(スケジュール) @10/6早朝5時30分〜午後1時まで私独自の海兵隊岩国基地のフィールドワーク。 A岩国市民会館小ホールで午後2時から5時までの「わたしたちはこんなに苦しめられている!爆音に怒りを!今できること何?市民シンポジューム」参加。(主催 住民投票の成果を生かす岩国市民の会、後援 米軍再編・基地強化と闘う全国連絡会) B10/7午前9時から12時半「米軍再編・基地強化と闘う全国連絡会第2回総会」参加。 C13時から15時まで「岩国基地フィールドワーク」参加。(案内 岩国市議田村順玄さん) 1、米海兵隊岩国基地への独自のフィールドワーク 私は大阪夜9時出発の夜行バスで岩国に早朝5時半に到着し、独自で基地のフィールドワークを行った。米軍岩国基地はどういう所から見ればよく見えるのか全く解からず、とりあえず基地の正面ゲートに近づこうとしたが、一本道の突き当たりにあり(後で教えてもらったのには、正面ゲートへの道は400bだけなのに国道189号線になっていて国が管轄してるとのことだった。万一の時に、国が統制できるようにしているらしい)、近づくだけでも「不審者」に見られるので、近づけなかった。一端、岩国駅に戻り、思案した。バスの運転手さんに、地図で尋ねたところ、「今津川河口の堤防から小さい頃父親に連れられて、見に来た記憶がある」と教えてもらった。堤防横の道を海に向かって歩いた。途中で、散歩中の年輩の男性に「どこに行ったら基地が見えますか」と尋ねた。男性は「一番先の橋の上から見えますよ、ただし土日は米軍は戦闘機を飛ばしません。休んでます。平日に来てください。どれだけうるさいか。うるさいというもんじゃありませんよ」と答えてくれた。その男性はこの基地について説明してくれた。「岩国基地は旧海軍時代に作られた。昭和15年には山本五十六がここに来て真珠湾作戦を立てたところだ。旧海軍が岩国が日本で一番霧の少ないところで、呉に近いということで、ここに作った。戦後、米軍が接収した。規模が小さく回りは牧草地帯だった。それから数年して、大きな台風が来て堤防を決壊させた。牧草地帯は海水でだめになり、米軍が買収して、今の大きさまで拡張した。私は保守で国策には協力してきたが、我慢の限界だ。住居が基地の近くで、防衛省に移転を頼んだがだめだった。厚木から空母艦載機57機が移転してくれば、耐えられない。滑走路を1キロ先に出しても、実験で数デシベルしか音が小さくならない。岩国では一切裁判が起きてないが、若者は起こすよ。ここは戦場です。国は甘ったれて移転を押しつけている。」と話してくれた。 私は、山口は総理大臣を沢山だし、保守の基盤の厚いところであるが、爆音は保守の支持者さえ怒らせるものになっていることを、実感することができた。
2、10/6 爆音に怒りを!今できることは何? 市民シンポジューム 岩国市民会館小ホール 会場80名定員の所、170名参加、多数の岩国市民も参加し、会場が一杯の状態で、岩国市民と全国の反基地運動が交流する場となった。 神奈川・厚木の爆音訴訟団が実際に厚木基地での米空母艦載機の離着陸訓練の耳をつんざく爆音の実態をビデオ上映するなど、岩国市民からも「岩国でも全く同じことが繰り返されている」と意見が出された。主催者の“住民投票の成果を生かす岩国市民の会”からは、「爆音、米兵犯罪に怒りの声をあげている。愛宕山の米軍住宅策動は後悔することになるのではないのだろうか。安全・安心の街にして子ども達に残したい。」「夜10時過ぎまで爆音演習に市民の抗議が殺到した。民意を無視した移転は絶対に許せない。全体と連帯して闘いたい。」との発言があった。 沖縄からは、日本軍の命令で集団自決を強制されたという事実を教科書から削除したことに抗議して11万6千人が集まり、激しく沖縄県民が怒っていること、「この狙いは、有事法=戦争法での戦争できる体制の次に、国の為に死ねる若者を作る必要性からだ」と訴えられた。もう一人沖縄の方は「沖縄と岩国は近づいているなと感じた。沖縄では抗議すると“沖縄だけ抗議している”と米軍指令官は恫喝する。市民生活・生命より日米軍事同盟が優先。思いやり予算は、他国が米に支払っている予算全体の半分以上を日本が占めている。国民の財産を守る政権にしないといけない。日本がアジアを侵略した国として、米軍を追い出し、憲法9条を守り、日本を変えたい。住民投票の時は”あきらめずに闘いましょう”と駆けつけました」と発言した。 神奈川の厚木第三次爆音訴訟団からは「EA6Bプラウラ、E18Aホーネットとスーパーホーネットの騒音が110デシベルを越えている。大和市東林間の小学校の運動会も中止に追い込まれている。第4次の訴訟団は7000人に伸びた」との報告があった。 横須賀からは、「諸悪の根元は原子力空母の母港化。1973年10月15日の空母ミッドウエーの配備は当初2〜3年だからと言いながら、今なお配備し続けている。9月21日在日米軍は来年08年8月19日に原子力空母ジョージ・ワシントンを入港させると公表した。当時の麻生外相も来て”安全だから受け入れてくれ”と言うだけ。2mの浚渫工事許可の取り消し・仮処分裁判を闘っている」との報告があった 神奈川・座間の「米第一軍団を歓迎しない会」は、「この会を2004年秋に設立した。在日米軍キャンプ座間は1/3が相模原市、2/3が座間市にまたがって存在している。ここに米ワシントン州から第一軍団が移ってこようとしている。移行チームが8/20に到着した。座間市長や自治体あげての運動を展開している」と報告した。 沖縄・辺野古ヘリ基地反対協議会から「滑走路はV字型で押し進めようとしている」と現状が報告された。 最後に「岩国市においては、新市庁舎の補助金カットや愛宕山開発事業の中止と国への売却など日本政府は山口県をまきこんで、反対を続ける市長や市民に圧力をかけ続けています」「これからもあきらめることなく、米軍再編を白紙撤回させるために、ともに手をとりあい、ともに闘っていくことをここに確認します」という集会アピールを満場の拍手で採択した。 3、10/7「米軍再編・基地強化と闘う全国連絡会第二回総会」 午前9時〜12時半。 共同代表安次富浩さん「06年3月に全国連絡会を結成した。日米政府の状況は安倍政権の崩壊に見られるように、自公政権のほころびが見えてきた。情報を交換し、運動に反映させていきましょう。」と挨拶した。 平和フオーラム事務局長八木さんは「10/15〜茨城県自衛隊百里基地で日米共同軍事演習反対運動を行う。三沢から米軍機が来て演習しようとしている。社民党、民主党、労働組合と協力して闘っていく。各地域の防衛局とも交渉してほしい」と発言した。 沖縄の普天間爆音訴訟団から「米軍ヘリが沖縄国際大に墜落した事件があった。米軍は、1970年代ベトナム戦争で使っていたものを30年以上も使っているのが実態で、いつ事故が起こってもおかしくない状況になっている」と報告した。 沖縄・新嘉手納爆音訴訟団から「爆音の裁判訴訟は、厚木・横田・小松で闘われているが、一番爆音がひどいのは嘉手納だろう。国との協定すら守られていない。2万7千回も協定違反されている。防衛局と交渉すると、“米軍の運用上の問題だから、やむをえない”という回答ばかりだ。特に裁判では最高裁でも、うるささ指数75以上は憲法違反だと認めている。日米地位協定が憲法より高いという状況になっている」と報告された。 沖縄・辺野古ヘリ基地反対協議会から「沖縄北部が再編基地となっている。自衛隊がキャンプ・ハンセンで共同演習をしている。新基地は300b沖合にずらすもので、藻場がつぶされてしまう。名護にも建物ばかりを建てているが、9割が地元負担で、名護市の財政が押しつぶされてきている。軍事基地の街にされている。」と報告された。 総会では、「参議院選挙で自民党が大敗し、テロ特措法の延長を断念させる状況を作り出した私たち市民が、全国の仲間が連帯し、米軍再編を白紙撤回させるために、これからも連携を深め、それぞれの場所で闘い続けていくことをここに確認します」という総会宣言を採択した。 4、岩国基地フィールドワーク 案内 岩国市議田村順玄さん 午後12時半〜15時 @岩国市役所新市庁舎→建設中、10月末まで10数億円の借金を返済しないと行けない状態、防衛省は補助金を出さない。井原市長は岩国市の合併特例債を発行して返済しようとしているが、議会が否決した。防衛省や外務省と交渉しようにも石破や高村は会わないと拒絶している。井原市長は苦しい状況に追い込まれている。 A愛宕山宅地造成地→岩国基地の沖合に滑走路を移転するために、埋め立て用の土砂をこの愛宕山を削って持っていった。山から3キロ先の川まで100億円のベルトコンベアで10年かけて運び続けた。この宅地を造成したのは、かの有名な水谷建設、ベルトコンベアは宇部興産製、新しいゴミ処理場は清水建設が作った。この宅地は山口県と岩国市が事業主体で、ここでも岩国市は莫大な借金があり、国や県は米軍住宅に売るように圧力をかけている。ここへのアクセスは防衛省が主体になって建設中で、水面下でどんどん押し進めている。 B岩国基地沖の滑走路建設用埋め立て地→建設費2400億円、埋め立ては終わっている。南端には、原子力空母も接岸できるという港が作られていた。すでに高速輸送船が停泊していた。2440mの滑走路なので、とにかく広大。新基地建設という狙いをまさに実感するものであった。
5、10/6,7岩国での行動に参加して 米軍再編がここまですさまじく押し進められている実態に驚いた。福田政権になっても、どんどん押し進めている。そこに市民が力強く反対し続けている。多くの人たちのこの現実を知らせるなど、できるところから行動を始めなければいけないと強く感じた。
(2007.10.14. 署名事務局KB)
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