津田敏秀さん(岡山大学大学院医歯学総合研究科講師)による「市民のための分かりやすい疫学セミナ−」が2004年8月28日〜29日の2日間、東京都江東区亀戸のZ ビル4階会議室で開催された。
主催は、電磁波問題市民研究会、化学物質問題市民研究会、ダイオキシン環境ホルモン対策国民会議、止めよう!ダイオキシン汚染関東ネットワ−ク、東京労働安全センタ−、カネミ油症被害者支援センタ−、労働者住民医療機関連絡会議の7団体で、50名が参加した。
多くの市民団体が関心をもっているのは、日本では軽視されているとはいえそれだけ広範囲な分野で疫学が重視されていることの表れであろう。以下、セミナ−の講演内容を紹介する。
□海外では注目されている疫学
米国では優秀な疫学者は、企業・自治体・研究所からヘッドハンティングされている。なぜそこまで社会が疫学をいま必要としているのかということだ。それは問題解決において疫学が実践的な学問だからだ。実際、米国では企業が腕利きの疫学者を求めている。
世界の疫学者が使う重要なコンピュ−タソフトに「EpiInfo」というのがある。米国のCDC(米国疾病対策センタ−)が開発したソフトでインタ−ネットで無料で提供され、英語・フランス語・スペイン語・ベトナム語など全世界で翻訳され使われているが日本語の翻訳はない。疫学には難しい統計数学が必要だが、そんな知識がなくても調査した数字をこのソフトに入力すればかんたんに計算して結果を出してくれる。
□後手後手の日本の疫学
1996年に「O−157:H7」(病原性大腸菌)が流行した時日本では疫学が普及していなかったため対策がお手上げだった。そこで私の勤める岡山大学で米国CDCの疫学ソフトを翻訳し立ち上げ、感染症研究所感染症情報センタ−のホ−ムペ−ジで公開した。それで日本の自治体等行政機関は大いに利用した。
私は行政に楯突く研究者と思われているが、疫学の勉強が他より10年早かったため結局岡山大学理学部が日本の行政の疫学レベルを完全にリ−ドしてしまった。そのため行政も私たちと一緒にやっていかざるをえなくなったのだ。実際、いま「岡山疫学研修会」に自治体職員が約100人規模で参加している。中心は食中毒と感染症だががんやその他の事例にも疫学は応用が可能だ。
日本では行政と住民がしばしば対立するが、本来行政が住民と対立するのはおかしな話だ。欧州では大気汚染の取り組みを、住民/患者団体/NGOが行政と一緒になってやっている。NGO(非政府組織)とGO(政府組織)の境がないのだ。日本も将来的にはそうなるでしょう。NGOが行政をリ−ドしていくためにも、市民は疫学を身につけることが必要だ。
□なぜ日本は疫学が遅れているのか
疫学は問題解決のための実践的な学問である。具体的にみていこう。
食中毒事件の場合、特定の「原因」があってそれが「発症」に至るまでに潜伏期間がある。潜伏期間は長短様々である。和歌山の砒素カレ−事件やふぐ毒中毒などは潜伏期間は秒単位ですぐ発症する。細菌が原因である食中毒では、たとえば黄色ブドウ球菌の場合潜伏期間は3時間から6時間。O−157なら2日から7日、A型肝炎なら1ヵ月から2ヵ月、狂牛病なら数年、である。濃度の薄い砒素なら10年から30年でがんになる。私は公害病で、砒素による肺がんの発生から疫学を勉強を始めた。ところが日本の行政は潜伏期間2時間から3時間の食中毒を中心に対応しているから、わずか2日から7日のO−157(病原性大腸菌)で立往生してしまったのである。私のように潜伏期間10年というのに取り組んでいると、数時間も2日間も一緒なのだ。疫学の立場からすると食中毒もがん発生も同じように扱える。
因果関係を理論化するのが疫学理論(セオリ−)だが、この疫学理論を教えられる医学部は全国で約80ある大学医学部のうち10校もない。1970年頃から外国で疫学理論が大きく発達していくが、これに国内のほとんどの学者がついていけない。「大家」といわれる学者がきちんと勉強してこなかったため日本で疫学が遅れてしまったのだ。
□「原因=化学物質名」と思い込む見方
もう一つ問題なのは、科学に対する日本独特な見方である。それが疫学的見方をしにくくさせている。日本人は原因というと化学物質名を思い浮かべる。ふぐ中毒なら「テトラドトキシン」というように化学物質でないと原因でないと思ってしまう。それがわからないと病気が広がっているのに「原因がわからないから対策がとれない」と言い出す。それがもっとも悪い形で出たのが水俣病事件でありカネミ油症事件である。
しかし、ふぐ中毒事件の場合原因は「テトラドトキシン」でなく「ふぐ食=ふぐを食べたこと」ともいえるのだ。ふぐを食べなければ症状は起きないのだから、対策として「ふぐを食べない」という目にみえる形のものを押さえればいいのだ。難しい学術名を使うことが科学なのではなく、目にみえるものを特定するのが科学なのだ。対策をたてる、役に立つ、というのも科学なのだ。
□対策に役立てる科学=疫学
このように発想の転換をしてもらわないと、科学が実際的に役立たないし話もみえない。「原因」にはいろいろなレベルがあるし、一つだけでなくいくつもあげられるのである。むしろ原因は一つでなく多要因が通常なのである。
私は自動車会社の産業医もしているのだが、保護手袋を外した手で部品を拾おうとして怪我をした自動車工場での労災事故の場合、「手袋を外したこと」が一つの原因である。しかし「そこに部品が落ちていた」から拾おうとして怪我をしたのでこれも原因ととらえ、「部品が落ちないように乱雑に部品は置かない」のも対策になりえる。
「ぜんそくと自動車排ガスによる大気汚染」の因果関係を裁判で証明するために、交通量の多い幹線道路や道路行政を含めた原因と発病の関係をダイヤグラムにつくりあげる。なんのために議論しているのかを明らかにしないと話がすれ違い、原因をはぐらかしたい側はいくらでもはぐらかせるからだ。それは原因が一つでないからだ。「たばこと肺がん」の因果関係は、国際的には1950年代末(国際がん研究機関の資料によると)に決着がついている。それなのに、日本人の大部分の喫煙者は、いまだに「因果関係はわからない」と言っている。日本たばこ産業は「たばこのどういう成分が肺がんを引き起こすのかわかっていない」と主張する。こうなると、どんどん不可知論の世界に入りこみ決着がつかない。しかし、国際がん研究機関(IARC)が1986年に「たばこにはいろんな成分が含まれるが、smoking=喫煙全体が肺がんに原因である」としたことで、たばこは国際的に規制されるようになったのだ。
□「病因物質=原因」ではないのだ
こうした欧米では当たり前の議論が、日本では知られていない。
雪印事件の時、私は新聞を見て、大阪市がやっていることが見当はずれなのに驚いた。どういうことかというと、私から見ると雪印事件は原因が明らかだった。「雪印低脂肪牛乳」と「大阪工場」が原因なのだから食中毒ならこれに「回収命令」と「営業停止」処分をかけないといけない。それなのに、大阪市は雪印に「自主回収をお願いしたい」としただけだ。
食中毒の原因には、「病因物質」「原因食品」「原因施設」の3つがある。「病因物質」とは細菌やウイルスや化学物質であり、「原因食品」とは病因物質が含まれているであろう食品(魚介類や肉類や加工品)であり、「原因施設」とは原因食品をつくった場所(事業所や学校や病院等)である。ふつう食中毒事件だと、たとえば仕出し屋の入り玉子の中のサルモネラ菌が原因だった場合、サルモネラ菌が検出される以前に「あの仕出し屋の弁当で発症した」ということで、行政は即座に営業停止と回収命令を出す。ところが大企業の雪印に対しては「病因物質(仕出し屋でいえばサルモネラ菌)がわからない」からと自主回収で済ますのだ。そのため、どんどん時間が経過し被害が広まってしまったのだ。原因食品と原因施設がわかった段階で回収命令を出していたら、1万人も被害者が出ることはなかったはずだ。
□杉並病も不燃ごみ中継施設が原因だ
杉並病の時も同じことが起こった。杉並病とは東京都杉並区の不燃ごみ中継施設の周辺で「皮膚症状や呼吸器症状」を訴える人が続出したケ−スだ。周辺住民は、不燃ごみ中継施設が操業開始してすぐに症状を訴える人は続出したことから、「原因は不燃ごみ中継施設なのだから操業を中止しろ」と要求した。ところが都や杉並区は、「原因がわからない」からと硫化水素などの化学分析ばかりして疫学調査はしなかった。しかし、調査などしなくても時間的に原因ははっきりしているのだから、疫学的にはそれだけではっきりしている訴えなのだ。
杉並区は、3年後にようやく疫学調査をしたが、いまだに施設の操業は続けている。実は、杉並病問題の「公害等調整委員会」で証言をした。その際委員長が「どうしたらいいかわからない」というので、「すぐに操業を止めればいいだけのことだ」と言った。しかし、「裁定」は「原因は不燃ごみ中継所、病因物質は不明」という結論だった。これでも「画期的な裁定」だったらしいが、結果として杉並区は操業は止めていない。
このように、「原因」と「病因物質」という“レベル”の違いで、ごねたい行政や企業はいくらでもごねることができ、まわりがそれで惑わされてしまうのだ。
□カネミ油症も水俣病も「科学」の犠牲だ
1968年に起こったカネミ油症事件は、カネミ倉庫がつくったPCBとダイオキシンの混入した米ぬか油を食したために、約1万4千人が被害を訴え、約1800人が認定された日本最大の食品公害事件である。原因食品はカネミ米ぬか油、原因施設はカネミ倉庫、という典型的な化学物質による食品中毒事件だ。当時の新聞は「原因は米ぬか油」と報じ、九州大学で立ち上げた研究班の名は「油症研究班」で、名称からして原因がわかっているのに、「原因が不明なので原因究明が必要」としたおかしな事件だ。
水俣病は、病因物質がメチル水銀で、原因食品が水俣湾産の魚介類、原因施設が家庭もしくは魚屋、である。水俣病は1956年に原因食品がわかっていた。この水俣病とカネミ油症事件で共通する人物が、勝木司馬之助という熊本大学教授(当時)だ。この人物がカネミでも水俣でも、原因食品がわかっていたにもかかわらず何もしなかった。そのため未認定患者が1万人超える被害が出た。(カネミと水俣は共に、認定患者が約1800人、未認定患者は約1万4千人でよく似ている)
カネミ油症事件は、カネミ油という原因食品が早い段階からわかっていた食中毒事件なのに、保健所にも通報していない、という食品衛生法違反まで犯している。そして認定調査会をつくり、「認定患者」と「非認定患者」に振り分け、1万人以上も患者に認定しなかった。食中毒事件で「認定調査会」などふつうありえない。食中毒では、被害者が自分で申請するなどせず、疑いがある人のところに行政が行って原因食品を食べ、なんらかの症状が出ていれば救済の対象にするものだ。それを、被害者が自分から「認定してください」とお願いしないといけないとした、とんでもない制度をつくったのだ。
カネミ油症被害が広がった原因は九州大学だとさえいえる。重箱の隅をつつくのが科学と勘違いしている。
□「科学哲学」を知らない日本の科学者
科学的なものの見方して2つの見方がある。一つは原子論や要素還元主義のように細かく分析してゆく機械論的な見方。もう一つは起こっている現象のほうから見る現象主義。疫学は後者に入る。目に見える部分で、これがこう起こっているから因果関係があるという見方である。前者は確定的な見方で、後者は確率論的な見方だ。究極的な機械論的見方がニュ−トン力学であるが、ニュ−トン力学も元をたどれば現象主義的で、量子力学も現象主義的である。つまり、究極にいけば確率へいってしまう。
ところが、日本では機械論的なものだけが科学と思っている。西欧の科学は二つの見方をバランスよく取り入れて発達してきたのだが、日本の「科学者」は機械論的なものだけが科学だと疑ってもいない人がほとんどだ。欧米の大学では、理科系ではこの科学哲学が必須なのだが、日本の大学で科学哲学を勉強している人はほとんどいない。
□疫学は現象主義で、役にたつことを重視
疫学は現象主義の側にあり、実際に役に立つようにできている。英国のジョン・スノ−は1854年にコレラの原因は「下水がテムズ川に放水されている地点のさらに下流で取水していたある会社の水道が原因」であるとして「その水道を止める」ことでコレラ患者の発生を止めた。この段階でコレラ菌は発見されていない。その30年後の1984年にコッホがコレラ菌を発見した。つまり病因物質(コレラ菌)がわからなければ対策がとれないといっていたら、ジョン・スノ−(疫学の父)の取り組みは成立しないことになる。人類は必ずしも「病因物質」がわからなくても、そうした知恵でずっと対処してきたのだ。
□疫学調査の具体的すすめ方
なにかわからないけれど病気が発生した時に、原因を突き止めるために疫学で行なう調査を「アウトブレイク調査」という。原因をいち早く突き止めて対策をとるためのテクニックが「アウトブレイク調査」である。患者の発生分布図や、時間と人数のグラフをまずつくる。どういう地域で、どういう人が、どういう症状になったか、を調べて原因のあたりをつけるためだ。
次に、疾患が発生した(結果が起こった)「時間」「場所」「人」から、曝露(原因)発生の証拠もしくは痕跡を探る作業が必要となる。これを「記述疫学」という。原因と結果がすぐ見える急性食中毒事件ならともかく、潜伏期間が長くなればなるほど疾患が発生した時間・場所・人は、曝露が発生した時間・場所・人からずれてくることになる。人は移動するから時間と場所のずれは避けられない。
ミシシッピ川のキャンプ地で多発した赤痢事例では、こういう急性食中毒事件ならばこうした「記述」からすぐに原因も特定しやすくなり、対策も容易になる。
□潜伏期間が長い場合の疫学(がん等)
がん発生など潜伏期間が長い疾患の場合は、時間の経過が患者の発生数に関連してくる。つまり長く観察するほど、観察できる患者数は増えるのである。
メカニズムがわからないとなにもできないと言う「専門家」がいる。例えて言うならば、「部屋の電気を点ける」のに「部屋の配電図がないと電気は点けられない」という「専門家」だ。いくつもあるスイッチを片っ端から入れてみて、その部屋の電気が点けばそれでいい、というやり方が疫学である。
具体的にみていこう。1959年に新潟のある町で砒素中毒症が多発した。井戸に混入した砒素が原因とわかり井戸の使用は禁止されたが、それ後、1992年になって周辺住民の死亡状況を追跡調査したら肺がんが多かった。そこで「砒素は肺がんの原因であるか」を疫学で研究した例だ。そこから「1ppm以上の砒素濃度の水は肺がんに寄与する」ことがうかがえる。現象の事例から因果関係を究明するのだ。
□症例対象研究とコホ−ト研究
疫学の方法として2つの方法がある。症例対象研究とコホ−ト研究だ。原因施設の企業に「あなた方が悪い」というには証拠が必要だ。食中毒でいうと、「症状を起こした人」と「症状を起こさなかった人」とのコントラストをつける、つまり特徴を浮かび上がらせることで原因食品を特定するやり方が「症例対象研究」である。
もう一つは、「原因食品と思われる食品を食べたり飲んだりした人」と「原因食品を食べたり飲んだりしなかった人」の症状の違いを浮かび上がらせるやり方だ。これが「コホ−ト研究」だ。コホ−トとは古代ロ−マ軍の中隊のことで、一固まりとなって転戦してゆくうちに戦死者が出て中隊の人数が減ってもそのまま中隊単位は維持されることからこの名がついた。
具体的にみていこう。疫学では「2×2表」というたすき掛け計算ができる表が用いられる。
この表から症例(飲んだ人)と対照(飲まない人)の、原因食品の疑いのある食品の関するコントラストをはっきりさせるため、たすき掛けしてその比をとる。具体的には{(a人)×(d人)}÷{(b人)×(c人)}と計算する。これを「オッズ比」という。競馬のオッズと同じで掛け率のことだ。
原因食品の疑いのある食品を食べたか食べなかったかによって、症状が出たか出なかったかのコントラストをみるためだ。計算は{e÷(e+g)}÷{f÷(f+h)}でこれを「リスク比(発症割合比)」という。
オッズ比とリスク比を総称して「相対危険度」と呼ぶこともある。
□95%信頼区間について
症例対照研究とコホ−ト研究に優劣はない。コホ−ト研究のデザインは、動物を2群に分けて片方には問題となる物質入りのエサ(曝露群)を、もう片方には問題となる物質が入っていないエサ(非曝露群)を与える、という動物実験と同じデザインのためわかりやすいということはいえる。
一方、症例対照研究は、動物実験をやっているだけでは考えつかないような研究デザインである。しかし、症例対照研究もコホ−ト研究も「非曝露群に比べて曝露群おいては『何倍』疾患が多発しているか」を推定する疫学の大原則において違いはない。オッズ比やリスク比は推定値であり、偶然の変動も考慮に入れて幅をもって推定する区間推定である。「95%信頼区間」として出てきた推定値の後に括弧を入れて推定区間を示すのが通例である。場合によって「95%信頼区間」でなく「90%信頼区間」を示すケ−スもある。信頼区間の上の値が上限値で、下の値が下限値で、下限値が1を超えていると「有意」とするのが一般的だ。
□いわゆる「バイアス」について
疫学の場合、「影響の指標」の測定に誤差が入る。影響の指標とは、オッズ比やリスク比などの相対危険度の指標、つまりそれが「何倍か」という数字の測定に誤差が生じることをいう。
誤差は大きく分けて2つに分類される。一つは「偶然の変動(チャンス)」で、もう一つがバイアスだ。
チャンスは、複数回の測定で生じたバラツキを平均すれば解消できる。ところが平均しても的の中心から離れるケ−スがある。この平均値と的の中心のズレがバイアスである。
バイアスは通常3種類に分類できる。交絡バイアス、選択バイアス、情報バイアスである。日本の一部の疫学者はバイアス、バイアスと騒ぎ立て、それがいかに疫学研究結果の信頼性を損ねるかのように脅すが疫学においてバイアスは大した問題ではないと私は考えている。また様々なバイアスが起こる状況をひとつひとつ命名し、それを並べあげることが趣味のような人もいるが通常は3種類だ。
□交絡・選択・情報、の3つのバイアス
交絡バイアスは、たとえば「アスベストと肺がん」との関係で「アスベストを吸って肺がんになったといっても、必ずしもアスベストが肺がんの原因とはならない。喫煙だって原因だ」という時、この喫煙が交絡バイアスにあたる。交絡バイアスは、因果関係をわからない方向に議論する時よく使われる。こういう時は「アスベストと肺がん」との関係で同時に喫煙者と非喫煙者に分けて分析し、「2×2表」にして計算すれば済む。最近はそうした統計ソフトもあり、「交絡バイアスを調整(取り除く)」した分析結果が初心者でも出せる。実際には、交絡バイアスは疫学初学者が思うほど測定値には入ってこない。
選択バイアスは、研究対象となる人を選択する過程もしくは研究に参加する要因から生じるバイアスだ。たしかに、症例対照研究において対照の選び方によって選択バイアスは働くことがある。しかし、多くは相対危険度をゼロの方向にバイアスする効果がある。よく「バイアスについて相対危険度を無限大の方向にバイアスする」効果ばかり論じる人がいるが、実情はそうではない。
情報バイアスは、交絡バイアスや選択バイアスに比較すると疫学者以外の人からの指摘は多くはない。研究対象者もしくは研究対象者から集められた情報が、誤って分類されることから生じるバイアスを情報バイアスという。
バイアスとは、元々、私たちが疫学研究によって求めたいと思っている推定値に、系統的誤差を与えることをいう。
□動物実験と疫学調査結果の比較
日本においては、疫学ではメカニズムが解明できないので、動物実験あるいは細胞実験のほうが「より科学的」とみる傾向がある。これは誤りである。人体における発がん評価は、世界保健機関(WHO)傘下のIARC(国際がん研究機関)で取り決められている。IARCでは、発がん評価において「動物実験による確認は必要条件ではない」としている。それは、「ヒトの発がん影響の評価」であって、「動物の発がん影響の評価」をしているわけではないからだ。「ヒトとは種が違うので、動物実験の結果はそのままヒトには応用できない」という単純な理由からだ。
したがって、人体(ヒト)における発がん影響は疫学研究により評価される。動物実験と疫学研究とでは、結果が7割から8割くらいしか一致しない。両方の方法論による証拠が一致していれば「因果関係あり」で問題ないが、食違いが生じる場合は疫学的証拠が最優先される、とIARCは明記している。疫学は医学における科学的判断の根拠となっているのである。
IARCの「ヒトに対する発がん性分類」は、グル−プ1、2A、2B、3、4、の5段階で、「グル−プ1」が「ヒトに対して発がん性がある」で、「グル−プ2A」が「ヒトに対してたぶん(probably)発がん性がある」で、「グル−プ2B」が「ヒトに対して発がん性のある可能性(possibly)がある」で、「グル−プ3」が「ヒトに対して発がん性があるとは分類できない」で、「グル−プ4」が「ヒトに対してたぶん発がん性がない」である。
上記の表からわかるように、疫学研究が発がん性分類の決め手なのである。つまり疫学研究で充分発がん性が示せれば、たとえ動物実験で発がん性がなくても「グル−プ1」に指定されるのである。
□「メカニズム」論に惑わされるな
「病気発生のメカニズムの解明」ということがよく言われる。メカニズムというと多くの人は、昔のゼンマイ仕掛けで歯車だらけの時計内部の仕組みを思い浮べる。しかし、医学の世界では、そのような仕組みを実際に目にすることはありえない。
たとえば、一般的に「メカニズムは解明されている」と思われていることでも、さらに分子レベルや遺伝子レベルを持ち出して、「解明されていない部分があるから因果関係はまだわかっていない」とも主張できる。つまり、そうすることで実際の社会で生じていることに対する対策や判断を遅らせる大きな要因として、そうした「メカニズム論」は作用していることは否定できない。因果関係がはっきりすることを避けたい行政や企業は、こうした手を使って「因果関係は不明」を言いたいのである。そうした議論に惑わされず、対策に有効な疫学を市民団体も身につけてもらいたい。
<解説>
上記の報告は、2004年8月28日〜29日に亀戸Zビルで行なわれた津田敏秀さんの講演をベ−スに、『市民のための疫学入門』(津田敏秀著・緑風出版、2400円+税)で補足したものです。
歯に衣着せぬ津田講演は実に興味深いものでした。『電磁界の健康影響−その安全性を検証する−』(分光堂)という本で「電磁界が発がんの原因であるかも知れない、との疑いはほとんどすべて疫学研究に基づいている(しかし)電磁界が発癌の原因であるかどうかは、実験によって確かめられなければならない」と書いてあることに、津田さんは次のように厳しく批判されています。「これではいくら高名な先生方の力作であっても、装丁が立派で高価であっても、最初のこれらの文章を読んだ途端、もう中身を読む気になれない。なぜだろうか?最初に誤った考え方が提示されているせいで、その後の記載が科学的価値を失ってしまっているからである」。疫学はメカニズムがわからないので動物実験や細胞実験でないと確実な証拠にならないというのは間違いで、本当は、疫学のほうが証拠価値が高いのです。