私が幼いうちに両親が亡くなりました。
学校へ入ってまだ一ヵ月もたたないある日、警察の前を通った
ときに、日本の警官が車でおくってあげるといわれ、そのまま高
雄の港へ連れて行かれました。
家族に別れを告げる機会もないうちに、海外に連れていかれて、
「慰安婦」になることを強要されました。
戦争が終わってから、小さいとき、かわいがってくれたおばあさんに会うことを心の支えに台湾にもどりました。しかし、たどりついた家にはおばあさんはすでに亡くなっており、姉夫婦にいわれた「きたない女は家にいれない。うちにはそんなきたないい女はいない」という言葉に、大きな衝撃を受けました。
帰ってからは、当時の苦しみを人には話しませんでしたが、2度自殺をはかりました。
悲しかったです。
このとき家を出て以来、2度と家の門はくぐっていません。
「慰安婦」にさせられたために、子供の産めない身体になりました。
のちにどうにか結婚はしましたが、子供を産めないために、婚家はわたしに離婚をせまりました。
以後、わたしは、たった一人で暮らしてきました。
わたしはあのころのことを忘れません。
普通の女の子であったわたしが、理由もなく強制的に海外に連れていかれ、日本兵にわたしの一生を台無しにされました。
いつも満ち足りない思いで、毎日思い出しては泣き、悲しくなってお酒を飲み、飲みおわると、ご飯も食べずに眠っていました。
台湾に帰ったばかりのころ、わたしは人から笑われているのを感じていました。
わたしは市場で椰子を売っているので、知り合いも多く、わけもわからずに背後で嘲り笑う人もいて、とてもつらい思いをしました。
あるとき、ニュースで「慰安婦問題」のことを知って、自分で申請に行きました。
同じように被害を受けた姉妹たちと知り合い、逃避は解決の方法ではなく、もっと勇気をもつように励まされました。
こうしてわたしは、やっと、過去の影からゆっくりと歩みだしたのです。
わたしは、自分がかつて「慰安婦」だったという秘密を、自ら語りはじめました。
とうとう告発する機会がおとずれたのだと信じたからです。
わたしは日本に対する告発を放棄するわけにはいきません。
日本政府はわたしの青春を奪い、わたしの一生を破壊したのです。
彼らは、彼らの犯した罪に対して責任を負うべきです!
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