とか協力とか共存の意味です。エビデンスは証拠です。
この新しい制度では、個々の専門家はそれぞれ個別に意見書を出します。その後に、個々の専門家は相手の専門家と電話か直接対話し、互いの争点を議論し会います。そして、争点となっている科学的問題について合意できる点、合意できない点、を明記した共同報告書を作ります。つまり、法廷で一緒に専門的証拠を証言するのです。
裁判官は、専門家証人が共同で作成した資料(証拠)を検討課題目録として用いながら、議論する際の司会役になります。
これまでの裁判官は、証人に対する質問等はすべて弁護士任せでしたが、コンカレント・エビデンス方式では、専門家証人に対し、より主体的に関われるのです。
□時間も短縮し争点理解も進む
コンカレント・エビデンス方式を採用した結果、専門家尋問に要した時間が短縮し、それまでは尋問に何日もかかったのがたった一日で終わることも可能になりました。さらに、裁判官は、科学的争点について、より深い理解を得ることができるようになりました。
また、専門家同士が互いに質問し合うことが許されるし、これまでのような相手弁護士による敵対的質問にさらされることがないので、自分の信じる証言に専念できるため、多くの科学者はこの方式を支持しています。しかし、一部の裁判官や多くの弁護士からは強い反対の声も上がっているということです。
時間をかけながら、コンカレント・エビデンスの長所を知らせていくこと、さらに、この手法について、裁判官と弁護士に教育していくことが今後の課題といえます。
なによりも大切なことは、裁判を科学的判断に基づく場にすることです。
□ディスカッションでも冴えてた津田敏秀氏
ディスカッションで興味を引いたのは津田敏秀氏の発言です。要点を下記します。
「日本の医学者は討論や議論をしない」
「日本で専門家証人に立つ学者は、“変り者”か“利益相反が強い人”(企業や行政寄りの人の意)のどちらかが多いと見られる。コンカレント・エビデンスが採用されれば、学者・研究者も出やすくなる」
「私は“中立”な科学者と思っているが、市民寄りの“変わり者”と見られている」
以上、3時間におよぶシンポジウムでしたが、実に興味深く聞くことができました。
(コメント)
電磁波や化学物質開発のように、日進月歩で科学技術競争が展開されている分野では、新たに開発された科学技術のリスクアセスメントが不十分で、それがもたらす社会的影響が予測できないのが現状です。
日本のように、産業界の力が強く、行政も学会もそれに抗しきれない国にあっては、訴訟に訴えざるをえないケ−スが増えています。しかし、現行の裁判制度は旧態依然で、弁護士しか科学者証人に質問できず、科学的真実を明らかにすることより、法廷技術を競う場となっているのが現実です。
科学の不確実性の問題や疫学の優位性等々が、十分に理解されない現状を打破するために、コンカレント・エビデンスを含めた、科学的判断を行なえる法廷にしてゆく議論の必要があると強く感じました。
[会報第66号インデックスページに戻る]