2005年2月25日  最高裁棄却判決を受けて


正義と女性の尊厳を追求する阿媽たちと闘い続ける

   〜あらためて、日本政府への謝罪と損害賠償を求める道を行く〜




2005年2月25日、台湾の阿媽たちを傷心させた怒りのニュースが、日本からもたらされた。
日本の最高裁判所が「台湾の元『慰安婦』の謝罪と賠償請求」事件に、棄却の決定を下したのだ。
阿媽たちは、謝罪も賠償も得られないという、冷酷で非人間的な決定だった。
5年余りの歳月をかけて得たこの結果は、阿媽たちが、すがることのできた尊厳と正義への唯一の道が、無残にも断ち切られたのだった。


原告の一人で、現在も屏東の市場で椰子を売って生活している83歳の小桃阿媽は、最初に敗訴の知らせを聞いたときは落ちついていた。
「隣人が、わたしたちが敗けたことが新聞に出てたと教えてくれた。20年以上も過ぎてから言ったから、間に合わなかったと」。
婦援会のスタッフがこの知らせが事実であることを伝えると、彼女は堪えきれずに泣きだし、こう言った。「わたしは、本当に自分からすすんで行ったのではない。子供のときにだまされてつれていかれて、汚辱を受けたのだ」。
そして彼女は心細げに言った。「それじゃ、これからどうすればいいの?」。
やがて泣くのを止め怒りをぶちまけた。「このような判決は本当に酷い。20年の制限があるのを知っていたら、早くに跳びだして彼らと闘ったのに」。

 小桃阿媽は、当時、学校へ行く途中、だまされアンダマンへ連れて行かれ、日本軍の性暴力被害にあった。いつか家に帰って、自分を育ててくれたお祖母さんに会いたい一心で、耐えていた。
今日まで生きられたのは、彼女が健康だったことと、自分の人生が日本軍によって狂わされたことに対する無念の思いと日本軍に対する怒りが強かったからである。彼女はこう誓う。「わたしは命懸けで闘う、私たちは分かれて闘ってはいけない、みんなが団結すれば、より大きな力になる。」


婦援会顧問荘国明弁護士も痛烈に批判した。「これは極端に保守的な判決で、世界の嘲笑を浴びるものだ。わたしは、日本の裁判官は深みのある国際感覚をそなえていると、ずっと尊敬していたが、この度の判決で完全に敬意を失った」。

かつて裁判官の職にあった荘弁護士は、「これは裁判官として一生に遇うことのないほどの歴史的事件であり、日本の最高裁判所は日本の法曹界の最高の精神を示すところであるのだから、裁判官は時間をかけて歴史的判決文を書き、すばらしい作品を残し、指標となる判決を下すべきだ」という。

 荘国明氏は続ける。「日本の裁判は『国家無答責』、『時効』、『個人は国に賠償請求はできない』などの法理をもって、本事件を斥けた。しかし実際には日本政府が戦争中に行ったことは人権侵害行為であり、本質的に不法行為である。国際法の観点から見れば、人権侵害の戦争責任問題とされ、時効による制限はありえない。かつ被害者個人、特に戦争被害者は国際法によって国家に賠償を請求できる。国の賠償責任は果たされるべきで、三権分立の国では、立法機関で立法し、行政機関で執行するのが当然だが、目下のところ立法は怠け、今に至るも解決しておらず、実際上も国家賠償なされるべきである」。



 婦援会の廖英智理事長も弁護士であるが、彼はこう語った−−「今年は第2次大戦終結60周年で、国際社会がみな日本政府の罪業を認識していても、日本政府は謝罪も、賠償もしない態度をとっている。国際機関から何度も出されている勧告を無視し、法的責任を負うことを避けている。わたしたちと被害者の阿媽たちは同じ立場にあり、正義と女性の尊厳を追求する阿媽たちの願いは、わたしたちの長い間の努力目標である。日本に対する賠償請求は、このまま諦めるわけにはいかない。」。

 廖英智弁護士は毅然と語った−−「対日賠償請求訴訟は、1999年10月に慰安婦」阿媽の対日賠償請求運動を支持しており、国会はこの人道問題を重視している。明日、われわれは街頭に出て「世界百万人署名運動」に参加し、一万人以上の台湾の民意を集め、四月には韓国、インドネシア、フィリピン、東チモール、オランダなど、被害国の民意を集め、国連人権委員会に届ける。将来、他の被害諸国と連帯して、ともにオランダ・ハーグの国際刑事裁判所に訴訟を提起する。こうした活動により、この長年未解決の戦争賠償責任問題を日本政府が解決する方向へいくことを期待している」。

                           台北市婦女救援社会福利事業基金会


●TOPへもどる

●支援する会の声明へ