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「河野談話」見直しに対する
  台湾・阿媽たちおよび婦援会の抗議声明


日本の首相・安倍晋三は、3月1日、記者団のインタビューに答えて公に表明した。「第二次大戦中、日本軍が強制的手段でアジアその他の国の女性を慰安婦にしたことを示す何の証拠もない。」

安倍晋三首相は「慰安婦」をテーマとした最新の公の発言で、現在の日本政府の態度を表明した。すなわち、公の発言と右翼メディアの宣伝により、公然と史実を否認したのである。これは日本政府がこの戦後遺留問題を解決し、賠償することを拒否することであることを意味し、「慰安婦」の対日賠償請求運動に対する厳重な妨害を形成するということである。

歴史を直視しようとしない日本政府の態度に、人々は憂い、憤怒する。日本軍性奴隷にされ、現在なお生き残っている被害者にしてみれば、再度の打撃と屈辱であることは疑い得ない。

85歳の陳鴦阿媽は言う。
「あのとき、わたしと一緒に行った21名の娘のなかで、わたし一人だけが生きて帰って来た。死んだ人は話すことはできないが、わたしは生きている。わたしこそが一番の人証だ。」

85歳の鄭陳桃阿媽は言う。
「あのとき日本の警官に連れて行かれ、わたしの人生は変わってしまった。生きて帰って来ても、一生涯人にバカにされた。わたしが強制的に軍隊に連れ去られたのではないと言うのなら、わたしのような一庶民が、なんで強制的に軍艦で海外に運ばれ、性奴隷にさせられたのか?」

日本政府が第二次大戦中に強制的に徴用又は拉致したり、騙して誘拐したりして、軍の性奴隷にした台湾、韓国、中国、インドネシア、フィリピン、オランダ、東チモールなどアジア各国の女性は、歴史学者によれば20万人に達し、台湾の被害者数は2000人を超えるという。

1991年、韓国をはじめとして、大勢の被害者が勇気を出してつぎつぎと立ち上がり、日本の暴行を訴え、世界を震撼させた。
台湾では資料と歴史学者の確認を経て、58名の被害者の生存が確認された。台湾人(客家も含む)、原住民族も等しく被害を受けた。
1991年以後、被害者によって被害の実態と被害を受けた場所が明らかにされた。台湾にも、中国、台湾、フィリピン、韓国などに等しく日本軍の慰安所の跡が存在した。慰安所は、戦争の拡大と共に存在しないところは無いほどになった。台湾花蓮県秀林郷の廃棄された軍用倉庫も、一人のタロコ族の被害者によって、当時被害を受けた場所であることが証明された。

日本政府は、被害者、被害を受けた場所、歴史文献などの史実に対して公然と嘘をつき、事実を隠蔽し、被害者を怒りをもたらす。
「慰安婦」にされた阿媽を支援する私たちの団体も、憤怒に堪えない。

しかし、日本社会にこのような現象が現れ、対日賠償請求運動で阿媽たちに不利になっても、私たちには打撃とはならない。私たちは、ほかの被害国と共に努力できる。

私たちは台湾の最年長の被害者・呉秀妹阿媽(90歳)とともにオーストラリアへ向う。オランダ・韓国の被害者と団結し、オーストラリアの日本大使館の前で、抗議の水曜デモをおこなう。日本政府がこの歴史問題を直視し、受けとめ、解決しようとしないことを、国際社会に知らせるために。


         台湾「慰安婦」被害者 呉秀妹、鄭陳桃、陳鴦等27人
                        台北市婦女救援基金会

                           2007年3月7日


                          阿媽とともに・台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会