平成14年(ネ)第 5850号

控訴人高實珠ほか7名

被控訴人国

               準備書面(1)
                                             平成15年5月19日
東京高等裁判所第22民事部ハ係御中

被控訴人指定代理人
                                           宮田 誠司
                                           石川 さおり
                                           澁谷 勝海
                                           高橋 孝信
                                           原  克好
                                           中泉 英知
                                           松島  晋

第1 国際法に基づく請求について ………………………………………………………3
第2 国家無答責の法理に関する控訴人らの主張について ……………………………4
 1 控訴人らの主張の要旨…………………………………………………………………4
 2 被控訴人らの反論………………………………………………………………………5
第3 除斥期間の適用に関する控訴人らの主張について ………………………………9
第4 立法不作為に関する控訴人らの主張について……………………………………10
第5 結論……………………………………………………………………………………11

 被控訴人は,本準備書面において,控訴人の平成15年3月12日付け控訴理由書(以下「控訴理由書」という。)における主張に対し,必要と認める範囲で反論する。
 なお,略語例は,特に断るほか従前の例による。

第1 国際法に基づく請求について

 控訴人らは,国際法に基づく請求につき,控訴理由書において,「国際法が個人の権利を保障し,国家に個人の権利保護を義務づけている以上,国際法に保障された個人の権利の侵害が生じた場合に,裁判所が,侵害者に対し被害者への賠償を命じ得る点では,相手が国家であると個人であると区別される理由はない。侵害された個人が国家に損害の賠償を求めうることは当然である。この意味で,個人にも国際法上の法主体性があると言える。」(同書面5ぺ一ジ)など,るる主張するが,その主張は原審における控訴人の主張の繰り返レであり,いずれも失当であることについては,被控訴人の平成14年7月2日付けの原審最終準備書面1ないし11ぺ一ジで詳述したとおりであるから,被控訴人はこれを援用する。
 上記控訴人の主張は,「国際法が個人の権利を保障し」ていることを前提としているが,国際法が個人の権利義務を対象とする規定を置いたとしても,そのことから直ちに,条約等の国際法を締結した国家が個人に対してその権利義務を保障したことになるものではないから,控訴人らの主張は,その前提を誤っているものであって,失当である。
2 なお,控訴人らは,国際法上,被害者の国籍国が外交保護権を行使するためには,その前に被害者自身が加害国の国内法上利用できる一切の救済手段を尽くすべきであるという原則(国内的救済の原則)の存在を指摘した上,「この原則からもわかるように,国際法は,個人の救済手続を第一次的に加害国の国内裁判所に委ねているのであって,それでも救済されない時に限って,国家による外交的保護の発動を認めているのである。」と主張し(控訴理由書6ぺ一ジ),上記の国内的救済の原則を根拠として,被害者個人が国際法違反による被害について加害国に対する直接の損害賠償請求権を有すると主張するもののようである。
 確かに,国際法においては国内的救済の原則が存在するが,それは被害者の国籍国が外交保護権を行使するための要件として,加害国の国内法上の救済規定が存在し,国内的救済が受けられる場合には被害者をしてまずその手段によらせるべきであるとしたものにすぎず,加害国の国内法上の救済規定が必ず存
在すべきことや,被害者が必ず加害国の国内法によって救済されるべきことを意味するものではない。
 また,国内的救済の原則は,主として司法的救済手段を尽くすことを意味するが,救済手段が存在しない場合は言うに及ばず,存在していても実効性のない場合はそれを尽くす必要はないとされている(筒井若水編・国際法辞典148ぺ一ジ)。
 つまり,「国内的救済規則は実効的救済が国内制度上利用できるときにのみ適用される。」とされており(島田征夫他訳ブラウンリー・国際法学434ぺ一ジ),国内的救済原則があるからといって,相手国の国内制度上,必ず実効的救済が得られることを意味するわけではないことは明らかである。
したがって,この原則があることと被害者個人が加害国に対し何らかの実体的な請求権を有しているかどうかとは全く別の問題であり,この原則は被害者が何らかの実体的な請求権を有するこ.との根拠となるものではない。
 控訴人らの主張は失当である。

第2 国家無答責の法理に関する控訴人らの主張について

 1 控訴人らの主張の要旨
 控訴人らの主張(控訴理由書8ないし13ぺ一ジ)は,要旨次のとおりである。
(1) 不法行為の成立を否定する国家無答責の法理の主張は抗弁であるから,国家無答責の法理の適用を根拠づける事実すなわち「国の権力的作用により原告らに損害が生じたものであったこと」の主張・立証責任は被告国にある。
しかし,被控訴人は,国家無答責の法理の適用を基礎付ける事実を何ら提出していない。
(2)@ 国家無答責とは,問題となる国家の行為が公務のための権力作用である
場合に,当該公務を保護するためのものであって,当該行為が公務のための権力作用に当たらない場合には,国の行為によっても民法上の不法行為責任が成立することを否定するものではない(京都地方裁判所第6民事部平成15年1月15日判決・平成10年(ワ)第2229号損害賠償請求事件)。
 A 国家無答責の法理によって,国の損害賠償責任の否定されるのは,公権力の行使によって生じた損害であって,何らの法的根拠を持たない違法な国家機関の行為は,「公権力の行使」とはいえず,国家無答責の法理は適用されない。
 B しかるとき,日本軍の軍事政策として,組織的・計画的に,控訴人らを性奴隷とし,日本軍の兵士に陵辱させた行為には,法的根拠がないから,公権力の行使とはいえず,国家無答責の法理の適用がない。

2 被控訴人の反論
(1) 控訴人らの前記各主張は,国家無答責の法理を全く理解していないが故の主張と言わざるを得ない。
 すなわち,被控訴人が従前から繰り返し述べているように,「国家無答責の法理」とは,公務員が職務を行うについてされた行為が国家の権力的作用に該当する限り,民法の不法行為の規定の適用がなく,他の賠償責任を認める規定がなかったことに基づく実体法の法理である。したがって,国家無答責の法理の内容は,@民法の不法行為の規定の適用がないことと,Aその他賠償責任を認める規定がないことを含むものである。
 したがって,控訴人らは前記1(1)のとおり,国家無答責の法理を,「不法行為の成立を否定する抗弁である」旨主張しているが,そもそも,請求原因として,控訴人らが「国の権力的作用により原告らに損害が生じたものであったこと」を主張する以上,国に損害賠償を認める規定が存在しないのであり,それ自体によって,控訴人らの主張は失当と言わざるを得ないのである。
(なお,控訴人らが上記請求原因を主張すべきことは当然であり,この点においても控訴人らの上記主張1(1)は失当であることが明らかである。)
(2) また,控訴人らの上記1(2)主張は,要するに,国家無答責の法理は公務を保護するものであるから,その適用範囲を保護すべき公務か否かによって画し,控訴人らに対する加害行為は,法的根拠がないから保護すべき国家の権力的作用とはいえず,国家無答責の法理が適用されない旨主張するものと考えられる。
 しかし,前述のとおり,国家無答責の法理は,国の賠償責任を認めた規定が存在しないが故に国が賠償義務を負わないというものであり,問題とされている権力的作用に法的根拠があるか否かはまったく問題とならない。
 そもそも,不法行為(違法行為)は,法により許されない行為であり,法によって保護すべき行為とはいえず,通常は,民事及び刑事責任を発生させるものである。しかし,明治憲法下では,その違法行為が国家の権力的作用である限り,民法の不法行為規定の適用を排除し,国に賠償責任を認める規定がなかったことから国の賠償責任が否定されたものである。
 したがって,控訴人らが,保護すべき権力的作用でなかったとして,国家無答責の法理を適用せず,民法を適用すべきである旨主張するのは,上記の国家無答責の法理を全く理解していない証左である。
 仮に,公務員がした行為が,法的に保護されるべき行為であれば,それは適法行為であって,損害賠償(国家賠償)の問題は生じず,損失補償の問題が生じるにすぎないし(宇賀克也・国家補償法3ぺ一ジ参照),不法行為だから保護する必要がないというのであれば,国の権力的作用による場合は,民法の適用が排除され,国は損害賠償義務を負わないのである。
 結局,公務員が職務に関して行った不法行為が国家無答責の法理の適用対象といえるか否かは,その行為の性質が権力的作用であるか否かで決せられるのであって,その行為に法的根拠があるか否かで決せられるものではないのである。
 この点については,すでに最高裁判所昭和25年4月11日第三小法廷判決(裁判集民事3号225ぺ一ジ,以下「最高裁昭和25年判決」という。)が判示している≒ころである。すなわち,同判決は,「論旨は原判決は本訴を公権力の行使による損害の賠償を求めるものであるとしながら,その権力が如何なる公法上の法規又は処分によつて基礎づけられているかを明かにしていないと主張するのである。…そして,上告人は原審口頭弁論においてしばしば右破壊行為が違法な公権力の行使であることを主張しているのであって,原審が其主張に基き本訴を公権力の行使による損害の賠償を求めるものであるとしたのは当然である。(もし右破壊行為が公権力の行使ではなく所論警察官の私人としての行為であるならばそれについて国に損害賠償を請求し得ないことはいうまでもなくそれだけで本訴請求は理由なきものとなるであらう)そして,原審がその判示した理由によって,本訴請求を棄却するためには,所論のように如何なる法令又は処分に根拠をおくかを判示する必要がないので,原判決には何等違法はない。論旨は又原判決は本件公権力の行使が違法であるか否かを判示していないというのであるが,たとえ本件家屋の破壊が違法であつても,国が賠償責任を負うべきものでないことは後述のとおりであるから,国に対して損害の賠償を求める本訴においては,その不法であるかないかを判示する必要はないのであって,論旨は理由はない。」(下線引用者)と判示している。
 以上に述べたように,控訴人らの主張も,控訴人らが引用する前記京都地裁判決も,国家無答責の法理及び最高裁昭和25年判決を正解しておらず,失当である。
 これを本件についてみれば,控訴人らの主張する旧日本軍による加害行為は,軍の戦争遂行の過程で行われたものとみるほかなく,その行為の性質から,権力的作用であるとした原判決に誤りはなく,民法の不法行為規定の適用がないから,損害賠償請求権が発生する根拠を欠く。
 なお,近時,元朝鮮半島出身者が,国家総動員法の下において,内地に強制連行され強制労働させられたとして損害賠償を求めた訴訟において,東京地方裁判所平成8年11月22日判決(訟務月報44巻4号507ページ)は,「明治憲法下においては,行政裁判所においても,「損害要償ノ訴訟」を受理できないものとされ(行政裁判法16条),国家の賠償責任を肯定すべき根拠法令がなかったのであるから,国家賠償法附則6項の「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。」との経過規定に照らせば,現時点における解釈としても,本件各行為当時においては,民法709条の規定によって,国がその権力的作用による損害について私人に対して損害賠償責任を負担するとの解釈を採用することはできないものというほかない(国家賠償法の右附則は,同法施行前の行為についていわゆる旧法主義を採用したものにすぎず,この規定が,民法709条適用説の根拠となるものではない。)。」と判示したところ,その控訴審である東京高等裁判
所平成14年3月28日(乙第16号証)もこれを維持し,さらに最高裁判所平成15年3月28日第二小法廷決定も,上告棄却及び上告不受理の決定をした。
 したがって,本件に民法の不法行為規定の適用を主張する控訴人らの主張は失当である。
(3) さらに,控訴人らは,「当該公務が公務のための権力作用に当たらない場合には,国の行為によっても民法上の不法行為責任が成立することを否定するものではない。」と主張する。
 しかし,公務員が行った行為が公務のための権力的作用に当たらないならば,もはや国の行為といえないのであって,公務員個人の行為として,当該公務員が個人として責任を負えば足りることとなる。
 この点について,最高裁昭和25年判決も,「若し仮りに警察官が公権力の行使に名を借り,職権を濫用して本件家屋を破壊したものであるとすれば,これ等警察官が民法上の不法行為の責任を負うことはあるかも知れないが,その場合右の行為はもはや国の行為と見ることはできないのであって,尚更国が賠償責任を負う理由はないのである。」と判示しているところである。
 これを本件に即していうと,仮に旧日本軍の軍人らが,法律や命令に基づかずに,原告らを脅かし,あるいは騙して強制連行した場合には,官吏が公権力の行使に名を借りて行った職権濫用行為であって,もはや官吏としての行為とみることはできず,国の行為とはいえないから,そもそも国家に対する損害賠償の問題は生じず,また,仮に法律や命令を執行するに当たって行われたという官吏の行為の外形から国の行為とみるべきであるとすれば,この行為は権力的作用と解すべきであるから,民法の不法行為規定の適用はなく,国は賠償責任を負わないのである(東京高裁平成14年3月28目判決(乙第16号証)25ぺ一ジ参照)。
 控訴人らの主張は,かかる基本的な理解を欠落させているといわざるを得ず,国家無答責の法理を正解しない独自の主張であり,失当である。

第3 除斥期間の適用に関する控訴人らの主張について

 控訴人らは,民法724条後段の適用により,損害賠償請求権の消滅を認めることは著しく正義・公平に反するとし,その適用を認めた原判決を論難する(控訴理由書13ないし18ぺ一ジ)。
 しかし,控訴人らの主張が失当であることは,被控訴人の平成14年7月2日付けの原審最終準備書面37ないし45ぺ一ジで述べたとおりであり,被控訴人はこれを援用する。
 なお,加害の悪質性や被害の重大性等を理由として,除斥期間の適用を制限すべきであるとの見解に対して,広島地方裁判所平成14年7月9日判決(乙第22号証)は,「加害の悪質性や被害の重大性等の点については,除斥期間制度を設けるに当たって当然に話題に上るべき事柄でありながら,この点に関わらしめる規定を民法自体が一切設けなかった(非人間的行為の最たる殺人についてすら全く触れていない)ことや,民法724条後段の趣旨からして,除斥期間の適用に関して考慮の対象外と解するのが相当であり,これらの事柄を根拠に除斥期間を適用の当否を論じることは,事実上被害者側の心情に流された恣意的な運用を招く弊害も懸念され,妥当とはいえない。」(同判決文208ぺ一ジ)と指摘しているが,極めて妥当な指摘である。

第4 立法不作為に関する控訴人らの主張について

 1 控訴人らは,「「慰安婦」制度の被害者である控訴人らに被害の補償立法を行わなければならないのは憲法上一義的に明らかである。」(控訴理由書19ぺ一ジ)と主張して,立法不作為が違法である旨主張する。
 2 しかし,控訴人らの主張が失当であることについては,被控訴人の平成14年7月2日付け原審最終準備書面45ぺ一ジ以下に述べたとおりであり,被控訴人はこれを援用する。
 なお,同準備書面で指摘した最高裁昭和60年判決の示した国会議員の立法行為と国家賠償法1条1項の違法に関する判断基準は,その後の判例もこれを踏襲している(一般民間人戦災者を対象とする援護立法をしないことに関する最高裁昭和62年6月26日第2小法廷判決・裁判集民事151号147ぺ一ジ,判例時報1262号100ぺ一ジ,生糸の一元輸入措置及び生糸価格安定制度を内容とする繭糸価格安定法改正に関する最高裁平成2年2月6日第三小法廷判決・訟務月報36巻112号2242ぺ一ジ,いわゆる従軍慰安婦等に対する補償立法の不作為に関する広島高等裁判所平成13年3月29日判決・判例時報1759号42ぺ一ジ)。
 さらに,上記広島高裁平成13年3月29日判決に対する一審原告らによる上告及び上告受理の申立てに対して,最高裁判所第三小法廷は,平成15年3月25日,上告棄却及び上告不受理の各決定を行った。
 このように,立法行為についての国家賠償法の違法性判断基準に関する判例の枠組みは確立したものといえる。
 したがって,控訴人らの主張は失当である。

第5 結論

 以上述べたように,控訴人らの控訴理由はいずれも理由がなく,原判決は正当であるから,速やかに控訴を棄却すべきである。
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2003年5月19日(月)午前11時から第2回口頭弁論が東京高裁818号法廷で開かれました。
今回、原告は来日しておりませんでした。弁護団から、亡くなった李楊玉串阿媽の裁判の承継をする書類が裁判所に出され、そして、国側から、弁護団が出した控訴理由書に反論した準備書面(1)が提示されました。
きょうは、書類のやり取りだけでした。

以下、国側の準備書面(1)です。
内容は、地裁で国側が述べてきたことの繰り返しであり、地裁判決とも合致する論理です。
「国家無答責」については、昭和25年の最高裁判決の判断を持ち出し(これもいつものことですが)国の「権力的作用」ならば、国家に責任は生じないと主張しています。

現在、有事法制三法案が成立寸前である状況を考えた時、次の国側のことばは恐ろしい予言のように聞こえます。
「これを本件についてみれば、控訴人らの主張する旧日本軍による加害行為は、軍の戦争遂行の過程で行われたものとみるほかなく、民法の不法行為規定の適用がないから、損害賠償請求権が発生する根拠を欠く。」

「控訴人らの主張する旧日本軍による加害行為は、軍の戦争遂行の過程で行われたものとみるほかなく」という加害行為とは、ここでは台湾の若い女性たちを日本軍兵士が強姦し続けたことをいっているのです。軍の戦争遂行過程で行われたことなら、国に責任はないと2003年の現在、国は平気で主張しているのです。このことばに背筋の寒くなる思いを抱くのは私たちだけではないことでしょう。
2003年5月19日

  国側の準備書面