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はじめての台湾訪問記


      旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委員会
            
                               浅井 桐子


2007年、2月26日から3月2日までの4泊5日、全国同時企画・京都実行委員会の仲間たちと台湾を訪問しました。

昨年の証言集会に3名の阿媽たちが京都まで来てくださったお礼に台湾へ会いに行こう! と計画。

当初、台湾経由フィリピン行きの格安航空券で、台湾とフィリピンの両方を訪問し、フィリピンでロラたちとも再会したいと考えていました。ところが、参加者が確定した1月末、既に格安航空券はキャンセル待ちしかなく、やむなく台湾のみの訪問に切り替えたのです。
後から考えると、台湾での連日早朝から夜遅くまでの行動とおいしいご飯の食べすぎに、これ以上のスケジュールは体力が持たなかったと思います。

阿媽たちと会えてとても楽しかった思い出とともに、帰国直後、アメリカ議会での決議をめぐり安倍首相が「強制性はなかった」と発言し、再び阿媽たちを辛い気持ちにさせているかと思うと、怒りと申し訳なさがまじった複雑な気持ちにさせられます。台湾での婦援会のフーリン、リーファンと阿媽たちの精一杯のもてなしに感謝を込めて、私にできることで応えていきたいと改めて決意しました。


 無事9名が空港にそろった

出発の2月26日午前11時関西空港集合、ということで空港までの移動の時間に余裕があったにもかかわらず、前夜友人と飲みすぎて、予約した関空タクシーの時間に全く起きなかったM君。

同居の友人の携帯を鳴らしてやっと起こしてもらったIさん。

その後M君は奇跡的にぎりぎりに起き、JRの関空特急「はるか」に載って駆けつけ離陸に間に合ったのでした。
この団体行動はその後どうなるのだろう・・・と前途不安になったのは私だけではなかったでしょう。

飛行機は約3時間弱で台湾着。午後5時過ぎには、台北のホテルに着き、その後は自由行動。さっそく皆で近くのお店に食事に。台湾は漢字表記なので、お店の看板やメニューは見ただけでもだいたいイメージできます。
担仔麺や生春巻きなどを食べておいしさに感動。
その後は台湾名物の小林夜市に。9名はすぐにバラバラに散り、屋台で珍しいものを食べたり買い物にと飛び廻っていたのでした。

夜10時には婦援会のフーリンと滞在中のスケジュールの打ち合わせ。
ホテルに現れたフーリンは、台湾名物のパイナップルケーキのお土産の箱を9つも抱えてきました。初日からびっくりしました。
今回は全てフーリンがコーディネートしてくれたのですが、通訳は英語でメンバーのSさんが行ってくれました。
旅行の前から滞在中もSさんのおかげで、意思疎通に不自由なくすごすことができました。本当にありがとうございました。
 

 自然が美しい花蓮で、イアン・アパイさんと再会

27日は朝9時30分の飛行機で花連へ。

かわいいプロペラ機で飛行時間は20分ほど。海岸線に沿って飛行します。高い山並が海岸まで迫っていて、とても美しいです。
花蓮空港には昨年京都に阿媽の通訳・付添できてくださったチヨコさんが出迎えにきてくれました。レンタカーを2台借りての行動です。

山間の静かな村にさしかかったところで車が止まりました。
そこは旧日本軍の倉庫がある場所でした。山の斜面を掘り、かなり広い室内は四方がコンクリートで固められ、入口は鉄のフェンスが付けられていました。

この場所は、近くに住むイワル・タナハさんがかつて日本軍から連日レイプされた所です。
近所に暮らす彼女は戦後もこの前の道を通ることができず、ずっと迂回していたと話されていた所です。
婦援会では、証言のはっきりとした被害場所なので、この場所を保存していくために行動することを決めているそうです。

すぐ近くのイワル・タナハさんの家にフーリンたちが訪問しました。
最近白内障の手術もして病気などのこともあり、私たちは車から降りず、婦援会のスタッフが少し寄るだけとのことでしたが、タナハさんは私たちと一緒に来てくれることになりました。良かったです。
タナハさんは裁判の原告でもあり、日本には何度も来てくださった方です。

そして昨年京都に来てくれたイアン・アパイ阿媽の家を訪問しました。
家の前でアパイ阿媽はすごくうれしそうな顔で私たちを迎えてくれました。
昨年、フィリピンに訪問したときも感じましたが、地元でお会いするとおばあさんたちは本当にお元気そうで、イキイキとしています。

特にアパイ阿媽は京都では物静かな印象が強かったので、台湾での印象の違いにびっくりしました。
最近ころんで手と足に怪我をしたとのことでしたが、毎日朝3時半には起きて山を歩いているといっていました。
アパイ阿媽は奇麗に片付いた家を案内してくれ、私たちにタロコの布がデザインされたバッグをお土産にくださいました。そして自分が大切に育てているニワトリを見て欲しいと、屋根つきの電動四輪車にさっそうとまたがって案内してくれました。フェンスに囲まれた、アパイ阿媽のとっておきの場所で、ニワトリたちは元気に飛び廻っていました。鳥インフルエンザの影響で、ニワトリたちは処分しなくてはいけないとのこと、アパイ阿媽は残念そうに語っていました。

アパイ阿媽の家の向かいに、タロコの民族衣装や小物を製作・販売している素敵なお店がありました。私たち一行はこのお店であれこれ試着し、たくさんの買い物をしました。
 2人の阿媽も車に乗って、約1時間のドライブをして美しい湖のほとりのお店で昼食を食べました。たくさんの料理に舌づつみ。いろんな種類のイモのテンプラやサンスーという葉の炒めたもの、ハチの子が入った卵とじにも挑戦しました。「これ以上食べられない」ほどにたくさんのおいしいご飯が出されました。台湾ではウーロン茶はおいしいのですが、「緑茶」の飲料は何故か甘みがつけてあり、飲むのに少し抵抗がありました。

再び皆で車に乗り、山間部にある「林田山」に行きました。
ここはかつて日本が植民地時代に林業をしていた場所です。今は廃業して観光地になっています。とても景色の美しい山間の場所です。今でも村の人が住んでいる長屋のような古い日本家屋が連なり、1983年に廃止されたと言われる森林鉄道などが保存されています。ここを散策してから、日本の植民地時代から続く砂糖工場(今は台糖花蓮工場)に寄り、名物のタロイモ味やいろんな種類の味の巨大なアイスクリームを皆で食べました。

帰り道、イアン・アパイ阿媽が私たちにお土産をあげたいのだが何がいいと聞きます。
大変困ったのですが、台湾ではじめて食べておいしかった果物の釈迦頭(シャカトウ)を買っていただくことにしました。アパイ阿媽は、随分時間をかけていくつもの釈迦頭を手にとって吟味し、値段交渉もすごく強気で、試食もたくさんして買ってくださいました。
すごくおいしかったです。アパイ阿媽、ありがとうございます。

さらに帰り道で、花蓮のお土産店に寄り、「大福もち」のようなあんの入ったお持ちを食べ、飛行機で台北に帰ってきました。まだ夜はこれからです。「おいしい小龍包が食べたい!」と私たちはフーリンと共にお店へ。次々と出てくる点心は、ほんとうにおいしかったです。その後はさらに公館夜市へ、夜は更けていくのでした。


 香水が好きな呉秀妹阿媽


翌日は、呉秀妹阿媽の住む家へ、朝からフーリンとリーファンがマイクロバスを貸りきってホテルまで迎えにきてくれました。阿媽の住む所は国際空港の近く、桃園というところです。バスで1時間弱かかって着いたのは、大きなマンションでした。この6階に、仕事で忙しいお孫さんと2人で阿媽は住んでいます。玄関に行くと、いつもの笑顔で私たちを迎えてくれました。

阿媽は私たちのために、たくさんのお菓子を用意して待ってくれていました。阿媽はお菓子はほとんど食べないので、お店の人に若い人はどんなお菓子が好きか聞いて、買ってきたと言っていました。そしてここ何日間は、特にきれいにお掃除をしていたのだそうです。近代的な、3LDKくらいの広さのマンションでしょうか。どの部屋も奇麗に片付いて、ピカピカに磨かれていました。テレビの上には、昨年、私たちが送った寄せ書きのクリスマスカードと、京都での写真が置いてありました。たくさんのお菓子とお茶をいただきました。

私は秀妹阿媽のお土産に、ユカタ(浴衣)を持っていきました。京都で温泉に行ったとき、阿媽がとてもユカタを気に入っていたからです。私の持っているユカタのなかから、アサガオの柄のものを阿媽の身長にあわせて裾を上げておきました。服の上から着てもらうと、長さもぴったりでした。喜んでもらえたと思います。
フーリンが阿媽のベットルームを見に行こうと誘います。案内してもらうと、阿媽は自分の一番大好きな香水を次々とタンスの中から出して、シュー、シューと吹き付けます。阿媽の趣味を発見。けっこう強い匂いがお好きなようで、クラクラしてきました。

フーリンは阿媽の化粧品のコレクションを見て、減り具合もチェックしていました。結構使っているのですね。それからクローゼットを開けてたくさんの服を見せてくれました。秀妹阿媽はいつもとてもおしゃれです。その中からチャイナ式の上着を出してきて、私に着せてくれました。秀妹阿媽は「これ好き?」と言い、この服が好きなら私にくださるというのです。大変恐縮したのですが、阿媽の願いを断るわけにもいかず、いただくことにしました。そしてチャイナ式の阿媽の服を皆で着て、記念写真をとりました。更に阿媽は別のカバンから「もう着ない服だから」とたくさんの服を出してきて、私たちに好きなものを持っていくように言いました。私たち女性は大騒ぎして服をあれこれ着て、盛り上がりました。

秀妹阿媽と私たち一行は、マイクロバスに1時間ほど揺られて、隣の新竹県にある客家(はっか)村に観光に訪れました。秀妹阿媽は客家の出身ですが、ここは初めての場所だそうです。たぶん北埔というところだと思うのですが、昔ながらの客家村風情を残した町並みを活かした観光地で、お寺があり、屋台のお店が連なっていて、たくさんの人で賑わっていました。レンガと土の壁が続き、低い屋根の家がその中にあり、奥には迷路のように小道が続いています。客家の人たちは新竹を中心に住んでいるそうです。

ここで客家風の食事を楽しみました。お酢で炒めたショウガとモツの料理も意外でしたが、客家名物擂茶(れいちゃ)はカルチャーショックでした。お茶というよりスープです。三国時代から続いていると言われる客家擂茶とは擂(す)るお茶のことで、食事が済むと、大きなすり鉢が2つとお茶、ゴマ、雑穀の入った小皿がテーブルに並べられます。まずお茶の葉をよくすり、その他のものも入れて延々とすり続けます。粘りが出るまで交替ですり続けますが、お店の人からはなかなかOKが出ませんでした。30分以上はすり続け、その後厨房に持っていかれてすり鉢の中身は更にすられて、別の容器に入れられ、グツグツと沸騰しアワが出た状態で返ってきました。2つの沸騰したお鍋と2つの具が入ったお皿、各人のスプーンとおわんが出されます。それは塩味と甘味の2つの味が付けられたスープでした。このお茶とキナコのようなものを付けたオモチがよく合いました。交互に食べたら幾らでも食べられるような、不思議なお茶体験でした。

その後、屋台などのお店が連なる街並みを散歩すると、秀妹阿媽は私たちのためにお金を使いたくて、私たちが立ち止まって試食したり、何か見ているとすぐにお金を出してきます。阿媽はたくさんのお金をポケットにいれてきていました。阿媽のお金を使いたくないのだけれど、この日もやむなく、客家風お菓子と高山ウーロン茶を買っていただきました。
夕方近くなったので、夕食は秀妹阿媽の部屋で作って食べることにしました。阿媽の冷蔵庫の中から勝手に野菜やお肉を出してきて、メニューを考えます。阿媽からはぜひ食べてほしいと、台湾の旧正月には必ず食べるといわれるおいしいオモチが出されました。それに衣を付けて油で揚げて食べました。また蒸しパンや鶏肉のゆでたもの、ビーフン炒めとスープは秀妹阿媽の毎日使っている立派な中華フライパンで、メンバーのMさんやSさん、Nさんが作ってくれました。時間が経つのも忘れて、阿媽と一緒の楽しいおいしい食事の時間となりました。その後翌日の婦援会のワークショップでの再会を約束して、私たちは夜10時頃、阿媽の家を後にしました。


 阿媽たちのワークショップに参加して

3月1日は朝から婦援会事務所に集合し、タクシーに分乗してワークショップの目的地に行きました。
場所は台北からタクシーで1時間ほどの、北端にある海辺の金山近くの温泉もある立派なホテルです。
台北からあまり遠くない、違うホテルで毎回行うことを心がけているそうですが、同じ場所が続くと阿媽たちのチェックがうるさいとのことです。

今回は11名の阿媽が参加し、婦援会スタッフもたくさん参加していました。若いスタッフが多いです。カメラマンは写真集「阿媽的瞼」を撮った2人が参加。いつもは顔なじみの人たちで行われる阿媽たちのケアーのためのワークショップですが、今回は特別に私たちの見学を許可していただきました。

東京の支援団体のSさんとも再会。Sさんは毎回ワークショップに参加しており、阿媽たちと深い信頼関係を作っているようでした。ワークショップは阿媽たちのために年に4回ほど行われてきたそうですが、婦援会では今年はもっと増やしたいと考えているそうです。
ホテルでは阿媽たちとの再会を、婦援会のスタッフたちが喜んでいました。さっそくイアン・アパイ阿媽が私に、おみやげにと菓子を9袋持ってきました。もうたくさんもらっているのに・・・

昨年京都に来てくださったのに、今回スケジュールが合わずお宅に伺えなかった陳華阿媽は、素敵なジャケットにスカート姿で、颯爽と現れました。昨年よりも若くなったような雰囲気でした。陳華阿媽からは、客家のお菓子とビスケットが私たち一人ひとりに手渡されます。そして大きな袋に入ったビーフンも。陳華阿媽は自分の家族の歴史を綴った写真集を持ってきてくださり、お連れ合いの軍服姿から、お孫さんの結婚式まで説明してくれました。阿媽はずいぶんボランティア活動もされているようした。今度台湾に来たら、ぜひ自分の家にも来てほしいと言っていました。食事のテーブルでは、私たちにたくさん料理を取り分けてくれ、もてなしてくれました。

ワークショップは、まずお互いのあいさつから。円くイスを並べて全員が座り、カウンセラーの合図で全員立って、手をたたきあう、肩を触れ合う、腰をぶつける、などの方法で何人かの人と、言葉ではなく身体で挨拶をします。身体も心も温かくなってなごやかな雰囲気に。

その後スタッフと阿媽たちは2つのチームに分かれて座りました。そこでいくつかのゲームが行われます。事前に出題されていた「持ち物ゲーム」では、早く持ってきたほうが勝ち。次にそれぞれ阿媽を一人づつ選び、「その人の良いところを出し合う」「どんな趣味を持っているかを出し合う」といったテーマで話あい、たくさん出された内容で勝敗を決めます。いずれも人の良いところをあげていくもので、阿媽の気持ちが暖かくなるような内容です。途中で片方のチームをひいきしているとある阿媽が抗議する場面もあったり、なだめたり、楽しく進行していきました。

休憩の後は、演劇コーナーです。阿媽たちの体験を基にしたお話が作られていて説明があります。それは今から80年前のお話で、ある夫婦に子どもが生まれ、皆に祝福されるストーリーです。

まず担当のスタッフから自分が子どものときにはどんなオムツをしていたのか、どんな食べ物を食べていたのか、など質問が出され、阿媽たちとのゆっくりとしたやり取りの中で、阿媽たちはだんだんと子どもの頃の記憶を蘇らせていきます。
これも2つのチームに分かれて進みます。

休憩のあと、配役を決め、衣装を選び、せりふなどを作っていきます。衣装は既にたくさんの種類がダンボール箱に何箱も持ち込まれていて、役作りに大いに役立っています。熱心に参加する阿媽もいれば、なんとなく距離を置いて見ている阿媽もいて、それぞれのスタイルで参加していました。

秀妹阿媽は生まれてくる子どものお祖父さん役になり、男性の中国風衣装を着て、すっかり役にはまっています。
産婆さんの役、生まれてくるお父さん役、近所の人の役など思いつくままに決めていきます。
イアン・アパイ阿媽は妊婦の役になり、大きなおっぱいを風船で作って胸に入れ、子どもの人形をお腹に入れて出産シーンの練習が始まります。アパイ阿媽のイスから落ちそうな迫真の演技に、周りの人々が大笑いです。練習を何度かして、皆だんだん集中していきます。

いよいよ本番。私たち日本からの参加者は、「出産を祝いにかけつけた人々」という役で参加することになり、いろんな衣装を着て登場しました。2つのチームはそれぞれ工夫があって、例えば「お父さんは3日間、山に芋を掘りに行っていて、子どもが生まれたのに遅れてしまった」などという話が入っていたり、それなりにまとまった話しになっていました。本番は皆真剣で、私たちも引き込まれていきました。

続いてホテルでのおいしい夕食を食べ、そのあとは、休む間もなくカラオケパーティです。会場設営も婦援会が行っていて、キラキラの紙が天井からぶら下がり、電池で光るサンタ帽子が全員に配られます。歌が好きな阿媽は2〜3人ですが、チヨコさんが歌をリードし、フーリンが阿媽たちをイスから手をひいて立たせて、踊りの輪の中にいれていきます。皆立ち上がって、タロコ族の踊りやいろんな踊りを私たちも汗だくになり、約2時間以上踊りまくりました。最後はケーキとフルーツを食べて終わりました。

私たちは台北に帰るバスの最終が近づいていたため、温泉にも入らず、急いで阿媽たちに別れを告げなければならなくなりました。
秀妹阿媽は、「温泉に一緒に入ってからユカタを着せてあげる」と前日約束したためにユカタを持ってきたのに・・・と涙ぐんで私に言います。阿媽ごめんなさい。また会いに行きます。何度もそう行ってお別れをしました。

バス停までフーリンが同行して、バスの運転手さんに随分長い時間かかって私たちをどこで降ろしてほしいか説明してくれていました。
この説明時間に怒った乗客の男性が、バスが出発しようとしたら運転手さんに怒鳴り込み、それに対して運転手さんが猛然と反論。激しく言い合いとなったのです。
私たちは自分たちのせいでケンカになりどうしたらいいのか・・・と思っていたら、乗客の中の年配の男性が仲裁に入り、怒った乗客の男性はそこで下車していきました。仲裁に入った男性は私たちに「大丈夫です」と言ってくれました。その後運転手さんは猛スピードで台北へ。私たちがホテルに帰りやすい場所でバスから降ろしてくれ、なおかつタクシーを3台停めて、行き先のホテルまでそれぞれ指示してくれたのです。バスが停まったところはバス停ではなかったような・・・。最後はそのバスには私たちしか乗っていませんでした。

ホテルに午後11時30分頃帰り着いたら、12時から停電とのチラシが部屋の中に。翌朝は午前5時40分に帰りのためのバスがホテルに迎えにくるのです。フロントに確認すると実際に止まるのは0時30分からだと言います。安心してシャワーを浴びていたらいきなり真っ暗に。怒った同室のMさんが抗議したら、フロントがすごいライトが持ってきて、最後までハプニングと大騒ぎの連続でした。

台湾から帰ってからのすぐの水曜日、3月7日は世界同時水曜デモでした。
台湾の最高齢・91歳の秀妹阿媽はこの日、オーストラリアの日本大使館前での水曜デモに参加したとのことです。

私たちは京都で連帯行動を行いました。

日本政府のひどい発言に接するとき、私たちは一人ひとりの阿媽やロラ、ハルモニたちの顔を思い浮かべます。
彼女たちの尊厳にあふれた姿、顔が私たちの心の中に深く宿って、私たちの力となり、希望となっていきます。たった数日間の短い阿媽たちとの再会でしたが、いただいたたくさんの愛に応えていかねばと思います。



               阿媽とともに・台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会


すり鉢ですり続けるお茶

不思議なお茶だった

秀妹阿媽を囲んで

客家の町並みを観光

浴衣をおみやげに

秀妹阿媽(90歳)

目を手術したイワルさん

イアン・アパイさんと

電動車でさっそうと行くイアン ・アパイさん