[投稿] 平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動 |
2006年8月13日から15日まで、私は東京の、主に皇居を臨む九段下周辺にいました。「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動実行委員会」の主催する8月11日から15日までの一連の反対行動に参加するためです。
小泉純一郎総理大臣が今年の8月15日に靖国神社に参拝するかどうか、情勢は極めて緊迫していました。私は何とか小泉首相の靖国参拝を止めさせたいという一心で参加しました。靖国と首相参拝の犯罪性、台湾・韓国・沖縄の人々の強い思い、そして自分自身の立ち位置を強烈に自覚させられた3日間でした。
以下はその3日間の行動の、多少の主観と雑感を交えたレポートです。
(2006年8月27日 文責:からん)
1,8月13日(集会とキャンドル・デモ)
8月13日、神保町での集会に参加した。会場の周囲に右翼が徘徊していて、なんともざわざわした気持ちでの集会参加だ。
まずは主催者の内田雅敏弁護士から開会の挨拶があった。
「欧州の5月とアジアの8月の違いはいったい何なのか。欧州では和解しているのに、アジアでは和解できない。近隣諸国の反発が問題なのではない。8月15日は朝鮮半島では解放記念日と言うが、我々日本人もあの日ヤスクニ・イデオロギーから解放されたはずではなかったのか」と問題提起された。
また同じく主催者として、韓国の民主社会のための弁護士会・元会長である李ソクテ弁護士が「いまだ徴用された韓国・台湾の人々がヤスクニに祀られている。恨を解かねばならない」と挨拶した。
その後韓国の国会議員団を引き連れて、金希宣議員が激しいアジテーションを放った。
「小泉が靖国参拝を公言してからアジア全体が緊張に包まれている。私たちは小泉の靖国参拝を阻止し、アジアに平和を取り戻すために来日した。そして徴用された韓国人の名を霊璽簿から外させる。靖国神社を護る人々からチョーセン人帰れと言われた。私たちはそういわれてもかまわない。なぜなら、これは靖国問題を明らかにしているからだ。我々が帰らなければならないとしたら、そこに祀られている同胞の霊魂も帰らなければならない。さよう、私たちは共に帰る!」
メインの高橋哲哉さんの講演は、まさに期待通りだった。実に明快な論理構成で、私たちを奮い立たせてくれた。
「小泉首相の頑迷な態度は、外国人遺族に三重の加害(戦死・合祀・参拝)を与えている。絶対に止めさせなければならない。
A級戦犯合祀問題は、靖国問題を矮小化させている。第1に東京裁判は満州事変以降の戦争責任を問うているが、靖国は明治以降の植民地主義の責任が問われなければならないからだ。第2に分祀によってA級戦犯の責任を問うことは、最高の戦犯である昭和天皇の責任を免責することになるからだ。そして分祀によって首相と天皇が堂々と参拝できるようになるからだ。
先の富田メモのスクープで、にわかに分祀論が活気づいている。しかしこれはそもそもが象徴天皇制や政教分離など、現憲法原則の問題である。A級戦犯合祀・分祀の問題ではない。正しいこの観点から捉えているマスコミ報道が全くないのはおかしい。
そしてこのスクープは短期的には参拝中止に結びつくかも知れないが、長期的には首相と天皇参拝に道を開くものである。靖国神社とは、天皇の神社であり、天皇参拝なしには成り立たない施設だ。哀しみ・痛みを悦びに変化させる「感情の錬金術」は天皇抜きにはあり得ない。
自衛隊は既に戦争参加しているが、今後新しい戦死者を靖国に祀り、そこに天皇が参拝する……古賀や麻生はA級戦犯分祀や靖国神社を無宗教化を提言しているが、まさに21世紀のヤスクニの立ち上げであり、第2次国営靖国神社の創設と言うべきものである。
第1に、小泉首相靖国参拝に反対しよう!
第2に、韓国人・台湾人をはじめとした遺族の合祀取り下げ要求に、靖国神社は応じるべきである!
第3に、新たな靖国神社の国家護持に反対しよう!」
遺族証言として、3人の方が壇上に登った。
李金珠さん(光州遺族会会長)は夫が徴用され戦死、男児を抱えて苦労したことを切々と語った。
金城実さん(沖縄靖国違憲訴訟原告団長)は、大田昌秀さんなどの周囲の人にこの裁判を持ちかけたときなかなかいい顔をしなかったと話されたことが印象的だった。大田さん曰く「靖国に触れるということは友人に対する暴力のよう」だとか。確かにそういう感覚は分かる。克服しがたい、ヤスクニ・イデオロギーの恐しさがそこにはある。しかし金城さんは喝破する。「協力させられ、スパイ容疑をかけられ、挙げ句の果てになにがしかの恩給をもらったとてナンボのものか!生きていてこそこどもも作れるし生活の苦労もせずに済んだというものだ」と。
同じく遺族証言としてチワス・アリさん(台湾立法院議員)が、激烈なアジテーションをとばした。
「小泉参拝は私たちだけでなく、日本の民衆と平和憲法を愚弄するものである! とても許せるものではない。先日私たちは靖国神社を相手に新たな裁判を提訴した。
日本は台湾を植民地支配後、我々原住民部落に対してすぐに三光作戦を実施した。台湾の人口8万人のうち、7千人以上殺され、4千人以上が負傷した。そして村々に理蕃政策を実施し、日本軍国主義の手先として高砂義勇隊を組織した。高砂義勇隊1万人のうち半数以上が戦死した。
高砂義勇隊は加害者であり被害者だった。我々原住民は、自らの運命を決する権利というものを全く持たなかった。生きる自由も魂の自由も奪われ、挙げ句の果てに侵略神社に合祀された。靖国神社には植民地支配のために三光作戦を実施した責任者の北白川宮能久親王も合祀されている。原住民の仇敵だった男と我々の肉親の魂が同じ所に祀られるなんて、屈辱でしかない。
台湾原住民は日本人ではない! これは我々の人権・文化権・信仰・遺族の願望に対する暴力以外の何者でもない。私たちを加害者の中に入れるな!
靖国神社は我々の肉親の魂を返せ!」
李熙子さん(合祀取消訴訟韓国人遺族代表)からごくごく簡単な発言があった。(もうちょっと喋ればよかったのに。)
政教分離の様々な裁判にかかわってこられた今村嗣夫弁護士から「憲法の政教分離規定は平和保障の規定である」「小泉首相は心の問題と言うが、被害者の心の痛みはどうなるのか」との発言があった。
第2部としてコンサートが催された。
まずは「飛魚雲豹音楽工団」。台湾原住民の音楽グループである。大地の息吹を伝えるような、力強い伝統音楽だ。多分見たところ、いわゆるプロの音楽グループではない。普段は農業で生計を立てているのだそうだ。彼らの伝統文化がどれだけ生活に密着した豊かなものなのか、思い知らされる。合唱のハーモニーも素朴かつ重層的だ。私としては、鼻で吹く縦笛の美しい音色に少し驚かされた。
次ぎに韓国から、大人4人と子ども4人のグループ「パナルコッ&クルロンセ」だった。周囲の人々の評価ではこのグループがとてもいいということだったが、私は韓流ポップスみたいな音の作り方について行けず、×。でも子どもが可愛いのは万国共通なのだった。
トリは朴保である。私は以前より彼の大ファンだ。この日はパーカッションの吉岡さんと二人で出演。でも集会の熱気を受けてか、この日の朴保はとても熱かった。
まずは名曲「イムジン河」から始まり、虐げられ踏みつけられても力強く生きていけばいつかは光が差すと歌った「雨に咲く花」……この2曲目あたりでもう私は軽くトランス状態。現実に被害者の前でそういう内容の歌を歌われていると、歌っている本人も思いが入るし聴いている人もそれが素直に伝わって来るというもの。そして3曲目は「砂漠に舞うのは」……中東での、殺される側の視点から歌った戦争の歌だ。靖国反対行動をしているこの今でも、レバノン・パレスチナではイスラエルによる虐殺が続いている。ヤバイ、グッと来た。会場からは、台湾原住民グループがリズムに合わせて勇壮な掛け声をかける。激しい盛り上がりだ。そして今か今かと待ち望んでいた「傷痍軍人の歌」。日本のために戦い傷つき何の補償も受けられず見捨てられた朝鮮人傷痍軍人や、日本軍性奴隷被害者の宋神道さんのことなどを歌った歌だ。もう悔しくて悔しくて、我を忘れて踊る。本当はこの4曲で終わりだったはずなのだが、ちょっとしたハプニングが起こった。日本軍性奴隷被害者の李容洙さんが感極まって舞台に駆け上がってきた。
「朴保さん元気ね。李容洙よ。宋神道さんは元気にしてるね。私、朴さんとアリラン歌いたいわ」と。
朴保は蜜陽アリランのコードを引き出すと、李容洙さんが歌い出したのは珍島アリランだった……というのは友人の朴保ファンの指摘で、私は「コードが変だな」と思ったくらいで、興奮で少々訳がわからなくなっていた。結局、珍島アリランと蜜陽アリランの両方を歌い、興奮仕切った客席に応えて、最後は「ペンノレ」。ペンノレでは台湾の原住民グループたちが手を組んで舞台に上がり輪になって踊る踊る踊る。もちろん私も踊る。大興奮の坩堝で舞台は終わったのでした……さあ、デモだ!
会場の出口のところでキャンドルとプラカードを受け取り、デモ行進。まず台湾、韓国グループが先行し、日本人グループは最後尾。キャンドルを輝かせて、ゆっくりとデモ隊は進む。
いきなり前列の台湾グループ、韓国グループの盛り上がりに圧倒される。日本人のデモ隊はその足下にも及ばない。
韓国も台湾もかつては反共立国で、軍事独裁政権が民衆を催涙弾で弾圧してきた歴史があった。だから民衆も、ホンモノのシュプレヒコールの挙げ方を知っているのではないか?−−個々人の思いの強さは別としても、文化習慣の違いからして「とてもかなわないなあ」と思ってしまったのです。
そう無条件に脱帽してしまうほど、彼らのデモは格好良かった。惚れ惚れした。
途中から歩道には組織右翼の連中が群がり、プラカードを掲げ、拡声器で罵詈雑言を浴びせだした。プラカードの内容は高橋哲哉さんを脅迫するものや、ナヌムの家を誹謗中傷するものなど。正直かなり恐い。
デモ隊は御茶ノ水と神保町の間の小さな公園で終了。シュプレヒコールを挙げて解散しました。台湾原住民グループが勇壮な気勢を上げた後、韓国グループと在日コリアングループから自然にわき上がる、金敏基の名曲「朝露」――大好きな歌だけに、これにはかなり感動した。
神保町の駅に向かおうと思ったら、警官に制止された。「向こうではちょっと小競り合いになっているので、反対に回ってください」だって。「どっちに回ったらいいですか」と訊ねたら、「私も応援で東京に来ているので、地理がよく分かりません」と返事された。へえ。お盆なのに応援でかり出されているのですね。
ムカツクけど右翼にからまれるのはゴメンなので、素直に警官の指示に従うことにする。朴保ファンの友人と、ちょっと遅い夕食。たまたま入った中華料理店の箸袋を見て、ちょっとした発見があった。箸袋にはこう書かれていた。「庶民階級中国人民との相互友好を進めよう、正しく中国と東中国海、南中国海と呼びましょう」――ああ、「シナと呼ぶな、東シナ海と呼ぶな」ということか。裏には「日本の人が中国を「シナ」と呼ぶとき、私たちはどうしても日本が中国を侵略し、日本人が侮っていた頃の歴史を想起してしまうのです」と。こういう日にこういう店に巡り会ったのも、何かの運命でしょうか。この店には右翼はいまいよ。
2,8月14日(コンサートとキャンドル人文字行動)
2日目、明治公園。この日は昼間ライブ・パフォーマンスが繰り広げられ、暗くなってからキャンドルで「YASUKUNI NO」の人文字を作ることになっている。
ちょっと行くのが早かったようで、わりと人影はまばらだ。木陰でひと休みしたら、うつらうつら眠ってしまった。周囲には台湾原住民の方たちも居眠りしていた。みなさん、お疲れの様子。
この日はコンサートがメインで、アピールはどれも短め。
開会に際し、「うたごえ」が数曲演奏したが、私はちょっと雰囲気が苦手で会場を散策する。講演にはテントが幾つも張られ、物品販売やパネル展示がされている。台湾原住民の歴史や日本軍性奴隷被害者の訴えのパネル、本やCD、Tシャツなどの物販を行っている。
韓国から李海学牧師が火のようなアジテーションを行った後、まよなかしんやのライブに移る。
まよなかしんやを聴いたのは初めてではなかったが、この日のライブは私の心に火をつけた。沖縄フォークの先駆けの存在だそうだが、沖縄の反戦反基地闘争に密着した、フォークソングとはかくあるべきといわんばかりの歌いっぷりがとてもよかった。
昨日と同じ「ナパルコッ&クルロンセ」、そして「飛魚雲豹音楽工団」が続く。「ナパルコッ&クルロンセ」はちょっと遠いところで蔭に涼みながら聴いていたのだが、尹東柱の詩に曲をつけて歌うといっていた。尹東柱に興味はあるが、ハングルが理解できないのでどの詩か分からず、ちょっとだけ悔しい思いをする。「飛魚雲豹音楽工団」も昨日に引き続き、深く豊かな歌声を聞かせてくれた。(ただよく見ると、暑さのせいなのか疲れのせいなのか、元気のない人もいる。)
金城実さんと西野留美子さんが発言した。金城さんは「愛国心は右翼の特権ではない、被害者にも愛国心があるということに奴らは気がつかないのだ」と。西野瑠美子さんはこの集会に3人の元日本軍性奴隷被害者が参加していることを紹介し、「尊厳の回復を求めるためにここに来ているのだ」とアピールした。
コンサートのトリは、ナニワの歌う巨人・趙博だ。「イムジン河」があり「珍島アリラン」があり、妙に昨日の朴保の選曲とかぶるかも。すぐにギターを置き太鼓に持ち替え、朝鮮民謡を歌う。すごい声援が飛ぶので、ふと後ろを見ると、若い人たちが踊っていた。会場はどんどん盛り上がる。
趙博のライブの後、クッの準備で少し時間が空いたのだが、その間ちょとしたハプニングがあった。昨日も舞台に登った李容洙さんがアピールしたのだ。
「誰が慰安婦だ? 私は李容洙だ!」
ついさっき西野瑠美子さんが、尊厳回復の闘いだと言ったことを思い出す。彼女がどういう気持ちでここに来ているのか考えてみた。彼女にとって靖国神社がどういうものであるのか、英霊とは一体誰のことであるのか考えてみた。とても、靖国神社の存在そのものに堪えられない。
趙博もまよなかしんやも「飛魚雲豹音楽工団」もすごいが、この日の主役はやはり巫堂(ムーダン)であろう。趙博のあとにクッが催されたのだ。
クッは朝鮮半島の伝統的なシャーマニズムの祭祀で、この日戦争犠牲者の霊魂を導くために行われた。伝統音楽の演奏に合わせて、巫堂ンが踊り、回る回る回る。そして衣装を替え、手に持つ物を替え、回る回る回る。その間リズムの聴いた音楽が、ムーダンを急き立てるように場を盛り上げる。
正直言ってシャーマニズムの意味するところは分からないし、私にはその素地もない。しかしすごい迫力がビシバシと伝わってくる。
巫堂が霊魂を正しい道に導くために長い長い布を身をもって切り裂く時、慟哭が地を揺るがす。この場にいるたくさんの韓国人遺族が、死んだ者の魂を思い、泣き喚く。
「アイゴーッ、あなたは何故死んだのか!」
巫堂が切り裂いた布を燃やし、魂を天に導いても、遺族は泣き続ける。ふと思った。亡き者を想い悼むとは、こうでなければならないのではないかと。
靖国神社は顕彰施設であって追悼施設ではない。しかし世間で流布されているように仮に靖国神社が追悼施設なのだとしよう。亡き者の死を素直に哀しみ、死の理由を素直に問うのが正しい追悼の仕方なら、靖国神社のそのあり様は何とかけ離れていることか。
日もすっかり暗くなって、いよいよキャンドル行動だ。キャンドルを両手に、床に記されたマーキングに沿って並ぶ。しまった、両手が塞がっちゃ、写真が撮れねえじゃん! ちなみに私は“KU”のあたりだ。
こういう行動は何度か参加したことがあるが、人文字になっている人は空から自分の姿を見られるわけではない。大概は翌日の新聞などで、「ああ、オレ昨日ここにいたんだ」などと感動するのである。今回はプロジェクターで、自分たちの人文字がどうなっているのか映し出している。どうやら隣の高いビルから撮影しているようだ。空にはマスコミのヘリコプターがプロペラ音をさせている。マイクの指示に従って微調整を続けながら、よし完成!
どこからともなく歓声がどよめき、「ヤスクニ NO!」のシュプレヒコールが挙がる。
わたしはこの「どこからともなく」という感覚が大好きだ。誰かが命じたからではなく心がひとつになる瞬間。ここにいる約1000人の人間が、小泉の靖国参拝を批判し、靖国神社の存在そのものを忌避している。未来は靖国神社にあるのではなく、それを拒絶するアジアの、そして日本の私たちにあると信じたい。
その感動は、翌日あっさりと消された。ひとつは小泉の靖国参拝によって。もうひとつはこの行動をほとんど報道することなく無視を決め込んだマスコミによって。
3,8月15日(小泉参拝抗議デモ)
15日朝、友人のKさんからの電話で目が覚める。
「こっちは千鳥ヶ淵から靖国にいかれへん。そっちはどうや?」
そっちはと問われても、こっちは今、目が覚めたばかりである。なんと返事したかは覚えていないが、早々に電話を切ったと思う。
台湾原住民グループが、朝5時に千鳥ヶ淵に集合して靖国神社に抗議行動をかけると聞いていたので、きっとそのことだ。さっきの話ではうまく行かなかったんだな……。
早速テレビをつけると、靖国神社からの中継だった。小泉首相がまもなく公邸を出て靖国神社へ参拝するとのこと。緊張が走り、一気に目が覚めた。こんなに早朝に参拝するものだとは知らなかった。また「靖国賛成・反対派との衝突があって一時騒然とした」とも伝えている。台湾原住民グループのことかと思い、血の気が引く。(後に無関係の事件と知る。)
やがてテレビは首相官邸から出てきた黒塗りの車を追跡し始め、「高速に乗るのは想定外」とか大騒ぎしている。車が靖国神社近辺に近づくと、沿道は日の丸の小旗で埋め尽くされる。きっと今旗を振っている人たちは、一昨日「慰安婦は商行為」などのプラカードを持ち罵詈雑言を浴びせかけていた連中と同一だろう。車を降りた小泉は足早に靖国の建物にあがり、テレビ局のカメラの届かない世界に消えていく。その後程なくして、小泉が再び姿を現す。参拝とはいえ、まるで小便を済ませたかのような手早さだった。テレビの電源を切り、リュックを背負う。さあ、抗議デモだ!
茅場町の駅を降りてすぐの公園に集合。しっとりした雨が降り出していて、すぐ近くのコンビニで傘を買う。公園には人はまだ300人ほどか。台湾原住民グループが赤い横断幕を手にとり、チワス・アリさんが小泉の靖国参拝を糾弾している。
台湾原住民グループは警察に阻止されて、靖国神社の境内には一歩も足を踏み入れることができなかったらしい。台湾や韓国や平和を希求する日本人遺族などの想いを引きちぎるかのように、小泉は中曽根以来の「8月15日の首相の靖国参拝」を果たした。裁判所に憲法違反と言われようと、「全く理解できない」「世の中にはおかしな人がいるものだ」と切って捨て、おそらくは小泉自身の「心の問題」などではなく、つまらない虚栄と挑発のために参拝したのだ。
沸々と怒りがわいてくる。
ごく簡単な集会の後、いよいよデモに出発だ。デモ行進は靖国神社に向かうものだと思っていたが、東京駅から日比谷に抜けるコースらしい。台湾原住民グループを先頭に、日本人の隊列もそれに続く。韓国グループはちょっと遅れていて、途中で合流した。民族入り乱れての、総勢700人のデモ行進だ。
「満身の怒りを込めたシュプレヒコール」といきたかったが、先導するデモ隊列はマイクアピールが長くて、シュプレヒコールの時間が短い。私の位置からではマイクまで遠くて、少し聞き取りにくかったし。それに同じシュプレヒコールでも、前の隊列の韓国グループのそれは異様にカッコいい! 変なハナシ、「ヤスクニ・ハンタイ」とコールしているときより「ヤスクニ・パンデ」とコールする方が盛り上がっているように感じたのは、私だけではあるまい。中国語やハングルでのシュプレヒコールを書いたチラシを作って事前に意思統一しておけば、だいぶ盛り上がり方も変わっていただろうに……とかなんとか思いながら、デモは進む。
じきに雨は上がり、雨水が熱を帯びて湿度に変わる。
私の後ろにいた若い在日コリアンのグループが、「プランランララン参拝反対」とリズムを刻みながら踊っている。楽しくデモしようと、即席で考案したらしい。周囲の人にも「一緒にやりましょうよ」と声をかける。若いって楽しそうでいいなあ。羨ましい。私のようなオッサンはその明るさについていけないのよ。オッサンは、満身の怒りを込めて暗く重たくやりたいのさ。とはいえ、絶対に辺見庸のような野暮は言わない。誰だって、自分の内からわき出てくる表現で「反対!」を訴えるべきなのだ。
マイクアピールは台湾原住民や韓国人も行った。通訳はない。だから何を言っているのかサッパリだったが、怒りが迫力もって伝わってくる。続いて金城さんもウチナーグチでアジりだす。
なんと言っているのかわからないデモは、この一連の行動のいい特色だったと思う。台湾・韓国・沖縄、そして日本、東アジアの連帯で被害の視点から靖国を撃つ……言葉がわからない分、余計にそのことを大切さを考えさせられた。日本人の閉ざされた世界観に生きる人々にとって、このデモ行進はさぞかし異様に映ったに違いない。
日比谷のちょっとした中庭のようなところでデモ行進は解散。各代表から簡単にアピールがあり、みんなでシュプレヒコールで気勢を挙げた。
チワス・アリさんは「来年も日本政府が態度を改めないのであれば、私たちはまたここにやってきます。みなさんどうですか? またここに集まりましょう!」と、来年への行動を決意と共に呼びかける。
内田弁護士がこの一連の抗議行動の総括として、力強く締めくくった。「61年前、アジアは日本の植民地支配から解放されたが、我々日本人もヤスクニ・イデオロギーから解放されたはずだった。ヤスクニを解体してはじめて、アジアの人々と共にアジアの解放を祝うことができる!」
内田弁護士の決意が胸に沁みた。そうだ、靖国神社がある限り、私たちは東アジアの人々と共に歩むことはできない。ヤスクニを解体してはじめて、私たち日本人は差別抑圧民族としての立場から解放されるのだ。
自分の立ち位置を強烈に自覚させられた3日間だった。今後も靖国にこだわっていきたい。チワス・アリさんの言うように、安倍の出方次第では何が何でも来年またここに集おうと決心した。