映画『アリランのうた』とは 記録映画『アリランのうた―オキナワからの証言―』は、在日朝鮮人二世の朴壽南監督によって、一九九一年夏に完成しました。沖縄戦で犠牲になった朝鮮人「慰安婦」・軍夫に関する証言を掘り起こし、フィルムに収めた作品です。 一九九一年夏といえば、金学順さんが日本軍元「慰安婦」として初めて名乗り出られた年です。被害女性が名乗り出られたことによって、この問題は日本中の注目を集めました。 映画『アリランの歌』も、謝罪と補償を求める運動の力によって、全国各地で上映運動が開催されました。この年、金学順さんの存在と共に、この映画が運動を揺り動かしたと言っても過言ではありません。 なぜ今『アリランのうた』か? あれから十七年の月日が経とうとしています。この十七年で日本は一体何が変わったでしょうか?問題解決に向けて、どれほどの進展があったでしょうか? 政府は国家の責任を民間に転嫁する「国民基金」なるもので取り繕い、多くの被害女性の憤慨を買いました。「私を傷つけたのは個人ではなく国家だ。だから民間が償ったのでは意味がない。国家が謝罪し補償しなければならない」と、今なお多くの被害女性が受け取りを拒否しています。 そして日本政府に謝罪と補償を求める裁判はいくつも起こされましたが、関釜裁判一審判決など画期的な勝利を勝ち取ったものの、結果として日本の司法は門戸を閉ざしたままです。 もちろん運動の積み重ねが無意味なはずがありません。しかし被害女性にとっては、それだけでは足らないのです。日本政府による謝罪と補償こそが、彼女たちの受けた被害を回復することが出来るのです。 ましてや近年、被害女性の傷に塩を塗り込むような行為が頻発しました。安倍前首相の「狭義の強制性」とかナントカいう意味不明の発言は、それの最たるものです。被害者の癒えることのない傷に塩を塗り込む――それが私たちの政府であり、社会です。 集団自決に軍の強制はなかったという主張に沖縄の人々が怒っているように、被害女性たちも怒り、謝罪と補償を要求しています。 「慰安婦」問題と沖縄戦――その接点を描いているのがまさにこの『アリランのうた』であり、十七年経ってなお変わらない日本社会を告発しています。 ペ・ポンギさんの姿がもう一度観たい 今日多くの被害女性が名乗り出られ、裁判を闘われたり証言をしたりと活発な活動をしておられます。しかしその女性たちの影には多くの名乗り出ることの出来ない被害女性が、今なおこの世界に多く存在していることを想像する必要があります。 ペ・ポンギさんは、おそらく日本で最初に元「慰安婦」として世間に認知された人です。在留許可を得るために名乗り出ざるを得なかったという事情がありました。 「慰安婦」として沖縄に連行され、戦後は遺棄され苦渋の日々を過ごしました。マスコミの取材に対して戸を閉ざし、鎌を振って追い返したというポンギさん。取材に応じた後、必ず激しい頭痛の発作に襲われたポンギさん。 かつて日本政府が「慰安婦は民間業者が連れ歩いたものであり強制連行ではない」と答弁したとき、「そんなことないよ!」とポンギさんは怒り狂ったのだとか。 映画の公開された年の十月、ポンギさんは孤独死されました。死後五日が経っていたそうです。 そのポンギさんのお姿をこの映画で拝見することができます。今、ポンギさんの姿が無性に観たいのは、偶然ではありません。 亡くなられてから十六年、ポンギさんの「恨」をまだはらすことが出来ないまま、私たちは今の日本を生きています。
(署名事務局・からん)
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