〔投稿〕あまりにも唐突な学習指導要領の改編――「「君が代」を歌えるように指導」
3月28日に告示された学習指導要領の内容にはまったく驚きました。
小学校音楽で「『君が代』はいずれの学年においても指導する」が、「『君が代』は、いずれの学年においても歌えるように指導する」と変えられ、また、小学校国語での読み聞かせの素材として「神話・伝承」が加えられました。中学校歴史の学習内容では、「農耕の広まりと生活の変化」に「当時の人々の信仰」が加えられました。小中学校の総則では、「伝統と文化を継承し、発展させ…」という表現だったのが、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し…」に変えられました。これらはみな復古主義への傾斜、愛国心教育の強制への動きを強めているものであると言わざるをえません。
中学校の公民では、「わが国の安全と防衛の問題について考えさせる」という内容に「国際貢献」という言葉が付け加えられました。これは明らかに自衛隊の海外派兵を意識したものとなっています。
2月15日に公表された改訂版でさえ、私は重大な危惧を感じました。「日本人としての自覚をもって国を愛し」とか、「天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにする」といった文面が盛り込まれていたからです。文科省はこの学習指導要領に対する「パブリックコメント」を2月16日から3月16日まで募集していたので、私はさっそくその危惧を文章にして、応募しました。
ところが、その「パブリックコメント」に集まった意見を反映させたという理由で、上記のような改悪が行われたのです。私の意見はいったいどうなったのでしょうか。いかにも国民から広く意見を募ったという体裁をつくるために「パブリックコメント」なるものを募集しながらも、その中でどのような意見が採用されるかは、はじめから決まっていたとしか思えません。
これらの修正点は、長期にわたって新学習指導要領案を議論し、まとめ上げてきた中央教育審議会の審議さえ経ないまま盛り込まれたといいます。わずか1ヶ月の間に勝手に入れられてしまったのです。これだけ大きな変更が密室で、しかも独断で行われるなど、全くの異常事態です。文科省は、誰が、どこで、どのようにして変更を判断したのかを明らかにすべきです。
文科省は「特に重要な修正部分はない」と述べていますが、とんでもありません。
私自身は、「君が代を指導する」ということについては賛成です。なぜなら、「君が代」の「君」とは天皇のことであって、国民主権にも平等主義にも反する天皇賛美の歌であること、こんな歌を国歌としている日本という国の民主主義はまだまだ不十分なものであることを大いに教えればいいと思っているからです。
しかし、「歌えるように指導する」というのでは全く話が違います。批判的精神を持って物事を取り扱おうとする試みを妨げ、日本がアジア諸国にしてきたことの歴史的、具体的認識を欠いたまま、「日本人が日本の歌を歌うのは当然」という価値観の中に子どもたちをどっぷり漬けてしまうことでしょう。
文科省は、この新しい指導要領を発表すると同時に、「新学習指導要領実施本部」なるものを設置して、この「趣旨の周知徹底」をおこなうとしています。これは、教育活動をがんじがらめにして、教員統制を強めるものに他なりません。
3月27日、渡海文科相は、国公立小中学校の生徒たちの靖国神社訪問などを禁じた1949年の政府通達について、「既に失効している」と明言し、「通達は戦後の特殊な状況下で作成されたもので、現在において靖国神社などを他の神社と異なる扱いにする理由はない」と述べました。
「戦後の特殊な状況下」とは、GHQの占領下のことです。戦死者を「英霊」と祭り上げて人々を戦争に導いたことへの反省からそのような通達を出したのではなく、単にGHQの目を恐れただけのことでした。米軍と一体となって「国際貢献」をしようという段になって、かつての制約を次々と取り払おうとしてくるのは、きわめて危険な動きです。
文科省は、子どもたちを無邪気なナショナリズムで染め上げて、いったいどこに連れて行こうとしているのでしょうか。
(2008.4.2.大阪Na)