(ここに示された文章は、<環境ホルモン Vol.3, 2003-4[特集]予防原則>より、電磁波問題市民研究会が抜粋したものです)
電磁界基準値の設定をめぐる科学・思想・政治
ドイツの動きを中心に
永瀬ライマー桂子
NAGASE-REIMER Keiko
ベルリン工科大学
近年、電磁界が健康に与え得る悪影響が心配されている。本論文は、電磁界に対して適切に基準値を導くための原則のありかたを示唆し、その確立に貢献することを目的とする。まず、様々な基準値の意味を明らかにし、その決定原則の難点を指摘、これらに代わる「予防的ALARA原則」を示す。次に、ドイツを中心に基準値の決定経緯および現状を紹介し、利害関係者間の動きを分析する。最後に、電磁波間題に予防原則を適用するにあたって、具体案を提示する。
<目次>
1.電磁波問題
2.基準値
2.1.基準値の種類
2.2.基準値決定の原則
3.基準値の現状
3.1.ICNIRP防護指針
3.2.商用周波数に関する研究とICNIRP勧告値
3.3.高周波に関する研究とICNIRP勧告値
3.4.予防原則に基づく許容値
4.ドイツにおける基準値およびその原則の在り方をめぐる政治的イニシアチブの動向
4.1.現行規制値設定までの経緯
4.2.携帯電話機からの放射に対する予防値設定の試み
4.3.予防的ALARA原則へ
5.ドイツにおける利害関係者間の交渉の動き
5.1.住民の意向の反映
5.2.情報公開
5.3.研究奨励
5.4.技術革新
5.5.電磁界削減
6.予防原則適用に関する具体的提案
7.補論−基準値の単位と測定法について
参考文献
弱い電磁界の人体への有害性を初めて論文として発表したのはWertheimerとLeeper(1979年)で、高圧送電線と小児癌の関係を指摘した。1980年代にはコンピュータスクリーンから放射される電磁波による流産率増加などが指摘され、今日に至っては携帯電話による頭部への負担が心配されている。
近年の疫学研究や実験結果の一部は、弱い電磁界の健康への悪影響を指摘している。しかしメカニズムが科学的に完全に解明されていないため、それらの研究は悪影響を与える証明として説得力に欠けると、大部分の国や公的機関からは判断されている。従って弱い電磁界の影響は、現行のほとんどの基準値には考慮されていない。
電磁界が及ぼし得る生体効果の「不確かさ」は、電離放射線の持つ「確率的蓋然性」とは異なるものである。電磁波問題は、現在の科学的研究結果からは一義的に「健康に対する悪影響なし」とも「悪影響あり」とも断定できない、いわばグレーゾーンにある。健康への悪影響が証明されていないという事実は、「証明されていないから安全」とも「悪影響があるかもしれないから危険」とも解釈される。電磁界のように不確実さを持つ科学技術に対しては、これまでほとんどの場合「証明されていないから安全」という解釈がなされてきた。そのために、狂牛病やアスベストのケースのような過ちが度々繰り返される結果となった。今後このような過ちを繰り返さないためには、不確実さを持つ科学技術に対し、科学的知見における盲点とギャップを認識した予防的措置を導入する必要がある。
基準値の設定は、電磁界からの人体防護に大きな効力を発揮する。基準値設定の際、どのような原則に基づいて基準値を決定するかが問題となる。原則には「閾値に基づく許容値」「ALARA原則」「用心政策」があり、用心政策としてはこれまでに「慎重なる回避」や「予防原則」が提案されている。しかし、いずれの原則にも何らかの難点が存在する。用心政策に関しては厳格な定義がないため、予防的でない事柄に対してまで「予防的」という言葉が使用されるなどの混乱もある。
本論文は、適切な基準値を導くための原則がどうあるべきかについて示唆を与え、より明確な原則の確立に貢献することを目的とする。
人体の電磁界曝露に関する基準値は一般に、健康に対するリスクの有無の境目と解釈されがちである。しかし基準値には、法的効果、曝露量と生体への影響の関係、基礎となる原則の違いにより、様々なものがある。多くの場合、基準値は健康へのリスクと経済的要素の間の政治的妥協値である。
本論文では基準値をその法的効果の違いによって、「勧告値」、「規格値」、「規制値」の三つに分類する。勧告値は任意のもので、法的強制力はない。「防護指針」、「ガイドライン」、「指針値」などの呼び方がある。代表的なのは、国際非電離放射線防護委員会(以降ICNIRPと略)<注1>の防護指針で、各国はこれに准じた勧告や規制を行なっている。日本の郵政省が1990年に出した電気通信技術審議会答申「電波利用における人体の防護指針」も、勧告である。
規格値は、技術分野に属する組織が合意事項として制定する。標準化による品質の向上、生産の向上、コストの低減がその目的である。規格は法的性質を持つと考えられがちであるが、そうではない。例えばドイツの国家規格DINは、それが反証されるまでは一般的に承認されている規則として認められる。つまり、規格値が不当であるという証明がなされれば、無効になる。規格値は一般に電気製品や送電施設ができた後から定められるため、既設の設備が違反となるような値が設けられることは普通ない(Katalyse Institut:p.110, p.127)。
規制値は国の立法機関によって制定されるもので、法的強制力を持つ。1997年に発効したドイツの連邦排出物規制法第26条(BimSchG.26)、通称「電磁波スモッグ令」はこれに当たる。
以上の法的効果とは別に、曝露量と生体への影響の関係の違いによって、基準値は「閾値」、「許容量」、「予防値」に分類される。「閾値」は生体に危険が現れる値で、閾値以下では毒性影響が生じないと考えられている。動物実験や疫学調査で毒性影響が見られなかった最大曝露レベル(影響非検出量)を、閾値の代替物として通常用いる(蒲生:p.990)。但し、閾値概念は仮定上のものであり、その数値も新データの出現により大きく変わりうる。「許容値」とは、人々を既知のリスクから守るために許容される最高値である。毒性の影響を受けやすいとされる子供や老人などを含む大きな人間集団について、長期的曝露の影響を観察して得られた影響非検出量が、許容値にふさわしいとされている。しかし実際には人体実験は不可能であり、サンプル数の不足、長期間の曝露観察が困難であったりするため、得られる影響非検出量の不確実性は大きい。そこで通常、得られた不確実な影響非検出量に安全率をかけて、許容値としている(蒲生:pp.990-991)。また「予防値」とは、人々を可能なリスクから十分に守ることのできる予防的な値を指す。
基準値はもともと、労働組合の働きかけで労働者の安全を守るために決定されたもので、公衆の安全を踏まえたものではなかった(Katalyse Institut:p.110)。そのため多くの勧告は、職業用許容値の他に、より大きな安全率をかけた公衆に対する許容値も提示している。
基準値の制定機関には、電気技術の規格制定機関、保健衛生や環境安全が管轄の機関がある。無線通信に関しては周波数帯を管理する総務省(旧郵政省)などの行政機関が、認可を下す際に基準値を設ける場合もある(電気学会:p.77)。規格制定機関や無線通信を管理する行政機関は、電磁波を最大限に利用することを第一の目的とする。一方、保健衛生や環境安全を推進する立場にある機関は、人々の健康保護を第一義とする傾向にある。
基準値は「閾値に基づく許容値」、「ALARA原則」、「用心政策」のどれかの原則に基づいて決定されている(電気学会: pp.77-78)。
■[閾値に基づく許容値] 閾値に基づくこの原則は、閾値以下では健康への影響はなく、閾値を越えると曝露の強さと共に影響が増す場合に有効とされている。現在の人体への電磁界曝露に関する許容値のほとんどは、この原則に基づいて定められている。そこでは電磁界の閾値は、確立されている短期的な曝露による急性健康障害、例えば末梢神経および筋肉の刺激、誘電性物質に触れることによる感電および熱傷、電磁エネルギー吸収によって生じる生体組織温度上昇などに基づいて決定されている。
しかしこの原則は、人体への電磁界曝露に関する許容値の決定には不適当である。第一に、人体への電磁界曝露に閾値はない。短期間の熱効果<注2>で閾値が決まるというのは、単なる仮定に過ぎない。その証拠に、この「仮定上の閾値」以下の曝露が身体に悪影響をもたらすことを指摘する論文が、近年数多く発表されている。このような仮定上の閾値に安全率をかけても、適切な許容値にはならない。第二に、熱効果のみを考慮する根拠がない。非熱効果<注3>による健康への悪影響も、数多く指摘されている。第三に、人々は一生24時間にわたって電磁界の曝露を受け続けるにもかかわらず、長期曝露が考慮されていない。
■[ALARA原則] ALARAはAs Low As Reasonably Achievable(合理的に達成できる限り低く)の頭文字をとったものである。これは、費用・技術・公衆衛生と安全確保による利点、その他の社会的経済的関心事を考慮し、曝露を合理的に達成できる限り低く保つことで、既知のリスクを最小化するための方策である。この原則は、閾値が存在せず、リスクの大きさが曝露の大きさに依存する場合に有効とされている。また、ALARA原則適用の条件として、曝露とリスクの因果関係が確立していることが挙げられている。ALARA原則は、1950年代半ば頃から電離放射線の分野で提案されてきた(電気学会:p.77; WHO「用心政策」:p.5; 荻野「近代科学技術と予防原則」:pp. 146-147)。
人体への電磁界曝露に関する基準値が、ALARA原則に基づいて決定されたことはない。低レベルの電磁場曝露とリスクの因果関係が証明されていないことから、電磁波問題に対しては適当な方策ではないとされている(WHO「用心政策」:p.5)。しかしALARA原則は以下に述べる用心政策と組み合わせることにより、未知のリスク削減に効果を発揮できると筆者は考えている。
■[用心政策] 用心政策は、曝露と健康障害の間に定量性および因果関係が未確立であるが、健康障害の危険性が指摘されるものに対してとられる(電気学会:p.77)。用心政策には、「慎重なる回避」や「予防原則」がある。
慎重なる回避は1989年、カーネギー・メロン大学のMorgan博士、Florig博士、Nair博士が米国技術評価局に提出した報告書の中で、商用周波電磁界のリスク管理施策として初めて提唱された。ここで慎重なる回避は「施設の敷設ルートの再検討及び電気系統や電気器具の設計変更により、人々を電磁界から遠ざけるために施設すること」とされた。慎重とは、「低めのコストで済むような回避活動をとること」とされた(WHO「用心政策」:p.3-4)。
1989年以来慎重なる回避は、科学的に証明されるリスクがなくても、電磁界曝露を減らすために簡単で、容易に成し得る、コストの低い対策を講じるという意味で展開されてきた。実際に自主的な勧告という形で、オーストラリア、スウェーデン、および米国のいくつかの州の電力部門の一部で採用された。但しこれらの措置は新規施設に対してであり、既設施設の改造にはまだ適用されたことはない。また、「慎重なる」が意味するのは、健康リスクに対してではなく費用に対してであり、おこり得る健康障害のリスク評価は必要でない(WHO「用心政策」:pp.3-4)。
一方予防原則は、環境や人体に将来与えるインパクトが深刻で取り返しがつかないものである場合、害が科学的に完全に証明されるのを待たずに、リスク削減のための暫定的対策をとることを言う。その対策は環境や人体へのリスクばかりでなく、対策を実施する場合と実施しない場合の必要コストと、対策によって得られる便益を検討した上で立てられる(EEA; WHO「用心政策」:pp.2-3)。
1980年代以降、予防原則は欧州を中心に、政治的アジェンダや国際合意に急速に導入されていった。欧州同盟の憲法とも言うべきローマ条約には、「環境に関する欧州共同体の政策は、(中略)予防原則に基づくべきである」と記述されている。近年では、欧州委員会が2000年2月、「環境問題に関しては予防原則を基本とする」方針を明らかにしている。ドイツの放射線防護委員会(SSK)も、電磁波問題への予防原則の適用を呼びかけている。(EEA:p.14; WHO「用心政策」:pp.2-3; 荻野「近代科学技術と予防原則」:p.157; SSK:pp.16-17)
予防原則は、立法機関による法律制定や、行政機関による政策によって導入されるべきものである。科学的に未確立な問題への対処法として、科学者をサポートする基準はいくつかある。電磁波問題に関しては、例えば疫学・毒性学・発癌病理学・疫学間の学際的障壁の削減や、様々な価値観の考慮、中立的立場からの判断などがある。しかし、科学的に未確立な問題に対して、政治家の政策決定をサポートする一般的基準はない。予防原則の定義や適用方法は、現在も討論中である(Bundesverfassungsgericht; EEA:p.12, p.15)。
近年欧州では「予防」「予防的」という言葉がよく使われるようになったが、予防原則の厳格な定義がないため、用語が過剰で不適切に使用される場合がある。例えば、国際的勧告値を上回るものが「予防許容値」と呼ばれたり<注4>、急性障害と熱効果しか考慮されていないにもかかわらず「予防的側面に注意を払った」と表現されたりする例がある(Nietzke, Voigt:p.12)。予防原則に関する討論が進展すれば、このような用語の混乱は解消されていくであろう。
予防原則および慎重なる回避の難点は、具体的な政治的手段や定量的な基準値を規定することが困難なことである。第一に、電磁界の長期的影響や非熱効果を考慮した予防値の設定が必要だが、これらはまだ定量化されていない。第二に「容易に成し得る対策」「低いコスト」という表現は、あいまいである。第三に、仮定上の閾値に大きな安全率をかければ予防値になるという考え方があるが、その安全率を何倍にするかは恣意的であり、説得力に欠ける。仮定上の閾値は長期的影響や非熱効果を基礎に割り出したものではないから、これに何倍の安全率をかけても長期的影響や非熱効果を正確に評価するものにはならない。定量的な基準値の設定に関しては、上述の困難を回避する方法として、許容値に代わって、技術的・経済的に到達可能な限り低い値を基準とすることが、ドイツの市民団体や環境研究所から提案されている。これは、ALARA原則の予防的適用(以降「予防的ALARA原則」と呼ぶ)と言える。
現在欧州同盟をはじめとして世界各国は、1998年に改正されたICNIRPの防護指針に准じて、規制値や勧告値を設ける傾向にある。そこで基準値の代表例として、ICNIRP防護指針を紹介する。ICNIRPの勧告値は仮定上の閾値に基づく許容値であり、長期にわたる電磁界曝露や非熱効果による影響から人々を守るものではない。それでも多くの国々で基準値引き下げに貢献している。一部例外として、これまで規制値が低かった東欧が、勧告に従ってより高い値を採用した例もある。(Nietzke, Voigt:p.16)
ICNIRPは非分離放射線の基準値防護指針設定の任務を負った、非政府組織(NGO)である。WHOとILOは非電離放射線防護の問題をICNIRPに委託している。但しICNIRPは各国と協定を結んでいるわけではない。委員は各国が任命した代表者ではなく、ICNIRPの委員自身によって選出される。(Nietzke, Voigt:p.11)
ICNIRP勧告値<注5>は科学的文献に基づいて決定されたが、そのうち確立している影響のみが曝露制限の根拠として用いられた。具体的に根拠として用いられたのは、短期的な曝露による急性健康障害で、例えば末梢神経および筋肉の刺激、誘電性物質に触れることによる感電および熱傷、電磁エネルギー吸収によって生じる生体組織温度上昇などである(ICNIRP日本語版:p.5)。
一方、未確立で信頼性に欠けると判断されたのは、第一に長期の電磁界曝露による癌の誘発である。疫学研究では50/60Hzに対するICNIRP勧告値をかなり下回るレベルの曝露で、発癌作用との関連が指摘されているが、実験研究による証拠が欠けるため科学的根拠とするには十分でないと判断された。第二に、試験管内実験で観測された電磁界曝露に対する一過性の細胞または生態組織の反応が、考慮の対象外となった。観察された反応の多くが生体実験で実証されていない、というのが理由である(ICNIRP日本語版:p.5)。
公衆の商用周波数50Hz曝露に対するICNIRP勧告値は、100μT<注6>である。疫学調査の中には勧告値の1/100にあたる1μT以下で、小児白血病、乳癌、成人白血病、成人神経組織腫瘍、流産、肺癌、アルツハイマー病、精神病、自殺のリスクが高まることを指摘するものがある(Nietzke, Voigt:pp.2-5)。中でも小児白血病と高圧送電線による磁界曝露を関係づける研究結果は多く、1998年の時点で関係疫学研究13件のうち5件を除く全てが、1.5〜3.0の推定相対リスクを報告している。同様な研究結果が、日本国立環境研究所と国立がんセンターが実施した疫学調査<注7>でも得られた。
弱い磁界が生体に及ぼすメカニズムは完全に解明されていないが、疫学研究結果を支持する実験結果はでている。例として1μT以上で、癌の促進、鶏の奇形発生率の高まり、メラトニン<注8>放出、電磁波過敏症が指摘されている。(Nietzke, Voigt:pp.4-5)
これらの疫学・実験研究を受け、いくつかの研究機関はすでに「商用周波数に発癌の可能性あり」と発表している<注9>。ICNIRPも将来、勧告値引き下げに向かうものと見られている。このような傾向にある中、日本の政府機関は未だに商用周波数に対する人体防護のための基準値を定めていない。通産省令において電気設備技術基準27条で「地表上1mで電界強度が3000V/m以下」と定められているが、この基準の根拠は健康への悪影響ではなく、静電誘導による電界の感知を避けることにある(電気学会:p.77; EMF table)。
高周波領域にはテレビやラジオ放送、携帯電話や電子レンジなどに使われる電磁波が含まれる。一般に高周波による電磁界が人体にもたらす影響としてICNIRP勧告値に考慮されているのは熱効果(生体組織温度上昇)である。神経などに直接及ぼす非熱効果は考慮されていない。日本もこれに准じた勧告を出している。
これまでの疫学研究の中には、弱い高周波によってリンパ癌、白血病、流産などのリスクが高まることを指摘するものがある。しかし、高周波は様々な周波数帯が利用されており、その変調方法も異なるため、高周波に関する疫学研究から何か結論を出すことは難しい。また実験結果からは、弱い高周波電磁界による遺伝型の変化、カルシウムイオン<注10>代謝への影響、脳波への影響、癌の促進、脳血液関門<注11>の透過性の増加などが指摘されている(Nietzke, Voigt:pp.7-10)。
携帯電話の場合直接頭部に当てて使用することから、上記の例と区別する必要がある。携帯電話ユーザーの健康リスクについては、これまでの疫学研究や実験研究から判断できる段階にはまだない。携帯電話の使用と脳腫瘍形成との関係が指摘され、訴訟も起きているが、癌は潜伏期間が長いため確実な結果を得るまでにはまだ時間がかかる(Nietzke, Voigt:p.10) 。
ICNIRPの枠組みを超えた予防原則を適用させた例は、すでにいくつかある。低周波に関しては既に述べたように、米国の一部の州やスウェーデンで、高圧送電線から一定距離内に新しい住居や幼稚園を建設しないよう勧告されている。
高周波に関しては、イタリアとスイスがICNIRP勧告値を下回る規制値を導入している。イタリアの規制値の特徴は、人が毎日4時間以上滞在する建物には、周波数に関係なく低い値を適用している点にある。イタリアの規制値はICNIRP勧告値と比較して、電界と磁界は約1/7、電力密度は約1/45に相当する。スイスの規制値はICNIRP勧告値に従っているが、それに加えて人が長時間滞在する場所には予防値が設けられている。さらに、回避可能なものは回避し、電磁波放射を減らすために実現可能な手段は実施することと義務づけられている。携帯電話中継基地が放射する電磁波の規制値を低くすれば、より多くの中継基地が必要となる。しかしスイスは山や谷が多い地形から、いずれにしろより多数のアンテナが必要なため、携帯電話プロバイダの反対がさほど強くなかったのではないかと推測される。またオーストリアの環境都市ザルツブルク市では、高周波基準値を0.1μW/cm2とすることで合意しており、携帯電話中継基地に関しても大方この基準が守られている(Nietzke, Voigt:pp.14-15; 電磁波研会報 No.17, 2002:p.21)。
人体の電磁界曝露は従来電気技術の問題として扱われ、その基準値は規格値として定められていた。しかし80年代後半頃からは保健衛生の観点からも扱われるようになり、勧告値や規制値が導入されていった。
ドイツでは基準値の多くは行政命令<注12>ではなく、工業規格として規定されてきた。電磁界の許容値に関しては、ドイツ電気技術委員会(以降 DKE)が経済省から決定の権限を与えられていた。DKE は、その委員の大部分が電気業界とエネルギー業界の代表者によって占められている(Katalyse Institut:p.114)。
DKEの一メンバーである連邦放射線防護局(BfS)は1990年、DKEで職業的曝露の他に新しく公衆の曝露に対する許容値を設け、その値に1989年の国際放射線防護学会(以降IRPA)<注13>の勧告値(5000V/m, 100μT)を適用するよう提案した。しかしこの提案は、DKE内のエネルギー業界関係者によってあっさり否決された。1992年になってDKEは公衆に対する許容値を初めて設けたが、その値は低周波に対して7000V/m, 400μTと、IRPA勧告値をはるかに上回るものだった(Katalyse Institut:p.112, pp.114-115, p134)。
業界のこの動きに対して、経済相はDKEから許容値設定の権限を取り消し、連邦政府は偏りなく選出された委員から構成される専門能力の高い新しい審議機関を設立すべきだという世論が高まった。これを受けて「電磁界のための放射線防護委員会」が新設され、後に許容基準値設定の任務が与えられた。続いて1996年5月には環境省(BMU)が、連邦排出物規制法第26条(26.BImSchG)の草案を提出し、連邦参議院のわずかな修正を経て、1997年1月1日に発効した。この規制法によって、ようやくIRPA勧告値が採用される運びとなった(Katalyse Institut:p.112, pp.116-117)。
規制法が発効されたことにより、電磁界の危険性が公認されたというニュアンスが生まれ、裁判の判決で健康面が考慮されはじめた。しかし、規制法は一般市民の健康面だけを配慮するものと考えるのは誤りである。携帯電話などのインフラストラクチャーに関する手続きを簡単化し、投資を確保することも、規制法の目的の一つであった(Katalyse Institut: pp.112-113)。
ドイツは1990年、欧州電気標準化会議(以降CENELEC)に、人体の電磁界曝露に関する欧州規格を検討するよう提案した。そのためドイツの許容値に対する考え方の多くが、1994年の欧州暫定規格に反映された。しかしこの暫定規格は試用期間後の投票で承認に至らず、結局ICNIRP勧告値(1998年)に准じた欧州勧告値が1999年に制定された。投票で承認が得られなかった背景には、この問題を担当する欧州委員会が、CENELECは電気技術の規格を扱う組織であるため、保健衛生に関する勧告値を決定する機関としては不適当であると考えていたことがある(電気学会:pp.77-79)。これは経済推進よりも人々の健康を重んじた、適切な判断であった。
ドイツ環境省と連邦放射線防護局<注14>は、携帯電話機による頭部への負担を削減するため、ICNIRP勧告値の枠組みを超えた予防値を普及させる試みをはじめた。携帯電話機からの放射に対するICNIRP勧告値はSAR値<注15>2W/kgで、ドイツもこれに従った勧告値を出している。これに加えて2002年7月から、この勧告値を下回るSAR値0.6W/kgを認可基準に、電磁波放射の少ない携帯電話機に「青い天使」マーク<注16>が適用されることになった。人々は携帯電話に使われる電磁波が人体に及ぼし得る悪影響を気にしてはいるが、携帯電話の使用は控えないことから、マークを携帯電話機購入の際の目安にしようというのが目的である。同時にマーク適用が製造業者を刺激し、次世代携帯電話機の開発に際して電磁波放射削減が考慮されるようにという狙いも含まれている(BMU; "Blauer Engel" jetzt auch fuer strahlungsarme Handys.; Boensch)。
SAR値0.6W/kgという認可基準は、環境省に任命された環境マーク審査委員会と呼ばれる独立の審議機関が決定したものである。連邦放射線防護局が2002年5月に行なった調査によれば、市場に出回るSAR値2W/kg以下の84機種のうち、約15%がSAR値0.6W/kgを下回っていると報告されている(図1参照)。認可基準の決定理由は明らかにされていないが、おそらく約15%が満たしているラインを技術的・経済的に可能で業界を刺激できる値と見て、決定したのではないかと推測される。
青い天使マークが導入されてから半年が経った2002年末現在も、携帯電話機製造業者と携帯電話プロバイダはマークをボイコットし続けている。中でも断固反対しているのは携帯電話機製造業者である。マークの適用により、SAR値0.6W/kg以上の携帯電話が売れなくなることを心配している。これに対してプロバイダの一部は、販売店で電磁波放射の少ない携帯電話に関するアドバイスを開始した。モトローラ、ノキア、ジーメンス、ソニー・エリクソンなどが加入している情報経済・通信・新メディア連邦連盟(Bitkom)は、「最適なSAR値を持つ携帯電話機を推進する」と表明すると同時に、マークを「誤った情報を提供し、ユーザーを不安に陥れるもの」と批判している。状況によって電磁波による頭部への負担は大きく変化するため、最大出力のSAR値を基準にすることは不適切であるというのが、批判の理由である。但し、最大出力のSAR値を基準にするとした規格は、業界自らが提案したものだ。業界の反対に対し、環境マーク審査委員会は2002年11月、引き続きSAR値0.6W/kgを基準とし、2003年には青い天使マーク25周年記念の一環としてキャンペーンを展開することに決定した。(Boensch; Elektrosmog Report, Dezember 2002:pp.2-4)。
携帯電話の電磁波放射レベルを示すマークをボイコットすることは、長期的には不可能と見られている。製造業者が環境マークを武器に市場競争に乗り出すのは、時間の問題であろう。一社がマークの適用を始めればボイコットの壁は一気に崩れ、電磁波放射の少ない携帯電話機が市場を占めることになる。このような楽観的予測がなされているのは、電磁波放射の少ないコンピュータ・モニターを証明するスウェーデンのTCO(スウェーデン勤労者連盟組合)ラベルの例があるからである。TCOラベルが提案されたとき、製造業者はラベルを受けることを拒否した。しかし一機種がTCOラベルを貼付すると、競争相手の企業も次々とラベルを貼付していき、現在はほとんどのモニターにTCOラベルが貼付されている(Karus; Oekolabel Pro und Contra)。
TCOは電磁波放射が少ない携帯電話機に対しても、青い天使マーク同様の試みを行っている。TCOラベルは携帯電話機のTCP値<注17>0.8W/kgを基準にしている。TCOラベルを電磁波放射の少ない携帯電話機の世界基準にしようとする試みがなされているが、未だ成功には至っていない。しかし2002年初めに大手自動車会社ボルボ社が、社員用に調達する電話機のリストにTCOラベル付電話機を含めたことから、他の企業もこれに続くと見られている(TCO)。
消費者の間では頭部曝露の少ない機種への関心が高まっている一方で、通話や文字メッセージ機能の他、例えば写真を送ることのできるマルチメディア・メッセージ・サービス機能を持つ機種にも目は向いている。現在のモデルに代わって次に市場を満たすのは、電磁波放射の少ない機種ではなく、マルチメディア・メッセージ・サービス機能を持つ機種になる可能性も大きい。
図1 各SAR値を満たす携帯電話の割合(%)
*ドイツ市場で勧告値2W/kgを満たす携帯電話機64機種を対象に調査。
*出典:http://www.handywerte.de/bfs-Oekolabel.htm
欧州は予防原則に基づいて許容値を引き下げることには消極的である。1999年に欧州基準値を設定する際、低周波の許容値を0.25μTとする提案もあったが、否決された。イタリアやスイスなどの例を除いて、許容値は仮定上の閾値に基づく値とし、それを超える予防原則に基づくリスク管理は政治的イニシアチブに任せる姿勢が一般的である。
その一方で欧州は、予防的ALARA原則を許容値以外の措置に導入することには積極的である。欧州議会は、経済的に代替可能な電磁波放射の少ない技術を利用して、将来的に電磁界による住民の負担をできる限り削減する政策を重視すると勧告した。ドイツの放射線防護委員会も、2000年の欧州委員会の報告に基づき、技術的・経済的に有意義な限り電磁界曝露を削減することを勧告している。またドイツの放射線防護局も、電磁界曝露を最小限に抑えることを予防対策の一つに挙げている。(Nietzke, Voigt:p.12; SSK:pp.16-17; BfS:pp.37-38)。
このような姿勢の根本には、許容値設定と予防を電磁波問題対策の二本柱とし、許容値はあくまでも十分確立されている科学的証拠に基づいて設定し、それを超えるものは予防措置として実施するという考え方があるようだ。(BfS:pp.37-38)これに対してドイツの環境団体や市民団体は、許容値への予防的ALARA原則の導入を要求している。例えば商用周波数に対しては、彼らは表1に示す値を提示している。今後欧州では、予防的ALARA原則がさらに検討されていくものと予想される。
表1 商用周波数(50Hz)の許容値および予防値(Katalyse Institut:p.134; ICNIRP)
|
電界(電界強度) | 磁界(磁束密度) |
職業用(7時間) (単位:V/m) | 一般用(24時間) (単位:V/m) | 職業用(7時間) (単位:μT) | 一般用(24時間) (単位:μT) |
連邦排出物規制法第26条(1997)/ドイツ | - | 5000 | - | 100 |
ICNIRP勧告値(1998) | 10000 | 5000 | 500 | 100 |
ドイツ家庭における平均値(Katalyse研究所(ドイツ)による:2002) | - | 5-40 | - | 0.01-0.3 |
ECOLOG研究所(ドイツ) | | 20 | | 0.1 |
Katalyse研究所(ドイツ)/ドイツ市民団体の勧告値(2002年) | - | 10(夜間 1) | - | 0.1(夜間 0.02) |
1998年からドイツは社民党と緑の党の連立政権になった。環境相も緑の党出身者になり、電磁波問題への予防原則適用を重視する発言が多々なされるようになった。
欧州では2003年秋からUMTS(Universal Mobile Telecommunications System:欧州第三世代移動体通信システム)が導入される予定で、大きなデータを高速で通信できるようになる。2000年8月にドイツ政府がUMTS用通信周波数帯のライセンスを競売にかけた際、落札額は1000億マルク(約6兆円)にものぼった(Probst)。政府がこの多額のUMTSライセンス貧を得た見返りとして、2001年に見込まれていた規制値の大幅な引き下げは、見送られることとなった。
環境省をはじめ、放射線防護委員会、放射線防護局はいくつかの予防措置を勧告している。これらの措置の多くは以下に示すように、電磁界曝露の削減と業界側に有利な条件を抱き合わせたものになっている。しかし電気通信業界の力は強く、現在予防原則がその効果を十分に発揮するには至っていない。
携帯電話普及に伴って生じた問題の一つに、中継基地建設に対する付近住民の反対がある。携帯電話愛用者であっても、自宅の近隣に中継基地が建てられることを嫌う。裁判に持ち込まれた場合、ほとんどは携帯電話プロバイダが勝訴しているが、中継基地が建つマンションの住人に対して20%の家賃引き下げが認められたケースもある(Mieter Zeitung, Oktober 5, 2001:p.8)。この中継基地建設問題の解決を目指して、環境相は中継基地用地の選択プロセスに、住民側の代表として地方自治体を参加させることを提案した。これに対して携帯電話プロバイダ6社は、地方自治体と規則的に情報交換を行ない、中継基地設立計画を事前に知らせ、協調しながら用地を決定する旨で2001年7月に合意した。2001年第四四半期から実施されている(Deutsche Stadte- und Gemeindebunds:pp.X-XIII)。
しかし住民の意向を決定に反映させようとするこの試みは、現在のところ成功しているとは言えない。決定は引き続き密室で行なわれる場合が多く、住民が決定に参加する状況にはない。それどころか、携帯電話プロバイダは決定プロセスに地方自治体を巻き込み、以前より中継基地を建設しやすくなっている(Elektrosmog Report, November 2002:p.2)。地方自治体と住民のコミュニケーションを促進する工夫や、住民を直接決定に参加させる試みが、今後必要である。
携帯電話プロバイダはまた、幼稚園や小学校付近を避け、別の中継基地を採用することでも合意している。これは予防に向けた重要な一歩ではあるが、子供が幼稚園や学校で過ごすのは一日数時間であり、大部分は自宅で過ごすのであるから、幼稚園や小学校だけでなく住宅地や病院も考慮すべきであるという意見もある(Elektrosmog Report, November 2002:p.2)。
電磁界を発生する製品や送信機器に関する情報が公開されれば、消費者は電磁界曝露の少ない製品を選ぶことができる。また製品パッケージに電磁界情報が記載されれば、消費者は電磁界をより意識するようになるだろう。電磁界の少なさが品質基準の一つとなれば、電磁界の少ない製品が普及する。放射線防護委員会は、製品が放つ電磁界を製品情報として記入すること、そして電磁界の少なさを品質基準の一つとすることを勧告している。また放射線防護局も、電磁界リスクに関する情報提供を予防対策の一つに挙げている(SSK:pp.16-17; BfS:pp.37-38)。電気・電子製品が放つ電磁界の強さを表示する品質証明義務は、1995年に緑の党が連邦政府に要請したが (Katalyse Institut:p.119)、実現されていない。
携帯電話中継基地に関する情報については、ドイツの携帯電話プロバイダは地方自治体に情報公開することで、2001年12月業者間での自主合意に至った。しかし現実には、地方自治体は情報の一部しか与えられず、口外しない約束の上でしか全情報を得ることができない。また中継基地情報の公開は、基地の建つ土地や建物の所有者のデータ保護にも関わるため、プロバイダや所有者の同意が得られなければ行われない。そのため、中継基地付近の電力密度を計算するのに必要なデータが揃わず、業者間の自主合意はほとんど機能していない(Selbstverpflichtung der Mobilfunkbetreiber; Elektrosmog Report, November 2002:p.3)。管轄官庁は今後、情報公開に向けて法的整備を進める必要がある。
携帯電話機からの頭部への曝露に関しては、SAR値の公開が勧告されている。2001年夏ドイツの携帯電話機製造業者は、2001年末までにSAR値を説明書に表示し、インターネットサイトにも公表するという内部合意に至った。しかし説明書は普通購入決定後にしか読まれないから、購入の際目安になるように、SAR値はパッケージに表示するのが適切であろう。また、インターネットサイトは捜し出しにくい上、「非常に低い値」か「低い値」のカテゴリーしか使われていない場合もあり、不十分である(Karus)。
製造業者による自主的なSAR値公開は、消費者側に立った情報提供のように見えるが、実はそうではない。ドイツでは薬品と同様に、製品の及ぼす副作用のおそれについて記述することが義務づけられている。携帯電話機に関しては、飛行機やエアバックの誤動作についての注意書きはあるが、人体への影響に関する記述はない(Stiftung Warentest:p.88)。SAR値表示は、人体への副作用のおそれに関する情報提供義務の一環である。
連邦政府は2002年から2005年にかけて、電磁界の生体効果を解明するための研究を強化する。環境省は、携帯電話関係の研究に計850万ユーロ(約10億2千万円)を拠出する(BMU)経済技術省は計500万ユーロ(約6億円)を、UMTSネット建設の際の技術的規制に関する研究に充てる。また教育研究省も、計700万ユーロ(約8億4千万円)の研究費を、放射の少ない携帯電話システム技術の推進に投入する(Deutscher Bundestag:pp.3-4)。
携帯電話プロバイダに対しては2001年7月、環境相は最新科学研究結果の公開を要請した(Trittin)。さらに携帯電話プロバイダは2002年から2005年にかけて、計850万ユーロ(約10億2千万円)の研究費を提供することに自主合意した。研究の依託および管理は、WHOのEMF研究プロジェクトの基準に准じて行われることになっている(Selbstverpflichtung der Mobilfunkbetreiber; Deutscher Bundestag:p.4)。
ドイツの携帯電話プロバイダが研究費を提供する動機の一つは、将来の賠償責任に対する「予防」である。将来許容基準値以下の電磁界による有害性が証明された場合、携帯電話プロバイダや製造業者は許容基準値を遵守していても、賠償責任に問われる可能性がある。有害性についての研究や文献調査を行なうことが義務づけられており(Stiftung Warentest:pp.87-88)、研究や調査を怠った場合、賠償責任に問われる確率が高くなる。
基準値の引き下げは、電気製品製造業界にとって必ずしもコスト引き上げにはつながらない。基準値が厳しくなると一時的には経済的に不利になるが、長期的には技術革新によって対策コストを削減できることが、すでに述べた放射の少ないコンピュータスクリーンに対するTCO勧告などの例から証明されている。コンピュータの例では、職場での曝露負担が認識され、健康のため放射の少ないスクリーンが求められるようになり、スクリーン業界は収益を上げる結果となった(Katalyse Institut:p.118)。
携帯電話機の頭部への負担を減らすためには、例えばアンテナの位置やデザインを工夫する、ノイズを遮断して内部干渉を減らし出力を弱くする、アンテナに指向性を持たせるなどの対策が可能である。また「エコ携帯電話」として、電話機と受信機を分け、その間をブルーツース式<注18>で通信する機種も開発されている。
携帯電話中継基地からの曝露を削減する試みとしては、携帯電話プロバイダによるネットワーク最適化の合意(2001年12月)が挙げられる(BfS:p.37)。この合意に基づいて、プロバイダが各社の中継基地を建設することによる中継基地の重複を避け、共同中継基地が設けられることになった。これにより、不必要な電磁界曝露を削減すると同時に、プロバイダは中継基地建設費を節約できることになった。
中継基地からの曝露の削減にはまた、ベルリン市政府による、中継基地からの距離を規定の3倍にするという試みもある。同時に学校、幼稚園、病院、老人ホームや運動場の運営者は、中継基地新設・変更に対して異議申立ての権利を認められることになった。また、市政府は法律の簡単化を目指して、高さ10mまでの中継基地の新設や変更のほか、新設や変更に伴う利用目的の変更も、建設認可不要にする意向である(Elektrosmog Report, Oktober 2002)。これらの試みは、電磁界曝露の削減と共に、中継基地を巡る住民との混乱の回避、建設認可の簡単化による市とプロバイダの負担軽減を目的としている。
携帯電話機が頭部に与える負担は、市販されているイヤホンマイクを利用することにより削減出来ると言われている<注19>。携帯電話とイヤホンマイクをセットにしたパッケージも、ドイツでは販売されている。セットで販売することにより、頭部への負担を減らす選択が消費者に与えられると同時に、業界はイヤホンマイクの販売数を延ばすことができる。さらに、業界は電磁波による頭部への負担を削減する手段を消費者に提供していることで、携帯電話の有害性が証明された場合、裁判での立場は有利になる。
また携帯電話の利用時間を短くする手段として、携帯電話プロバイダによる長時間通話を避けるような料金体系の設定が考えられる。しかし、携帯電話の有害性が認められない限り、このような料金体系の実現は難しいであろう。
現在電磁波問題に対する社会的関心は高くなく、取るに足りない問題であるという声もある。しかし電磁界の影響で頭痛、動悸、めまい、不眠症、記憶力低下、手足のしびれなど体調不良を訴える電磁波過敏症の人々は増加する傾向にあり、日本だけでも患者は100万人を超えると言われる(電磁波研会報 No.18, 2002)。科学的証拠不足という理由から、電磁波過敏症に苦しむ多くの人々から目をそむけることはできない。
電磁界曝露を削減するのに最も有効な措置は、規制値の設定である。規制値は、子供や病人を含めた全ての人々が一生曝露を受け続けても、健康障害が生じないことを保証するものでなければならない。しかしこの当然とも言うべき要求を、現行の規制値や勧告値は満たすことができない。例えば現行の規制値や勧告値では、ペースメーカーなどの医療機器のいくつかは故障をおこす場合がある上、電磁波による治療などを受けている病人は防護対象外になっている。現行の規制値や勧告値を改正し、少なくともペースメーカー使用者を防護できる規制値の導入が必要である。
さらに電磁界が人体に与える長期的影響や非熱効果が解明されるまで、暫定的に予防原則に基づいた予防値を導入することが望ましい。特に子供に対しては、未明のリスクはできる限り避けるべきである。予防値の設定に際して予防原則の定量化が問題となるが、すでに述べたように許容値に代わって予防的ALARA原則に基づき、技術的・経済的に到達可能な限り低い値を基準値とすることで解決できる。
具体的な予防値であるが、商用周波数に関しては高くとも0.4μTには削減すべきであろう。理由にはWHOやIARCを含む複数の研究機関が、0.4μT以上で小児白血病の発症率が2倍以上としていることが挙げられる。予防値としては、ドイツの研究所が提案するように0.1μT程度が望ましい。高圧線周辺でなければ、一般家庭でこの値を守ることはできる。
また携帯電話に関しては現時点で未明な点が多いため、技術的・経済的に到達可能な限り低い値を予防値とすることが望ましい。ICNIRPの勧告値は SAR値2.0W/kgであるが、法的強制力がないため、勧告値を上回る機種も市場に出ている。まず、現行の値に法的強制力を持たせることが重要である。また携帯電話の安全性が証明されるまで、子供の使用は法律で禁止すべきである。予防値としては、ドイツでは SAR値0.25W/kg未満の機種が数種販売されていることから、技術的には 0.25W/kgとすることが可能である。経済的には、例えばドイツでは現行の勧告値を満たす機種の約 90%が 1.0W/kg以下である(図1参照)から、予防値を 1.0W/kg以下に引き下げても問題はない。
各国政府が予防原則を採用せず、現行の規制値や勧告値を維持する場合には、電磁界が健康に悪影響を与えると確定した場合に、被害者が十分な補償を受けることができる法的制度を整えるべきである。現在のままでは、企業は責任を逃れ、被害者は泣き寝入りしなければならないだろう。また電磁波過敏症に苦しむ人々に対しては、電磁界がゼロに近い療養所を提供するなど、何らかの対応がとられるべきである。
電磁界は化学物質と異なり、電磁界発生源から離れる程その影響は小さくなる。例えば家庭電気製品には表面で磁束密度 100μTを超えるものがたくさんあるが、通常使用時に身体から 30cmの距離を取れば 100μT以下になり、使用時間が短かければ影響はさらに小さくなる。高圧送電線からも数十メートルの距離をとることによって、電磁界の影響を削減することができる。このように日常生活でのちょっとした配慮から、電磁界曝露はかなり回避できる。電磁界曝露をただ危険視するのではなく、その実態と回避方法を正しく人々に伝えることが重要である。
予防原則の「予防」が意味するのは、弱い電磁界が人体にもたらし得る悪影響の予防だけではない。携帯電話製造業者や携帯電話プロバイダにとっては賠償責任の予防であり、保険会社にとっては損失の予防でもある。予防原則はすべての利害関係者に長期的な利益をもたらす、電磁波問題の優れた解決法ではないだろうか。
基準値を定めるには、健康に影響を及ぼし得るものが定量的で測定可能でなければならない。マイクロ波が及ぼす生体効果には、電磁エネルギーの吸収によって生じる熱効果の他に、マイクロ波が直接生体に働きかけることにより生じる非熱効果がある。人体に対する熱効果は、体温の上昇という形で測定可能である。一方、非熱効果については 1930年代から研究されているが、未だに解明されていない部分が大きい。非熱効果ではパールチェーン形成効果<注20>が一般に認められている。しかしその他の非熱効果は観測されてはいるが、これらを評価する単位が未確立であり、認められるには至っていない。非熱効果の単位には、発癌増加率(オッズ比)や血液中のメラトニン濃度などが考えられるが、単位として確立されるまでには研究が必要である。
基準値の意味は、その単位と測定方法によって大きく異なってくる。例えば電子レンジからの漏洩マイクロ波の測定単位には、面積あたりの電力(mW/cm2)が使われている。これは表面積あたりが受ける熱量を示すもので、実際に身体が吸収する熱量を示すものではないため、頭部が携帯電話から受ける熱量の測定単位としては不適切である。そこで人体への熱効果を表す単位としては、人体組織で吸収される電力を示す SAR(エネルギー吸収率)が使われるようになった。但し SARは模型や数学モデルを使ってしか測定できず、実際に曝露を受けた生体の様子を正確に表すものではない。
SARには「全身平均 SAR」と「局所 SAR」がある。局所が受ける熱量を全身の平均としてとれば、値は低くなる。目や睾丸などの器官は熱によってダメージを受けやすいため、これらの器官を守るために局所 SARが設定されている。また SARは勧告によって、生体組織 10gあたりの平均値を示すものと、生体組織 1gあたりの平均値を示すものとがある。ICNIRPは携帯電話の SAR値を、生体組織 10gあたりで測定し 2W/kgと勧告しているが、生体組織 1gあたりでは SAR値はこの約 3倍になる。特にマイクロ波のエネルギーは局所的に吸収されやすく、熱集中点は「ホットスポット」と呼ばれる。ホットスポットを正確に評価するには、ホットスポットの大きさあたりの SAR値が採用されることが望ましい。例えば、脳組織 10gは直径 3cmの球、脳組織 1gは直径 1.4cmの球に相当する。ホットスポットは 0.5cmの球以下である可能性があるため、脳組織 1gより小さい単位あたりでの測定が適切である(電磁波研会報No.10, 2001:p.23)。
マイクロ波に曝露された人体の組織温度は、6分程度で定常状態に達すると考えられている。そのため現行の SAR値は、6分間の平均値をとっている。しかし 6分間の平均値をとることで、定常状態に至るまでの変動やピーク値が無視される。変動のしかたやピーク値の大きさが、人体に与える影響を左右している可能性もあるため、引き続き測定基準は改められて行く必要がある。
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[注]
1) 放射線防護活動の国際交流を目的として1966年に設立された国際放射線防護学会(以降IRPA)は、1977年に国際非電離放射線委員会を発足させ、1990年に「商用周波電磁界の曝露限界に関する暫定ガイドライン」を発表した。1992年にIRPA内で非電離放射線を扱う組織が独立し、国際非電離放射線防護委員会(ICNIRP)となった(www.kepco.co.jp/emf-k/senmon/irpa.htm)。 <参照元にもどる>
2) 熱効果については補論を参照のこと。 <参照元にもどる>
3) 非熱効果については補論を参照のこと。 <参照元にもどる>
4) ドイツの1995年の試験的規格はIRPA勧告値を上回っているにも関わらず、その値を「予防許容値」「安全許容値」と呼んだ(Katalyse Instgitut : p124)。 <参照元にもどる>
5) ICNIRPは0Hzから300GHzまでの周波数帯を11の領域に区切って勧告値を定めている。「基本制限値」は mA/平方メートル および W/kg の単位で示され、これを電界強度、磁界強度、磁束密度、等価平面波電力密度に換算した値が「参考レベル」として示されている。それぞれの値は『ICNIRP Guidelines』を参照のこと。 <参照元にもどる>
6) 低周波に関しては磁界が人体に及ぼす効果が問題となっているため、磁束密度(マイクロテスラ)に換算された値で比較する。 <参照元にもどる>
7) 0.4マイクロテスラ以上の環境で小児白血病の発症率が2倍以上になると、2002年8月24日の『朝日新聞』で報じられた。 <参照元にもどる>
8) 生理活性アミン誘導体の一種。動物の松黒体から分泌されるホルモンで、生殖機能を環境の日周期に合わせて調節する働きをもつと言われているが、詳細は不明な点が多い。松果腺切除や一定の光に曝露することによりメラトニンレベルが低下し、乳がん増殖が加速することや、前立腺癌に影響を及ぼすことが報告されている(電気学会:p10) <参照元にもどる>。
9) 米国立環境健康科学研究所(NIEHS)は、商用周波数を含む極低周波電磁界を 1998年「ヒトに対して発癌性の可能性あり」に分類した。また、英非電離放射線諮問小委員会(AGNIR)は 2001年、「電磁界が小児白血病の原因であるとする確固たる結論を正当化するに十分な強い証拠は現在ないが、強い磁界を長期間曝露すると小児白血病リスクは増大する可能性がある」と発表した。さらに、国際癌研究機関(IARC)は 2001年、発癌ランク 2b「人体への発癌可能性あり」に分類した(WHOファクトシート N-263)。 <参照元にもどる>
10) カルシウムイオンは、細胞内の毒性増加を抑制する役割や、脳神経などの伝達にとって重要なタンパク質に不可欠である(荻野『ガンと電磁波』:p214)。 <参照元にもどる>
11) 脳血液関門は、有害物質が脳に入り込まないように排除する機能を持つ。 <参照元にもどる>
12) 行政官庁が法律によって与えられた権限に基づいて発布する法を「命令」と呼ぶ。これに対して、議会によって制定される法を法律と言う(田沢:p332)。 <参照元にもどる>
13) 非電離放射線に関する委員会は 1992年に独立し、国際非電離放射線防護委員会(ICNIRP)となった。 <参照元にもどる>
14) 連邦放射線防護局は電離放射線の他、非電離放射線も担当している。 <参照元にもどる>
15) SAR値については、補論を参照。 <参照元にもどる>
16) 青い天使マークは環境マークとも呼ばれ、リサイクルに適した構造で、廃品は製造業者が無料で回収し、消費者に適切な情報提供をしている製品に 1979年から適用されている。 <参照元にもどる>
17) TCP値(Telephone Communication Power)は、実際に通信に使われる電力を示す。放射する電磁波の大部分を通信に利用することができる携帯電話機は、頭部による吸収その他の損失が少なく、従ってユーザーヘの負担は軽減される傾向にある。TCOがTCP値についてテストした結果、通信に使われるのは出力全体の約 16%だった。 <参照元にもどる>
18) 携帯情報機器向けの無線通信技術の一つ。電子レンジと同じ 2.45GHz帯の電磁波を利用し、機器間の距離が 10m以内であれば障害物があっても利用できる。 <参照元にもどる>
19) 連邦放射線防護局はイヤホンマイクの使用を勧めている(Bfs:p37)。その一方で、イヤホンマイクを使用しても効果はないという説もある(Becker)。 <参照元にもどる>
20)懸濁液中のコロイドが、パルス変調された高周波電界中で電界方向に配列する現象。 <参照元にもどる>
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