[投稿]グァンタナモ:釈放の基準は「敵意の収束」? デタラメな「テロとの闘い」

 署名事務局の「『対テロ戦争』への加担に反対し、イラク・インド洋からの自衛隊撤退を求めるシリーズ(その6)」で、「テロとの闘い」の欺瞞を批判する記事が掲載され、また投稿として「私はテロとは戦いません」というバラエティ番組の紹介がありました。政府が、「テロとの闘い」への協力を振りかざして給油活動の継続をしようとしている折、とても興味深く読ませいいただきました。
 さて、10月19日から毎日新聞が「『戦闘員』収容所:グアンタナモ報告」という連載を3回に渡って行っています。そこでは、いまだに拘束された囚人が400人近くも「敵性戦闘員」として無権利状態におかれていること、精神疾患や自殺者まで出していることなどを報告しているのですが、私が驚いたのは(下)の現在の囚人の取り扱いについての報告です。それによると、今はほとんど尋問は行われておらず、「囚人の取り扱いが米政府の頭痛の種になっている」のだそうです。これはどういうことでしょうか。
 グァンタナモ収容者の内、「テロ容疑」の犯罪が証明された人はほとんどいないことは上記の署名事務局の論評に書かれていたとおりですが、ブッシュ政権が当初囚人の釈放や拘束継続を決めてきた国防総省所管の「戦闘員審査法廷(CSRTS)」で問題にされたのは、なんと「テロ容疑」ではなく、その人物を釈放したら米国に脅威となるかどうかだというのです。責任者のフェッセル大佐は、自らの任務を「どの程度の脅威なのか、放置してよいレベルなのか判断するだけだった」と語っています。
 ブッシュ政権は06年10月にあらたに「特別軍事法廷法」(MCA)を制定して、拘束者が裁判を受けることを可能にしたとしていますが、ここでも法的に極めて不明確な「敵の戦闘員」として扱われます。そして米軍が危険人物とみなせば、証拠がなくても拘束を続けることが可能だというのです。記事は「潜在的な脅威を客観的に証明する手段はなく、米軍にとって囚人の脅威をゼロと考えることは不可能だ」としていますが、当たり前のことです。また、前掲のフェッセル大佐は「米政府は(囚人たちの)敵意が収束するまで拘束を続ける」と言い放っています。
 無実の人々を勝手に拘束し、拷問や陵辱の限りを尽くし、そのあげくに釈放の基準が「反米感情の喪失」であるとは、あいた口がふさがりません。釈放された元囚人たちが再び反米闘争に加わった者は米国が確認しただけでも30人を超え、実際にはもっと多い可能性が高いといいます。グァンタナモで起こっていることこそが、「テロとの闘い」は彼らの言う「テロ」すなわち反米憎悪と闘争を拡大し再生産することを示しているといえます。イラクやアフガニスタンで街を壊し人々を殺しまくっておいて、「米軍は、あなたたちの反米感情がなくなったら撤退しましょう」と言っているのと同じです。
 米政府は不当拘束した事実を認め、収容者たちに謝罪し、すぐに釈放すべきです。日本政府は、このようなでたらめな「テロとの闘い」ときっぱりと手を切るべきです。
(2007.10.23.N)

※毎日新聞の連載は、部分的に以下で読むことができます。
10月21日 「戦闘員」収容所:グアンタナモ報告/下 拘束長期化招く「脅威」
http://mainichi.jp/select/world/news/20071021ddm007030109000c.html
10月20日 「戦闘員」収容所:グアンタナモ報告/中 特別待遇でも「深い溝」
http://mainichi.jp/select/world/news/20071020ddm007030055000c.html
10月19日 「戦闘員」収容所:グアンタナモ報告/上 「人間の精神崩壊」
http://mainichi.jp/select/world/news/20071019ddm007030104000c.html