『台湾の元「慰安婦」問題を中心として―』のテーマでもたれた七月の例会に出席して、阿媽たちの現況をビデオで見ました。

もう高齢の阿媽が先祖の墓前で、あるかなしかの節をつけて思いのたけを語り続ける「身世打鈴」。突然に慰安婦にされた若い彼女はどんなにか親を恋いつづけたことでしょう。

うす暗い口を開けている壕の前で「私はここで凌辱され続けた」と話す阿媽、日本軍の敗戦により弊履同様に放り出されて六十年、彼女の脳裡からこの記憶が消えた日は一日とて無かったでしょう。

何人もの阿媽たちが、涙で顔を洗うような辛い日々を語ってくれているこの映像は実際に観てほしいもので、私が感想などを書いても阿媽たちの真実の思いは伝えられないでしょう。

「間違っていたのは日本政府であって、私たちには何の落ち度も無い。恥じなければならないのは日本人であって、私たちは恥ずかしいことは何もない」と開眼した阿媽たちは、部族や家父長制、女性差別の因習の中で必死に再起の道を探したといいます。そうして多くの心ある人々の助力によって「台湾の元慰安婦裁判を支援する会」が発足し、彼女達は原告となって日本を被告として糾明する立場になりました。もちろん、支援する会の物心両面の支えがあればこそですが。銃剣のもとに性を奪われていた彼女たちが一人の人間として法廷に立ち、証言の陳述をし、賠償金ではなく日本政府の真の謝罪を要求しています。

しかし度重なる裁判は非人間的反応しか示さず、病躯を押してこの裁判のために遠路に耐えてきた阿媽たちに憤りと失望を与えるものでしかありませんでした。私も何も出来ないならせめて傍聴席の一つでも埋めたいとの思いで、何度か裁判所に行きましたが、僅か五分か十分で閉廷となる場合もよくありました。

被害と加害という全く相反する立場を踏まえて、同性として、人間として、信頼関係を紡いできた「支援する会」の人達の苦衷がしのばれます。「敗訴はおばあちゃんたちも分っているけれど、私はどう話せばいいの・・・」長く支援を続けてきた柴さんの怒りと嘆きが伝わってくるようでした。正当な判決があれば。せめて血の通った言葉が裁判長から伝えられたらあの阿媽たちも少しは慰められたでしょうに。

ビデオ終了後は、柴さんの阿媽たちについての話や、外省人と本省人の権力闘争に不安定な政情下にある台湾の苦悩など、真剣な話し合いが終始したよい集会でした。

新防衛計画・武器輸出解禁・交戦権・改憲等々恐ろしい大活字が新聞紙面に躍って半世紀も前の亡霊が国会周辺に出没しはじめました。武器は人を狂気にさせ、狂気の第一歩は「過ちはくり返しません」との誓を忘却することです。

KITの会ニュース(2004.8.5)より転載

阿媽とともに・台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会



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再生した台湾の阿媽たち 

斉藤 トシ