被曝58周年にあたり劣化ウラン弾禁止を訴える
−−広島の市民集会に参加して−−
2003年8月11日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局
吉田正弘

 8月6日に広島で取り組まれた市民運動のいくつかの集会に参加しました。以下はその簡単な報告です。とりわけ、イラクから訪日されていたお二人のイラク人医師のお話は興味深いものでした。
 この日、はじめに訪れたのは、被曝建物である旧日銀広島支店です。ここは広島市のギャラリーとして使われているようで、この日、森瀧春子さんと豊田直己さんがイラクで撮ってこられた写真の写真展が行われていました。そして、ここで、1時から来日した二人のイラク人医師の記者会見があったのです。

 10時から豊田直己さんの講演会があったのですが、これには出れず残念。豊田さんは6月末の広島のイラク調査団のコーディネーターでもあり、何度もイラクに劣化ウラン弾の被害調査に入っている写真家です。記者会見の前に会場の写真を見ました。森瀧さん、豊田さんの写真だけでなく他のNGOグループの写した途上国、紛争国の子どもたちの写真も一緒に展示してありました。この写真展は7月末から10日間くらい開催されていましたが、会場のボランティアスタッフも数がそろい、非常に力の入った展示だったと思います。

イラクの医師が語る想像を超える劣化ウラン被害

 1時から会場の一角で記者会見が始まりました。来日されたのは、ジャワード・アル・アリ医師(バスラ教育病院・ガンセンター長)、とジャナーン・ガリブ・ハッサン医師(バスラ大助教授・バスラ産科子供病院)の二名です。アリさんは昨年12月に続く来日です。今回の講演では、アリさんがバスラ周辺でのガンの増加について、ジャナーンさんがバスラ周辺での出産異常と子供のガンについて話されました。二人ともパワーポイントを使い、癌増加のデータや出産異常の子供の写真など極めてわかりやすい形で話されました。

 アリさんは、湾岸戦争でバスラ周辺で300トンもの劣化ウランがばらまかれた、そのためにガンが急増している、社会人口構造が変わるほどだ、特に若い人が危険にさらされていると話し始められました。バスラのガンの発生率が1988年の10万人あたり11人から1998年には75人に、さらに2001年には116人に急増していること。ガンによる死亡率は1988年の34人から2001年には603人と20倍になっていること。極めて特異な複数のガンを持つ人、あるいは一家の中に複数の癌患者がいるケースがある(彼は31家族について調べた)と、この地域の癌の特殊性を強調し、劣化ウラン使用との関係を強調した。そしてガン患者の症状を示す写真で説明されました。写真は非常に進んだ段階の患者が多く、目を覆うばかりのものだったのですが、アリさんは薬がないので治療出来ない、そのため進行がとても早いと強調されていました。写真の中では兵士のガン患者が多いのも目立った特徴でした。

 ジャナーンさんは主として出産異常と子供のガンについて話しました。彼女によれば、バスラでの出産異常(先天性欠損症)の発生は1990年に37例であったものが2001年には実に611例に増加したそうです。これは発生率でも千分の3.04から16.1へと5倍以上の増加です。しかも増加後は複数の障害をもって生まれる症例が増えている、というのでした。イラクでは赤ん坊が生まれたら男か女か聞くかわりに障害があるかどうか聞くようになっているといいます。

 そんな悲惨な状況の中でイラクの医師達は苦しんでいるのですが、そのことはその後の質疑応答の中でますますはっきりしました。病院の現状について、アリさんは「悪い状態と言うしかない、政府も市もなくなった、電気も水道もなく、それを直す者もいない、薬もない」「米英兵から何も受け取っておらず、彼らはクウェートから水や薬を運ぶが、それは米英兵のためのものだけだ」と言い、「広島とイラクは放射能の被害という同じ状態におかれている、非常に悲しい」と話していました。そして「劣化ウランの被害はフセインの宣伝だという声もあるが、フセインがいなくなっても私が来て訴え続けていることが現実に被害があることの証拠だ」とも言っていました。

 自衛隊のイラク派兵についてジャナーンさんは、一般のイラクの人々に代わって答えたいと前置きし、「ほとんどの人は自衛隊がイラク人を守るのではなく、アメリカ軍を守ると考えている。日本は医師や薬を送ってほしい。自衛隊がやってくれば米兵と同じ目にあうだろう」「日本は広島であったことを忘れて米を助けようとしている」と話しました。イラクの極度に困難な条件下で苦闘する医師達の偽りのない気持ちだと思います。何とか彼らに答えたいものです。


新型核兵器=劣化ウランを告発する

 4時からは、平和資料館の地下で「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」の主催する「8・6国際対話集会−−反核の夕べ2003−−2005NPT再検討会議へ向けてヒロシマはどうする−−」が開かれました。

 この集会にはのべ400人近い人たちが参加しました。この集会でもアル・アリ医師が報告しました。この集会は従来からの核兵器廃絶のための市民の集いです。今年もNPTに向けて新アジェンダグループの代表を呼んでのアピールも行われましたが、今回の重点は劣化ウランという新しいタイプの核兵器の被害を明らかにし、その禁止をアピールすることにおかれました。アリさんの報告に続いてNO−DUヒロシマ・プロジェクトの嘉指さんから前日に刷り上がったばかりの「広島アピール」についての話と、その普及を通じて劣化ウラン弾反対運動を進めようとのアピールが行われました。
 広島を訪れたもう一つの目的はこの「広島アピール」の冊子を早速手に入れることでした。その中にはアフガニスタンでのUMRCのウラン被害調査についての私の文章も加えて頂きました。7月に最初に話を聞いたときには本当に間に合うのかと思っていましたが、広島の皆さんの不眠不休のがんばりで、予想以上に立派な、きれいな冊子ができていたので驚きました。大阪でもこの冊子を広めることで協力させて頂こうと思っています。

 7時からは中央公園で「2003人のとうろうピースマーク」の集まりがありました。これはASIAN−SPARKの若い人たちと広島の若い人たちが中心に準備した取り組みです。会場に駆けつけるともうすでに立派な灯ろうの文字ができあがっていて、1000人ばかりの人が周りを取り囲んで思いをめぐらしていました。ピースマークとハングルも含めた平和文字が暗闇の中で浮かび上がってとても印象的でした。その後、参加者全員で灯ろうを手に持って三々五々川まで歩き、静かに灯ろう流しをしました。