私はこの「つながるコンサート」の実行委員会の一員として、現在コンサートの成功に向けて準備を進めています。ここでは出演されるアーティストを紹介し、また私たちのこのコンサートに込めた思いをお知らせしたいと思います。 ◇ ◇ ◇ ◇ 在日コリアン二世の歌手、李政美(い・ぢょんみ)さんは、韓国の「ナヌムの家」を何度も訪問するなど、日本軍性奴隷の被害者のハルモニたちと交流があり、昨年は東京で「ナヌムの家支援コンサート」を成功させました。今回の「つながるコンサート」は、大阪の李政美ファンを中心に、日本軍性奴隷問題を告発する映画「オレの心は負けてない」を見たり、被害者の証言を聞いた人たちの中で、「被害者たちのために自分たちも何かしたい」という気運が高まり、これが李政美さんの思いとも重なって、実現に向け動き出したものです。 李政美さんは、東京・葛飾出身で、国立音楽大学でオペラ歌手を目指したが、自分の歌いたい歌とは違うと感じるようになり、朝鮮民謡やフォークソング等を歌うようになりました。学生時代から、韓国の政治犯救援の運動に関わり、集会などでも歌っていました。その後一時音楽から離れましたが、約10年前から音楽活動を再開し、全国各地でコンサートを続けています。関東大震災で虐殺された朝鮮人、秋田県花岡で虐殺された中国人強制連行被害者、韓国・済州島での4・3事件の犠牲者などの慰霊祭には、毎年のように招かれ歌っています。 彼女の歌には、“在日”としての自らのアイデンティティが色濃く反映されています。アリランなどの民謡、韓国のフォークソングの他、韓国の詩に自作の曲をつけた歌もあり、朝鮮語で歌う歌がたくさんあります。打楽器のチャングを叩きながら歌う姿はとても印象的です。しかしこれらに限らず、日本語で歌う歌にもその個性は表れます。テーマソングとも言える『京成線』には、関東大震災時の朝鮮人虐殺がさりげなく織り込まれ、『ありのままのわたし』や『遠い道』には、日本人でも朝鮮人でもない、居場所のない存在としての自分が投影されています。 ◇ ◇ ◇ ◇ 今回のコンサートでは、李政美さんの歌の他、安聖民(あん・そんみん)さんによるパンソリ、趙寿玉(ちょう・すおく)さんによるサルプリ舞という、朝鮮半島の伝統芸能も演じられます。 サルプリ舞は、韓国の代表的な民族舞踊の一つとして、韓国重要無形文化財97号に指定されています。ルーツは巫女の踊りで、その後宗教色が薄れ民族舞踊として発展してきたものです。「サル」は「持って生まれた悪い運勢」あるいは「邪気」、「プリ」は「振りほどくこと」あるいは「除去」という意味です。真っ白の衣装(チマ・チョゴリ)にスゴンと呼ばれる白い布を持って舞います。非常に抑制された踊りですが、しなやかで力強いです。 趙寿玉さんは、日本在住で有数のサルプリ舞の踊り手です。長崎県対馬の出身で、中学以降を下関で過ごし、舞踏を習いました。81年、24歳で結婚を機に東京へ移りましたが、「自分の国の文化を知りたい」との思いが募り、そのわずか1ヶ月後に単身韓国に留学。言葉や歴史、カヤグム(伽椰琴)、踊りを習いました。90年から95年まで、今度は家族と共に韓国で暮らしながら、人間文化財である李梅芳(い・めばん)さんに師事し、94年には、重要無形文化財第97号履修者(名取り)となりました。 ◇ ◇ ◇ ◇ パンソリは18世紀初頭に形成された芸能で、韓国重要無形文化財第5号に指定されています。パンは広場(舞台)、ソリは唱(歌)を意味します。物語に節をつけて歌う唱劇であり、一人の鼓手の叩く太鼓に乗せて一人の歌い手が、特徴のある発声で歌います。現代まで伝えられている主立った演目は五つしかありません。短いもので4時間、長いものでは8時間かかり、それゆえ最後まで演じ切る「完唱(ワンチャン)」には、特別に大きな敬意が払われます。しかしこのパンソリは、下層の人々によって受け継がれてきたが故に、韓国では長い間「低級芸能」として軽視されてきました。朝鮮の伝統文化として研究の対象になったのは、やっと1970年代に入ってからだといいます。 安聖民さんは、大阪市生野区に生まれた在日三世。関西大学に入学してから民族意識に目覚め、言語や文化を意欲的に学びました。99年、韓国の漢陽大学音楽学部国楽科修士課程に入学し、人間文化財(重要無形文化財機能保持者)の南海星(なむ・へそん)さんに出会い、弟子となりました。パンソリは、言葉を伴うために、在日コリアンが修得するには大きな困難があり、実際演じる人はきわめて少ないです。そんな中で彼女は、2006年に、在日コリアンとして初めての完唱公演(『水宮歌』)を実現しました。 ◇ ◇ ◇ ◇ 私たちは、在日のアーティストが朝鮮半島の伝統芸能を演じる意味を、今一度考えたいと思います。安聖民さんは、子どもの頃は本名も隠していました。趙寿玉さんは子どもの頃から舞踏を習いながらも、友だちにはそれを隠していました。親戚が歌ったり踊ったりするのも、見られたくないと思っていたと言います。彼女の言葉を借りれば、「日本の学校で教育を受けたからか、私自身韓国人を少し差別していた部分があった」、「祖国の文化を恥ずかしがる自分と、愛すべきものだと思う自分がいた」。自分はいったい何者なのか。こうした感情は、先に述べたように、李政美さんの歌でも大きなテーマとなっています。 そうした思いを抱えて揺れていた3人の女性が、様々な困難を乗り越えながら祖国の文化を自分のものにすることで、ようやく自己のアイデンティティを確立していった姿。それを目の当たりにすることで、私たちは、日本人とは?朝鮮人とは?在日とは?と改めて考えさせられることになるでしょう。そしてそれは、時を超えて日本軍性奴隷の被害者、犠牲者たちの立場ともつながっていきます。コンサートのタイトルの「つながる」にはそうした意味が込められています。(U)
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