(ここに示された文章は、『サンデー毎日』2002年10月13日号より、電磁波問題市民研究会が抜粋したものです)
文明には光と影がある。「光」のまばゆさは、しばしば我々の目を「影」から遠ざける。それが杞憂であれば幸いだが、「影」はときに手痛いしっぺ返しを食らわせる。ケータイの「影」がどうもキナ臭い。
「ここで、危険かもしれない電磁波を浴びてはいられん、裁判できちんと言っておきたいことは言っておかんといけん!と思い、ここに立つことにしました。
この裁判で自分の将来が決まるのかもしれない。いや、自分だけでなく、この地域のたくさんの子どもたちの将来が決まるのかもしれないと思っています」
7月25日、大分市の大分地方裁判所で、小学6年生の女の子が意見を述べた。夏休み中だったこともあり、傍聴席では30人以上の子どもたち、さらにその親たちが見守った。
「紛争」の舞台は、大分市の隣、「温泉の街」として知られる大分県別府市である。NTTドコモ九州が、同市北石垣に携帯電話基地局(電波中継用の鉄塔型アンテナ、高さ40メートル)を建設しようとしたのに対し、周辺住民が電磁波の人体への影響を心配して4月、基地局の建設・操業差し止めを求める仮処分を申請したのである。
驚かされるのは「申立人」の顔触れだ。なんと、まだおむつのとれない1歳児から16歳までの子どもたちばかり28人が名を連ねている。建設予定地の半径400メートル以内に住むか、その範囲内にある保育国に通う子どもたちだ。
申立書によると、基地局は、動く画像の送信などが可能な次世代携帯電話「F0MA」のための施設で、2月に突然、着工の知らせがあった。驚いた住民側は抗議するとともに説明会を開くよう求め、3月にやっと開かれたが、物別れに終わった。ところがドコモ側は、その4月後に着工に踏み切ったというのだ。
こうしたいきさつを述べたうえで、
<基地局から出る(電磁波の一種である)マイクロ波は目や耳、循環器系、自律神経などに異常をもたらす恐れがあるうえ、発がん性、特に小児白血病についても可能性が示唆され、いまだに結論は出ていない>
として、安全性が確立されるまでは操業するべきではないと訴える。「半径400メートル」というのは、マイクロ波の影響が最も心配される範囲だという。
これに対し、「基地局から出る電磁波の強さは国の安全基準値を大きく下まわっている」(広報)と主張するドコモ側は建設を続行し、7月には「サービスを開始」、つまり仮処分の結論が出ていないのに電波を飛ばし始めてしまったのだ。
住民側代理人の徳田靖之弁護士はこう憤る。
「ひそかに土地を入手し、説明会さえも住民が要求しないと開かないなど、NTTドコモ側の対応には、正直、これでも一流大企業なのかという疑念を抑えられない。将来、発がん性が分かって操業をやめたとしても、すでに病気にかかっていれば取り返しがつかない。そうであれば、結論が出ていない段階ではリスクを最小限に抑える、例えば子どものいる住宅地や学校、幼稚園、保育所のあるところでは基地局建設を避ける義務があるはずだ」
ちなみに徳田氏は、ハンセン病訴訟やスモン訴訟で患者側代理人として国や製薬会社と闘うなど、人権派弁護士として全国的にも著名な存在。今回は、その徳田氏を中心に弁護士10人で「弁護団」を構成するという力の入れようだ。
訴訟合戦から「白紙撤回」まで
もちろん、一方では、携帯電話の国内普及率は55%に達し、ユーザーは7000万人を超えるともいわれる。特にビジネスマンや若者層では、持っていない人を探すのが難しいほどだ。テレビを見ても、人気タレントが「ケータイ」を手ににっこりほほ笑むコマーシャルがひっきりなしに流れている。表層だけを眺めれば、まさに「電磁波などどこ吹く風」といった雰囲気であるのは間違いない。
ところが、実際には、電磁波への不安は「鎮静化」するどころか、大分のケースのようにブスブスとくすぶり、燃え広がる兆しさえあるのだ。
市民団体「中継塔問題を考える九州ネットワーク」事務局の宮崎周氏は、
「九州だけでも、少なくとも20ヵ所で中継基地局の反対運動が継続中だ」
と指摘する。市民団体「ガウスネット・電磁波問題全国ネットワーク」によれば、東京、福島などでも反対運動が続いており、その数は全国で50ヵ所前後にものぼると見ている。
例えば東京では、墨田区の両国国技館近くの旧NTT局舎跡地にドコモなどが高さ200メートルの電波中継タワー(オフィスビル兼用)をつくる計画を打ち出したため、撤回を求める住民運動が2年前にぼっ発。普通のオフィスビルからの計画変更が突然だったうえ、現場周辺は幼稚園、中学校、高校、大型の総合病院がひしめいているため、住民だけでなく園児や生徒の父母からも憤りの声が上がり、反対署名は9000人に達した。
結局、この対立は昨年10月、都の紛争予防条例によるあっせんに持ち込まれた。「建設計画の見直しを求める地域住民の会」メンバーの武内功子さんは言う。
「区の開発計画の一環なので撤回は難しく、電磁波の測定など不安解消に努めるという条件であっせんには応じましたが、そもそもこれほど学校や幼稚園が集中しているところに危険性が疑われるモノをつくること自体、納得できません」
さらに九州では、昨年から今年にかけて福両県三瀦町と熊本市楡木で、ドコモ側が反対住民を名指しして「工事妨害禁止」を求める仮処分を申し立て、それが認められると今度は住民側かドコモを訴える−−という乱戦に陥っている。逆に携帯事業者側が白紙撤回したり、住民らと協議のうえで別の場所を選ぶという『円満解決』のケースも東京、埼玉、九州などで出てきている。
今、こうした反対運動が勢いついている背景には、昨年から今年にかけての電磁波をめぐる状況の変化がある。すなわち昨年10月、マイクロ波とともに健康への影響が疑われた超低周波(50〜60ヘルツ)について、WHO(世界保健機関)の下部組織で発がん物質の研究では世界をリードする国際がん研究機関(IARC)が、その発がん性リストの3番目のランク「2B(発がん性を持つ可能性がある)」に、史上初めて位置づけたのだ。それまでWHOは「日常に浴びる程度の超低周波では(悪影響の)確たる証拠はない」としていた。このため、
「同じ電磁波であるマイクロ波についても、あのような劇的な変更がありうると考えるのが当然で、反対運動の支えにもなる」(ある運動関係者)
欧州とはケタ違いの「基準値」
しかも、今まさにIARCは世界14ヵ国の脳腫瘍患者数千人を対象にした大規な疫学調査を実施している最中なのである。結果が出るのは2〜3年後とされるが、あるいはわが世の春を讃歌する携帯電話が一転して、タバコのような存在にならないとも限らない。何しろWHOの今の事務局長は、自ら「電磁波過敏症」を公言している元ノルウェー首相のブルントラント女史その人である。
とはいえ、それはあくまで今後に予想される事態。現状では携帯電話会社や国の姿勢にかかっているのだが、実態はどうか。
「国の電波防護指針に定められた基準値さえ守っていただければ、人体には安全と言えます」(総務省電波環境課)
「お客様のご要望に基づいて(基地局設置による)エリア拡大を進めている。通信という公共性の高い事業でもあり、ご理解いただきたい」(J−フォン)
「地元への配慮を考えたうえで基地局の建設を検討している」(auを展開するKDDI)
まるでトラブルになるのが不思議という感覚だ。
携帯電話の「安全」という場合、これまでに述べた中継基地局のマイクロ波の強度だけでなく、携帯電話本体からのマイクロ波も問題になる。それぞれ「電力東密度」、「局所SAR値(人体の電磁波吸収量)という単位で示される。
彼らが「錦の御旗」のように掲げる「基準値」だが、日本では電力束密度は最大1000マイクロワット/cm2。これは米、カナダなどと同じレベルだが、スイスの「4〜10」、イタリアやロシアの「10」(それぞれマイクロワット/cm2)に比べると、ケタ違いに高い。オーストリア・ザルツブルク州では、さらに低い0.1マイクロワット/cm2で行政府と業者が合意しているという。
実際には、基地局からのマイクロ波の電力東密度は数マイクロワット/cm2以下のレベルのようだが、その強さは、基地局からの距離と角度(水平方向から数度下向きが最大)で決まる。ビル、マンション、住宅がごっちやに密集している日本では、窓を開けると隣のビル屋上の基地局了ンテナが正面にバーン・・・というケースも少なくないのではないか。
一方、SAR値の日本での基準値は「10グラム当たり2ワット/キログラム」というもの。例えば米国は「1グラム当たり1.6ワット/キログラム」で、近いようにも見えるが、
「『・・・グラム当たり』を換算すれば、実際には米国の方が2倍も厳しい」(荻野晃也・京都大学工学研究科講師)。
少なくとも欧州との比較では、日本の基準は厳しいとは言えないようだ。
さて、肝心の実験データはといえば、
ここ数年、
▽線虫を使った実験で、携帯電話より弱いマイクロ波でも細胞が傷つけられた(英国)
▽携帯電話を使う側の頭部側面の脳腫瘍が2倍に増加している
などの気になる報告がある一方で、
「影響なし」との研究結果も複数、出ている。
やはりIARCの判断が一つのヤマ場になりそうなのだが、実は欧州では、すでに「予防原則」のもとに事態は動き始めている。
英国は「子どもたちに使わせず」
例えば英国では、携帯電話への不安の高まりを受けて政府が「携帯電話に関する独立専門家グループ」という名の調査チームを組織し、過去の研究データを精査させた。2000年5月に出た報告書では、「国民が危険にさらされているとは断言できない」と断りつつも、「(電磁波)被曝が基準値以下でも生体が影響を受けたという科学的証拠もあるため、もっと信頼性が高い研究結果が得られるまでは予防的措置が取られるべきだ」と述べる。
そして、具体策として
▽子どもは緊急の場合以外は携帯電話をなるべく使わない
▽学校の近くの通信施設からの(電磁波の)最大放射方向が校庭と校舎にかからないようにする
などを提言している。
これを受けて英政府は、16歳以下の生徒は携帯電話を使わないよう指導する通達を、全学校へ送った。さらに、今年1月には携帯電話と脳腫瘍の関係や、子どもの発育への影響などに関する大規模な調査に着手することを発表している。
徳田弁護士が言う。
「かつて安全とうたわれたタバコは、IARCの発がんリストで2Bランクだったが、今では1ランク、つまり『発がん性は明らか』とされている。じん肺の原因となったシリカも、やはり2Bから2A、そして1へとランクアップした。不確かだった危険性が、わずか数年のうちに明確になったケースはいくつもある。こうした歴史の教訓を生かさなければならない」
ところで、マイクロ波を避けるにはどうしたらいいのか。当然ながら、まず携帯電話そのものを使わないのが一番だが、それがイヤなら、せめてイヤホンマイクを使って体から離すべきだ。また、伸ばしたアンテナは最大限、頭から遠ざけよう。幼児にも使わせるべきではない。
中継基地局からのマイクロ波については、電磁波シールドカーテンや壁紙、ガラスが発売されている。マイクロ波はコンクリートで遮断できるが、窓ガラスは通りぬける。
少なくとも、数年後、がんなどとの関連が解明されるまでは、「予防原則」に従って自己防衛した方がよさそうだ。