「私たちは死ぬまで、最後の一人まであなたたちと闘う。日本人と闘うつもりだ。このことを全世界の人々に知ってもらいたいし、私たちはそんなに簡単には死なない。死にたくない。長生きするつもりだ。私たちは粘り強くなった。日本がそうさせたんだ。ますますそうなるとおもうし、もっともっと長生きする」(姜徳景ハルモニ) 故・金学順ハルモニが名乗り出られて17年……この間多くの被害女性が名乗り出られ、裁判などを闘ってこられました。しかし日本政府はなんらそれに応えることなく、そして私たちは今日の日本を生きています。 日本政府が日本軍の性奴隷制度を正式に認め、謝罪すべきであるという被害女性たちの声は、世界に広がっています。昨年7月、米下院で「日本政府は明瞭かつあいまいさを留めない形で公式に認め、謝罪を行い、歴史的責任を受け入れるべきである」とする決議を満場一致で可決しました。 その後同様の決議がオランダ下院、カナダ下院、EU議会、フィリピン議会などでなされました。 また日本でも宝塚市議会、そしてつい最近では清瀬市議会でも意見書が採択されています。それらはすべてハルモニたちの意欲と、それに触発された市民達の力によるものです。 ハルモニたちはみなご高齢で、ひとりまたひとりと亡くなられています。ハルモニたちに残された時間は多くありません。それは私たち日本に住む者にとっても同じ事です。ハルモニの声に応えるための最後の時間を私たちは生きているのです。 この映画で姜徳景ハルモニは、いわまの際で「簡単には死なない」と仰いました。今一度私たちはその言葉をかみしめ、ハルモニの言葉に思いを馳せ、今なすべき事をともに考え心に誓いたいと思います。 【作品解説】 『ナヌムの家』(95年) ナヌムの家に暮らすハルモニたちをフィルムに収めた記念碑的作品。副題は「アジアで女性として生きるということ2」。日本軍への怒りと日本政府への抗議、謝罪されることなく50年近く過ぎた恨み、不幸な人生への絶望が語られる。重い過去を背負いながら。支え合って今を生きるハルモニたちの姿が、若い女性監督の目を通じて描かれている。 『ナヌムの家U』(97年) ソウル市内から郊外に移ったナヌムの家のハルモニたちの「また映画を撮らないか」という意志により、この映画は撮られた。新しい土地で畑を耕し、鶏を飼い、キムチを漬ける穏やかな日常を、女性監督・スタッフが共有することにより、撮る側と撮られる側との関係に変化が生まれていく。澱のように沈み固まってしまった恨を、ハルモニたちは自らの意志で希望に転換しようとしている。姜徳景ハルモニの最期は、涙なしには観ることができない。 『息づかい』(99年) 全2作と異なり、カメラはナヌムの家を出て、李容洙ハルモニと共に、フィルピン、ソウル、大邱と各地を巡るロードムービー。李容洙ハルモニが韓国全土に散らばる日本軍「慰安婦」被害者を訪ね、同じ体験者として対話している。故郷に帰ることができない被害女性、体験を認めることができず、過酷だった体験の一部が全く欠落しているひっそりと暮らす被害女性もいる。李容洙ハルモニと他のハルモニたちとの対話には生の輝きがあり、そして未来に向けて何が必要か問いかけている。 日本軍「慰安婦」被害者の名誉と尊厳回復のための 韓国ソウル「戦争と女性の人権 博物館建設基金」 関連情報のページ |