有事法制:討論と報告
有事法制の危険性とデタラメ
(第3号 2002/05/12)
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許してならない現代版「隣組」=「民間防衛団体」
有事法制が通ればすぐに始まる「軍事訓練」の強要。
参加を嫌がれば「非国民」扱いになる危険。 |
[1] 世論調査に見る国民の矛盾した態度。有事法制に賛成しながら「平時からの有事訓練への強制は嫌」というほど小泉政権は甘くはない。戦争準備に賛成すれば「国防意識高揚」「戦意発揚」の教育・訓練が強いられるのは当然。
■ ここにTBS系列のJNN最新世論調査があります。それによると「有事の法整備は必要か?」との問いに、残念ながら6割以上が賛成すると解答があったようです。
・必要 64.3%
・不必要 22.9%
・答えない・わからない 12.8%
しかし「有事に備えた訓練への参加は?」との問いには約8割が反対しています。
・参加したい 15.6%
・参加したくない 77.2%
・答えない・わからない 7.3%
皆さんも同じ意見でしょうか?小泉政権や自民党防衛族や保守系新聞はそんなに甘くはありません。彼らは国民に戦争をさせたくて仕方がない人々なのです。一旦この有事法制を認めてしまうと、平時から戦争準備に向けた色々な強制や運動が始まるのは当前です。「有事に向けた訓練」、「軍事訓練」です。町内会、職場、学校で戦争に向けた様々な訓練が始まればどうするのですか?「なぜお前は参加しないのか」と圧力が掛かるのは必至です。
■ なぜ「国民保護法制」が今後2年かけて制定する対象になっているのか?どうやらこの国民の対応に理由がありそうです。小泉首相はよく知っているのです。国民はどう言えばコロッとごまかされるのか。どうすれば嫌がるのか、を。つまり国民が嫌がる「民間防衛」を後回しにして、とりあえず先に有事法制の枠組みを決めてしまおう、という姑息な戦術なのです。
★(参考)
http://www.tbs.co.jp/newsi_sp/shijiritsu/
[2] 遂に本音を漏らした「国民協力」の恐ろしい中身−−福田官房長官「平時から有事に備えて国民を訓練しろ」。
■ 5月8日の有事法制特別委委で、小泉政権は遂に本音を漏らしました。私たちが一番恐れていたことです。
皆さんは有事法制とは単に「日本が攻撃された時」のため、遠い将来のために法律を作っておくだけ、それまでは今までと変わらない平和な雰囲気と平和な生活が続く、だから法律が通っても自分には関係ない、と勘違いさせられていると思います。
しかしそうではないことが官房長官の口から明らかにされたのです。「民間防衛組織を作って国民に協力を求める」と。政府はこの悪法が通ればにすぐに、「平時」から戦争訓練を始める、そのための団体作り、制度作りを始める、戦意発揚の教育、国防意識高揚の仕組みを作るというのです。
★(参考)
私たちの4.29署名運動交流集会の問題提起「有事法制成立後、『平時』からすぐに始まる『戦争国家体制』作りの危険性」)をぜひご覧下さい。やっぱり出たかという感じです。
■ 有事法制が通れば、「平時から有事に備えよう」というスローガンが政府から、右翼勢力から、財界の右翼的部分から一斉に大宣伝されるのは確実です。「平時から有事に備える」。これが「備えあれば憂いなし」の本質なのです。
有事法制は廃案しなければ大変なことになります。通ってから「しまった」では後の祭り。ぜひ私たちと一緒に反対の声を挙げてください。
■ 年配の世代の方々にお願いします。−−子どもさんやお孫さんのため、国家総動員法や大政翼賛会の下で一体何が起こったのかを話してください。軍人と好戦的な政治家たちが国民のいのちと国の運命を滅茶苦茶にした戦前のような時代に後戻りさせてはならないと。小泉政権と自民党が、米軍と一緒に自衛隊と国民を総動員し、何と戦時中の「隣組」を復活させようとしているのです。
若い世代の方々にお願いします。−−自分たちの未来が戦争と戦争協力に明け暮れる暗い時代へ逆戻りしないように、手遅れにならないために、今すぐに反対の声を挙げ行動して下さい。一人でも多くの友人や知人に有事法制の危険性を知らせてください。
壮年の世代の方々にお願いします。−−ベトナム戦争に反対し、沖縄返還の闘い、70年安保の闘いによって、日本の平和は少しは長続きしました。しかし1990年代に軍国主義化と政治反動が急速に進みました。子どもたちのため、日本の未来と針路を誤らせぬよう、いわゆる「全共闘世代」が奮起してもう一度闘う時ではないでしょうか。
[3] 「民間防衛団体」=「現代版隣組」を通じて、法律成立後直ぐに、「平時」から国民に戦争協力と戦争訓練で「踏み絵」を踏ませる危険。
■ 5月8日、衆院有事法制特別委員会で福田官房長官は、有事法案に盛り込まれた「国民の協力」について驚くべき発言をしました。有事法制は「被災者の搬送など自治体が行う措置への協力を想定している。このために必要な組織や平時における訓練のあり方について仕組みを考えたい。平時から備えることは大事だ」と説明した上で、「(2年以内につくられる)国民保護法制の中で国民の理解を得られるような仕組みを作りたい」と述べたのです。政府が公式の場でこうした考えを示したのは初めてです。
■ この重大発言は非常に大きな危険をはらむものです。幾つかの新聞報道を引用しながら以下にその危険性を列挙しましょう。
(1)「民間防衛団体」の設置:
さすがここに注目する読売新聞(5月8日付)が一面トップで取り上げました。「政府が民間防衛組織の設置を目指すのは、有事においては自衛隊は防衛活動に専念することから、『国民の被害を最小限に抑えるには、住民が互いに協力しながら、自らの手で助け合うことが不可欠』(防衛庁)と考えているためだ。また、政府内では、民間防衛組織を大規模災害時にも活用する案も検討されている。」
(2)「平時からの有事訓練」:
「民間防衛組織は、有事に、自治体や警察と連携しながら、救援活動のほか、相互連絡、物資配給などを実施する。平時には、訓練なども行う。政府は77年から始まった有事法制研究の中で、民間救援組織について検討を進めてきた。フランスやドイツ、スイスなど各国で整備されている。」(読売5/8)
「民間防衛は自衛隊や米軍による軍事活動とは別に、国民が主体的に(1)食糧・燃料・医薬品の備蓄(2)負傷者の救援(3)公共施設の復旧――などに取り組み、社会秩序を維持・回復する非軍事的な活動。国民の強い防衛意思を示すことで『侵略行為に対する抑止力を持つ効果がある』とされる。」(日経4/8)−−ここで言う「抑止力」とは言うまでもなく「平時」からの「備え」のことに他なりません。
(3)新聞自身が懸念を出すほど。建前は「自主的参加」・「自主的協力」、実質は強制的な現代版「隣組」の危険:
「ただ、民間防衛組織に対し、『戦前の隣組のように住民が相互監視することになりかねない』などの懸念があることから、政府は、自主的な参加にゆだねることで強制色を薄めたい考えだ。」(読売5/8、「強制色を薄めたい」!!「強制色をなくす」のではないことに注意!)
「救護組織は任意の民間団体で、編成を強制するものではないが、政府は設置を促すために助成金を給付することも検討している。ただ、戦前の『隣組』や国家総動員法の復活の印象を与えるとの批判が出る可能性があり、論議を呼びそうだ。」(日経4/8)
★(参考)
読売5/8 http://www.yomiuri.co.jp/01/20020508it03.htm
朝日5/8 http://www.asahi.com/politics/yuuji/K2002050800899.html
日経4/8 http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20020408CPPI014707.html
[4] 相互監視と戦争への国民の動員を強制する「隣組」。
■ 早稲田大学憲法学の水島朝穂教授は主張されます。戦前・戦中の「隣組」とは何だったのか?それは、「歪められた『参加』や『平等』の国家的押しつけ」であり、「自由の絞殺」(最終的には戦争)であった、と。また「地域の隅々まで、無数の細胞のように伝播し、上から命令を下さなくても、『自発的』に互いを牽制・監視しあう仕組みを完成させていった。ひとたび、「空襲」「毒ガス攻撃」といった形でテンションを高めれば、その運動エネルギーは増幅する。そして、「上意下達・下情上通」の無数のパイプが、市民のフラストレーションの顕在化を効果的に抑止した。家族の悩みから「今日の夕飯」まですべてを知り合う関係とは「おせっかいの制度化」にとどまらない。「向こう三軒両隣」という最も近接した関係が、相互の親密な「助け合い」を生み出すのと裏腹に、「異質なもの」を素早くキャッチする感知器の役割を果たしたわけである。「隣組システム」こそ、日本の軍事的脆弱性を補完し、国民を戦争に動員していくまさに日本的装置だったのである。」
★(参考)
水島氏は日本の戦前の「民間防衛」や世界各国の「民間防衛」についてとても面白い批判的研究を行われています。ここに引用したのは三省堂ぶっくれっとNo.119「住民管理の細胞『隣組』その二」です。
水島朝穂氏HP http://www.asaho.com/
[5] 既に先取りして行われている有事訓練「ビッグレスキュー」。今度は、自衛隊の指揮権と自治体・病院・学校、一般住民の参加強制が一層強まる危険。
■ 既に、東京都が実施している「ビッグレスキュー」など、自衛隊が参加する防災訓練に名を借りた事実上の有事訓練が行われています。
「ビッグレスキュー2000」木場公園地下鉄から進出した31普通科連隊
(水島朝穂氏HP「直言」2000年10月1日付より)
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石原都知事が、昨年、一昨年と2年連続で首都東京で繰り広げた、災害救援の名を借りた治安維持訓練「ビッグレスキュー」には大きく2つの特徴があります。
1つは、何十台もの装甲車の銀座占拠、地下鉄での迷彩服の自衛隊大部隊の移動、空には自衛隊機が盛んに飛び回る等々、自衛隊が前面に立って都民を威圧する治安維持訓練という側面です。まさに戒厳令下の東京を想起させられた度肝を抜く光景(一昨年)を覚えている方も多いでしょう。
もう1つは、形式上は東京都(自治体)主催、実際には自衛隊中心の訓練に、「災害救援」の名の下に、ありとあらゆる地域組織が組織され、参加させられたことです。主たる会場になった八王子市、調布市では、市当局、消防団、自治会、自主防災組織、赤十字奉仕団、交通安全協会、アマチュア無線協会など。さらに都立南多摩高校1000人をはじめ9つの看護専門学校、15の病院や医師会など。JR、東京電力、ガス、NTT、トラック協会など「公共機関」。そして「一般参加者5000人」。特に昨年の大きな特徴は高校生や若者が半ば強制的に参加させられたことです。まさしく有事法制下の民間防衛組織の訓練の先取りだと思います。
■ こうした有事訓練・治安維持訓練が、防災訓練の名目で(小規模ながら、)東京だけでなく全国津々浦々で大小の規模で毎年行われるようになっています。大阪府、大阪市でも自衛隊が参加して行われていますし、例えば奈良県のある地方都市では、昨年から急に防災訓練が再開され、しかも自衛隊も参加してきたそうです。
いくら参加者で最大勢力を占めるとはいえ、防災訓練の形式上の「指揮者」は自治体です。しかし、有事法制が成立すれば、今度は堂々と自衛隊と治安組織が指揮命令する形で、有事訓練が行われ、「国民の協力」規定に従って、自治体・消防・警察・自治会など地域組織、そして学校などの参加が強制される危険があります。こうした有事訓練は、「平時から有事に備える」典型的なやり方になるでしょう。
[6] 「民間防衛」=「国民保護」は真っ赤なウソ。国民一人一人に戦争への協力を強制し、「平時からの戦争訓練」を強制する方便。
■ しかも汚いことに政府はいわば現代版「隣組」復活を、「国民保護法制」(仮称)なる美名のもとに成立を狙っているのです。有事法制に反対する根拠として「国民保護をまず最初に決めるべきなのにそれがない」という意見がありますが、非常に危険です。社民党の土井氏が国会論戦で言いましたし、自民党の野中氏も牽制球として自民党執行部に述べた論理です。福田官房長官の危険な発言が、「国民保護法制」の名の下に推進されようとしている時、今の政府の有事法制の枠組みで「国民保護」を決めさせると大変なことになるのです。
日本の歴史で「国民保護」の名の下に未だかつて国民が保護されたことはありません。戦争遂行者にとっては、国土が一旦戦争になると国民は邪魔になります。「民間防衛」「国民保護」なる口実で、邪魔にならぬよう軍に忠実に従わせることが、その基本的な狙いなのです。“戦争に勝つため”という理由で全てが正当化されるのです。戦争遂行のために土地を無理矢理供出させられたり、軍に物資を供給するために一般市民への供給を制限したり。もっともあからさまな例は、青年も女子生徒も民間人も果ては子どもまでも根こそぎ戦闘に駆り出され、残った女性や子どもや老人は日本軍によって壕を追い出され、食料を奪われ、果てはスパイ呼ばわりされて殺される−−沖縄戦の悲惨な結果が、沖縄で現に起こった歴史的悲劇が事実でもって「国民保護」「民間防衛」のウソとデタラメを示しています。「軍は決して住民を守らない」、「国家は決して住民を守らない」というのが沖縄戦の最大の教訓の一つなのです。
だから問題の建て方はこうです。「備えあれば憂いなし」で戦争準備に血道を上げるのではなく、「国民保護」の美名の下に「戦争訓練」を国民に強要するのでもなく、要するに戦争を決してしないこと、憲法の根本精神である「戦争放棄」を守り抜くことこそ「国民保護」なのです。「15年戦争」の歴史の教訓を絶対に忘れてはなりません。
沖縄戦こそ「民間防衛」の真の姿
チビチリガマ:沖縄戦のとき波平区民140人余りが避難していた。そのうちの85人が死亡。83人は集団死。2人は米軍に殺された。その半分は子どもたちだった。当時は米軍につかまったら、女は強姦され殺される、男は八つ裂きにされる、といわれていた。ここには、軍国教育の影響を大きく受けた在郷軍人、満州帰りの看護婦、村の警防団がいた。
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■ 政府は5月10日、有事の際の住民避難などについて今後2年以内に整備する「国民保護法制」について、概要を前倒し提示する方針を固めました。都道府県知事など自治体の首長を中心に個別法制について説明不足との批判が出ていることに対応を迫られたためです。
政府が何を言い出すか監視と注目をして下さい。おそらく政府の言い口は国民をペテンにかける次のような段取りのはずです。
(1) まず国民がコロッとくる「日本が攻撃されたとき」と「国民の保護」いう説明で、戦時下での「国民の協力義務」「平時からの訓練や仕組み」を詳細にがんじがらめに決めておく。多くの国民は、遠い将来のことと錯覚し、容認してしまう。
(2) 次にこれまでの国会論戦でもはっきりしたように、実際には「日本有事」「日本防衛」とは何の関係もないアメリカの侵略戦争の時に、「日本が攻撃されてもいない」のに自民党政府が好き勝手に有事法制を発動し、(1)を強制する。
こんな具合です。国民の「保護」などとんでもない。全く正反対の、アメリカの侵略戦争へ国民を加担・動員させるための強制的な協力、国民を保護するのではなく無理やり戦争に駆り立てる仕組みなのです。個人情報保護を口実にマスコミを規制し国民の「知る権利」を奪おうとする「個人情報保護法案」や、国民の人権ではなく政治家や官僚の人権を守る「人権擁護法案」と同様のごまかしです。こんな卑劣なウソで国民を騙す政府の出す有事法制が、どんなにウソとごまかしから成り立っているか、見抜く目を持たねば本当に大変なことになります。
[7] 恐ろしい言葉「内なる敵」の復活。早くも出た中谷防衛庁長官の露骨な「非国民」思想−−「民間防衛団体」と結び付けば大変なことに!
■ 政府は遂に「非国民」思想を明らかにしました。5月7日の答弁でです。共産党の志位氏が、自衛隊法改悪法案125条の規定「取扱物資の保管命令に違反して当該物資を隠匿し、毀棄し、又は搬出した者は、6月以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する」の危険性を追及した時です。志位氏は「取扱物資とは何か」と質問したのに対し中谷長官が「自衛隊の行動に必要なものでございます」と答え、要するに「何でも入る」と述べたのです。自衛隊が燃料が必要と言えばガソリンスタンドに命令が出る。食料が必要となれば食料を扱うスーパー、外食レストラン、米屋、コンビニ、デパートなどが全部命令対象になる。水が必要となれば水道業者も。
しかしアメリカの侵略戦争になぜ協力しなければならないのか、と戦争協力を拒否し反対する国民が必ず出てきます。志位氏は戦争反対、保管命令拒否をした国民を「悪質な行為」として犯罪者扱いするのは憲法19条の「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」という条文に違反するのではないかと追及した際、中谷長官はこう答えたのです。「同じ日本人、日本に住んでいる方として、こういった事態につきましては、ご協力をいただくというのは当然のことです。」まさしく「協力しなければ“非国民だ”」と述べたのです。しかもわざわざ「日本に住んでいる方」を挙げ在日韓国・朝鮮人、在日外国人などの人々を念頭に置いて「協力を拒否すれば非国民だぞ」と言わんばかり。
また中谷長官はこうも述べています。「我が国を守るということにつきまして、国民の皆さま方がこの点をご理解いただいて、そういう際にはご協力を頂かないと国というものを守れないし、また国としても国民を守れないと、お互いに協力をし合って、国としての防衛を果たすということに尽きるのではないか」と。
この中谷長官の思想で「民間防衛団体」が組織され、「相互監視」網が張り巡らされれば、もうそれは現代版「隣組」です!
■ 皆さんは「内なる敵」という言葉を聞いたことがありますか。水島朝穂教授の興味深い研究によれば、これは、かつて戦争に積極的に協力しなかった人々を攻撃するために、ある在郷軍人の町内会長が戦意発揚のために流行らせた言葉なのです。「彼ノ大震災ヲ思フトキ防空上吾人ノ最モ恐ルルモノハ敵ノ飛行機ニ非ラズ毒ガス弾ニアラズ焼夷弾ニモ非ラズ寧ロ国内的ニ他ニアリトナス所以デアル」と。この町内会長は、関東大震災時の「朝鮮人暴動」を例に挙げて、「敵は国内にあり」と強調したのです。「隣組」の最大の機能の一つが「内なる敵」の排除・排斥だったのです。
そして何とこの「内なる敵」という言葉が、まるで亡霊のように最近復活したのです。5月11日付産経新聞「正論」欄のある右翼論壇の論客の「健全なる防衛政策の障害は内なる敵」という主張です。私たちは何かがゴソゴソうごめいているのを感じています。
■ 「非国民」と「内なる敵」−−この2つの言葉は「隣組」とともに国民をあの悲惨な戦争に駆り立てたものです。国家総動員法、大政翼賛会、治安維持法など戦前・戦中の中国や朝鮮への侵略や植民地支配の時に、近衛文麿や東条英機ら当時の首相と政権も、「国を守る」「国防国家体制」作りと称して、野蛮で無謀な侵略戦争に国民全体を、そしてアジアの民衆全体を巻き込んだことなど、まるでなかったかのようです。「国を守る」と言えば何でも許されるかのような言い方、これこそウソとペテンの言い口です。本質、実態は国や国民を守るのではなく、ブッシュ政権を守り、ペンタゴンを守り、アメリカの軍需産業と石油産業を守ることなのであり、アメリカと一緒に海外で戦争をしたくてたまらない日本の腐敗し汚職にまみれた政治家や官僚、自衛隊と軍人、そして利潤追求に明け暮れる企業家や財界人たちの欲望を守ることなのです。「国を守る」にだまされてはなりません。わずか50年ほど前に多大な内外の犠牲を支払って得た苦い教訓です。私たちは二度とだまされません。
★(参考)「『内なる敵』はどこにいるか 国家的危機管理と『民間防衛』」水島朝穂『三省堂ぶっくれっと』No.115 May,
1995。 水島朝穂氏HP http://www.asaho.com/
[8] 保守系シンクタンク・右翼論壇の目論見から見えてくる「民間防衛団体」の恐ろしい計画−−「民間防衛団体」を右翼組織・右翼系団体が乗っ取る危険
■ 政府の有事法制策定に当たっては、様々な保守系シンクタンクや右翼系組織、それらのメンバーが多数関わっています。その殆どはアメリカべったり、ペンタゴンに忠実な保守政治家、右翼政治家、元軍人、元警察官などです。
ここにJFSS(日本戦略研究フォーラム)なるシンクタンクの研究会「国家緊急事態と日本の対応」と題した報告があります。そこで西広徹也氏(東芝顧問・元統合幕僚議長!)は「民間防衛組織」の整備の必要性をこう述べています。「民間防衛のシステムが出来上がっているという大前提の下に、個々の手段について紹介したい。被災前における被害予防としては、国民の防護にかかわる計画と組織を整備すること。個人の防護教育を徹底すること。警報、警告の手段を確立すること。そして、退避や避難といった手段、方法をあらかじめ周知させておくこと。次に、被災間・被災後における被害局限のための措置としては、消防とか、救援救助とか、あるいは救急後送を含む応急医療を実施すること。最後に、その後における応急復旧としては、政府の中枢機能の回復を大前提として、救援のための道路や交通機関の回復とか、消防あるいは救助活動のために必要な水道・ガス・電気の復旧、上下水道の破損やガス有毒物質の流出等による2次災害の防止、そのための復旧といった個々の具体的な措置を実施すること。
これらの措置に関して、わが国にはしっかりとしたモデルが存在する。即ち、災害対策基本法である。しかし、これを有効に動かすシステムが残念ながら確立されていない。
もう1つの問題は、災害対策基本法は、自然災害に適用され、今日非常に問題になっている原子力災害については対象になっていない。ましてや、外部からの武力攻撃、弾道ミサイル攻撃、武装工作員の破壊行動などによる被害は全くの想定外だ。要するに、アイディアは出来ている。それを実行するシステムをどう具現化するかということが今後の問題である。」
■ 次に山田英雄氏(JFSS理事・元警察庁長官!)が発言します。「市民防衛ということになると、『国のために何をするか』ということを考えなくてはいけない。しかし、戦後の占領政策で、国民には、国家観念は全く無い。自分の損得だけで生きている。特に若い世代の意識に問題がある。これを直さない限り、何を言ったってついて来ない。そこで、私は、全国100個所、1万人ぐらい入れる壮大な合宿所を作る案を持っている。その合宿所で、楽しく暮してもらうとともに、ドイツやフランスのような国民的役務、社会的役務にも服する。こうして、集団で鍛えて、他人を意識し、公を意識し、青年らしい志を喚起する。6カ月ぐらい終了したら、大学に無試験で入れれば良い。そういう鍛え方をしないと、とても『国のために何をするか』という意識は生まれてこない。」と。
■ そして佐瀬昌盛氏(JFSS評議員・防衛大学校教授!)は言う。「民間防衛で、重要なことが2つある。非常事態において、善良なる市民は右往左往しない、ということが1つ。『自分の生活の場を離れたら絶対に駄目だ』ということをスイスでは徹底して教えている。そのために、スイスの場合には、相当大きなシェルターが作られていて、1人1人が入るベッドを指定してある。路上をうろついたら、プロの集団が取るべき行動を取れなくなる。もう1つは、国民にある種の役務を強要する権限、これだけは国家がきちんと保持する。」と。
自分たちは国のことを考えているが、国民は自分のことばかりで何も考えていない。だから強制的に「国防意識」を植え付ける「国防意識洗脳組織」を作って鍛えてやる。そう言っているのです。戦前の軍国主義者そのものです。自分は何様だと思っているのでしょうか。国民が知らないところでこんな恐ろしいことを構想しているのです。選民思想丸出し、エリート主義丸出しです。私たち国民は、こんな人たちが有事法制を推進し、法案作成に関与していることを知っておかねばなりません。
★(参考)
http://www.jfss.gr.jp/jp/new-kinkyu-4j.html
[9] 「民間防衛団体」が改憲勢力・保守勢力総結集の場になる危険性。「体制翼賛会」的な機能を果たす危険性。
■ 更に恐ろしいことに、一旦「民間防衛団体」が設立され、これに政府の予算まで付けられれば一体どうなるか。「民間防衛団体」の全体像や組織構造はまだ明らかにされていません。おそらく、先に紹介した東京との「ビッグレスキュー」で動員されたような自治体と地方組織をフルに活用したものになるでしょう。
■ しかし地方の「純粋行政機構」だけでしょうか。きっと、得体の知れない「国防意識を植え付ける」と意気込む右翼的な連中が集まる「戦争教化組織」になるでしょう。ここに中曽根元首相は言うまでもなく自民党内タカ派・民主党タカ派などの政治家たち(超党派であればあるほど「体制翼賛会」的な機能を果たす)、現役・あるいは退役軍人、例えば元自衛隊制服組や警察庁の官僚たち、日本会議などの右翼勢力、保守系シンクタンクやそのメンバーが総結集する危険性があります。もちろん「つくる会」教科書のメンバーも何らかの格好で関与するかも知れません。右翼的な某新聞や某雑誌が、「民間防衛のあり方」をガンガン書き立てるでしょう。
しかも彼らは、今や法的な根拠、大義名分を持つことになるのです。「平和主義と平和憲法に毒され“平和ボケ”した国民を“平時”から教育する」「性根を入れてやる」と豪語するでしょう。「協力しないやつは(国民保護法)法律違反だ」というわけです。改憲勢力の総結集の場にもなるでしょう。
とにかく有事法制を通させてはなりません。法律を盾に右翼勢力が半政府機関に巣くい、法律を背景に国民を恫喝すること、公然と表舞台に出てくることだけは何としても避けなければなりません。
*一部訂正 2002年6月11日
有事法制:討論と報告
(第2号 2002/05/09)
5月7日衆院有事法制特別委員会での論戦で浮き彫りになった有事法制の危険性
(第1号 2002/05/08; 05/09 加筆訂正)
有事法制の危険性とデタラメ
インド洋に居座る自衛艦、対イラク戦争への支援・関与を画策
文民統制を無視した自衛隊「制服組」の暴走
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