[速報]映画上映会『アリランのうた−オキナワからの証言−』
100名を越える参加者が生々しい証言と映像に見入る
朴壽南監督が、元日本軍「慰安婦」被害者たちの闘いと新作映画『ヌチカフゥ(命果報)』を紹介

     

 映画『アリランのうた−オキナワからの証言−』(朴壽南(パク・スナム)監督)の上映会が、1月27日大阪で署名事務局主催で行われた。会場は、100名を超える観客で埋まり、生々しい証言と映像に見入った。
 映画は、沖縄の戦場にかり出された朝鮮人軍夫と「慰安婦」の実態を、韓国と沖縄からの証言を追うことで明らかにしている。積み重ねられる数々の証言は、監督のこの問題への執念を感じさせるものであった。
 映画上映後、朴壽南監督から講演と新作映画『ヌチカフゥ(命果報)』の紹介がなされた。講演では、1995年村山政権の下で発足させられた「国民基金」に怒った元「慰安婦」たちが、孤立無援に近い中で国会前の座り込みなどを闘った様子が紹介された。
 『ヌチカフゥ』は、沖縄戦での「集団自決」を描いた新作映画である。「集団自決」への軍命令の否定に、日本政府と右翼勢力が躍起になる中、実にタイムリーな作品だ。監督は、教科書検定では昨年問題となったが、「沖縄県史」は既に86年に書き換えられていることを強調した。是非私たちも上映会を開催し、多くの人たちにこの映画を見ていただきたい。

2008年1月28日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局



[投稿]映画会『アリランのうた−オキナワからの証言−』感想
知らされていない真実−−沖縄戦で多くの朝鮮の人々が捨て石に

 沢山の勇気ある証言一つ一つに私たち日本人には知らされていない事実が語られ、改めて沖縄戦にもこんなにも多くの朝鮮の人々が捨て石にされた事実を思い知らされました。戦後何十年たっているのに日本語が語られ、君が代がでてくるのに胸が重くなりました。生死との隣り合わせに民族の誇り、人間の尊厳を徹底的に踏みにじられた歴史の証明です。
 日本政府の戦争責任は免れない事実がここにあると思いました。スナム監督の「軍の命令の有無」についての暴露からの指摘もありましたが、歴史は意識的に真実を伝えていかないと時の勢力に都合のよいように塗り替えられて抹殺されてしまう恐怖を実感しました。繰り返し繰り返し事実を伝え、得られた証言を残すといういみでこのような映画として記録しその活動の手をゆるめることなく更に深く追求していくスナム監督に感動しました。そして上映活動を通じより多くの人に広めていく意義を改めて実感しました。次の映画上映企画もぜひお願いしたいと思います。(M)




映画上映会
「アリランのうた−オキナワからの証言−」
朴壽南(パク・スナム)監督
1月27日(日)午後2時〜(開場1時半)
総合生涯学習センター5回第一研修室(JR大阪駅徒歩5分) <地図>
参加費:1000円
主催:アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局


 映画『アリランのうた』とは

 記録映画『アリランのうた―オキナワからの証言―』は、在日朝鮮人二世の朴壽南監督によって、一九九一年夏に完成しました。沖縄戦で犠牲になった朝鮮人「慰安婦」・軍夫に関する証言を掘り起こし、フィルムに収めた作品です。
 一九九一年夏といえば、金学順さんが日本軍元「慰安婦」として初めて名乗り出られた年です。被害女性が名乗り出られたことによって、この問題は日本中の注目を集めました。
 映画『アリランの歌』も、謝罪と補償を求める運動の力によって、全国各地で上映運動が開催されました。この年、金学順さんの存在と共に、この映画が運動を揺り動かしたと言っても過言ではありません。

 なぜ今『アリランのうた』か?

 あれから十七年の月日が経とうとしています。この十七年で日本は一体何が変わったでしょうか?問題解決に向けて、どれほどの進展があったでしょうか?
 政府は国家の責任を民間に転嫁する「国民基金」なるもので取り繕い、多くの被害女性の憤慨を買いました。「私を傷つけたのは個人ではなく国家だ。だから民間が償ったのでは意味がない。国家が謝罪し補償しなければならない」と、今なお多くの被害女性が受け取りを拒否しています。
 そして日本政府に謝罪と補償を求める裁判はいくつも起こされましたが、関釜裁判一審判決など画期的な勝利を勝ち取ったものの、結果として日本の司法は門戸を閉ざしたままです。
 もちろん運動の積み重ねが無意味なはずがありません。しかし被害女性にとっては、それだけでは足らないのです。日本政府による謝罪と補償こそが、彼女たちの受けた被害を回復することが出来るのです。
 ましてや近年、被害女性の傷に塩を塗り込むような行為が頻発しました。安倍前首相の「狭義の強制性」とかナントカいう意味不明の発言は、それの最たるものです。被害者の癒えることのない傷に塩を塗り込む――それが私たちの政府であり、社会です。
 集団自決に軍の強制はなかったという主張に沖縄の人々が怒っているように、被害女性たちも怒り、謝罪と補償を要求しています。
 「慰安婦」問題と沖縄戦――その接点を描いているのがまさにこの『アリランのうた』であり、十七年経ってなお変わらない日本社会を告発しています。

 ペ・ポンギさんの姿がもう一度観たい

 今日多くの被害女性が名乗り出られ、裁判を闘われたり証言をしたりと活発な活動をしておられます。しかしその女性たちの影には多くの名乗り出ることの出来ない被害女性が、今なおこの世界に多く存在していることを想像する必要があります。
 ペ・ポンギさんは、おそらく日本で最初に元「慰安婦」として世間に認知された人です。在留許可を得るために名乗り出ざるを得なかったという事情がありました。
 「慰安婦」として沖縄に連行され、戦後は遺棄され苦渋の日々を過ごしました。マスコミの取材に対して戸を閉ざし、鎌を振って追い返したというポンギさん。取材に応じた後、必ず激しい頭痛の発作に襲われたポンギさん。
 かつて日本政府が「慰安婦は民間業者が連れ歩いたものであり強制連行ではない」と答弁したとき、「そんなことないよ!」とポンギさんは怒り狂ったのだとか。
 映画の公開された年の十月、ポンギさんは孤独死されました。死後五日が経っていたそうです。
 そのポンギさんのお姿をこの映画で拝見することができます。今、ポンギさんの姿が無性に観たいのは、偶然ではありません。
 亡くなられてから十六年、ポンギさんの「恨」をまだはらすことが出来ないまま、私たちは今の日本を生きています。
(署名事務局・からん)


映画『アリランのうた―オキナワからの証言―』朴壽南監督(100 分)

1 月27 日(日)午後2 時(開場1 時半)
総合生涯学習センター5 階第1 研修室にて


参加費:1000 円

主催:アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局