[紹介]大阪府教委の「教職員評価・育成システム」に反対する訴訟
「新勤評反対訴訟」に支援を!
−−改悪教基法の具体化と教職員攻撃に反対する裁判闘争−−

 大阪で、「新勤評反対訴訟」という新しい訴訟が始まりました。これは、大阪府教委が導入した「教職員評価・育成システム」に反対する訴訟で、給与にこのシステムが反映されることになる2007年度を前にして、11月9日、日教組に所属する29人の原告がこのシステムとその給与反映の違法性を訴えて、大阪地裁に提訴したものです。原告らは、「評価・育成システムの給与反映」が教育現場にもたらす破壊的な影響を防ぐことを目的に立ち上がりました。
 第一回の公判が、1月25日(木)午前10時から大阪地裁202号大法廷で開かれます。ホームページも立ち上がり、着々と闘いの準備が進められています。提訴した教員による「原告団」とともに、この裁判を支える「訴訟を支える会」も出来、それらが合同して「新勤評反対訴訟・訴訟団」が結成されています。
 来る通常国会でも、教育反動との闘いは主要な課題となります。安倍政権と教育再生会議は、免許更新制など教職員攻撃を最大のテーマの一つとしていますし、それは自民党の右翼政治家たちによる最近の「日教組教員批判キャンペーン」とも不可分のものです。教職員評価育成システムの給与反映という個別課題での裁判闘争は、それを通じて教基法改悪や「教育改革」の不当性、教職員攻撃の不当性を訴えるものになるでしょう。

 私たち署名事務局は、日本の軍国主義化、反動化に反対してきました。とりわけこの1年間、憲法改悪阻止とともに、教育基本法改悪阻止の闘いに全力を挙げてきました。残念ながら、政府与党によって強引に教基法改悪法案が強行されてしまいました。しかし、ヤマ場に国会周辺を埋め尽くした大衆的な教基法改悪反対闘争は次の闘いへの“礎”になるはずです。そんな中、教基法改悪反対の闘いと軌を一にして、先の臨時国会のヤマ場に呼応するかのように、この裁判が始まりました。
 この裁判の重要性は、教育基本法改悪阻止の闘いの重要性と重なるものです。また、教基法改悪の先取り、あるいは具体化との闘いとなるものです。教職員と子どもたちを国家の言いなりになるよう仕立てあげ、海外派兵を諸手をあげて礼賛するような国民つくりに反対する闘いなのです。

 訴訟団は、大阪府で自己申告票不提出の抵抗を続けている教員や、やむなく提出したもののどうしても納得できない教職員に対して、この裁判闘争に参加するよう呼びかけています。また、是非とも多くの市民が「訴訟を支える会」に入会されるよう呼びかけています。
 私たちは反戦平和、反動化阻止の観点から、この意義ある裁判を全面的に支援したいと思います。ぜひ皆さんにもご協力をお願いします。

■第1回法廷 1月25日(木)午前10時 大阪地裁202号大法廷(傍聴集合9時30分北側入口)
 第1回法廷報告集会    午前11時 大阪市中央公会堂 小集会室
◆詳しい内容は、下記の「新勤評訴訟団」のホームページをご覧ください。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~kinpyo-saiban/index.html

※「新勤評反対訴訟」の正式名称は「大阪府 教職員『評価・育成システム』の評価結果を給与に反映することの違法性を教育基本法に問う」裁判です。この「新勤評反対訴訟」という名称は、1950年代後半に全国で闘われた「勤評闘争」にちなんでつけられました。1956年に、まず愛媛県で日教組つぶしを狙って「勤務評定」が導入されました。それに対する激しい反対運動が全国に広がり、その闘争の結果、勤務評定を昇級・昇格の理由にはしないという慣習が確立しました。その「勤務評定」の形骸化を勝ち取ったのが「勤評闘争」です。


大阪で先行する評価・育成システムの給与反映

 教職員に対して自己申告票を提出させ、校長や教育委員会が評価しランク付けするという動きは全国的に広がっていますが、この評価を制度として給与に反映させる攻撃は、東京に次いで大阪府が二番目になります。
 2004年度から大阪府教委は「教職員評価・育成システム」を導入しました。これによって、教職員にはどのようなことが課せられるようになったのでしょうか。
 まず、学校長らが「学校や校内組織の目標」を定めます。そして、各教職員はその「目標」を達成するために各自が取り組む目標を定めて、毎年5月中旬までに「自己申告」します。そして、校長との面談を経て目標が決定され、9月下旬までにその「目標」の進捗状況を「自己申告」し、さらに翌1月下旬までに自己点検して目標達成状況を「自己申告」しなければなりません。各教職員の「自己申告」した目標の達成度を校長がS、A、B、C、Dの5段階に評価するというのです。さらに校長が各教職員の勤務状況全般をS,A,B,C,Dに評価し、これを「自己申告」の評価を総合した評価を給与に反映する仕組みが作られたのです。
 これまで、多くの教職員は校長が教職員の教育活動に露骨に介入し、あるいは「数値目標主義」、「成果主義」を強要することに反対して「自己申告票」を提出しないことで粘り強い抵抗を継続してきました。一部では、「提出しなければD評価だ」とか、「提出してないのはあなただけだ」など、校長や管理職からの執拗な嫌がらせを受けながらも、原告の教員たちは自己申告票をあくまで提出しないことで闘ってきました。
 しかし今回、自己申告票の不提出を理由とした差別賃金が公式に導入されることが決定したことで、不提出者に対する明確な懲罰が加えられることになりました。2007年度からはこれらの評価が給与に反映されることになっています。B評価を通常の給与水準として、SやA評価には給与の上乗せがあり、そしてD評価だと昇給は一切停止されてしまうのです。「自己申告票」を提出しなければ、それだけで初年度はC評価同等、そして次年度も継続するとD評価同等の給与上の扱いにされてしまいます。攻撃は新しい段階に入ることになります。


教育の原則に反する「評価・育成システム」

 この攻撃は、教員の生活と労働条件の基礎である給与差別を通じて、校長や教育委員会そして国の思うがままに教職員を統制し、教育に介入しようというものです。それは教育を国家のためのものに変え、その国家のための教育を担う教職員を作り出そうというシステムに他なりません。
 このようなやり方は、教職員の自主性、主体性、自律性を根本から揺るがすものです。教育においては、教師も子どもも、主体性、自主性を持っていなければなりません。それは、人間が人間たる証なのです。それがないところに、いかなる教育があるでしょうか。上からの命令や支配に唯々諾々と従う教師が自主的、主体的な人間を育てることができるでしょうか。「評価・育成システム」によって管理され、主体性を失った教師によっては、主体性のない人間を造成することしかできません。子どもの発達は非常に多様であり、その様子を、日常的に身近に接している教師が不断に研究し、観察し、判断することが必要です。しかし、子どものそうした発達とは別に教育の「目標」が設定され、それが強制的に押し付けられるようなことがあっては、子どもの成長を阻害することになりかねません。教員が子どもたちに向き合うのではなく、校長や管理職の意向を重視するようにし向けられてしまうのです。
 また、学校教育では、一人の担任の教員だけがクラスの生徒を指導しているのではなく、ひとりひとりが豊かで多様な発達途上にある子どもたちを、さまざまな個性を持った担任団の教員たちが協力して関わりながら、一人ひとりの「学び」の場を創造しようと努力しています。これは学校教育にとって決定的に重要な側面です。しかしながら、この「評価・育成システム」は、教師を個々ばらばらに評価し切り離し、互いに競争させてしまうのです。給与査定によって「できる先生」と「できない先生」を恣意的に作り上げ、教員間の分断をもたらし、子どもたち一人ひとりに対する協力した教育を困難にするのです。そして、教職員相互の共同作業によって、さらには教員、保護者、地域が支え合っている中で成り立っている学校教育を根本から破壊することになってしまいます。
それは、他でもない、子どもたちの教育権を奪うことにつながります。


原告29名の熱い思い 支援の輪を大きく広げよう

 私たちも昨年11月9日の提訴後の集会に参加しました。ここでは、原告らのひとりひとりの思い、体験が熱く語られました。およそ教育の場にふさわしいものではないという考えから「自己申告票」を提出してこなかったことや、2年前から実施されてきたこのシステムの弊害は、すでに学校現場のさまざまなところにあらわれていることなどが明らかにされました。以下は原告の方たちの発言です。

■“問題のある”子どもやクラスを担当することは自分の評価を低下させることにつながるとして、それを敬遠する傾向がすでに現れてきている。
■自分の評価を上げるために、教職員相互の批判を嫌うという傾向がすでに生じている。以前は自由に互いの欠点をあけすけに批判しあい、それを通じて向上していくという姿勢があったのに、管理職の前で自分の評価が低下する言葉が出ないかとそればかり気にする教員が現れている。
■ある高校では、生徒が自分の進路を選択するのに、「先生は大学に進んで欲しいんやろ?」と、大学進学者数を増やすという学校の数値達成目標を気にするという事例がある。
■学校で事故にあった子どもを毎週のように見舞いに行った教員を最大限ねぎらった校長が、その教員に対して「自己申告書」を出していないという理由でD評価を宣告するという、およそ人間性のかけらもない事例も報告された。加えて言えば、校長は事故の責任が学校に及ぶことを回避できたという自己保身の立場からその教員に感謝したにすぎない。
等々。


 こうした中で、「評価・育成システム」に抗する裁判を始めることができてうれしいという喜びを、そこにいた原告のすべてが共有していました。
 この訴訟は教職員の給与と労働条件だけを問題にしているのではありません。それは子どもたちの教育条件、教育を受ける権利に密接に関わる問題です。それは、改悪された教育基本法や「教育再生」の名の下に進められようとしている愛国心や徳目教育の押し付け、教育の機会均等の破壊、上意下達の管理体制、成果主義と数値目標主義等々に抗することです。
 改めてこの訴訟への熱い支援と、1月25日の初公判への結集を呼びかけます。

2007年1月5日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局