8月7日、大阪で、『「人間の盾」を組織した元米海兵隊員 8.7ケン・オキーフ講演会 −−なぜわたしはイラク戦争に反対したのか−−』が行われた。会場には約90名の聴衆が詰めかけた。 イラク戦争開戦前の昨年2月、「人間の盾」を志願する数百人の人々を載せてバグダッドに乗り込んだロンドン発の2階建てバス。この行動を呼びかけたのがケン・オキーフ氏である。オキーフ氏は現在、パレスチナに1万人が結集する新たなアクション「P10K」を呼びかけている。今回の来日でも、全国12カ所で講演を行い、P10Kアクションへの支持を訴えるという精力的な活動を行っている。大阪での講演会もその一環であった。 講演会冒頭、主催者である署名事務局の挨拶で、オキーフ氏の来日の経緯について説明があった。「生きているうちに広島、長崎に行って、現地の人に逢いたい・・・。」劣化ウラン弾に被爆をしている彼の思いは、同じヒバクシャである「広島、長崎」の人々との出会いだった。後述する吉村氏は、何としても彼の希望を実現してあげたいと、今回の企画を立てられた。 ところが企画したとたん、トラブルが発生。企画直後イスラエルに拘束されてしまったのだ。その後彼はハンスト闘争を敢行、ようやく釈放され来日に至った。行動の人オキーフ氏にふさわしいエピソードだ。 ■「直ぐに行かなければダメ」−−阪神淡路大震災が原点:ヒューマンシールド神戸の吉村誠司氏の挨拶。 まず、オキーフ氏の招請責任団体であるヒューマンシールド神戸の吉村誠司氏から、オキーフ氏との出会いについて、ビデオを交えて紹介があった。昨年2月イラク開戦直前のバグダッドで吉村氏とオキーフは運命的な出会いをしたのである。 吉村氏は、阪神淡路大震災の際、4日後にボランティアとして、当時東京から神戸に駆けつけた。しかし、遅かったと思った。そのときの苦い教訓「すぐ行かなければダメ」が、彼のその後の行動の指針になっているという。そしてその教訓が、イラクでの「人間の盾」への参加にもつながった。 吉村氏は、「人間の盾」の活動の意義を、単に盾になるということではなく、世界中の人が一緒に動けること、戦争に反対する人々の結びつきを作る活動だと説明された。広島でのオキーフ氏と安田純平氏との再会の模様などを紹介され、そうした結びつきを作っていくことの大切さを訴えられた。 ■「生きているうちに広島、長崎に行って、現地の人に逢いたい・・・。」−−広島・長崎への強い想い。 オキーフ氏の講演は、まず前日広島を訪問したことの感想から始まった。オキーフ氏は、今回の訪日の中でも特に、広島と長崎をこの59年目の夏に訪問できることを心から願っていた。広島では、被曝2世の方との集会で強い感銘を受けたようだ。車椅子に乗った方が、人の助けを借りてスピーチしたのを聴いて、原爆による被害の大変さを実感し、泣いた。そして、話の力強さに感激したという。 オキーフ氏は、核戦争に強い危機感を持っており、何かをして世界の人々に訴えたい、現状をそのまま受け入れたくない、との強い思いを持っている。そのために、10年間色々と反戦平和の活動をしてきた。その1つが「人間の盾」だという。 ■「湾岸戦争は“人体実験”だった」−−劣化ウラン被曝、そして薬物被害。 なぜ自分は今このような活動をしているのか。−−オキーフ氏は、彼の人生を語り始めた。彼は1969年にカリフォルニアで生まれた。いわゆる中流家庭で育ち、米は世界でNo.1の国、自由と民主主義の誇れる国だと思っていたという。19歳で海兵隊に入隊。入隊理由は、幸せではあったがぬくぬくとした生活を変えよう、自分を律しようと考えてのことだった。最初の1年は模範的な兵士として務め、出世もしたが、上官の不正を告発してからは毎日が地獄になった。自分だけでなく部隊全体が罰せられ、厳しい立場に追いやられた。こうした上下関係ぎくしゃくの中で、1991年の湾岸戦争に従軍することになる。 彼は、湾岸戦争従軍の感想を、“あれは人体実験だった”という告発から始めた。戦地へ行くに当たって様々な薬物を投与されたというのだ。今なお多くの仲間がその副作用で苦しんでいる。 そして湾岸戦争では320トンもの劣化ウラン弾が使用された。従軍に先だって、軍当局はその危険性を一般兵士に知らされることは全くなかった。オキーフ氏は、自分が劣化ウランに被曝していることは間違いないと確信している。その理由の1つは、妻が3度も流産したことだ。その後離婚した妻は、2人の子供に恵まれている。しかし、オキーフ氏は、高額の費用がかかる劣化ウランの検査を受けていない。湾岸戦争に従軍した兵士たちは同じように苦しんでいるが、米政府は、彼らに劣化ウランの検査を受けさせないように仕向けている。 米政府のやっていることは偽善と欺瞞だらけで許せない、と彼は非難する。一方では英雄として称えながら、他方では、何の告知もなしに様々な実験的な薬物を投与し劣化ウランに晒した。湾岸戦争に従軍した60万人の米英兵が同じような状況に置かれた。イラクの人々はもっと酷い。−−彼のその後の反米の反戦行動を決定的にしたのがこの湾岸戦争だった。 ■「アメリカの歴史を学び人生観ががらっと変わった。」−−米国籍放棄を決断。「世界市民」の道を選ぶ。 湾岸戦争が終結し海兵隊を除隊した後、彼は本当に自由になったと実感した。それまでお金や名誉にこだわって生きてきたが、そんなものに縛られるよりも自由に生きることが幸せだと思うようになったという。 そして、自由とは何かを考えるため、米国の歴史を学ぶことにした。それで分かったことは、米国の歴史は自分の考えていたものとは正反対のものだったということだ。目からウロコ。彼の人生観はがらっと変わった。学べば学ぶほど、アメリカが石油資源や経済的利益を求めて世界中を侵略し自由を抑圧し続けてきたことを嫌と言うほど思い知らされた。決して知ってはならない“祖国の真実”を知ってしまったオキーフ氏は、米国籍を持っていることが嫌で嫌でしようがなくなる。そして、彼はまず最初に税金を払うのをやめた。自分の払ったお金が軍事費に使われることを良心が許さなかったからである。 彼は、その頃から入れ墨を入れ始める。戦争などで命が奪われることを悲しむ涙の入れ墨など、1つ1つが重要な意味を持っているという。それまでは企業が求める典型的な「良い子」だったオキーフ氏だが、入れ墨を入れたとたん、差別され採用されなくなった。自分でビジネスを始めるしかなくなり、ハワイに移住した。ダイビング・ビジネスをしながら、絶滅危機にあるグリーン・タートルの保護など海洋保護の活動を行った。一生懸命活動し、そのエリアでは「結果を出した」と、彼は誇らしげに語った。 しかし今度はハワイの歴史を学び、米政府によるハワイ原住民の虐殺、差別と迫害の暗い決して許せない歴史を知ってしまう。ますます米国籍を持つことが嫌になり、ハワイ解放の活動を始めた。それに対して、交通違反などの軽微な罪で逮捕状が出されるなどの嫌がらせを受けるようになった。 その1年後に9.11が起こる。オキーフ氏は、これで米国籍の放棄を決意する。9・11は、これまでの米国の戦争犯罪の不可避的な結果だ、と。オランダの米国総領事館に出向き、米国籍の放棄を宣誓し、パスポートを返上した。その後米政府は何度もパスポートを返却してくるが、とうとう2002年7月、オキーフ氏はパスポートを自らの手で焼き捨てた。これは、自分は米政府の所有物ではないという、自己決定権の行使であったという。 ■「人間の盾」を呼びかけイラクへ。 2002年から2003年初めにかけてイラク戦争のきな臭さが高まってくる。オキーフ氏は、米政府が本当に戦争をやる気だと確信した後、「何が何でもイラクに行かなくてはならない」と即断したという。インターネットで、とにかく手当たり次第にイラクへ行こうと広く呼びかけた。これまでイラクと中東世界を抑圧してきた“西洋人”がイラクに行くことに意味があると考えた。 ベトナムでは3〜400万人殺されたにもかかわらず、西洋では「そういうことか」という程度で、あまり大騒ぎにならなかった。今度もそうさせてはならない。“西洋人”の良心の証を示さねばならない。そういう思いで彼は命がけで「人間の盾」を始めた。1万人の“西洋人”を集められれば、戦争を止められるかも知れない。あるいは、止められなくても、戦争の証人となることはできる。 実際には100人弱しか集められなかったが、「人間の盾」が配置された発電所、浄水場などは爆撃されなかった。湾岸戦争では、ジュネーブ条約で保護されているこれらの重要施設が真っ先に爆撃されたことを考えると、「人間の盾」の効果があったことが分かる。 ■平和を実現するための3つのステップ −−「TRUTH、JUSTICE、PEACE」(真実、正義、平和)。 オキーフ氏は、まず必要なのは真実を明らかにすることだ、という。今戦争の真実を知らない人も、劣化ウラン弾やクラスター爆弾が人々に対して使われていることを知れば、「こんなひどいことは許せない」と思うはず。まず、そこから始めなければならない。 オキーフ氏は、平和への道を3つのステップで考えているという。1つ目のステップが、真実を知ること。2つ目は、正義を実現すること。「正義とは、みんなが幸せで、人権を守られ、自由に生きること。」彼はキング牧師の言葉を引用してそう説明した。正義がなければ平和はあり得ない、平等がなければ平和はあり得ないと。そして最終段階として平和を実現する。−−この“TJP”は彼のグループのロゴになっている。 ■行き詰まったパレスチナ和平の新たな“突破口”を目指す「P10K」プロジェクト。 現在オキーフ氏は、イスラエル軍によるパレスチナ人への攻撃・虐殺を阻止するために1万人を現地に集める「P10K」という途方もないプロジェクトを進めている。シャロン政権のやりたい放題で、パレスチナ和平は行き詰まり、圧倒的な軍事力を持つイスラエル軍によるパレスチナ攻撃・虐殺はとどまるところを知らない。対抗する力のないパレスチナ側は「自爆攻撃」で抵抗するしかない状況に追い込まれている。 そんな行き詰まり・閉塞状況からどう抜け出すのか。それが、イラクと同様、“西洋人”1万人をパレスチナへ集結させるプロジェクトなのである。パレスチナの武装勢力とも話し合い、その一部(アルアクサ殉教者団)との間で、もし本当に1万人集まれば自爆攻撃を止めることで非公式に合意したという。オキーフ氏によれば、これまでのパレスチナ連帯運動がイスラエルの攻撃を止められなかったので、彼らは自分達のことも信用していない。だから、「自分達の行動で結果を出して見せたいのだ」と熱く語った。 オキーフ氏は、パレスチナ人が暴力的だというのは真っ赤なウソだ、と何度も強調した。真実はそこにある、行ったらわかる。1万人が行けば絶対に歓迎してくれる。ぜひウェブサイトwww.p10k.netを見て、賛同いただければ登録して欲しい、1万人で世界を変えよう、とこのプロジェクトにかける強い熱意を見せた。 最後にオキーフ氏は、たとえ遠大な目標であっても、自分の頭でできないと思ってしまってはダメだ、そうした壁を取り払って自分を解放して欲しいと講演を締めくくった。 ■質疑応答――「憲法第9条をどう思いますか?」 講演後の質疑応答でオキーフ氏は、日本国憲法第9条は世界に誇れる美しいものであり、9条ではなく1条にすべきだ、日本だけでなく世界の憲法の1条にすべきだ、と語った。そして、政府に頼るのではなく、私達自身の手で民主主義を保障しなければならないと語った。突然の質問「日本の憲法第9条をどう思いますか?」に、即座にこのように答えることが出来る彼の力量には驚かされた。 彼は体中にタトゥー(入れ墨)をしている。「このタトゥーは何を意味しているのですか?」という質問では、片方の目の横にある“悲しみの涙”と、泣いているだけではダメだと言う意味で反対側の目の横には“握り拳”をしている。自分の入れ墨には一つ一つに重要な意味があると語った。 「米国で劣化ウラン被害者は声を上げているのか」という質問に対して、オキーフ氏は、まず、UMRCのドラコビッチ博士の調査で、吸入後何年もたってからでも体の中に劣化ウランが残っていることが証明された、と紹介した。私たち署名事務局が支援するUMRCの活動への評価がオキーフ氏の口から出たことに意を強くすると同時に、逆に言えば、そのような湾岸帰還兵の立場に真に立った活動をしているのがUMRCくらいしかないという現状の厳しさを私達は改めて確認した。 また、多くの人々が劣化ウランの危険性や被害についてたくさんの人がインターネットなどを通じて訴えているが、軍産複合体や原子力産業など劣化ウラン兵器の関連業界がメディアをも支配しているので、なかなか広がっていない、と彼は答えた。そして、米政府は「専門家」を前に立てて劣化ウランの安全性を宣伝しているが、政府が優位に立てるのは、皆が無知だからだと、ここでも1つ目のステップである「真実を知ること」の重要性を強調した。 イラクでの日本人人質を巡る「自己責任論」については、それは「ダブル・スタンダード」だ、と一喝。日本政府は、米の戦争を支持したことの責任を取っているのか、と非難した。そして日本政府は、人々が良心に従って行動することをやめさせたいのだろう、と語った。 私たちを驚かせたのは聴衆として来られたドイツ人の発言であった。その方はオキーフ氏の「P10K」、パレスチナ連帯行動に関心を持って質問された。実は、第2次大戦中のユダヤ人虐殺・迫害への賠償金として、ドイツからイスラエルに毎月莫大な資金が流れている。アメリカの対イスラエル経済支援は知られているが、同時にドイツがイスラエルを財政的経済的に支えていることについては、ほとんど知られていない。これに反対したいが、ドイツ人としては反対し難いジレンマがある。もし反対すればユダヤ人の大虐殺を正当化するのか、戦争犯罪を抹殺するのかなどと非難が集中する。だからぜひとも、「P10K」を成功させて欲しい、との声であった。 ■日本原子力文化振興財団による「劣化ウラン安全」キャンペーンを糾弾する。−−UMRC支援のカンパ活動にご協力を! 最後に主催者である署名事務局から、米国の劣化ウラン弾使用の犯罪を暴くため、UMRC(ウラニウム医療研究センター)の活動への支援を訴えた。また、文部科学省の所管公益法人である日本原子力文化振興財団が「劣化ウランは安全」とする宣伝パンフレットをマスコミに配っていることが報告され、これを撤回させることで、劣化ウラン安全宣伝の出鼻を挫こう、と訴えた。
2004年8月10日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局 [ケン・オキーフ氏の活動に関する翻訳資料]
[講演会アンケートより] アメリカから亡命して、アメリカの国籍は破棄しているのに、3回もパスポートを返してきたとは、驚きでした。 自国民を犠牲にしても、戦争を容認する世論を作ろうとするアメリカの姿勢はスペイン戦争をはじめ、一貫した合衆国の歴史であり、「9.11」も共通ということに元米軍兵士でありながら、気づき、行動を起こした彼の姿勢に感動しました。 白人の人権・人命と同様にイラク・パレスチナ人の人権・人命も同じ重さを持つことに気づく、白人、先進国の人々を増やすこと、事実を知らせることは本当に重要だと感じました。 直接、運動での関係がなくても、彼が元軍人(軍医)の活動で著名な人をしてあげたのが「ドラコビッチ博士」であったことは、署名事務局(日本でのドラコビッチ博士の活動を最も広めている団体)主催の集会であることを考慮したわけではないと思うので、印象的であった。事実(真実)をあばき、知らしめるほど、強いものはないと感じました。 (40歳代女性) ”行動に結果を伴わせる” 非常に重い言葉だと思いました。私たちは日々、結果を少しでも導き出そうと活動をしていますが、ケン・オキーフさんの迅速な行動に脱帽です。 このような時代だからこそと思い活動していますが、結果をだすことにもっとどん欲になって、もっと早い行動計画を立てていかなくてはと思いました。誰かがしてくれるという希望を持つのではなく、自らが平和を創造していかなくてはいけない義務を負っていることを非常に感じさせられた講演会でした。 (20歳代女性) 真実を明らかに、真実を見ることの重要性が心にしみました。今日の話はとても感動しました。パレスチナで起こっていることに心を痛めています。1万人の1人としてパレスチナに行ければと、ケン・オキーフさんの話を聞いて思いました。でも私に本当に行けるかしら、ケン・オキーフさんのように強い意志ももっていないことがなさけない気がします。真実をもっと知って、強い意志をもって、アメリカや日本が行っている非道なことに抵抗していきたいと強く思いました。 (40歳代女性) アメリカでこんなに世界平和のために闘っている人がいることを知ってうれしくなりました。 (60歳代男性) ”本当の親友”の話はよくわかりました。本当にそうですね。国籍の話はとても共感しました。私も日本人やめたいといつも思っているもんで。カメの話、胸が痛みます。戦場から帰ってきてよけいに生命の尊さを実感されているのでしょう。生きとし生けるものに共感されて、やさしい、お人柄が伝わってきました。 流産を繰り返したとのことで、つらかったですね。トラウマが少しでもケアできたらいいのにね。9条を1条へいい話ですね。よく勉強されていますね。(40歳代女性) 日本でもようやく劣化ウラン弾について問題視されるようになってきましたが、公式には人体への悪影響を否定し続けています。このような絶大なる権力に対して、あきらめずに行動することの重要性を再認識させられました。日頃、何らかの形で活動して、ある種のむなしさを感じていましたが、大きな勇気をいただきました。ありがとうございました。P10K運動、大いに関心を持ち、私も参加したいと思います。真実を知ること、そして伝えること、行動すること、そしてNO JUSTICE,NO PEACEその意味をもう一度かみしめています。 (40歳代女性) 「憲法9条は世界に誇れる美しいもの」、「地球憲法第1条にすべき」とのことばに感動を覚えました。まさに「真実はそこにある」と想いました。1万人の中の1人になりたいとの気もしますが、俗世間のしがらみをどう排除したらよいのか?ありがとうございました。 (40歳代男性) お疲れさまです!すばらしい集いだったと思います。 (30歳代男性) |