今回証言集会が開かれたのは山形県の酒田市という海沿いの町で、京都でいうと舞鶴のようなところです。
山形市から車で約2時間半もかかります。
行きは山形の知り合いたちが一緒に車で移動してくれ、ほんとうに助かりました。
バスだと2500円弱もかかるのです!

証言集会を準備したのは、以前東京で台湾のアマーを支える会に入っていたMさん。現在は酒田市のお隣り、鶴岡市在住です。
それとMさんの知人で、酒田市にある東北公益文化大学の伊藤先生。
さらに通訳探しや県内移動など、アマーたち滞在中のさまざまなフォローに「出羽庄内国際村」のみなさんが協力してくれていました。
この「国際村」は財団法人で、鶴岡市がお金を出しているのかな?たぶん。いろいろな国際交流プログラムを主催したり、協力したりする団体みたいです。

集会参加者は、この「国際村」関係者がけっこういたらしく、あと主催側の先生のゼミ学生が数名という感じだったので、「もっと公益大の学生に来てもらいたかったね〜」という感想を話していました。

わたしも大学の学生があまり見受けられなかったので、少し残念に思いました。
ただ大学や情報やアクセス手段がたくさんある都市とは圧倒的に条件が違いすぎるので(山形市からも遠いし、隣りの鶴岡市でも車で1時間弱かかる)、「外」の人間が簡単に言ってしまうのはよくないですね。

それに国際村の人たちが今後も連携を取りながら何かしたいとの思いを抱いているようで、それはすごく良かったと思います。

通訳は、台湾出身で鶴岡市在住の方々がボランティアで協力してくださいました。
初めての通訳で、おそらくこのような問題に直接触れるのも初めてのことだったようです。
言語がわかるぶん、アマーたちの思いがダイレクトに響くのでしょう。泣きながら必死で通訳をされていました。

アマーたちは、ビデオを見て、他のアマーが話すのを聞いて、そして自分が話す時にも、ほんとうにたくさんの涙を流していました。

ちよこさんも、お母さんの話をされました。脳梗塞で倒れる前に、初めてお母さんはちよこさんに自分の体験を語ったそうです。

全身を震わせながら語りを終えた後、お母さんはちよこさんにこう聞きました。
「わたしのこと、軽蔑する?」…ひたすら被害を隠し、自分を責めて何十年も過ごしてきたアマーたちのことを思って、つらくなりました。

ふだん穏やかで、楽しそうに過ごしているアマーたち一人一人が、大きな傷を抱えています。
6人のアマーがそれぞれ話す時間は、そんなにありませんでしたが、アマーたちの身体から溢れ出すような痛みに直面する、そんな集まりになったと思います。

さて集会が終わった後は、お決まりのドラッグストアでショッピング。
アマーたちは各自お目当てのものを大量に買い込んで満足そうでした。
夜はあいにくの天気で蛍狩りには行けませんでしたが、食事をした村の人たちも暖かく迎え入れてくれました。

実は東京から山形に向かう飛行機が霧のため着陸できず、新潟空港からバスで移動し、ホテルには深夜1時過ぎに到着するというハプニングがあったそうです。
山形の中を移動するのも一苦労で、車に乗る時間も長く、アマーたちもほんとうに疲れたんじゃないかと思います。

イアン・アパイ=アマーは風邪をひかれていました。

7月から鶏を飼えなくなるそうです。足も痛むらしく、心なしか元気がありませんでした。
呉秀妹アマーは、庄内空港を発つとき、「別れを言うのは悲しい」と泣いていました。
通訳の方たちも泣いていました。お互い別れがたく、ガラス越しにいつまでも手を振り合いました。

陳樺アマーは、前よりも堂々と、力強く話をされるようになられていました。歌を披露するため、手書きの歌詞カードもたくさん用意していました。
他3名のアマーとも台湾でお会いして以来ですが、それぞれの人柄に少し触れることができました。

行く前は「京都からも遠いし、そこまでして会いに行くことないんかな〜」と迷ったりもしましたが、ほんとうに行って良かったと思います。

酒田、鶴岡は海に近いのに、海も見れず魚も食べれず…それだけが心残りです。

今年台湾では年に6回、ワークショップを開催するとか。そちらにもまた是非参加したいものです。

                                             

以上





台湾の阿媽とともに・台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会

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(2007年6月30日、山形県酒田市の東北公益文化大学で行われた阿媽の証言集会に、
村上さんは京都からかけつけてくれました)

山形でアマーたちと再会!


村上麻衣